史香、めでたしめでたしの編
タヌキとキツネが両方救われた日から少し経った、ある夜。
史香は手紙を書いていた。
真実の手紙、といえば聞こえが良いが、なんて事はない、謝罪の手紙だ。
自分が何を筒井君への手紙に書いたかのか、は、勿論、事細かに今までの事を書き綴った。
そして、ごめんなさいを一文の度に、というのが大袈裟ではない程書いた。
決して「許して」とは書かなかった。
許されない、というのが史香なりの決着だった。
そしてふと鉛筆を持つ手を止める。
「これって、自分がスッキリしたいだけなんだよねぇ……ほんと自分がいやになる!」
史香は怪鳥の羽をジロリと見た。
この羽は、いつかの悔恨の夜に輝いて見せただけで、史香が困っていても、ちっとも助言をくれない。
「おーい、君はいつ役に立ってくれるのだい?」
史香はからかって言ってみた。
すると羽が輝きだして、歌ったのだ。
『〽あやかしに恋でもしたら歌いましょう』
「な、なにそれ、するわけ無いでしょ。弓弦さんみたいに転生出来る自信ないし!」
ちょっと弓弦に一目惚れしたけど、彼には想う人がいたし、その人は絶対勝てっこない超絶美人あやかしだし。
そういえば、二人のいちゃいちゃシーンを史香は見てしまっている事を思い出し、なんだか凹んだ。
どうしようかなぁ、手紙。
羽は全然意味分からん事言うし。
史香が縁側でボンヤリしていると、庭の雑木林がカサカサ揺れた。
草を踏んで現れたのは、タヌキ姿のハクだ。
『よお、フー』
「遅かったねハク、今から写本しようと思ってたんだ」
史香がハクを迎えると、ハクはてふてふ歩いていた足を止めた。
ハクがいつものように縁側へぴょんと飛び乗らないので、史香は首を傾げる。
「どうしたの? 上がらないの?」
『フー、もう「穢れの書」は無くなったけぇ、代々写本師を立てて写させるっちゅーのは、やらせる目的が無くなって仕舞いになったんじゃ。もうお前達は悪事をせずとも、字を習えるほど豊かになっとるしな』
「え、そうなの……」
『おう。古くなったあやかしの書は、タヌキ達が写本していくけぇ。もともとタヌキの修行なんよ。ほいじゃけぇ、お別れじゃ』
「記憶が消えちゃうの?」
史香は突然の別れを言われ、小さな声しか出せなかった。
ハクがふっくり笑った。
『ボクは忘れんけん。フーは、現で一番優秀な写本師じゃ』
「ハク……」
ハクの事も、弓弦の事も、白菊様も玉藻も、あの二匹のタヌキも、太三郎狸も……全部忘れちゃうんだ。
そう思うと酷く寂しくて、胸に空洞が出来る様だった。
『普通のおなごに戻って、幸せにな』
志乃にも希里子にも言った台詞を、史香にも。
ハクは史香が俯いたので、泣き出すのだと思った。
史香は泣き虫じゃけぇ。
もうお別れだし、慰めてやろうか。
しかし、今更過ぎるけれど、情が移るのが堪らなくイヤだ。
ハクだって、毎度凄く寂しいのだから。
史香は頼りないし、ほっとけなくて余計にイヤだ。
迷って史香を見上げると、史香は泣いてはいなかった。
彼女は――なんかちょっと薄く笑った気がした……が、気のせいだろう。
『フー?』
「ハク……」
『なんぞ?』
ハクは殊更優しい声で聞き返した。
「白菊様たちや、弓弦さんにもお礼やお別れを言いたいから、筆を手放すのは明日でもいい?」
「おお、ええぞ。そうしまい」
*
惜しむように振り返りながら雑木林へ帰って行くハクを見送って、史香はぺたんと縁側に座り込んだ。
「どどどど、どうしよう。あんまり突然すぎて時間稼ぎしちゃった……」
ハクとこんなに早くお別れなんてイヤだ。
