侵入者 9
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玄関チャイムの音がして庄助は目覚めた。
テレビはつけっ放しでバラエティー番組をやっている。もうそんな時間なのかと腕時計を見る。まだ八時六分だった。
夢でも見たのか? 蛍光灯はスモールにしてあった。外から見れば留守に見えるはず。
―誰だろ?
足を忍ばせて玄関に行く。
上がり口に立って、じっとドアノブを見つめる。向こうも気配を窺っているのかも知れない。
サムターンがゆっくり回る、映画やドラマのシーンが浮かんだ。
そうなれば侵入者とご対面となる。チェーンロックは掛けてあるけど。
だが、サムターンはピクリとも動かない。外からは何の気配もしない。敲きに下りて、マジックミラーを覗いて見る。何も見えない。
五分くらい間を置いて、ようやく庄助はチェーンロックを外し、恐る恐るドアを開けた。左右の通路に人影はなかった。やはり夢だったのか。駐車場を見回し、思わず知れず、見覚えのある車両はないか探した。車の数はぎっしり増えていた。
部屋に戻り、ぼ~と立って、夢なら良いけど幻聴だったら厄介だなと思う。幻視に加え幻聴もとなると、いよいよ、心身の異常を疑わなければならない。以前に一度、心療内科の門をくぐりかけたことがあるけど、健康保険証を忘れたので残念。そのうちヒマがないのと、病院代が惜しくなって行かずじまい。
あの頃はバイトに学業にと精励し、寮でも深夜まで司法試験の勉強をしていた。二十歳を過ぎた頃から寝つきが悪くなり、短時間しか眠れず、目覚めているのか眠っているのかわからない、夢ばかり見る状態が続くようになった。
そのくせ日中に急激な睡魔に襲われるなどして、講義の間は居眠りばかり、バイト仕事にも支障をきたすようになった。風邪を引いた時にクリニックから睡眠導入剤を処方してもらい、服用していたのであるが、あまり効果はなかった。睡眠剤の効能は四時間くらいしかなく、三、四時間しか眠れない睡眠バターンにすっぽりおさまった。熟睡するという効果はあったけれど。
そのうち数が数えられなくなった。ある電子会社の深夜バイトをした時、加熱処理したICをを検査機にかけて、良品と不良品に分けて、ワンロットの良品の数を数えるのだけど、どうしても最後まで数えきれなかった。最初から何度も数えなおした。
そればかりか、作業伝票に落書きまでするようになった。自分がしたとは思えず、誰かのイタズラだと思って班長に報告、班長は、よし俺がつかまえてやるといって休憩時間に、寒い冬のさなか一週間も外から見張ってくれたけど、犯人はわからずじまい。今思えば、自分が無意識にやったことだと思う。あの頃から自分はおかしくなっていたのだ。
成人祝いに父親がアクアを買ってくれた。親バカ丸出し。それがアダとなって、自慢のバカ息子は取り返しのつかない人身事故を起こした。人を一人死なせた。三人に重軽傷を負わせた。
もし、以前に病院にかかっていて、”睡眠障害”という既往症があったなら、危険運転致死傷罪となって、もっと、重い刑罰が科せられたことだろう。勿論、執行猶予なんて付くはずもない。
だがもし、病院の治療を受けていたなら、事故は未然に防げただろうか―。
堂々巡りの、後悔念慮から我に返った庄助は、侵入者の気持ちになって、夏子の部屋を見回した。妹の部屋でさえ憚られた女子の部屋に、自分が一人でいることが信じられないことであった。
一体あの女は何を考えているのだろうか。
侵入者は部屋の中を歩き回って、カーテンを少し開けて外を窺い、キッチンに行って、喉の渇きを潤したかも知れない。冷蔵庫を開けて見るが、用心深く、清涼飲料水には手をつけづに、水道の水を飲むか、あるいはストーカーなら、わざと、飲みかけの清涼飲料水を、おやっ? と思わせる程度に、二口三口飲んで、反応を楽しむ。
庄助はマナカの留守中に彼のとっておきのブランデーを少し飲んで、水で薄め、元の量にして誤魔化していたことがある。そっこう、バレていたけど。
興奮のあまり喉が渇いた庄助は、冷蔵庫を開けて、1000ミリリットル入りの紙パックから、牛乳をコップ半分ほど注いで飲んだ。冷えた牛乳ほど喉越し爽やかなものはない。紙パックだから残量の心配はいらないし。
そしてそれから先は、単なるストーカーなのか、変質者なのか、もしくはその両面を持つ者とに分かれる。ストーカーは、”すぐ傍にいるぞ”という微妙なメッセージを残して行く傾向にある。
今回の場合がストーカーによるメッセ―ジだとしたら効果覿面、夏子を恐怖のどん底に突き落としたのだから。
であるにしても、侵入者が立ちションをしてうかつに便座を上げたままにしたか、夏子が無意識に上げた可能性も否定出来ない。どちらとも取れるところが巧妙な作為なのだ。
そんなことをあれこれ考えたり、テレビを観たり、居眠ったりしているうち、夏子が仕事から帰って来て慌てた。迎えに出るべきだったのに。
時刻は午前零時を過ぎていた。