史香、どんぐりを喰わされそうになるの編
ピチチ……と、縁側の向こうで小鳥の囀りが聴こえる中、史香はしばらくの間閉められた襖を呆然と見つめた。
「ささ、お茶とお菓子をどうぞ」
拍臣の朗らかな声がして、座卓の方を見ると卓上に湯飲みと器がきちんと揃えて置いてある。
史香は諦めて座布団にきちんと座り直した。
「なんだか慌ただしいおばあちゃんですみません」
「いえいえ。いつも良くしてもらっています」
拍臣の笑顔が眩しい。
中学生の時にクラスメイトだったどの男子とも、見栄えが全然違う。
同じくらい格好いい男子はいたかもしれないけれど、そんな王子様とお近づきどころか言葉を話す機会すら無かった史香は、拍臣と何を会話すればいいのか分からなかった。
「はぁ、それは、その、良かったです……」
結局歯切れの悪い返事と愛想笑いをして、自分の為に出されたお茶とお菓子を見る。
さっきから部屋を満たしている青臭い匂いが、湯飲みからもわんと立ち上っていた。
しかも、ぱっと見とろみがある様に見えるのは気のせいだろうか?
何となく湯飲みは後回しにしようと、器へ目を向ける。
(器も、なんでどんぶりなんだろう)
ところてんとか、ぜんざい餅とか汁物系のおやつなんだろうか?
そう思って器を覗き込み、史香は固まった。
(え、なんでだろう。どんぐりに見える)
「どうしましたか?」
「え、いえ、あの、コレ、い、いただきます」
これ、食べ物ですか?
それとも何かこう、お茶に添える飾りとか、お迎えの儀式的なアレでしょうか?
だったら、今「いただきます」って言った私を止めてくれますよね?
そう思いながら、そろりと拍臣の方を伺うと、
「ん? どうしました?」
と、ニコニコ微笑んでいる。
(おかしいな……でも、これどんぐり……)
ゴクリと唾を飲み込んで、史香はどんぐりらしき物を指で摘まむ。
摘まんだ感触は、圧倒的にどんぐりだった。
史香は息を震わせ、思い切って言った。
「どんぐり。これ、どんぐりです!」
どんぐりって言ってやった!
頬を高揚させて「これはどんぐりです」と言う史香に、拍臣は満面の笑顔で頷く。
「はい! 去年のを冷凍して取って置いた、とっておきのどんぐりですよ!」
遠慮無くどうぞ!
と、勧められて、史香はたじろぐ。
(どうしよう。とっておきを断るなんて。でも、どんぐりだし)
「ま、まずは、喉が渇いているから飲み物にしようかな。えへ、えへへ、なんだろう、この飲み物。すっごく独特の匂いで……ねぇコレ何?」
「青汁です!」
「う、ご、ごめんなさい。青汁はちょっと」
息も絶え絶えにお断りすると、拍臣が無邪気に首を傾げた。
「はい? 『ちょっと』なんです?」
拒絶が緩かったようだ。
史香は頑張って声を上げる。
「苦手かな」
「ケールも入ってます!」
「お水、お水でいいです」
「水道水と、ボクが汲んで来た水、どっちがいいですか?」
「あ、そういえば鞄にペットボトルのお茶が! これを飲みます」
『ボクが汲んで来た水』ってなんだ何処から汲んで来たのと思いながら、史香は自分の鞄からペットボトルのお茶を出して座卓の上にトンと置いた。
問題はどんぐりだが、二度も「苦手」と言うのは気が引ける。
でも史香はどんぐりを食べられない。食べた事は無いけれど、本能で分かる。
ありのままのどんぐりは多分不味い。
「ごめんなさい。お腹がいっぱいでどんぐりも無理かな」
やっとの事で史香がそう言うと、「クッ」と音がした。
嘲笑に聞こえたけれど、史香は自分を嘲笑していないし、拍臣も爽やかな笑顔だ。
しかし、穏やかに弧を描いている一臣の唇の向こうから、その音は聞こえて来た。気がする。
(まさか)
史香はハッとした。
(私、いびられている!?)