もっと彼の美味しいご飯を食べたいし、祖母だってハック~がいなくて張り合いがなくなったら、ヨボヨボになってしまうかも知れない。
そうなったら、どうしてくれるのよぉ。
「なんとかしなきゃ」
史香は怪鳥羽を見る。
仕方ないなぁと言う様に、羽は光ってくれた。
羽はたくさんのあやかしと人々を導いた唄を、うたう。
『〽もう方法が分かっているというのに
なにをわたしに聞こうと言うの』
「あなたって、そればっかり唄ってたよね」
史香は呆れて羽を見る。
そう、この羽の主は、この唄ばかりをうたっていただけに過ぎない、そういうあやかしだった。
皆、答えを既に持ってこのあやかしに尋ねるのだ。
「ふふふ、よおし!」
史香は紙をちゃぶ台に用意し、筆を墨に浸す。
「私はあやかしじゃないけれど」
自分が今まで体験した事全てを紙に記すと、大量の白紙と併せて紐で綴じ、一冊の本にした。そして、何枚も重ねた一番最後の頁にこう記した。
筆先が墨で濡れる。けれど、嘘か本当か迷っている。
史香はそっと筆に囁いた。
「本当にするから……ね?」
さらさらと、筆が紙の上を滑った。まるで踊る様だった。
『こうして、写本師史香は気の済むまで、あやかしの書を写本し続けました』!
書き終えると、史香は祈って自分の書いた文字を見守った。
*
史香はバスで四時半に祖母の家に帰る。
それまでは陽奈ちゃんと楽しくお喋りだ。
夏休みには、陽奈ちゃんとたくさん遊ぶ約束をしてある。
史香は楽しみで仕方が無い。
バスを降りると、道向かいに店を構える骨董質店九重堂の店主が水をまいていた。
彼は史香に気がつくと、朗らかに笑って手を振ってくれた。いつもの風景だけれど、美青年過ぎる。
最近は彼見たさに、四時半にここへ到着するバスが、女生徒で満員だ。
史香はバスの中から羨望の眼差しを受けながら、ちょっとだけ頬を染めて、彼に手を振り返す。
それから踵を返し、小道へ進む。
小道は今日も、心落ち着く香りを放って史香を迎える。
緑のアーチの先には、祖母のお屋敷が見える。
史香はこの景色が大好きだ。
玄関へと続く飛び石を軽い足取りで踏みながら、史香は引き戸の脇で茂るキダチアロエに「ただいま」と挨拶をして戸を開ける。
それまでには、もうすでに涎が出そうな程の良い匂いが漂っていて、史香は今晩の夕食を思って頬を緩ませる。
土間玄関で靴を脱ぐ。すると、台所の玉暖簾をじゃらじゃら鳴らして、ひょいと王子様みたいな家政夫さんが顔を出す。
そして言うのだ。
「おかえりふーちゃん。今日のオヤツは水ようかんですよ」
*
『ほんに、正真正銘フーは志乃と希里子の血を引いとぅ!』
ハクがモフモフの尻尾を揺らして言った。
史香はわくわくとハクを見た。
「今日はどのあやかしの書を写そう?」
『ほうじゃねぇ……』
月明かりの夜に、初夏の風に揺れる庭の木々が、爽やかに葉を鳴らしている。
庭を薄く照らす開け放たれた二間続きの部屋で、少女とタヌキが寄り添って、山のように積まれた書を覗き込んでいる。
その風景はまるで、不思議な不思議なあやかし譚の様である。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
いつかもう少し設定を練り上げて、ふーちゃんとハクの物語を綴りたいと思いますので、その時はまたポンポコしにきてくださいませ。
それから、太三郎タヌキの誤字報告、本当にたくさんしてくださってありがとうございました!あまりの早さに魔法かと思いました。ありがとうございました!!