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史香、練習用『てんてんの書』を写すの編

 史香は、白上衣にえんじと黒のぼかし袴に着替えさせられた。

 この衣装は、手のひらに乗る位小さなタヌキ十匹が、えっちらおっちらと何処かから運んできたものだ。


「気が引き締まるだろ?」


 拍臣姿のハクは満足そうに言って、真っ赤なたすきを史香に手渡す。

 彼もまた、黒い作務衣を着ていた。


「襷掛けってどうするの?」

「なんだよ、仕方ねぇなぁ」


 ハクは出鼻を挫かれた表情で、あわやグルグル巻きになってしまいそうな史香の背後に回り、手早く襷掛けにしてくれた。


「ありがとう……ごめんね」

「まぁ、今までの奴もおんなじようなモンだ。ボクも最近は着んしね。さて史香」


 ハクは、トントンと身軽に史香の前へ移動し、史香が用意した猫足のちゃぶ台の前に胡座をかいた。

 史香もまごまごとハクの向かいに座る。

 ハクは懐から四つ折りに畳まれた紙を出し、ちゃぶ台の上へ開いて見せた。

 史香が覗き込むと、密かに心配していた通り見慣れない文字が、流線の様に上から下へ流れている。

 絵本や教科書の文字を精密に写せる史香は、この文字でもそれが出来る。それには自信がある。

 しかし、読めない。時間を掛ければ、なんとなく解る文字もある様だけれど……。


「写せるけど、読めない」

「この書は全部平仮名なんじゃが、読める奴は少なかったから気にすんな」


『お勤め』が始まったのは、平安時代の半ば頃。

 貧しくて生きるのが精一杯で、文字を読み書き出来る者は限られていた。

 史香のご先祖も、そうだったのだろう。

 それから時代も文字も移り変わり、今度は多少の学がある者にも読まれない。

 美しいのに運の悪い書体たちだ。

 それとも、徳の高い方々にだけ使われている方が幸せだったのだろうか。


「皆が最初にやる練習の書だけん、安心しろ」

「でも、丸写しで良いの?」

「ああ。文字をなぞれば観えるから」


 ハクの台詞に、史香は首を捻った。


「見える? なにが?」

「まぁ、百閒は一見にしかずだな」


 ハクはそう言って、ポンと手を叩く。

 すると、ちゃぶ台の上に墨が満たされた硯と、真っ白な柔らかい紙が現れた。

 史香の手の中には、白菊様の筆が収まっていて、少し震えている。


「魔法みたい」

「大体合ってる。さあ、やってご覧」


 史香は頷いて、筆を墨に浸した。

 習字が嫌いだったから加減が解らないけれど、自分はこれだけは出来る。

 史香は自分を励まして、白い紙へ筆先を向けた。

 筆を走らせ始めた史香は、ハクが目を見張るほどの早さで文字を写し始めた。

 気味が悪い、と、誰かのヒソヒソ声が聴こえた気がした。


(あれは誰の声だったかな。幼稚園のもも組さんの祐一君のママだったっけ?)

 

 はい、仰る通り、この特技を気味が悪い事に使っています。

 と、史香は胸中で毒づく。

 しかし、それよりも写本だ。

 不思議な感覚を筆伝いに覚えながら、史香は書に書かれた文字を追う。

 文字は読めないけれど、柔らかく優しい筆跡で流れている。


『てんてんはゆきのひに うまれたけだまのかいでございまする』


 なんて不思議な感覚なんだろう。読めないのに、書き写していくと読める。


(……というか、ハク君の言う通り、観える。「てんてん」は雪みたいに真っ白な毛玉の怪……あやかしなんだ)


 史香の脳裏で、白くて小さな毛玉が跳ねている。

 きっと、この可愛らしい跳ね方が名前の由来なんだろう。

 ピッタリだ、と史香は頬を緩めた。

 不思議過ぎる現象に見舞われながらも、「てんてん」の愛らしさに微笑まざるを得ない。


(白いハムスターみたい。可愛い!)


『てんてんはゆきをたべまする』


 雪を小さな口で囓る様も可愛らしい。


『くさはにかくれておりまする』


 草の影にひっそりと潜む様も、史香の胸をきゅんとさせる。


 なんていぢらしいあやかしだろう。

 史香は「てんてん」をどんどん好きになる。

「てんてん」の仕草行いを微笑ましく思いながら書き写し、見守る作業は楽しかった。

 赤い小さな実を見つけて喜ぶ行は、特に可愛らしかった。


(あ、あ、あ、小さなお口で……美味しいかな? ああ! 頬袋がある!?)


