史香、先祖の罪を知るの編
史香が目を丸くしていると、ポン太はケケケと笑って、すらりと喋り始めた。
『ほれみれ。驚いたろう。あんまり突飛過ぎると思ってな、史香の様子を伺っておったんじゃ。いきなりじゃあ、気狂いの発作を起こすかもしれんから』
慣らしが必要だと思ってな。と、ポン太は言った。
「慣らし」
『おう、手始めに触れ合いを、と思った』
「触れ合い。それで一緒に寝ようと?」
『一夜を共にすると情がわくだろ? けどまぁ、お前から『話せ』と言ったのだし、さぁ、大層不思議がっていいぞ』
えへん、と、ポン太はたっぷりとした胸元の毛を突き出した。
「一夜を共にって、そういう意味なの……?」
『史香の思う一夜でもかまわないぞ』
史香は顔をしかめてポン太を放す。タヌキは重たい。
「ポン太は何者なの? 私の手紙の力と関係があるの?」
『大いに』
と、ポン太は史香の問いに頷いた。
それから、「コホン」と人間みたいに咳払いをして、自己紹介を始めた。
『我こそは、正一位金長大明神こと総大将金長狸の一粒種、化け狸の拍転子である』
鼻先をツンと上向かせすました様子で言った後、ポン太はクルンと宙返りして見せた。
すると、部屋の電気が突然消えて真っ暗になった。
怯える史香の目の前で、白く発光する蛍が宙を泳ぐ。
優しく点滅する光に魅せられて手を差し出せば、蛍は濁流に変わり、辺り一面が荒海となって史香は畳一枚に張り付いて漂流を強いられた。
「きゃああああ!?」
『すりりんぐだろー? これぞ、平安よりおわす長老三太郎狸様から受け継いだ神通力。とくとご覧あれ』
ポン太の声だけが、荒海の波が砕け散る音に紛れて響く。
史香を乗せた畳のすぐ側で、巨大な鯨が海面から飛び出して再び海へ潜る。
叫び声は全て、鯨の大飛沫のせいで飲み込んでしまった。
史香は必死で畳に捕まって、首をブンブン横に振る。
「だ、助けて!!」
『なんじゃい』
詰まらなそうな声と同時に、荒れ狂う波という波が白ウサギに変わって散り散りに跳ねて行く。
史香は大量のフワフワ達に踏みつけられて、やっぱり悲鳴を上げた。
「可愛いけど! 可愛いけど止めて!?」
『何が良いんだ?』
ポン太は史香を喜ばせたいのか、何か思案する様に小さく唸り、「そうだ」と言った。
途端、何処かへ跳ねて行く白ウサギが全て大輪の白い花に変わる。菊だ。
果ての見えない先まで一面、白い菊が咲き乱れていく。
目を奪われた史香から少し離れた所で、風も無いのに一輪だけ白菊が揺れた。
『ご覧』
ポン太が何処かで言った。
揺れた白菊が、ポンと音を立てて飛び跳ねる。
見れば、真っ白なタヌキが白菊の乱れ咲く中にいた。
美しいタヌキだ。雌なのだろう、ほっそりとしていて優雅だ。
史香の方を見ている目から、なんとも言えない程優しい印象を受けた。
『今日史香が出会ったのは、あの方だ。白菊様というお名前だ』
「うそ……」
あんなに綺麗で優しそうなタヌキが?
