史香、白菊様を見つけるの編
『金毛白面九尾乃狐』
久壽元年仙洞一人化女出来レリ。
後ニハ玉藻ノ御方ト號ス。
天下無雙ノ美人也。
……
(白菊様、白菊様……出てきて)
史香は、玉藻の一生に『白菊』の文字を探す。
しかし、玉藻が美しく咲き誇るばかり。
愛され、尊ばれ、そして、あまりにも異質な為に恐れられていく玉藻。
その間の彼女の葛藤を、人々は無視して追い詰めていく。
(騙して帝の生気を吸い取っている様に言われているけれど……玉藻は帝を愛してる。純愛だったんだ。信じられない。だってあんなに)
めくるめく艶事の際に見せた玉藻の表情が、「いやらしい」と、史香に「純愛」と認めさせない。
帝からたくさんの贈り物をされている事も、史香の心を曇らせる。
(純愛はもっと、清らかなものじゃないの?)
史香がそう思っていると、ふと玉藻が史香の方へ振り返ったではないか。
そして、追い詰められている悲壮感を感じさせない艶やかな笑みを向け、語りかけてきた。
――――どないな風に愛されようと、貴女には関係ない事であらしゃいます。
「な!」
史香は慌てて巻物から目を離し、白紙を覆い被せた。
(話しかけてきた)
思わず押し入れを見る。
押し入れは襖をちゃんと閉じてあるけれど、もしも、今、スーッと開いたら……と想像して、史香は慌てて部屋を出た。
「やっぱり怖ぁい!!」
史香はドタドタと部屋を出て、祖母の屋敷を飛び出した。
「やっぱり玉藻だよ、あれ、あんな事、振り向いた……」
ゾワゾワ胸を掻き乱されながら、史香を小道を駆ける。
いつもは心を落ち着けてくれるこの場所の香りが、仄かな墨の香りだと気がつくと、史香の心は更に乱れた。
(白菊様、どうして。どうして意気地なしの私の時に危うくなるの。おばあちゃんやお母さんだったら、あんなの、きっと言い返してた!)
史香は道向かいの弓弦の骨董品店へと駆けた。
横断歩道なんて無視して道路を駆け抜けると、骨董品店の戸を叩く。
「弓弦さん、弓弦さんいますか」
はーい、と、店の中からおっとりした声が返って来てホッとする。
彼が出てくるのを待っていられなくて、史香は戸に向かって懇願した。
「弓弦さん、夜分にすみません。力を貸してください」
*
史香は自分の部屋へ戻り、連れてきた弓弦へ一部始終――ハクがなんか不味い事になっているかもしれない事も含めて――を話した。
夜に尋ねて来た弓弦に不思議がる祖母には、「勉強でどうしてもわからない事があるから、教えてもらうんだ」と、嘘を吐いた。
嘘は便利だ。けれど、「そうなの。がんばってねふーちゃん」と、史香を疑わない祖母の顔をちゃんと見れなかった。
嘘は自分の心を削るんだ。史香はそう思った。
「さて、玉藻が史香ちゃんに振り返って、話しかけてきたんだね? そして、その箇所は墨で潰れなかった」
コクコク頷く史香に頷き返して、弓弦は「ふーん」と言って巻物の問題の箇所を読む。
「確かに、史香ちゃんに語りかけてるね。これが映像で見れるなんて羨ましいなぁ」
「ハクは留守だから、一人だと怖くて……弓弦さんに側にいて欲しいの」
「史香ちゃん……玉藻顔負けの魔性っぷりだね……」
「え!?」
なんかもの凄く心外な事を言われた。
「ふふふ、良いよ。側にいてあげる」
弓弦は妖艶に微笑み、史香の傍らに座ってジッと筆を見つめる。
「墨は出ません……多分」
「気にせずどうぞ」
弓弦に促されて、史香は再び玉藻と向かい合った。
*
史香は、弓弦にアドバイスをもらって、玉藻から再び何か語りかけないように無心に文字を写した。
弓弦の教え通り、もう玉藻は語りかけて来る事はなくなった。
ホッとしつつ、筆を進める。
すると……。
「あった!!」
史香は叫んで、巻物に覆い被さった。
玉藻ニ唯一友アリキ。
名ヲ白菊ト言ヒキ。
史香は何度もその節をなぞり見て、顔を輝かせて弓弦を見た。
弓弦も巻物を覗き、史香に「良かったね」と、笑った。
白菊様と玉藻の一節はこうだった。
雪の様に真っ白なタヌキと、輝かしい金色のキツネが肩を寄せ合って、どこか高い所から都を下ろしている。
どちらも素晴らしく美しい獣だった。
(白菊様と玉藻……なんて綺麗なの……)
二匹は仲良く寄り添い合っていて、白雪様が玉藻をいたわっている。
『金扇、もうお山へ帰っておいで』