 何この作業幸せ……と、史香は思った。

 しかし、次の行で史香は渋面を作って筆を止めた。

 次の行で、「てんてん」が何者かに襲われたのだ。

 だとしたら、まだ書いて解読出来ていないその次の行で「てんてん」はどうなってしまうのだろう。


「ええ~、やだぁ~」


 史香は紙から顔を上げて、ハクに訴えた。

 ハクは腕組みをして「なにが?」と不思議そうだ。


「てんてんちゃんが酷い目に遭うところ、書きたくも見たくも無いよぉ」

「もう終わった事が書かれているけぇ、気にすんな」

「余計にやだよ。行数からして、ほとんどラストシーンだし」

「どうせもうこの世から消えてしまったあやかしだけん、今更同情してもしょうが無いだろ?」


 史香は強く首を振った。

 あんなに可愛いあやかしに、同情しないなんてありえない。

 母性本能を呼び覚まされた史香は『お勤め』を忘れて、ふとある事を思いついた。

 史香の心配した通り、「てんてん」は突如現れた蛇に追いかけ回され、一飲みにされそうだ。そうはさせないとばかりに、史香は筆を滑らせた。


『てんてんは にげきりました』


 蛇の猛追から、ピュッと素早く逃れるてんてんの姿が視える。

 史香は思わず声を上げた。


「よしっ」

「おいコラ、写本しろって言ったろ。誰が物語を書けと言うたか」

「だ、だって。てんてんちゃんは赤い実に囲まれて、毎日お腹いっぱいに暮らすんだもん……!」


 史香は頑なにそう言って、再び視線をハクの呆れ顔から自分の写本へ目を移し、「ひっ」と声を上げた。

 史香の付け足した一節だけ墨が滲み、黒く塗り潰されていた。


「ななな……」


 そんな馬鹿な、と、史香は目を疑った。

 ふと気付いて見れば、筆から墨が滴り落ちて紙を汚し始めている。

 ほらな、とハクの声。


「嘘を記すとそうなるけぇ」


 *


 結局、泣く泣く原本そのままを写す作業に集中した。

 雪原をてんてんと跳ねていた儚く愛らしい、おまけに悪い事もしない小さなあやかしは、とても短い一生を終えた。

 史香は涙ぐんでその顛末を写し終えると、我慢できず鼻をすすった。

 史香が最後の一文字を書き終えると、元の書は光る白い砂の様になって、サラサラと消え始めた。

 史香は「あー」と、情けない声を上げ、小さなあやかしとの別れを惜しんだ。


「てんてんちゃん……可哀想。ぐすっ」

「フーは感情移入型かぁ」


 ハクが暢気な声で言って、懐からストロベリータルトクッキーを取り出し、史香へホイと投げた。

 史香は鼻を鳴らしながらそれを受け取め、とろりと香る苺の匂いにホッと息をつく。

 自作の菓子を頬張る史香へ「お疲れさん」と、ハクが言った。

 彼は手についた菓子くずを払いながら、史香の写本した書(写本や書といっても、A4サイズ程の紙一枚だが)を覗きこむ。


「よくできとぅよ」

「えへへ。ほんと?」


 褒められて、ちょっと気持ちが上向きになる。


「しかしいきなり墨濡らしするとは思わなんだ。感情移入型はこれだきぃ厄介……」

「だって、あんな風になるとは思わなかったんだもん。あの仕掛けがあるから、ずっと同じ内容を守っているんだね。すごいなぁ。てんてんちゃんは、繰り返し繰り返し綴られ続けているんだね……最後はアレだけど」