そんなバカな。
けれど、本当はあのタヌキだと言うなら、あれからずっと史香の心を青くしている恐怖が少し和らいだ。
「本当?」
『ああ。怖くないだろ?』
「……本当なら」
『本当だ。史香はあの方の尾で作られた筆を持つ宿命だ。だから、書く文字に不思議な力があるんだ』
「うぇ!?」
白いタヌキ――白菊様に見とれていた史香は、突然自分の話になって驚いた。
「宿命ってどういう事?」
『お前の二十代程前の先祖が、白菊様の尾を恐れ多くも盗んで筆にしたんだ』
「二十代前……!?」
『そうだ。大罪を働いた罰として、代々あやかしどもの一生を記した書の写本を宿命づけられている』
ちょっと意味が分からない。
けれど、ポン太の口調と裂けた口の様子から、ご先祖が随分悪い事をしたのだ、と史香は感じた。
(でも、そんな事言われたって……)
おろおろと白菊様の方を見る。
白菊様はポン太の様に怒ってはいない様子だが、ひょいと自分の尾を史香へ見せた。
彼女の尾は、八本もあった。
「八本もある……」
否、と、ポン太の声がする。
『九尾の尾を持つ神狸であったのを、史香の先祖が八尾狸に貶めたのだ』
尾が九本もあったなら……と、史香は思わないでもなかったけれど、ものすごく怒られそうだったので口には出さなかった。
それに、もし本当に盗んだのなら『切り落とした』とか『引っこ抜いた』事になるのだろうし恨まれても仕方が無い。
――――にくい。
白菊様の中を通過した時、最後に見たあの悲しげな文字は、史香の一族に向けられたものだったのだろうか。
だとしたら、やっぱり恐ろしい。
憎しみを向けられるのは、とても怖い事だと史香は知っている。
けれど、白菊様が史香を見る目は、相変わらず優しい。
「憎まれているの?」
『いいや。お優しい方だから……でも三太郎様の奥方でな。三太郎様が盗人に宿命を与えたんだ』
「じゃあ、三太郎さ、ま? というタヌキに憎まれているのね?」
ポン太はコレにも首を振る。
『いいや。三太郎様も仏の様にお優しいお方だ。ボクも下っ端やき、詳細は知らんのよ。まぁそう身構えないで、一族の背負った刑罰と捉えればいいよ』
「け、刑罰……」
ホッとするものの、納得がいかない。
しかし、ポン太は有無を言わせない様子だ。
不安そうな史香に、ポン太はふっくり笑う。
『安心せい。お優しいお方と言っただろ? 一生を費やせとは言わない。腕が壊れてしまうしな』
「どのくらい?」
『女は三年程だ。最近はもちっと長いかな。お勤めよりも、子を産まねばな。狸様の御利益で、史香の家系は子宝に恵まれ皆安産だぞ』
あやかしの書を写本するという『お勤め』がよく分からないし、子供だ子宝だと言われてもピンと来ない。
けれど、三年と聞いてちょっとホッとする。
『因みに、お勤め中に妊娠すると史香みたいに生まれながらに力が宿る』
「ん? どういう事?」
聞き捨てならない一言に、史香はポン太に詰め寄った。
『本来は筆を持たんと力は無いんよ。けど、史香の母上はお勤め中にやっちまいやがってな、ケケ……おっと失礼」
「ななな……」
史香はここ一番驚いて、ポン太をワシッと捕まえた。
『史香ぁ、本当はこれスッゲぇ不敬罪なんだぞ。ボクは金長狸の倅だというのに……』
「ね、ねぇ! おか、お母さんもその『お勤め』をしていたの!?」
『おうよ』
「でもでも、お母さんそんな事全然……!!」
『ああ、記憶が消えるから』
なんて事ない様に、ポン太が言った。
史香は頭の中が忙しすぎて、段々訳が分からなくなってきた。
「消えちゃうの」
『あやかしの一生が書かれた書を写すんだ。広められたら困る。あ、そうだ。お勤め後はな、能力も消えるぞ』
「!!」
史香はその一言に、一気に目を輝かせる。
「ほんと?」
『おうよ。え、なんぞ? もの凄い前向きな顔しとるな。大抵嫌がるのに……』
「やる! なにすればいいの!?」
史香は『お勤め』の事を棚に上げて、力が無くなる事にとても希望を持った。
ポン太をギュッと抱きしめて、史香は思わず「やったー!」と喜びの声を上げた。
史香は、文字を書く事に自信がある。
習字教室に通った事もないのに、小さな頃からとても綺麗な文字を書いて周囲を驚かせていた。
しかし、その驚きは賞賛と共に何か好ましくないものが含まれている事に、史香は気づいていた。
幼稚園の先生やお友達の親たちは、史香の文字を影で気味悪がっていた。
何故かというと、絵本や園のお便りに印刷された文字を、全く同じ書体で、機械の様に精密に書くからだった。
文字を書く度、周囲が史香の文字に驚き、違和感を覚えている事を、表情や間から感じ取っていた。
両親と祖母が褒めてくれた事と、小学生になって周りも文字を書くのが当たり前、綺麗に書きましょう、となった事は随分救いとなった。
