侵入者 6
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正助は人並みに週に一度は休むことにしている。人並みでないのは、折角の休日なのに日中は公園の木陰などで惰眠を貪っている。なので、専業のホームレスからは怠け者に見られている。いい若い者がといわれる。
余計なお世話だ。そっちこそ身だしなみさえきちっとすれば、働き口は見つかるのに、働けない体なら、住居さえ定まれば生活保護がもらえるのにと、目糞鼻糞を笑うの諍いもあった。人はみな自分の甲羅に合った穴を掘るわけだから、他人のことをとやかくいっても始まらない。
だが、今日はムダに寝そべっているわけではない。やることがある。午後二時に佐藤夏子がファミレスのバイトを終えて、買い物などを済ませてから三時にはマンションに帰る。それまでにママチャリを返しに行く。それから彼女が焼き肉レストランのバイトに出かける五時前まで、彼女の部屋で過ごし、早目の夕食を共にすることになっている。
そして地下鉄入り口に繋いであるチャリの所まで車で送ってもらい、チャリで覚王山のマナカのアパートに行く。時間潰しに。夏子が夜のバイトから帰って来る午前零時頃には、再び彼女のマンションで帰りを持つ。優秀な警視庁のSPのように。それから先は成り行き任せだ。
午後といえども、随分日差しが柔らかくなって、吹く風も涼しい。公園の木立は色柄模様に衣替えし、ひらりひらりと、黄葉を散らし始めている。
―若いの、お前また放置自転車を勝手に乗り回しているのか。
という声がして、公園のベンチで居眠りをしていた庄助は目を覚ました。目を眇めて見ると、見るからに”ソノヒグラシ”の形をした老人が立っている。
「立派な犯罪だぞ」
「これなら」と脇に置いてある夏子のママチャリを見て、「人に借りたもの。盗んだものじゃないよ」
「バカいってらあ。わしの縄張りは広いんだ。今池辺りの公園でお前をよく見かけた。あん時の黒いチャリはどうした?」
「地下鉄乗降口に置いてある」
「そうか、じゃあ、このチャリをわしにくれ。アルミ缶を運ぶのにどうしても必要なんだよ。先のない年寄りを憐れと思うなら」
「今まではどうしてたの?」
「福祉の者に三輪チャリの中古を寄付してもらっていたんだが、悪ガキどもの襲撃にあってメチャメチャに壊された」
「それは気の毒だけど、僕もチャリは必要だし、これは本当にこの近くに住む人に借りたものだ」
小柄な老人はがっかりした顔をした。髪も髭も伸び放題で、目を閉じると、鼻と頬骨だけになるほど、顔中が砂色の髭もじゃだった。首をかしげるとフクロウに見えた。
「もし良かったら今池の焼肉レストラン『明洞』に、午前零時頃来れば、駐車場前で待っていれば、お客が食べ残した物を取っておいてあげるよ」
「何だ、お前ホームレスじゃなかったのか」
「宿なしだからホームレスには違いない。お金がなくなると、公園や野外にテントを張って寝泊まりするし」携帯テントはチャリの荷台にいつも積んである。
「わしもそれを見かけた。それにしちゃあ身形が良いから不思議に思っていた。これじゃないか(老人は人差し指を曲げた)と」
「ははは。ドロボウじゃないよ」
「気持ちは嬉しいが、あの辺りの縄張りを犯すと、下手すりゃ袋叩きの目に遭う」
「でも、残飯をもらいに来る者は誰もいないよ。従業員が犬猫にやるといって持ち帰るだけ。あとはごみ袋に入れて出す」
「それを夜中にゴキブリのように漁る連中がいるんだよ」
「へーそうなの。じゃあ、池下のネットカフェ『宇宙空間』に同じくらいの時間に来て待てばいい。月に四日は休むから、それ以外なら。『明洞』の駐車場に黒いチャリがあるかどうか確かめてから、来るという」
「どうしてお前はそう親切なんだ?」
「自転車は無理だけど、それくらいならなんでもないこと」
老人のいう通り、いつも乗り回している黒いチャリは放置自転車だった。もう三、四年になるけど。いわれるまでもなく占有離脱物横領罪になる。過失運転致死傷罪で執行猶予の身だったから、通報されたら厄介なことになる。
「親父がね,ガンで死んでしまって、もう親孝行出来ないから」
「そうか。それならチャリが手に入るまで甘えよう。この歳でひもじい思いはしたくないからな。わしの名はタチカワだ」
といって老人は鼻をすすった。いずれこの憐れな老人のことも書く時が来るだろう。