史香、あっぱれ!の編
史香は、倒れた真っ白なタヌキを膝に抱いて、優しく撫でた。
所々汚れ、毛は絡まってしまっている。
それでも、史香は白菊様を眺めて「ほう……」と、ため息を吐いた。
(本当に綺麗……八本の尻尾モフモフ……)
ハクと二匹のタヌキは、史香に抱かれた白菊様を心配そうに見つめている。
ハクはショックが隠せない様子だ。
何しろ、仕えていた白菊様が自分で自分を呪っており、おまけに片棒を担がされていたのだ。
「あんまりじゃ、白菊様……」
「ハク……きっと理由があるんだよ」
「かなわんのぅ……」
史香は白菊様にひっくり返されたちゃぶ台を見る。その側に、筆が転がっていた。
「白菊様の書を書いてみようか……」
それが可能なのかわからないまま呟くと、膝で白菊様がモゾ……と、身動きした。
『止めて……』
「白菊様……大丈夫ですか?」
「白菊様、こちら当代の写本師史香です」
ハクが、白菊様に史香を紹介する。
白菊様は一つ頷いて、「すまない事をしました」と、弱々しく言った。
『自ら語りますき、うちの今までを暴かないで』
*
白菊様が語り出したのは、何てこと無い様な、よくある様な、お話だった。
白菊様は昔、玉藻と同じあやかしを好きになった。
しかし玉藻は身を引いて、白菊様がそのあやかしの妻となった。
そのあやかしこそ、太三郎狸だった……。
こういう感じだ。
史香は、白菊様の話に聞き入っていた。
ハク達タヌキは、この場にいる事を辞退した。
白菊様にお仕えしている臣らしく出しゃばりませぬ、という感じだ。
その方が、女同士話しやすいから助かった。
白菊様はとても恥じ入った様子でポツポツと話し続けた。
『ほんに、とっても話しにくいけぇ、こんな情けない話……』
「あの、無理しなくても大丈夫です……」
現から去ったあやかしの一生を見ているものの、目の前に存在する白菊様の込み入った話を聞くのは気が引けて、史香が気遣った。
しかし、白菊様は真っ白な首を振って、『言わせて』と頼んだ。
『金扇は、容姿も頭脳も揃っとーたき、欲しいものは何でも手に入るっちゅーお方でな、自分に無いモンを求めるクセがありはったんや』
「う、羨ましいような……」
『ふふ、ほんに素晴らしいお方じゃけぇ、誰も彼も嫉妬しよった。ほんでのぅ、自分に無いモンを求めるけぇ、いつも種族の違うお方に惚れるんよ』
それでタヌキの太三郎に恋をした。
けれど、白菊様も太三郎に恋をしている事を知ると、
『身共は狐であらしゃいますやろから(私は狐ですから)』と言って、身を引いたらしい。
そして今度はその恋を忘れる為に、人間の帝に恋をした。しかし、玉藻の妖気は人間には強すぎたのだ。
なんだか報われない。
『うちは……太三郎様と結ばれた事が、ずっと後ろめとーて……せめて幸せになってくれれば良かったのだけど……恋に狂ぅて殺生石なんぞになってもぅて、気の毒で気の毒で……』
太三郎狸は、一途に白菊様を愛し続けてくれた。
けれどその幸せが、玉藻が報われない分後ろめたい。
『どうせなら、太三郎様を取り合うて争ってくれた方が良かった、なんて……なんて酷い事思うんやろ、あては』
史香はズキンと胸が痛んだ。
(白菊様、私は美羽と筒井君にもっと酷い事をしたよ……)
「でも、玉藻は白菊様が大好きだったんだよ。争わずに、自分が我慢して白菊様とずっと一緒にいたかったんだよ」
『ようわかっとぅよ。わかっとぅから、余計に辛い』
「……」
それから、玉藻は帝への恋に狂い、殺生石となってしまった。
白菊様が友として彼女にしてあげられる事は、彼女が現を去って尚罪を重ねない事だった。
殺生石は狂ったように笑い続ける。それが白菊様には悲痛な泣き声に聞こえた。
白菊様は、それが自分を責める声に聞こえてしょうがなかった。
『白菊は太三郎様に愛されて良いわね……』
あの、最期に正気で会った日の玉藻の言葉が、白菊様をより苦しめていた。
『あてが太三郎様を諦めていたら、金扇は幸せになれたんちゃうやろか。』
考えても仕方が無い事ばかりが、頭の中も心の中も占領した。