ゆらり、と、拍臣が卓上に手をつき、史香の方へ身を乗り出してきた。
「!?」
何をされるのかと思わず目を閉じ身を縮める史香に、「ふっ」と、息で笑う音が聞こえた。
それから、湯飲みと器を盆へ下げる音。
恐る恐る拍臣を見ると、彼はすでに史香から離れていた。
そして特上の笑顔で
「じゃ、こっちをお出ししますね!」
と、言って、氷のたっぷり入ったアイスティーとカステラのお皿を並べ始めた。
呆然と彼の支度を見ていると、えへへと笑う。
「好みが分からなかったから、色々用意したんです」
どうやらアイスティーとカステラも盆に乗っていたらしい。
座卓の脇に置いてあったから、盆が死角で見えなかった。
史香はどんな反応が正解なのか分からず
「あ、か、か、カステラ、カステラなら別腹」
とか呟いて、カステラにどんぐりが埋め込まれていないか密かに確認をしながら用心深くいただいた。
もうさっさとおやつとお茶を平らげて、自分に与えられた部屋へ引きこもりたかった。
しかし、拍臣は「俄然今からくつろぎます」とばかりに、卓上に両肘をつき、両手をそれぞれの頬に添えて史香の方へニコニコしている。
「ふーちゃんって呼んでいいですか?」
「だ、駄目です」
「ふーちゃんは、どうしてご両親から離れて、県外の高校へ通う事にしたんですか?」
「……」
「ふーちゃんは、どうしてご両親から離れて、県外の高校へ通う事にしたんですか?」
(二回言った……!)
多分永遠に尋ねて来そうだったので、史香は諦めて質問に答える事にした。
「自分の事を誰も知らない場所に来たかったの。誰も知らないって言っても、学校生活の範囲内ですけど」
「へぇ。どうして?」
「……臣さんは、高校生?」
探るように尋ねる。
この県内の高校生だったら、理由を絶対に教えないと決めているからだ。
「ボクは働いているので、学校行ってないです」
「え、そうなんだ」
「家政婦を極めるのが、今の目標なので」
そう言って、茶目っ気たっぷりに笑う。
本当かどうかは定かではないけれど、どちらにしても人の生き方に深い追求は失礼だ。
史香は拍臣の言葉に頷いて、それじゃあ、と話し始めた。
「私、文字を書くのが得意なんですけど」
「ほほう」
「それで、字が上手いねって友達に褒められて、ラブレターの代筆を頼まれたんです」
「ふむ」
「そしたら、友達の恋が実ったの」
「あはは」
拍臣が軽い調子で笑い飛ばしたので、史香はホッとする。
史香だって、こうやって笑い飛ばしてしまいたかったからだ。
拍臣は可笑しそうにしながら、史香に話の続きを促した。
「それでそれで?」
「それで、その話を聞きつけた子に頼まれてまた代筆したの」
「すると恋が実った?」
「そう」
「ほー、それで?」
拍臣の合いの手の巧みさに、史香の舌は滑らかに動く。
「噂になっちゃって、別のクラスの子とか先輩後輩にも頼まれる様になっちゃって」
「なるほど。それだけ代筆の効果は百発百中だった?」
「う~ん、でも絶対偶然だよ。元々上手くいく人達のをたまたま私が代筆しただけ」
敬語も忘れて夢中で話す。
史香は今、ため込んできたものを吐き出している気分だった。
ずっと、史香は誰かに話を聞いて欲しかった。
それに、話してみると王子様みたいな拍臣だって、クラスメートだった男の子たちとのやりとりと大差ない。
「それなのに、みんなが真に受けて噂を広められちゃったの。中学生の女の子って、そういう占いじみたもの好きでしょ?」
「あ、ボク次の展開わかる。女の子だけじゃなくて男も噂を信じ始めた!」
史香は頷いた。
拍臣が出してくれた冷たいアイスティーで喉を潤す。
「なんて言えばいいか……神様みたいになってしまって」
「あはは~」
「笑い事じゃないよぉ。他校の生徒まで頼みに来るようになったし、学校外でも声をかけられるようになって」
「あ、ちょっとゾッとするかも」
「でしょ? 私は全然知らないのに、向こうは私の事を知っているの!」
自分の住む場所が、安心できなくなった。
変な能力者みたいに扱われるのも、友人ならまだしも全く他人のラブレターを代筆するのもイヤだった。
「断ると酷い言葉を投げられたりする事もあって、辛かった」
「それは厄介でしたね」
「高校へ行っても、誰かしら私を知っている人がいるだろうし、もういっそ県外だ! って」
「思い切ったね~」
「うん。今とてもスッキリしているの」
史香はそう言って微笑んだ。
話してしまうと、本当にスッキリした気分だった。
「そうなんですね。それは良かった!」
拍臣のにこにこ顔にも癒やされる。
こうやって打ち明け話をしてしまうと、男性だからイヤだと言っていた事が少し後ろめたい。
「これからよろしくです!」
「あ、はい、こちらこそお世話になります」
二人、ペコリとお辞儀を交わす。
「じゃ、このどんぐりは夕食に出しますね!」と言って、どんぐりを台所へ下げて行く拍臣の背を見ながら、
(悩み事って、次から次へと出てくるんだなぁ)
と、史香は思ったのだった。