侵入者 11
11
季節は秋色を深め、公園の木々や街路樹は枯れ葉をまき散らして、街は人恋しい晩秋の風情となった。
近頃は息抜きに詩も書くようになった庄助は、休みの日に公園のイチョウの木の下に寝転んで、詩想に耽っていた。
ところへ、急に影が差したと思ったら、タチカワ老人が立っていた。
「若いの、この前は大変なゴチになった。久方ぶりに、上等な肉を食って、十も二十も若返った思いじゃ。昨夜はまた燗冷ましの酒まで」
老人には連れがいた。
「これはダチのカワノシンペイ。肉のおすそわけをしたら、どうしても先生にお礼がいいたい、いうもんじゃから」
タチカワ老人よりは若そうだけど、カマキリのように痩せ、ヤギ髭を生やしたカワノという老人は、「今は名刺を持ち合わせておりませんが、元町会議員のカワノです」といった。薄汚れ、くたびれてはいるが、ダークスーツにネクタイという身だしなみだった。棒切れを杖にやっとのことで品位を保っている様子。
横からタチカワ老人が口を出した。
「汚職で捕まってこの有様じゃ。身から出たサビとはいえ、白内障で目が乏しい上に、内臓を病んで永らく臥せっている。ナメクジでさえ自分の腹は自分で満たそうと這いまわっているのに、願念叶わぬこの者にも、食べ残しをお願い出来まいか」
こうやって徐々にしがらみが増えていくのが嫌なのだ。だから一つ処に長く留まれない。
「あれは人からもらったもので、滅多にないこと。残飯の量はだいたい決まっている。二人でわけて。あの店にいつまで居るかわからないけれど、居る間は持ってきてあげる」
タチカワ老人はフクロウのように小首を左右に傾げた。自分の取り分が減ったことに、今ようやく気づいたようだ。
さらに幾日か過ぎた。
夏子との距離は以前に戻っていた。
いや、以前より遠のいた感がある。仕事上の必要な会話だけで、プライバシーに立ち入ることはなくなった。分別がゆえに、人畜無害な草食男子は絶好の機会を二度も逃したのである。
一方では、妻子がありながら女子大生のヒモになり、さらに未成年の夏子にまで触手を伸ばそうとしている肉食男子のマネージャーは、あの手この手で手なずけようとしている。夏子も嬌声を上げて応じている。
モテない荒木はそれを横目に、お客の食べ残しをついばむことに余念がなく、今時のイノシシのように丸々と肥えている。
あの女がどうなろうと知ったことか。去る者は追わずだ。そんな光景は見たくないので、庄助はそろそろ転職を考え始めていた。新聞の求人募集欄を見るようになった。
そんな折に、夏子が再びやって来て深刻な顔でいう。
「オラボニ、部屋にまた誰かが侵入したみたい」
「えっ?」庄助はポカンと口を開けた。「ドアノブを取り換えたのに?」
「便座がまた上がってた」
「そんなバカな。もしかして誰かに鍵を預けた?」
「うううん」夏子はかぶりを振った「誰にも」
「ガラス戸のクレセント錠は?」
「ちゃんと掛けてた」
「なら、君の思い違いだ。何かの拍子に自分で上げたんだよ」
「そんなことない。それにね、冷蔵庫の中の牛乳の量が減ってたもん」
「どうしてわかる?」
「重さでわかる」
「……」
「ほんというとね」夏子は辺りを見回した。
おばさんは下におりていて、荒木は奥の方の部屋を片付けている。
「不審に思ってたの。オラボニのこと疑った。―ゴメン!」
「僕を?」庄助は眉をひそめた。「どうして?」
「部屋に馴染んでたもの。それでね。よくよく考えて、悪いけどマネージャーに訊いたの。そしたら面接の時に、車にキーをつけたままだといったら、盗まれるといけないといって誰かに取りに行かせた。それがオラボニだったというの」
「…そういえばそういうことがあったな。だけどあの時、トイレの便座が上がっていたという日には、僕も出勤していた」
「ええ、確かに。でも九時半から十時半頃まで、お客様をマンションまで送って行ってるわ。クラブのホステスさんを」
「そういうこともあったけど、その日だったかなあ…」
「それはあたしも覚えてる。おかげで忙しかったし、荒木さんが遅いなあっていってたもの」
「それだけ状況証拠が揃えば疑われても仕方ないな。でも、部屋に馴染んでいたという疑念が良くわからない」
「普通、よそん家の冷蔵庫を開けたりしないものでしょう。以前にも牛乳パックが軽い感じがして、おや? と思うことがあったし」
「そうか。それはうっかりしたな。何しろ僕にはそういうところがある。気安くなったら遠慮がなくなる。便座も、うっかり上げたままにした―そう思ったんだな」ホステスのマンションから君のマンションまではそう遠くなかった。ついでにトイレを借りたってわけだ。コーヒーとケーキをサービスした時から、急に、よそよそしくなって、オラボニから先輩に戻った。まあ、それはそれで良かったのかも知れない。でなければ僕は分別を失くしていた」
「あたしだって…。怖くて…淋しかったから…」
「そして再び侵入者が現れて、僕の嫌疑が晴れたってわけか。だからといって、またオラボニというのは、あまりにも、調子が良すぎるんじゃないのか。マネージャーに頼んだら」
「オラボニ~イ」
(オレはもう知らん。そこまでお人好しじゃない)
「マネージャーには粘着されて困ってるの。頼めない」
「そんな風には見えなかったな。キャアキャアいって喜んでたくせに」
「あれはオラボニへの当てつけ。だって、人の好さそうな顔して、あたしの部屋に忍び込み、色々イヤらしく見回して、便座を下ろすの忘れて行った。そんなことはおくびにも出さず、心配する振りをして、まやかしの親切、優しくしてくれたり、脅かしたり、スキを見せても何もしてこない―女が泊まって、っていったらどういうことかわかるでしょう。あたしに魅力がないのかなあって思ったり、怖がるの、楽しんでいるだけだって、そう思ってたから」
「―わかった!」
荒木が、顔が隠れるほど大皿小皿の重ねたのを抱いて現れ、「そこのお二人さん」と不平を鳴らした。