史香、「てんてんの書」に希望を抱くの編
何度も言うが、ハクの作ったご飯は美味しい。
この日のお昼ご飯も、最高だった。
「んほーひぃ!」
「ほれはほれは、びむぃ!」
史香と弓弦は口いっぱいに、美味しい稲荷寿司を頬張って悶えた。
さっと煮て味付けされた油揚げの程よい甘辛さと、酢飯がよく合っていて何個でもイケる。
酢飯には枝豆が混ぜ込まれていて、食感も楽しかった。
「んー、ん・ふぅ……」
「!?」
弓弦が心からの快感の声を上げて、史香の胸を怪しく高鳴らせた。
が、しかし、史香も負けじと稲荷寿司を頬張って「んふ~」と口の中の幸せを全身で表現する。
「おまえらなぁ……黙って食えや」
キツネうどんを乗せた盆を持って、台所から現れた拍臣姿のハクが呆れた声を出す。
「だって、凄く美味しいんだもん」
「うん。拍転子は、天才だと思う。とっても美味しいよ。キツネの私に稲荷寿司を用意してくれる所も好ましい。わあ、今度はキツネうどんかぁ。ありがとう拍転子!」
「だから黙って喰えて。まだ奥にたくさんあるけん! 好きなだけ喰えや!」
満更でもない様子でハクは言って、ドン、ドン! と食卓にキツネうどんを並べる。
史香と弓弦は、出されたキツネうどんに手を合わせ、はっふはふでうどんを啜った。
上品な出汁の味が、驚き疲れた心に優しく染みた。
「ん~……おうどんでこんなにキュンと来るなんて……」
「お汁が堪らないよ。揚げもじゅわっと味が出て最高だ」
口々に褒められ、ハクは「もういいって」と言いながら自分の分のうどんを啜った。
彼はちょっと気まずかった。
実は、『お前を喰ってやる』的な意向で稲荷寿司とキツネうどんを用意したのに、心遣いだ粋だ、などと言って大層喜ばれてしまったからだ。
さておき、史香が「ちゅるん」とうどんを啜り、たわいない質問をした。
「ハクと一緒にご飯を食べるの初めてかも」
「そうだなぁ」
「あやかしも家族や友達とご飯を食べるの?」
「喰うぞ」
「食べるよ」
二匹が頷いたので、タヌキやキツネが仲良くご飯を食べている所を想像して、史香はホッコリした。
それから、ふと思った。
「白菊様と玉藻も一緒にご飯を食べたのかな」
すると二匹は箸を止め、うーん、と首を傾げる。
「どうだろうね」
「たまには一緒に喰ったんかな」
どうやら、白菊様と玉藻の友情を、二匹はよく知らないらしい。
二匹とも玉藻が殺生石になった後に生まれたから、白菊様と玉藻が仲良くしている場面を見た事がないと言う。
「セッショウセキ?」
「生き物を殺すという意味の『殺生』に、石ころの『石』で『殺生石』だよ」
「おう。九尾のキツネは、その石になって終わるんじゃ」
はぁ、と、弓弦がため息を吐いた。
有名な先輩(?)キツネを哀れんでいるのかと思いきや、
「私は、その殺生石をずっと探しているのだよ。拍転子は行方を知っているかい?」
弓弦にとっては、コレクションの対象の様子だった。
「あのなぁ、近づく者皆ぶっ殺す石だぞ。そんなモン店先に置くんけぇ?」
「そ、そんな怖い石なの……」
「あれを手に入れた後なら、死んでも良いかなと思わないでもないのだけれど……まだまだ色々な物を集めたいから、邪気が抜けてからって考えているんだ。もう千年近く経っているし、どう思う?」
ハクは弓弦の問いに素っ気なく答えた。
「まだじゃ。元気いっぱい笑ろうちょる」
「どこにあるのか知っているのかい?」
「タヌキの堂にて、白菊様と太三郎狸様が鎮めておられる」
史香はそれを聞くと、驚いてうどんを鼻から出しそうになった。
「そ、それって……」
「ん。史香が迷い込んだあの神社じゃ。あそこで白菊様にお会いしたろ?」
「じゃあ、あの小さなお堂に殺生石という石があるの?」
「おう。まぁ、タヌキ側の事情だけぇ、フーは気にせんとって。おまはんは写本をしてればよろしい」
「そうなの……」
でも、玉藻はキツネなのに、どうしてタヌキ側の事情なんだろう。
白菊様と太三郎狸がどうして?
