史香、迷子になるの編
非常に心外な言葉を、得体の知れない何者かに投げられた翌日。
祖母と拍臣に要らぬ心配をさせてしまうのなら、寄り道をして帰ろうと思った。
それに、拍臣と顔を合わせるのも気まずい。
彼が帰った後に帰宅したかった。
史香は祖母宅に通じる小道の、すぐ側にあるバス停を見送った。
そして、四駅ほど先にあるショッピングモールへ足を向け、雑貨店やアパレルショップを覗いて、ブラブラと歩いた。
午後のショッピングモールは、寄り道をする学生でいっぱいだ。
どの学生も、楽しげに連れだっている。
雑貨店で、愛らしい文房具を楽しげに選ぶ女の子達を見て、史香は早くも後悔した。寂しい。
いつもなら拍臣の一口オヤツを食べている時間だ、などと思い出してしまうとお腹が空いてきて、フードコートへ向かってみる。
しかし、フードコートにクラスメイトの姿を見つけ、慌てて踵を返した。
学校外のクラスメイトの仲間内へ、一人で特攻する勇気が史香には無かった。
(つまんない……本当に力があるのなら、いっそ誰かに手紙を書いちゃおうかな)
そう思うものの、そうして得られる友情は、史香の欲しい友情ではない事くらいは分かっている。
フードコートから離れ、再び放浪者になっていると、場所の匂いが少し変わり始めた。見れば、ペットショップコーナーがあった。
場所の匂いは、動物を飼育していると、避けて通れないものだ。
ガラスのショーウィンドウの中で、つぶらな瞳の子犬や子猫たちが思い思いに愛らしい姿をお披露目している。
可愛いけれど、史香はこういう大型のペットショップが少し苦手だ。
こんなにたくさんの子犬や子猫、小動物たちが、ちゃんと全員優しい飼い主を見つけられるんだろうか?
と、心配してしまうのだ。
「家には迎えてあげられない」という謎の罪悪感もあって、早足で通り過ぎようとした。
しかし、史香はふと足を止め、生体からは目を逸らしてペットケアグッズの棚へ向かった。
そして、犬用シャンプーと猫用シャンプーを手に取って迷う。
それから、うん、と頷いて犬用シャンプーを手にレジへと向かった。
*
犬用シャンプーを買い終わると、また手持ち無沙汰になった。
腕時計の針は、五時半をさしている。
(門限までまだあと一時間もある。歩いて帰ってみよう。バス停からバス停へ沿って行けば良いんだし)
祖母の屋敷には親しんでるけれど、地域には詳しくない史香はちょっとした冒険気分でショッピングモールを後にした。
そして、二十分足らずで道に迷ったのだった。
「嘘でしょ……」
バスが通る道を辿ってきたつもりが、いつの間にか全然見慣れない道になっていた。
バス停も見当たらない。
信号や電信柱に表記されている地名は馴染みが無くて、自分が今何所にいるのか分からなかった。
迷った事に気づいてからも、自分でなんとかしようと歩き回ったのが良くなかった。
(うう……仕方ない。おばあちゃんに連絡しよう)
迷子になったなんて連絡を、出来る事ならしたくなかったけれど、もう門限間近だ。致し方無い。
史香は見つけたコンビニの店先で、祖母にスマホで連絡を取ろうとした。
でも、店先の喫煙場所にたむろしているガラの悪いお兄さん達の視線を感じて、たじろぐ。
どこの高校だろ。
セーラー服いいなぁ。
彼らは史香――それとも、史香の制服?――を盗み見ながら、そんな事をひそひそ話している。
史香は怖くなって早足でその場を離れた。
ドキン、ドキンと心臓が鳴って、泣きそうになる。
肉食獣に狙われた小動物は、こんな気持ちなのかな?
だとしたら、きっと気が休まらないだろうな。
史香はそんな事を思いながら、安心できそうな場所を探す。
街頭がちらほらと灯り始めていて、町はどんどん表情を変えていく。
慣れない町で迷子になるような、高校生になったばかりの史香なんかペロリと食べてしまいそうな、そんな表情に。
そんな町の通りに、ふいに空き地があった。
出入りを禁じる柵などはなく、使われなくなった小さな公園のようだった。
(ここなら立ち止まっていても道行く人の邪魔にならない)
史香はそこで祖母の家へ、電話を掛ける事にした。
スマホの待ち受け画面の時計は、既に七時近くになっていて画面をタップする指が震えた。史香は、祖母からの信頼を失いたくなかった。
電話は数コールで繋がった。
「もしもし、おばあちゃん」
『ふーちゃん!! ああ、良かった。遅いから今電話しようとしていたのよ。どうしたの? 学校で居残りしているの?』
「違うの……」
祖母の声を聞いたらもの凄く安心して、史香は声を震わせた。
でも、泣き出してなんていられない。状況の説明くらいはしっかりしなくては。
「歩いて帰ろうと思ったら、迷ってしまったの。何所にいるのか分からなくなっちゃって」
「あらあら……近くに何か特徴のある建物は?」
史香は小さな空き地から少し顔を出して辺りを見渡す。
迷子だというのに、祖母に聞かれるまで、辺りに何があるかを見ずに歩き続けてしまっていた。
史香が慌てて辺りを見渡すと、空き地の角に鳥居があるのが見えた。
土地の側面に建っていたから、正面から見た時にすぐ気づけなかった。
「小さな空き地に、神社がある」
「神社? 名前は?」
急いで鳥居へ近づき、中を覗き込む。神社の名前が分かるようなものは見当たらない。
鳥居の先は、大きな木が葉を茂らせていて暗かった。
その暗がりの中、史香の背丈ほどの小さなお堂が建っていた。
そしてその両脇に立つ苔むした石柱の上に鎮座していたのは、タヌキの像だ。
「タヌキ……」
「え?」
「タヌキを祀ってるみたい。タヌキの像があるよ、おばあちゃん」
珍しい、と、史香は希望を抱く。
だって、珍しい神社ならすぐに「ああ、そこね!」と、祖母が分かってくれると思った。
しかし、祖母の声は困惑していた。
「お稲荷さんじゃなくて?」
「う、うん」
おかしいな、暗いし見間違えているのかも。
それとも、おばあちゃんも分からない位遠くへ来てしまった?
史香は再び不安になって、境内をよく見ようと暗い鳥居の先へ一歩入った。
すると、祖母との通話が唐突に切れてしまった。
「え、おばあちゃん? もしもし?」
電話をかけ直しても、コール音すら聞こえない。
スマホの画面表示は圏外になっていた。
建物に囲まれているし、木が茂っているからだ。
史香はそう思い、鳥居の外へ出るため踵を返そうとした。
その時だ。
もわん、と、ペットショップで嗅いだ匂いと同じ匂いが、史香のすぐ背後から漂ってきた。
そして誰かの声が、史香に問いかけてきた。
『喰っていい?』と。