史香、嫌な記憶の編
お楽しみ頂ければ幸いです。
「彼、私と付き合っていたんだよ?」
放課後、あまり使われない渡り廊下の端っこは、とても寒かった。
史香は、喋った事もない、顔すら知らない隣のクラスの女の子に、幽鬼の様な顔で責められて俯いていた。
「あなたが手紙なんて書くから、別れようって言われちゃったじゃない」
(でも、私が渡したわけじゃないし)
(私が『彼』と付き合う事になったわけじゃないし)
(だって、書いてって頼まれたのだし)
(誰と誰が付き合っているかなんて、私は知らなかったし)
「ねぇ、聞いてるの!? 下ばっか向いて!」
頭の中で、どの返事が良いかグルグル考えている内に、相手は苛立って声をどんどん荒げていく。
「あなたが手紙を代筆したら、誰でも両思いにしちゃうなんて酷いよ!」
「そ、そんな力ないよ。あるわけ無いでしょ? それに、私は頼まれたの……」
「頼まれたら、渡す相手に恋人がいてもやるの?」
「そういう訳じゃ……知らなくて」
でも、と、史香は顔を上げる。
「私の代筆した手紙で両思いになれる、なんて噂が立ってるけど、そんな力なんて無いよ。渡したい人が書いた手紙を写すだけだから、内容にも触れないし」
「なにそれ……じゃあ、私が元々フラれる運命だったって言いたいの!?」
「そうじゃなくて……」
どうしたら良いんだろうと、オロオロすればするだけ、相手の女の子は顔を赤くしていく。
この子は私に手紙の力があった方が良いのか、無い方が良いのか、どちらなんだろう?
史香が困っていると、女の子の頬からポロリと涙が零れた。
大粒の涙は、渡り廊下の窓からさす夕日に染まって橙色だった。
「ご、ごめんね……」
史香はまだ恋をした事がなくて、彼女の涙に含まれた切なさ悔しさを半分も分かっていなかった。
だから、相手の心に史香の「ごめんね」の言葉は届かなかった。
その子は橙色の涙をボロボロ零しながら、言った。
「ねぇ、手紙を書き返してよ」
*
史香、酷いよ。せっかく両思いになれたのに。彼女より私を選んでもらえたのに。
ねー、もう一回書いて。
私の手紙を書いて!!
あんたって、酷いのね!!
どうして私のは書いてくれないの?
あの子の手紙は書いたんでしょ?
好きな人の気持ちを、思い通りに出来るってホント?
*
うるさいうるさい。
みんなみんな、真っ黒に塗りつぶしてやりたい。