『帝のおそばにいたいの……』
『アカンよ、おまはんがおそばにおって、帝はどうなったん? おまはんが憑き殺してまうよ、もうお止め』
金扇は、きっと玉藻の事だ、と、彼女の金の扇の様に広がる九尾を見て悟った。
玉藻は切なげに鼻を鳴らして、白菊様の白い毛皮に顔を埋めて泣いた。
『あのお方は、身共(私)が側にあらしゃいまへんと死んでしまうよ……。どないしてこうなったんやろ。好きおっておるだけなのに』
『金扇……』
『白菊はええねぇ、太三郎様に一途に愛されて、羨ましい』
見当違いの小さな嫉妬を受けて、白菊様は目を伏せた。
ほわほわ生えた長い睫まで真っ白だ。
『……おまはんにもそういうお方が現れるきぃ……』
『気休めじゃ!! 白菊、後生や。身共は多分狂う。身共が狂ったら、貴女が討ってたもれ』
『できぃしんよ、なんでそんな事言うん? 小さな毛玉だった頃から、貴女を大好きじゃけぇ、できぃしんよ』
『後生や、もうお仕舞いやとなったら、身共は蝉に化けるから、木の下の泉に本性を映してたもれ』
『いやや、あかんよ。そんなこと……うちは、自分を許せなくなってまうよ』
……
けれど、結局玉藻の望み通りとなった。玉藻は狂い、正体を知った人間に追われた。彼女は残った理性で蝉に化け、泉近くの木にとまる。もう駄目ですという、白菊様への合図だ。
書は玉藻の一生だから、白菊様がその時、どんな感情だったかは分からない。
玉藻のとまった木の下の泉が、水面を微かに揺らし、美しい金色の九尾狐の姿を映した。
「いたぞ!」と、人間の声がした。
史香が息を飲むのと同時に、弓弦の手が史香の筆を持つ手を払った。
「キャッ!?」
強く払われたわけでは無かったが、史香の手から筆が離れ、紙の上に墨を散らして倒れた。
驚いて弓弦を見れば、彼はハッとした顔をしていて、自分の行動に動揺している様だった。
「ゆ、弓弦さん?」
「……あ、あ……ごめんね……つい……」
ぎこちなくそう言った彼の頬を、つう、っと涙が伝った。
彼はその涙を、なんでも無い事の様に袖でそっと拭い、微笑んだ。
「大先輩の最後が不憫で、少し心にグッときてしまったよ」
「……そうですよね。仲間ですもんね……」
彼の様子では、ここが玉藻の最後なのだろう。きっと人間に、退治されてしまうのだ。
玉藻も、それを憐れむ弓弦も痛々しくって、史香は結末を写すのを止めた。
そしてそっと、いたわる様に指先で書を撫でた。
「疑ってごめんなさい」
すると、書から声が聞こえてきた。
――許してつかい。
――もちろんであらしゃいます。
――うちが悪いのじゃろうか。
――……許してたもれ。
――嫌や、憎い、にくいよぉ。ああでも、何を憎めばいいんじゃ。
――ごめんねぇ……。
史香は、余韻すら聞き漏らさないように声を聞き、目を閉じた。
書に書いてある会話ではなかったし、追い詰められた時の玉藻は既に狂っていた。こんな会話が出来る状態ではなかったように思う。
首を捻ると、弓弦が「私にも聞こえた」と声を震わせた。
「これは、過去の会話じゃないね。今もずっとこの世で、ぐるぐるしている会話だ」
「……はい。それに……会話のようで、一方通行のような気もします。この会話、白菊様に玉藻の声が、聞こえていないんじゃないかな」
「そうだね、そうかもしれない。白菊様は、随分自己嫌悪をなさっているご様子」
「自己嫌悪……」
史香はそれに囚われた際の感情を知っている。
知っている、どころか、常に苛まれている。
自分を許せない気持ちは、この世から自分を消したくなる。
何度も何度も心の中で自分を痛めつけ、こんな自分なんか、真っ黒に墨で塗りつぶせたら、どんなに楽だろうと……。
「……あ」
蚊の鳴くような声をポツンと上げて、史香は迷いながらゆっくりと白紙を取り出し、じっと見つめた。
「何度も何度も、痛めつけ……」
史香は唇を噛んで、ちゃぶ台に音が鳴るほど紙を叩きつけ、筆を構えた。
「どうしたどうした」
弓弦が腰を浮かせた。
史香は紙に集中して、弓弦の方を見なかった。
「見つけたの」
「なにを」
「穢れの書!!」
史香は叫んで、白紙へ挑んだ。
*
その気持ち、凄く、分かる。
自分なんか死んじゃえって思う時もある。
だけど、私は今日も生かされている。
なんでだと思う?
私はその答えを、ずっと考えてる。