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白銀の一枝  作者: 鷹司蒼志
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白銀の一枝5

(八)


 其の日から始まった一連の事件は、瑠璃子の脳裏から消える事は一生ないだろう。それは地獄だった。


 道路に面した二階の窓、其処からは九条豪太朗の家が見える。此の時間にはヤツの部屋の明かりはとうに消えていて、間違い無く呑気に寝入っている事だろう。来週には期末テストが始まるというのに随分な余裕のぶっこきっぷりだ。と思ったりもしてみるものの、長い付き合いの中で既に諦めの境地に達しているのも事実だったりする。頑固。子供の頃から一度決めた事は何が有ろうと曲げはしない。ていうか人の言う事を全然聞かないのだ。もしかしたらあの頭では期末テストの事すら認識していない可能性も捨て切れない。本当に世話の焼ける男だ。そんな事を考えながらもついニヤけてしまう口元を押さえつつ就寝の準備をしていた。風呂上がり、まだ熱気も冷めやらぬ身体に明るいオレンジのチェック柄のパジャマを纏う。最近買ったソレは何組か持っているパジャマの中でも群を抜いてのお気に入りだった。シャンプーの香り漂う嬉し恥ずかしロングヘアーもすっかり乾き、気怠い眠気に身を委ねていた。


「ヌポララチチエムン~!」


 デスクの上で充電中のランプを点したスマートフォン。非常に個性的な着信音が一通のメールの到着を告げた。瑠璃子の諸々の趣味の悪さは、此処までくれば逆に清々しさすら感じてしまう。物事と言うものは突き抜けてさえ仕舞えばソレはソレで何となく受け入れられてしまう様な気がしてしまうのはきっと気のせいに違いない。十分お気を付け下さい。既に微睡み、夢の世界へと一歩踏み出して居た彼女の耳にはどんな奇天烈なメロディだろうと、怪しいくらいに美味しい儲け話だろうとも、もう届いては居無かった。眠りが深いのは若者の特権だ。あの頃に戻りたい。と遠い目をしてみた所で何の解決にも成らないので止める事にした。明かりの消えた瑠璃子の部屋は、微かに開いたままのカーテンの隙間から差し込む月明かりに仄かに浮かび上がっている。良く整頓された清潔な空間は意外にも少女趣味な家具でコーディネートされ、淡いピンクを基調としたソレは一見手堅く纏められている様には見受けられるものの、其処かしこに鏤められた残念なヌイグルミや妙な置物、加えて書棚に並んでしまっている心霊関係の書籍等が何もかもを台無しにしていた。まあ此の手のチョイスは此の部屋の使用者さえ気に入っていれば平常時には何ら問題は無いものの、いざ有事とも成れば最強に居心地の悪い空間と化す事確定だ。勿論幼い頃には入室経験の有る豪太朗も、日々成長し嫌な具合に進化を遂げて来た瑠璃子のセンス、あまつさえ知らぬ内に少女趣味へと傾いてしまった此の部屋では寛ぐどころか、あまつさえ興奮などするはずも無く、ただそわそわと浮ついたあげく早々に退散してしまうのは目に見えている。何をアピールするにしろヤリスギは逆効果だと肝に銘じたい。