 写しの度にあの愛らしく小さなあやかしが、誰かの頭か心の中で「てんてん」と跳ねる事が出来るんだ。と、思うと慰められる。最後はアレだけど。

 ハクは史香の書いた写しを手に取り、元の書の様に四つ折りにして懐にしまった。


「さて、どうする? もう少しやるか?」

「てんてんの書」は短い写しだったので、悲しみつつも拍子抜けしていた史香はハクの問いに頷いた。

 さっきは驚きが勝ってしまったので、もう一回落ち着いてあの不思議を体験してみたい。

 疎んでいた「書く事」を楽しいと思えた事も、この為の能力だったんだと気づいた事も、心躍った。

 でも、少し心配があった。


 また「てんてん」みたいに可哀想な書だったらどうしよう。


「また悲しいやつ?」

「まー、最後は皆この世から去るなぁ。一生の書だけぇ。でもスカッとすんのやおもろいのもあるぞ」


 ハクはそう言って、ポンっと腹鼓を打った。

 すると、ドオンと音を響かせて大量の書や巻物が現れた。

 それらは、史香の二間続きの部屋を埋め尽くし、縁側から雪崩れ落ちる程の量だ。


「キャー!? ちょっとぉ!?」


 大量の書と巻物に埋まってしまい、もがいていると、ハクが腕を引き上げてくれた。癒し系王子様風の怪力である。

 書の海から這い出ると、頭が天井すれすれだった。


「すげぇーだろ、ほんの一部であるぞ、ケケケ!」 

「どうするのこれ!? おばあちゃんに見つかっちゃう!」

「気が小さいな、フーは。志乃は『こんなにやりたくない』言よって、燃やそうとしおったぞ。燃えんけど」


 ほんと、婆さんになって丸くなったなぁ。と、ハクは呟いた。


「うう……おばあちゃんカッコいい……。じゃなくて、早くなんとかして」


 へいへい、と言ってハクが史香を自分の方へ引き寄せる。


「え、ちょちょ、なに? いやぁん……!?」

「変な声出すな、バカ」


 抵抗する史香をぐいと引き寄せて、ハクが再び腹鼓を打つと、パッと書の山が消えて足元がなくなった。

 引き寄せられるのに抵抗していたクセに、自らハクにしがみ付き、史香は悲鳴を上げた。


「ひゃわわわーい!?」

「面白い声も出すな」


 天井の高さから落下して、面白い声が出ない方がおかしい。

 ギュッと目を閉じ衝撃に備えた史香だったけれど、ハクがふわりと着地したので拍子抜けしてしまった。


「ホントお前ら一族はおもっしょいわ」


 ハクがそう言って笑った。

 史香はしがみ付いていたハクから急いで離れ、着衣を正して赤くなる。


「え、なんぞ……? なんもしとらんやん、そういう空気出さんといてぇ。ボクまで気まずいけぇ……」

「う、うんうん、別に? 出してないよ? そもそも『そういう空気』ってなに!? アハハ……!」


 史香は慌てて、何を取り繕えばいいか分からないままその場を取り繕った。


「お、おう……なんちゅーか、初心いのも困りモンだな……。せやき、見てみぃ! ああっと、ゴホンッ、『ほら、見てご覧、フーちゃん』……」


 ハクは今更感満載の「彼なり標準語喋り」になって、部屋の片隅を指さした。

 見れば、あの大量の書や巻物が物凄く小さくなって部屋の片隅にちょん、と、小山になっていた。


「わ! すごい。ハクって何でも出来るんだねぇ!?」


 史香は純粋に驚き、感心した。

「我こそは金長狸の一粒種……」と、ハクがやりだしたのを無視して、小さくなった書を一冊摘まんで眺める。

 中に記された文字は、豆どころかほとんど点になっていた。


「これっていうのがあれば、元に戻しますよ」


 横からハクが適当に手に取った豆巻物をポンッと元の大きさに戻して見せた。


「なんで敬語になってるの」

「う、なんとなく……」

「変なの。じゃあさ、蛇のあやかしとかは?」

「蛇か、あるぞ」

「やっつけられるのがいいんだけど……」

「ほとんどやっつけられるけぇ、なんでもいいか?」

「ん~、自分より弱い者に負けた蛇とかいる?」


 はた、と、豆書の山を漁るハクの手が止まる。彼は史香をにやりとして見た。


「はは~ん、お前……まだ白毛玉を諦めきれんのか」

「え、えへへへ。でも別にいいでしょ? 別の書で憂さ晴らしするくらい」

「しょうがねぇなぁ」


 肩を竦めて言ってから、ハクは史香のリクエストに応える為豆本の小山を再び漁り始めた。

 史香は意外と優しい彼の背を眺め、ふふふ、と一人意味深に微笑んだ。



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