それでも白菊様は、痛む心を抑えて殺生石を鎮めていた。
そこへ、ある盗人が彼女の尾の一本を盗んだ。
「ひっ……」
突然の関係性に史香は冷や汗を掻いて俯いた。
「ほ、本当にご先祖が申し訳……」
涙声で人生で初めての平服をすると、優しい笑い声が降ってきた。
『ふふ、良いのよ。……あのね、その日はね……』
自分にこんな力がなければ、こんな辛い役目を負わずに済んだんじゃなかろうか。
白毛玉のまま、死んでしまえば良かった。
白菊はふと魔が差して、そんな事を思った。
『ぽかぽかおひぃさんがあったかい日やった』
白菊様は殺生石から少しだけ離れ、ただのタヌキに化けて気を紛らわせていた。
なんのお役目もない、ただのタヌキになりたかったのだ。
『尻尾を一本にしてね』
白菊様は、真っ白な八本の尻尾を史香に振って見せた。
さて、白菊様は、日向ぼっこをしてお昼寝をしていた。
ちょっとした休憩のハズだった。
しかし、人間の男が背後からコッソリ近寄ってきて、尾を掴んだ。
「罠とかじゃないんだ……」
『おまはんの血筋は豪傑が多いけぇ』
「……ホントに、すみません……」
『ええ、ええ。うちは、本当は簡単に逃げられたのだけれど、ふと逃げずに思ったのよ』
尾が一本減れば、力も無くなるんじゃなかろうか?
そうしたら誰かが、この辛い役目を代わってくれるんじゃなかろうか?
『本気で思ったワケじゃないのよ……』
史香は頷いた。
どんなに力があろうと、誰だって逃げたいと思う事くらいあるだろうし、思うくらいいいじゃないか。
だって、その後も白菊様は、殺生石から離れなかったのだから。
史香のご先祖は、白菊様が九尾の狸だと知ると腰を抜かした。
『ええけぇ、持って行ってと許しとったら、太三郎様が駆けつけてきはって……』
愛妻の尾を抜かれた太三郎狸。
怒りで我を忘れそうになったものの、賢者と名だたる彼はなんとか怒りを静め、盗人に尋ねた。
その尾をどうするのだ、と。
すると、盗人は答えた。
「筆を作って売り、女房にうまい物を喰わせてやりたかった」
太三郎狸はしばし黙り、こう言った。
『では、おまはんに仕事をやろう。その筆を売ってはアカン。おまはんはその筆を使い、あやかしの書の写本をするのだ。おまはんは剛毅じゃけぇ、恐ろしゅうなかろ? そうすればいつしか字を覚えるけぇ、そうしたらそれで喰っていくんじゃ』
「そういう経緯だったの……」
『このお方はほんになんと素晴らしいお方じゃと、うちは惚れ惚れしたんよ……こんなお方と添えて幸せじゃと』
なんだか惚気られながらも、
これではむしろ、ご先祖様はラッキーだったのでは?
と、史香は思った。
太三郎狸様、本当にありがとうございます。ごめんなさい。
『幸せじゃ、この人を愛しとぅ。そう思ったらまた、玉藻に悪く思えて……』
あらあら……と、史香は眉を寄せる。
白菊様は、状況が状況なだけに、感情の起伏激しいなぁ。
『うちは咄嗟に「穢れの書」を思いついたの……』
金扇、幾年月も掛けて、あても命を削るけぇ、許してね。
例えば、千年先に一緒に消えられたなら、あては嬉しい。
どうか、心安らかに鎮まって……。
そうして白菊様は、命が縮まる度、力が弱まり殺生石の毒気に当てられてしまった。
誤算、だったのだろうか。
しかし、白菊様の次の言葉にちょっと納得する。
『太三郎様が、尾を一本失った分を助けようと、自ら殺生石のお堂に籠られるようになって……』
「えーなにそれ! それはあまり良い気分じゃないね」
せやろせやろ? と、白菊様も鼻白む。元々白いけど。
『うちも嫉妬に狂ってしまったんねぇ。だって、ずっとお堂にいはるけぇ……玉藻も、太三郎様がおるとどことなく落ちついちょーし……段々自分を失うし、もう死にたい死にたい思うばかりになってもうた』
「白菊様……大変だったね。辛かったね……」
しゅんとする白菊様を、史香は抱きしめた。
モフモフだ。
これでハクの使っているシャンプーで洗えば……という下心を抑えて、史香は白菊様を慰めた。
『うち、バカだったわぁ。助けてくれて、ありがとぉ、史香』
白菊様は、小さな声でそうお礼を言った。