しかし、小学生のお習字の時間に、お手本と寸分違わず書いた史香は習字が嫌いになった。
先生に「お手本を紙の下に敷いただろう?」と疑われたからだ。
ポン太を抱き枕にしながら、史香はそういった事を彼に切々と自分語りした。
事情を分かってくれそうな者に、特殊な話を聞いて貰えるのはとても嬉しかった。
ポン太は史香の手に撫でられて気持ちよさそうに目を細め、
「耳の裏も掻いてくれろぉ……」
などとフニャフニャな声を上げていたので、まともに史香の話を聞いているのか謎だったけれど、史香は気にしなかった。
疑問だった事、嫌だった事、悔しかった事を吐き出せる相手がいるのは、とても慰められた。
「だからね、私、筆はあんまり好きじゃない」
『ふぅん、好きだろーと嫌いだろーと、やってもらうぞ』
ポン太はそう言ってあくびをした。
『史香はなぁ……力があるのに、その表現に個性がないけぇ周りに歪に映っとったんよ』
「確かに、教科書みたいな字を書くねって言われてた」
しかし、学年が上がる度に、それは美徳となっていた。
『うん、皆がおんなじ事出来始めると、目立たなくなる……けぇん……』
くあー、と、ポン太は再びあくび。
「眠たいの?」
『今日はようけ力を使ったけんね』
史香はクスリと笑ってポン太の頭を撫でる。
「たまに出るそれは何弁なの?」
『色々じゃ。ボカァ四国の生まれやけど、京におった事もあるし、史香の先祖があちこち移動するき、言葉がまぜこぜじゃ』
気を抜くと出ちゃうの。堪忍な。
ポン太はそう言って、史香にすり寄った。
お洒落なお姉さんの香りのするモフモフを、史香は嬉々として受け入れ抱きしめる。
「ポン太はふわふわ。癒やされる」
『ぬくいなー。このまま寝てえーのか?』
「うん。今日の事、本当はまだ怖いの。ポン太が一緒にいてくれると嬉しい」
『そっか』
くふふ、と、ポン太が嬉しそうに笑った。
史香も微笑んで、ポン太を抱き枕にして眠った。
*
朝、ポン太は全然起きてくれなかった。
「ポン太~もうお布団片付けるよぉ」
史香が肌掛け布団をめくると、ポン太は迷惑そうにキュッと丸くなった。
『んん~、今日は仕事ないけぇ』
「ほら、敷布団も! どいてよポン太」
『むにゃあ……ポン太じゃない、我こそは正一位金長大明神こと総大将金長狸の一粒種……』
「はいはい、ハク……ハクテンジさんでしょ?」
むにゃむにゃ言うポン太を抱き上げて、座布団へ移す。
ポン太は前足をバタバタさせて座布団にへばりついた。
そして、太い尾を筆に見立てて文字を宙に書く。
『拍子の拍に、転換の転、嫡子の子じゃ』
丁寧に説明をするので、布団を押し入れにしまいながら漢字を思い浮かべる。
「拍転子、ね」
ポン太の方が似合う気がするのに、と史香は思った。
彼の方を見れば、仰向けになって気持ちよさそうに寝入っていた。
史香は思わず微笑んだ。
「学校へ行ってくるね、ポン太」
史香が部屋を出て行ってしまうと、ポン太こと拍転子は寝返りを打って苦笑いをした。
『気づいてない……』
まぁ良いか。
ポン太は大きなあくびをしてのんびり二度寝を楽しんだ。
*
昨日恐ろしい目に遭った史香は、ちゃんとバスに乗って帰った。
他の学生たちとすし詰め状態になりバスに揺られながら、昨日は何所で道を間違えたのだろう、と、注意深く外の景色を観察した。
特に、寄り道したショッピングモール付近は良く辺りを見渡してみる。
すると、モール付近に幾つもバス停が点在している事が判った。
史香はどうやら「このバス停からバス停へ進めば……」の、『このバス停』を間違えてしまったらしい。
(あー、私、まず出発地点から間違えてたんだ)
ガックリきた。
おっちょこちょいで、化け物に食べられそうになったなんて。
(拍臣君が助けに来てくれて本当に良かったな。そういえば、拍臣君は白菊様を知っているみたいだった)
史香は昨日の出来事を思い返す。
(あの二匹のタヌキは、ポン太のお友達かなぁ。ポン太はなんだか偉い血筋(?)らしいから、子分かも知れない。拍転子だって……。拍臣君も、変な名前で呼ばれていたなぁ……確か……)
二匹のタヌキの片方が出した、弁明めいた声を思い出す。
―――しかし拍転子様、そん娘は自ら入って来たぞ。
―――ボクが飯を食わせていたからなんちゃらかんちゃら……
「ん……?」
史香は小さく首を捻る。
いつもの癖の、「自分に都合の悪い不思議は見ないフリ」が出そうになる。
でも昨夜はポン太を受け入れて、自分の謎がたくさん解けた。
見ないフリが自分を遠回りさせているんだ、と、気がついた。……けれど。
「嘘でしょ……? だって昨夜、ポン太は私の布団に……ええ!?」
無視しても無視しなくても、とんでもない事実しかない史香は思わず叫んで座席から立ち上がった。