 そして同日深夜。舞台は閑静な住宅街の一角だった。一際目立つ白亜の邸宅、其の三階の一室で大島智子はただただ怯えていた。明かりの消えた自室では、頭からベッドへと潜り込みガクガクと震えていたのだ。柔らかな羽毛布団は小刻みにその体躯を揺らし、冷えきった室内には着信を告げる機械的なアラームだけが引っ切り無しに鳴り響いていた。こんな日に限って両親は仕事で不在だった。普段ならば喜ぶべき、むしろ伸び伸びと羽根を伸ばせるそんな夜に成るはずだったのに。突然の攻撃、そうだ此れは攻撃だ。前触れも無く突然始まった大量の通知、暴力的に次々に増えて行くDM。どのメッセージも寸分違わず男達の欲望に溢れた下品極まりない内容で、「嬉しいんだろ?」と言わんばかりに己の怒号した陰部画像を添付する男まで居る始末だ。見ず知らずの男達から粗野で下卑た欲望を叩き付けられた少女はただ恐ろしく、何も出来ずに固まるしか無かった。ドアに向かって投げ付けたスマートフォンは絶え間無く短い着信音を繰り返しながら様々な状態を告げるランプが点灯し続け、それを黙らせようと次々に投げ付けた物達が其の周辺には散乱していた。整然と整頓され埃一つ落ちていない完璧主義の智子らしい部屋も今は見る影も無く、奇声も叫び声さえも既に枯れ果て喉は焼ける様な痛みに支配されていた。投げ付ける物も辺りにはもう見当たらず、「そう言えばこんな時に相談出来る相手さえいないのね。わたしって。」なんていう妙に冷静な思考が浮かんで来たり、それにより突きつけられ現実味を増した孤独が殊更に智子の弱り切った精神を追いつ詰める結果に繋がったのだ。


“怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。静かに。静かにしなくちゃ。誰にも見つからないように。物音を立てちゃダメなのよ。そうよ大人しく静かに隠れていればきっと恐いモノなんて通り過ぎてくれるわ。そうすればきっと朝になっていつも通りの一日が始まるのよ。だから・・・気づかれるかもしれない音は全部止めなくちゃ・・・”


トクン。


(九)


 豪太朗が目を覚ましたのは午前九時を過ぎていた。階下には人の気配も無く、いつもならお節介にも起こしに来てしまう瑠璃子も今日の所は出現しなかった。もう少しだけとばかりにウトウトと微睡んでいたのだ。寝癖の付いた短髪をぼりぼりと掻きながら、ここで一発余談だが、短髪の長所は洗髪が簡単でしかも直ぐに乾く事に尽きるのだけれども、それはそれ。それなりの欠点もある。それがこの寝癖だ。短い髪に付いてしまったクセは鏡の前で水を付けてみたくらいでは取れやしない。かと言って朝シャン(死語)をするほどの拘りも無く、何とか頑張ってブラシ等で寝かしつけドライヤーの熱による力技で何とか説得を試みてみるのだがしかし、頭頂部辺りの毛束がピョンと力強く勃起してしまう恐ろしい現象に見舞われるのだ。もうこうなったら最後の手段とばかりにワックスなどの整髪料を付けようものならば最悪だ。変な場所に割れ目が出来てしまい、其れを埋めようと更に整髪料を重ねてしまうとあら大変、何だか薄毛の人の努力の跡みたいな儚げなヘアースタイルへと着地点を見出してしまう。此処まで来たらもう諦めましょう。遅刻上等でシャワーを浴びるか、「こういう髪型だ。」と胸を張って登校すれば或はもしかしたら受け入れられる可能性も無い事は無いかもしれない可能性に掛けてみるのもいっそ男らしくて逆にカッコいいと思う。注。あくまでも個人の感想です。あまりにも優雅な睡眠を楽しみすぎた豪太朗は、未だ靄の掛かる頭をすっきりさせようと潔くシャワーを浴びる事にしたのだ。此処で残念なお知らせですが、男子のシャワーシーンは割愛させて頂きます。かしこ。お好きな方は自前の妄想力にてお楽しみ下さい。敬具。そして何を思ったのかは分からないけれども珍しくも自発的な考えで学校へと向かうのだった。乱雑なベッドの脇には充電器すら繋ぎ忘れたままの姿のスマホが転がっていた。携帯に依存してしまう昨今の風潮はどうかと警鐘を鳴らしたいと思う今日此の頃ではあるものの、依存出来る程の使い道が無いという諸兄にもツッコミづらいので何とかして欲しいと切に願う。滂沱。


 そしてとうとう姿を見せなかった瑠璃子は何時もより早い時間、早朝には既に学校に居たのだ。普段から幾分か余裕をもって起床する几帳面な彼女は心地良い朝の微睡みの中で初めて昨夜届いたメールを目にした。目を疑わんばかりの其の衝撃的な内容に、本人に確かめようと駆け込んだ教室で聞かされたのは彼女の訃報だった。