うんうん、と、史香は頷いた。
*
良かった良かったと、白菊様をモフモフしていると(ハクが不敬罪だと煩かった)、弓弦が訪ねて来た。
まだ朝日が昇り始めた早朝だから、キツネ姿で庭を勝手に通り、史香の部屋の縁側からぴょんと入って来た。
彼は史香から事の顛末を聞くと、
『なんだか殺生石っぽい感じを受けてやって来たら、そんな事があったのですか。それはそれは……』
と、言って白菊様へ平伏した。
『初めてお目にかかります。私は室町から珍品を集め回っておるキツネ、弓弦でございます』
白菊様は微笑んで『白菊でございます』と、弓弦を見た。
『見事な銀ギツネでいらはるねぇ。玉藻を思い出すわぁ……』
『白菊様、その事でお願いがございます。私を殺生石のありかまでお招きいただけないでしょうか』
「ゆ、弓弦さん、殺生石はまだスゴいらしいよ……」
史香が間に入ったけれど、『一目見るだけでも構いません』と、弓弦は譲らない。
『一生懸命やねぇ、理由を言うてみぃ?』
白菊様が訪ねると、弓弦は真剣な目をして答えた。
『はい。実は、私の前世は鳥羽上皇なのです』
これにはその場にいた皆が驚いて、目を見開いた。
「ウソやん」
「鳥羽上皇って……玉藻を寵愛していた帝だよね」
弓弦はニッコリ爽やかに微笑んだ。
『うん、人の身で彼女の愛を受けきれなかった。だから、狐に転生したんだ』
弓弦は幾星霜を経てあやかし狐に生まれ変わった後、ずっと殺生石を探していた。
けれど、どうしても見つからない。もちろん、白菊様をはじめとするタヌキ達が匿っていたからだが、弓弦には事の経緯が分からなかったのだ。
何十年も何百年も、愛しい人の残した憐れなものを探し続けた。
悪い噂ばかりを耳にして、弓弦の胸は痛んでいた。
早く貴女を助けたい。
そして、とうとう手がかりを見つけた。
殺生石はなにか別の物に姿を変えているのかも知れないと考え、一縷の望みを掛けて珍しい物ばかりを集め歩いていると、とうとう切っ掛けが向こうからやって来た。
それは、タヌキの筆だった。
*
『ああ、私の玉藻……』
弓弦は、タヌキが玉藻を静める為に作った場所へと案内されて、声を震わせる。
古ぼけたお堂の扉が、あの時のようにパンと音を立てて開いた。
一瞬、史香はあの気味の悪い声が聴こえてくるのではと身構えたが、そんな事はなかった。
弓弦がお堂へ駆け寄ると、お堂から一匹の大きなタヌキが出て来た。
タヌキは史香の顔くらいの大きさの包みを抱え、駆け寄る弓弦を静かに迎えた。包みは和紙で、何かお経の様な文字がびっしりと書かれていた。
太三郎狸と弓弦は、礼儀正しく一礼を交わした。
そして、そっと太三郎タヌキが包みを半分だけ解くと、石が……殺生石だ。
弓弦は触れた者を殺してしまうという石へ、そっと手を伸ばした。
『直に触れてはなりませぬ』
太三郎タヌキが忠告したが、弓弦は臆さなかった。
『死んでも構わないのです』
彼はそう言って、むき出しの殺生石を自分の胸に抱き寄せた。
――――夢ではないかしら。
艶やかな声が、震えて聞こえてくる。
弓弦が地面に膝をつき、殺生石を固く抱きしめて囁いた。
『夢では無いよ』
―――契りを守ってくださった。
『勿論だよ』
殺生石は黄金色に輝いて、タヌキ神社一面を明るく輝かせた。
『おお……邪気が……』
『めでたい!』
『あっぱれ!』
ハクと二匹のタヌキが大喜びしている。
輝きの中、白菊様と太三郎狸も寄り添って。
誰の心からも、重く暗い石が消えていく。
そして、弓弦の腕の中にあった殺生石は、輝く光を霧散させて消えてしまった。
―――白菊の事、大儀であった、史香。
微かに声がした。
史香の頬を、ひゅう、と柔らかい尾が空へ向かって掠めた気がして見上げれば、金色の美しいキツネが九本の尾をなびかせて、天へ踊るように駆け抜けていく姿が見えた。
――良かったね。
史香は心からそう思って、あやかし達と空を見上げていた。
☆開き直り報告☆
太三郎タヌキが、このお話の最初の方には三太郎になっているので探して見てください。(そして誤字報告をよろしくおねがいしまぽんぽこ!!)