史香、怪鳥に羽をもらうの編
それからというもの、史香はたくさんあやかしの書を写本した。
様々なあやかしが、様々な一生を終えていくのを写し取り、黒々と残す。
悪いあやかしも善いあやかしも、史香の筆跡の上を踊るように駆け抜けて消えていく。
その度に、史香は泣いたり、憤ったり、時々ホッコリ微笑んだ。
その中で一度だけ、元の書と写し終わった写本が、同時にサラサラと消える現象を見た。
それは「はぁ、写し終わった」と、満足気に筆を置いてすぐの事だった。
驚いてハクを見ると、ハクは消えていく書へ手を合わせていたので、史香も大人しくそれに習った。
真夜中に輝き歌う怪鳥の書で、山奥深くに住み、気まま穏やかな一生を終えたあやかしだった。
「あの鳥は、導きの歌をうたうけぇ、あやかしも人もようけ助けんさった偉い鳥じゃ」
「神様の遣いみたいだね」
「ボクは、どのあやかしも人間も、みな神様のお遣いじゃ思うとーよ」
そう言って、まだ手を合わせたままのハクは、更に深く頭を下げた。
それから二人は、なんとなく縁側でお月見をした。
お月見と言っても、下弦の月で少し欠けていたけれど。
『天へ還ったの?』と、聞いてみたかったけれど、今の神聖な雰囲気を壊してしまう気がしたので止めた。
ゴールデンウィークはとうに過ぎ、すでに六月を迎えようとしている庭は、ひっそりとしている。
よく空気の読める庭だ、と、史香はたまに感心する。
「不思議な事がいっぱいあるんだね」
「あるわい、そらそーや。そうやないと詰まらんじゃろ」
「私は平凡がいいなぁ。頑張っているのだってさ、力を無くしたいからだし」
「ほーか」と、ハクは呟いて夜空を見上げた。
それから「あれま」と笑ったので、史香は首を傾げる。
「なに?」
「ほれ、見てみ」
ハクが指さす夜空に、明るく光る星が揺れていた。
星はゆらゆらと落ちて来ているみたいだ。
「わー……?」
星ってゆらゆら落ちるかしら?
史香は怪訝に思って星を見つめた。
星は、そんな史香の方へ今度はひらひら落ちてくる。
「星じゃない……?」
「羽じゃ」
「羽……」
輝く怪鳥が、脳裏で羽ばたく。風切羽がひらりと落ちて……。
「きっとフーにくれるんじゃ」
「うそ……」
星のように輝く羽は、思わず伸ばした史香の手の中へ、ふわりと収まった。
輝く羽を覗き込み、驚いていると、「頑張ってるけん、ご褒美じゃな」と、ハクが言った。
「私に……?」
史香が顔を上げると、羽の光で照らされたハクが、今まで見た事のない程優しく史香に微笑んでいた。
*
さて、ハクに褒められ、あやかしからご褒美を頂いて、順調にお勤めをこなしていた史香だったけれど、「改・てんてんの書」に悩まされていた。
史香はどうしても「てんてん」を助けてあげたかった。
「てんてんの書」は嘘を吐いている。
だったら、てんてんちゃんを助けてあげなくちゃ!
史香は燃えていた。
ハクは最近、随分と忙しいみたいだ。史香を信頼してきた事もあり、「任せる」と言って写本に付き合わない事が増えた。丸一日姿を現さないこともあったので、そういう「てんてんの書」に打ち込めた。
――本当は、ちょっと寂しかったけれど。
なんでも、「九尾の書」で怪異が起きてから、白菊様の調子がすこぶる悪いらしいのだ。
白菊様は旦那様の太三郎狸と、玉藻が変じた殺生石を鎮めているのだというし、もしかしたら自分が、弱いクセに写本に挑んだせいかもしれない、と密かに責任を感じている。
ハクは、「元々調子が悪かったけん、気にせんで」と言ってくれたけれど……。
さておき、正解が分からないまま何が起こるのか、てんてんが次にどういった行動を取るのか、を探り探り書いていく事は正直しんどい。
それが真の真実であれば、文字は消えないけれど、真実ではないと黒く塗りつぶしてしまう。
例えば、以前史香が当てずっぽうで書いた「てんてんが反撃した」は真実だった(らしい)ので墨に塗り潰されなかったけれど、「そして蛇をやっつけました」と書いた途端塗り潰されてしまう。
おそらく「蛇をやっつけました」は、真実ではない。と、いうことになる。
しかも、次の一文が真実に対抗してくる。
「てんてんが反撃した」に対して、「蛇は反撃を躱しました」と、やり返してくるのだ。
その時は、結局てんてんが蛇に飲み込まれてしまった。
「狡い!!」
史香はこれに腹を立てた。
だって、完全に「てんてんの書」の方が有利じゃないか。
史香は嘘を書けないのに、相手は嘘を書いてくる。そして、てんてんを殺そうとするのだ。
そんなのさ、もう続き書けないじゃない?
「蛇は反撃を躱しました」って言われてしまったら、どうしたら良いの?
しかし史香は、自分でも意外な程に負けじ魂を燃やした。
新しい紙を取り出し、一から書き直す。
「てんてんは、かわすことも、はんげきも、できないやうに、はんげきしました」!!