やっぱり、白菊様の友達だから?
色々不思議に思ったけれど、ハクがぴしゃりと話題を切ったので、深く追求するのを止めた。
だって、いくら『優しいんだよ』と、白いタヌキ姿を見せられても、白菊様の事はやっぱりちょっと怖いし、殺生石なんてもっと怖い。関わらない方が良いに決まっている。
しかし、弓弦は関わる気満々で身を乗り出して、タヌキのお堂の場所をハクにしつこく尋ねて嫌がられていた。
昼食が済むと、ハクは昼の片付けと夕食の仕込みをすると言って、史香と弓弦を先に部屋へ戻らせた。
「ハク、手伝うよ?」
「仕事だけぇ、ええの。金もらっとーし」
「でも……」
お金、何に使っているんだろう?
ちょっと不思議に思いながら史香が渋ると、ハクは小憎らしい顔をして史香を追い払った。
「邪魔じゃけぇ。お客の相手しといて」
*
史香は食事をした居間から、再び部屋へと弓弦を案内した。
それから、重大な事を思い出して洗面所へと走った。
(おおおおおお面がいつの間にか取れてる!)
きっと、押し入れの中で暴れた時だ。
驚きと恐怖でスッカリそれどころでは無くて、忘れてしまっていた。
腫れた顔と瞼を弓弦に見られていたと思うと、恥ずかしい。一緒にお昼ご飯まで食べてしまった。
しかもこれからハクが戻るまで、二人きりだ。
今から少しでも冷やさなければ。
しかし、史香が恐る恐る洗面所の鏡を覗くと、顔と瞼の腫れはスッカリ引いていて、おまけに肌が艶々していた。
「あ、あれ~? 良かった……」
安堵して足取り軽く部屋へ戻ると、弓弦が押し入れにいた。
「え、ユヅルさん……なにしてるの?」
あんなあやかしが現れて、史香はしばらく押し入れには近づきたくないと思っているのに、弓弦は凄い度胸だ。
また出てくるとか、思わないのだろうか。
「弓金様の痕跡が無いか気になったので、探索させてもらっていたんだ」
「そうなんですか……」
自由過ぎる……と、史香は苦笑いした。
「ほら、お面が落ちていたよ。写本に必要なんだろう?」
「あ、やっぱり押し入れで落としちゃったんだ。ありがとうございます。もう必要ないんです」
「必要ないの? それは治癒の能力を持つ凄いお面だよ」
「ええ、そうだったの!?」
ふふふ、と弓弦が笑った。
「なんだ、史香ちゃん知らずにはめていたの」
「えへへ……ハクが……ふふふっ」
「うん。タヌキの術はすごいね。狐七化け狸は八化けと言われるだけある」
「ハクったら……ホント素直じゃないなぁ」
会話が噛み合っていなかったけれど、史香はお面を胸に抱いて頬を緩める。
(今夜たくさん耳の裏を撫でてあげよう)
しばらくニヤニヤが止まらなかったけれど、弓弦は押し入れに夢中だったから助かった。
押し入れに飽きると、弓弦は史香にあるお願いをした。
「墨が出るところを、見せて貰えないかな」
「嘘を書くって事ですか?」
「ああ。ちょっとでいいんだ。君のお母様から買い取る時と、君がお店に来た時しか見れなかったから」
そう言われると、史香はバツが悪い。
加えて、史香にはある計画があったので、首を縦に振った。
「良いですよ。私もちょっと試してみたい事があるので」
「ほう。なんだい?」
「練習に写したあやかしの最期が、納得いかなくて……ちょっと内容を変えたものを書いてみようと思っていたの」
自己満足だから、鉛筆とかボールペンでノートにでも綴ろうと思っているけれど。
筆で書けば、きっと墨が滴るだろう。
史香は玉藻の書の写本用に出して貰った紙と墨の余りを使って、「てんてんの書」を思い出しながら書き出した。
*
てんてんはゆきのひにうまれた
けだまのかいでございまする
……
……
てんてんはゆきをたべまする
くさはにかくれておりまする
あかいみがだいすきでございます
……
……
あるひてんてんのまえに
おそろしげなくちなわ(へび)があらわれ
あわやひとのみにされそうに
……
てんてんはかくれにげまどい
くちなわはたいそうしつこうございます
そしてとうとうてんてんは
(ここ!)
