侵入者 10
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宴会が三つもあって疲れたあ~といって手に持ったガラガラ袋をテーブルの上に置くと、夏子は崩れるように腰を下ろして突っ伏した。そのまま眠ってしまいそうだった。
疲労もあるのだろうけど、深夜の暗がりの中、車から三階の部屋までの緊張感からの解放もあるのだと、庄助は配慮が足りなかったことを悔やんだ。心して迎えに出るべきだった。
その白い項と後れ毛を見て夏子が愛おしく思えた。と同時に、こんなにも―動物なら急所の腹にも相当する項を見せて―安心感を与えてしまう自分は何者なのだろうと思った。
―魂を打ち砕かれし堕天使?
勝手知ったる我が家も同じ、庄助はコーヒーを淹れにキッチンに向かった。慣れた手つきでティーポットでお湯を沸かし、食器棚からマグカップ二つとコーヒー瓶を取り出し、コーヒーの粉と砂糖を入れてお湯を注いだ。かき混ぜると芳香が立ち上った。
それを両手に持って深夜喫茶のウエイターのように膝をついてテーブルの上に置いた。その際、冷蔵庫の中の、さっき牛乳を飲む時にチラッと見かけたプチケーキと、小型フォークを小皿に入れて添えることも忘れなかった。
その間に夏子は素早くルームウエアーに着替えていたが、プチケーキを見て驚きの表情を見せた。
庄助も、水色のルームウエアー姿に驚く。
「悪いけど、喉が渇いたから牛乳を飲ませてもらった。その際に、ケーキを見かけたから」三角のプチケーキは一つしかなかった。
「僕は炊飯器の横にある柿ピーをいただく」といって柿ピーの袋を取りに行く。
戻って来た庄助に夏子はいう。
「マネージャーがね」垂れた前髪を掻き揚げ、マグカップに息を吹きかけながら、「珍しく余り肉をくれた」
ガラガラ袋の中に、白いタッパらしきものが見えた。
「ロースに骨付きカルビに、ミノもよ。おばさんや、ママに知れたら大変だと思うんだけど。チーフもよく黙ってるわね」
「お互い様だからだよ。でもあまりマネージャーの好意は受けない方がいいよ」庄助はむっとしていう。メガネをかけたマネージャーの浅黒く精悍な顔が浮かぶ。
「わかってる。でも今日は特別。先輩へのお土産よ」
そんなものをもらっても困る。焼く道具も場所もない。しがないホームレスなのだ。マナカにやるわけにもいかない。マナカは牛の肉を食べないのだ。タチカワ老人にやれば、それは大喜びするだろうけど。
「それは有難い」とりあえず、礼をいった。けど、そのことが小骨のように心にひっかかった。
庄助は熱いコーヒーを飲んだ。小皿に入れた柿ピーをポリポリ噛んだ。
夏子は鼻の頭に小粒の汗を浮かべ、コーヒーを啜りながら熱心にケーキを食べた。疲れた体に糖分がしみわたって、仕事をやり終えた後の至福のひと時なのだろう。
だが、若く気力体力が充実しているからといって、学業しながら昼夜のバイトの(睡眠不足による)疲れは拭えない。塵のように積もって、いつか心身の反乱を受けることになるだろう。そんなに頑張る必要があるのかと、今ならいえる。まだ二十歳にもならない小娘が(庄助の妹より二つ下だ)。
コーヒーを飲み終え、食べ終えたら、気まずい沈黙が訪れた。深夜テレビはタモリ倶楽部をやっている。
「…それじゃあ、僕は帰るよ。八時から専門学校なんだろう、早く寝なきゃ」
夏子は泊まっていけばとはいわなかった。
「先輩がいて、助かった。本当に有難う」夏子は頭を下げた。
庄助は接近していた距離感が急速に遠ざかったように感じた。
―お兄ちゃん、人の部屋に勝手に入らないでよね。
中学生になった妹に、突然そういわれた時のような寂しさを感じた。
「新しい鍵が出来たら、人に預けないように」いつもの分別を聞かせていう。「チェーンロックも忘れずに」
「そうする」と夏子はいった。