やけくそだったけれど、文字は墨で潰れなかった。
ふふん、と史香は笑った。
しかし。
『されどくちなわには、びくともこうかなし』
と、次の一文が現れて、一拍おいて「てんてんはかわすこともはんげきもできないようにはんげきしました」も、墨で潰れていった。
書に舌があるなら、きっと「あかんべー」しているに違いない。
史香は畳にひっくり返って悔しがった。
(なんなの! どうしてそんなに、てんてんちゃんを殺したがるのよお!!)
史香は「てんてんの書」に完全にもて遊ばれていた。
ジタバタしていると、先日怪鳥からいただいた羽が輝きだした。
史香は虹色に輝く羽に気づくと、声を上げて喜び、見とれた。
「励ましてくれてるの?」
知らず問いかけると、羽はキラキラ光を零す。
嬉しくて史香の顔に、笑顔が戻る。
ありがとう。あなたは善いあやかしだね。
私、観たよ。
助言で色々な人やあやかしを、導き助けてたでしょ?
そう感謝をした後で、ふと「善いあやかしかぁ」と、呟いた。
「あやかしはさ、人と同じで善いのも悪いのもいるって分かった。だけど、人に出来ない事が出来るでしょ?」
――気味が悪いわねぇ。
――どうして私のカレ宛ての手紙を代筆したの!?
――ありがとう、史香のお陰で両思いになれたよ。
異質に後ろ指さされ、あっちを立てればこっちが立たず。
今まで行ってきた事の為に、存る力じゃなかったから。
書になったあやかしの中にだって、力の使いどころが分からないままの者は、嫌われたり、好かれたりと忙しい。
「大変だねぇ。善いのか悪いのか、最期にしかわかってもらえないんだねぇ。でも、誰が見てくれているというの」
努力した事も、我慢した事も、悲しかった事も、誰も見てくれていないじゃないか。
それなのに、周りは思い思い好き勝手に、彼らの事を恐れたり、敬ったりするのだ。
史香は、薄く笑って輝く羽を撫でる。
〽誰も見ていなかった。
でもあなたは見ていた。
羽が歌った。
史香は瞬きをして、羽に返事をした。
「そうだね」
*
―――私の手紙、代筆して欲しいの。筒井君に、渡したくて。
美羽の書いたラブレターは、純粋な恋心で溢れていた。
一生懸命考えて書いたんだなと、史香は胸を締め付けながら読んだ。
手紙には史香の名前も出てきた。
『親友の史香』と書かれていて、史香は嬉しくて悲しくて泣いた。
史香は、この時初めて自分の力を信じこみ、恐れた。
恋する人を失う恐れと、自分が美羽を裏切るかもしれない恐れも、史香を追い詰めた。
たくさんの人の心を書き換えてきたクセに、いざ自分の身に降りかかるとなって初めて、史香は事の大事さに気づいたのだった。
史香は書いた手紙を美羽に見せる事なく、自分で固く封をして美羽に渡した。
美羽は本当に嬉しそうに笑って、史香にお礼を言ったんだ。
* * * *
『筒井君へ
突然こんな手紙を渡してごめんなさい。筒井君へ伝えたいことがあるので、読んでくれると嬉しいです』
誰も見てくれていないんだ。私がこの力でどんなに困っているか、どんなに傷ついているかなんて。
『いつも、親友の史香と一緒に話しているうちに、もっと筒井君の事を知りたいなと思うようになりました』
美羽の手紙を写していく度、心が冷めていく。
美羽は、私が代筆を嫌がっている事を知っているのに。本当には知ってくれていなくて、
そのくせ熱心に筒井君の事を、知りたがってる。
『話せば話すほど、面白くて優しくて、素敵だなと思えて』
『できれば、私が一人だけでいる時も、気軽に話しかけて欲しいなと思うように』
美羽の想いを乗せた手紙を写せば写すほど、蔑ろにされていく様に思えて仕方がなかった。抑えられない気持ちの為に、史香の苦痛を軽く見て、無視したのだと感じた。そんな風に思ってしまうほど、史香の胸の内は真っ黒になっていた。
――――誰が、見ているというの。
――――私の力をそんなにも信じるなら、受けてみればいい。
史香はペン先を紙に置き、しばし止まった。葛藤の間だった。
『でも、筒井君の嫌なところも見えてきました』
『あなたの事が嫌いです。もう私にも史香にも近づかないで。美羽』
* * * *
史香が初めて筆を手にした時、筆は墨を滴らせた。
弓弦の店の床を塗らすほど黒々と。
その時、声がしたんだ。
『ああ、おまはん、この力で嘘を書いた事があるね』と。
「どんなに善くあろうとしても、最期に悪い事をしちゃったら、ソイツは悪い奴になるのかな」
史香は「蛇とネズミの書」を想う。
私は「蛇とネズミの書」の蛇がとても羨ましいんだ。
だって、あんなに悪い事ばかりしてきた蛇は、最後に微笑んで、私を泣かせたでしょ?
ねぇねぇ、だから私、この力でてんてんちゃんを助けてみたいんだよ。
ホント都合が良いよね。やっぱり私は凄く凄く悪い奴だ。
怪鳥の羽は、史香の悔恨をただただ静かに受け止め、キラキラと虹色に輝いていた。