史香は筆を持つ手に力を込めて、筆を滑らせた。
『そしてとうとうてんてんは
はんげきにでたのでございます』!
書いてから、史香はしばらく待った。
弓弦も、墨が滴るのを今か今かと期待している。
案の定、筆からじわりと墨が出てきた。
史香はパッと顔を上げ、弓弦を見た。
弓弦は目をキラキラさせて、筆を見つめている。
「このあと文字が墨で真っ黒になってしまうの」
「渇かぬ筆ならとても便利なのに嘘の時しか潤わず、しかも文字を潰してしまう……しかし、その不便さがそそる」
不便さすら、珍品コレクターのツボに刺さるようだ。
史香と弓弦はわくわくと文字が潰れるのを待った。
しかし、
「文字が潰れないね」
「あれ~? おかしいなぁ。すみません、昨夜は潰れたんです。ハクもそうなるって言っていたし」
首を捻る史香に、弓弦は優しく微笑んだ。
「いいんだよ。墨は滴ったし、お母様がやった時は文字はちゃんと潰れていたからね。きっと何かあるんだ」
「なにか……なんだろう?」
「真実なのではないかな?」
「え」と、史香は弓弦を見た。
弓弦は形の良いほっそりした顎に、繊細そうな指の長い手を当ててちょっと考える仕草をした。
史香が『綺麗な手だなぁ』と見とれていると、その視線に気づいて優しく微笑んでくれた。
赤くなって俯くと、彼は史香のすぐ隣に寄り添うように座った。
「てんてんは、現では本当に反撃に出たのだよ、きっと」
「え、でも。だったら、写本は墨で潰れるハズでしょ?」
「原本が嘘をついているのかもしれないよ」
その嘘に反応して筆から、墨が出る。だけど、真実だから潰れない。
どうかな?
と、弓弦が首を傾げた。
史香は彼の考察に、目から鱗が落ちる気持ちだった。
そうか、そうかもしれない。だったら良いな。
「……ユヅルさんは、あやかしの書の原本が、何で綴られたと思う? あやかしは、皆あやかしの書になるの?」
「どうかなぁ。だったら面白いね」
弓弦はニッコリ笑っただけで、さっきみたいに考察はしてくれなかった。
史香は直感で『深く教えてはもらえない事柄なんだ』と感じた。
あやかしと人の一線がきっとある。そして、それは理解の及ばない一線なのだろう。
「原本が嘘を吐いているのだとして……どうやって嘘を吐いているんだろう」
「弓金様は、ご自分を記した文字からさえも、姿形や妖力を現されるだろう? てんてんとやらも、本当はそういう高等なあやかしなのではないかな」
弓弦は『とうとうてんてんは、はんげきにでたのでございます』の文字を、長い人差し指で突いて見せた。
確かに、恐ろしい蛇に反撃をするのだから、てんてんは強いのかもしれない。
「そっかぁ……! そうかも知れない。だとしたら、嬉しい!」
てんてんを助けられるかもしれない。
そう希望が持てると、心がパアッと明るくなった。
「力になれたようで私も嬉しいよ」
「あの、この事ハクには内緒にしてもらえませんか? 余計な事すんなーって小言を言われそうで……」
「ふふ、分かったよ」
「ありがとう、ユヅルさん!」
弓弦はニッコリ微笑んで、史香の手から筆をひょいと奪うと、てんてんの写しとは別の紙に端麗な文字で『弓弦』と書いた。
「わあ、字がお上手ですね。……こういう字でユヅルなんだぁ」
「うん。なんとなく、字を知らずに呼ばれている気がしていてね」
「すみません……」
筆を返して貰った史香は、彼が書いた名の隣に『史香』と書いた。
弓弦は優しく微笑んで「知っているよ」と、囁いた。




