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侵入者 8


     8


 覚王山から夏子のマンションがある川名まではわりと近かった。県道30号を走るのは初めてだったのでそう感じたのかも知れない。

 十分ほど待つと、夏子の赤いアルトが駐車場に入って来た。所定の場所に駐車して、白いレジ袋を両手にやって来る。

「ごめん、待った? スーパーが安売り日なので混んでいて」

「こっちも今さっき来たところ」

「良かった」

 夏子は見慣れない装いをしていた。Ⅴカットの、腰が隠れるほど長いニットの白シャツに、そのわりには短い紺色のミニスカート。ストーカーに怯えているにしては、膝から下を無防備なまでに露出している。

「オラボニイ」

 辺りをキョロキョロ見回してから夏子はいう。「管理人さんが明日の今頃にドアノブを取り換えてくれるって」

「そう、それは良かった」

 庄助は先に立って階段を上がり、部屋の前まで来ると、怖気ている夏子を見た。庄助の頭の中に(きっと夏子の揺れる瞳にも)、便座が上がった映像が浮かぶ。それは見紛うことのない事実だけど、ストーカーの仕業かどうかは半信半疑。夏子から鍵を受け取って差し込む。鍵を回すと、カチッとラッチの音がした。

 西日がカーテンを明るく照らしているけど部屋の中は陰っている。出掛けてから半日と経ってないのに、夏子は魔物でも潜んでいるかのように玄関のたたきから部屋を見回した。

 庄助が柱のスイッチを入れて点灯、上がり込む。そして前回と同じように点検を始めた。夏子はキッチンに行き、ガス点火の音を立ててから、レジ袋の買い物を冷蔵庫に収める音をさせていた。

 バス・トイレ、クローゼット、押し入れ、収納ケース、机、カラーボックス、そしてベランダではゆっくり時間をかけた。料理を待つ意味もあって。喫煙者なら手すりにもたれかかって一服するところであろうが、庄助は煙草は吸わない。

 街を見渡したり、空を眺めたり、民家の二階ベランダで主婦が洗濯物を取り込んでいた。

 ふと、マナカの部屋にいた連中の顔が浮かんだ。あのように凄みのある顔と眼差しを見たことがない。あれは日常的に生死の狭間を生きる者の目ではないのか? それとも彫りが深いがゆえの陰りか。マナカも最初は目つきが悪く見えた。けど、話しているうちに、ニッコリ笑う笑顔がこの上なく、今の日本人には見られない素朴さで、好感が持てるようになった。

 だけど彼らの目つきは―。

 事故以来、どうしたことか、物事に確信が持てなくなった。あれから車を運転していないけど、きっと、サイドミラーやルームミラーに映る景色にも確信が持てないだろう。フロントガラスやリアウインドウなど、ガラス越しの景色にも。

 突然目の前に広い交差点が現れて、信号が青だから突っ切ろうとしたら、黒いワンボックスカーのボディーが迫って来たのだ。それ以前の景色が全然思い出せない。けど、運転操作をしていたのだから、景色を見て、信号を幾つか越えて来たことは確かである。いや、その前に橋も渡っている。

 当然、交差点の景色も見ていたはずなのだが(信号も青だった)、一瞬のことだけど、黒色のワンボックスカーが行く手を阻むのは理不尽に思えた。目を開けたまま眠っていたに相違ないといわれるけど、そんなに長い間居眠り運転が出来るものだろうか。

 ―脳天をブチ割られたような衝撃だった。

 保険でまかなえきれない賠償や、罰金や、弁護士費用などで、財産を失い、心労で死期を早めた父親を思うと、悔やんでも悔やみきれない事故だった。

 部屋の中で夏子の声がした。

 庄助は深呼吸をして部屋に戻った。あれ以来過呼吸にも苦しめられているのだ。リラックスするのが一番。

 テーブルの上でコーヒー入りのマグカップが二つ、湯気を立てている。キッチンには、いつもの青いデニムパンツと白いTシャツ姿に着替えた夏子の後ろ姿があった。

 コーヒーを飲みながら女の子の部屋を見回していると、「おまたせ」といって出された料理は、大皿に盛られたレトルトカレーだった。ネットカフェで食べたランチも108円のカレーライスだった。別にカレーは好きだし、いいんだけど、ぞんざいに扱われた感じがした。手料理を振舞われるほどの仲ではないということか。

 前に座ってコーヒーを一口飲んでから夏子はいった。

「ごめんね、変なことお願いして。あたし、都会に出て頼る人いないし」

 そこに人畜無害なお人好しがいたってわけだ。

「明日、新しい鍵が出来たらお役御免だな。それも淋しい気がする」

「そんなこといわないで、これからも仲良くしてえ」

 専門学校に通いながら掛け持ちバイト―そうか五時からは夜のバイトが控えているのだったな。それじゃあ手間暇かけられなかったな。顔色は悪くないけど、目尻に疲労の色を滲ませている。

「これからどうしよう」

「だから僕はまた零時頃には下で待ってるよ」

「それなら、このままここにいてもらっていいよ。良かったらだけど。テレビでも観ながら寝ていてえ。眠そうな顔してるもの。あたしもよくそういわれる」

 庄助は唖然とした。

 夏子は平然とした顔で、垂れた髪を耳に掻き揚げ、カレーをスプーンですくって食べ始めた。

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