「・・・もう聞いた者も居るとは思うが、今朝、大島智子くんが亡くなった。葬儀は明後日営まれる事になったので、クラス代表として・・・」


 担任からの只の事務連絡のような淡々とした報告が続く教室で、何時もは騒がしい生徒達といえども誰一人として口を開く者は居なかった。或る者は俯き、或いはキョロキョロと落ち着き無く回りの顔色を伺って居る。こんな時、どう立ち振舞えばいいのか分からないのだろう。無理も無い。見知った者の死。其れを受け止めるには彼等はまだ若すぎるのだ。全員が着席する教室で一カ所だけポッカリと空いた場所、其処は小さな花瓶で花が生けられている席だった。その異質な風景をぼんやりと眺めて居た瑠璃子はふとした違和感を覚えた。左斜め前、大沢紗香の様子が殊の外不自然に思えたのだ。真っ青な顔をしてガクガクと小刻みに震えている。恐らくは、否、間違いなく大島智子を嫌って居たであろう彼女でも此処までのショックを受けたのか。なんて意外に冷静に観察している自分の神経に驚きつつも、其の怯え方には尋常成らざるモノを感じたのだ。そう言えば彼女は大島さんのアドレス知りたがってたな。もしかして何か知っていたりして。なんて言う疑心が、事の重大さに未だ思考が停止したままの瑠璃子の心を過るのだった。


「・・・代表の二人は後で職員室に来るように。」


 そう言い残した担任は、一旦職員室へと引き上げて行った。今日は事情が事情なだけに一時間目は大島智子についての説明に当てられ、恐らくは此の後の授業も中止になるであろうと想像出来た。担任の足音が遠ざかって消えたのを皮切りに、堰を切った様に口々に思い思いの事を捲し立てるのだ。自殺。自殺。自殺。アレだよな。昨日のメール。まさかあんな事を。掲示板。無理も無い。あんな顔して。そんなタイプには見えなかったのに。迷惑メールかと。アレがバレたら。誰が見つけたの?・・・瑠璃子も一人同じ様な事を考えていた。原因は間違い無く昨夜のあのメールに違いないだろう。事の露見を恥じて自ら命を絶った。となるとアレは事実だったと言う事なのか。違和感。エリート自意識も特別に高かった彼女があんな浅薄な事をするだろうか。あまつさえ男に媚びる様な事を。何だろう。やっぱりすっきりしない。混乱の教室其の中を数人の女生徒がひっそりと後にする。其の中には大沢紗香も含まれていたのだ。此の現状だ。ショックで気分が悪くなったのだろう。とその程度の事だと誰もが気に留めず、また声も掛けなかった。此の時には更なる惨劇が待っていようとは瑠璃子は勿論、誰一人知る由も無かった。そして誰もがクラスメートの死という遣り切れない現実に押し潰され、其の場所から思考が動かなく成って居る。悼む者、邪推、恐怖、無責任な噂、興味本位、そして無関係を装う者。不安なのだ。何に怯えて居るのかははっきりとは分からないけれど、そんな気持ちは誰にでも分かる物なのかもしれない。



「・・・どうしよう。まさか自殺するなんて。」

「こんな大事になるなんて・・・」

「あたしたち捕まるんじゃないの!」


 此処は学校から一番近い水島郁美の部屋だった。焦りと恐怖心、絶望と混乱を顔に滲ませた女子生徒達は口々に銘々の不安を吐露していた。其れは先程教室を抜け出した面々、水島郁美、佐藤令、田辺奈々の三人だった。派手な豹柄で彩られた少女の部屋は、其の鮮やかな彩りを霞ませるに余り有る陰気な空気に満ちて居た。こんなはずじゃなかった。其の後悔と釈明、其れだけが彼女達の命題に成っていたのだ。


「やっぱ警察に話した方がいいんじゃないの?」

「でもそんな事したら!」

「黙ってれば分からないかもしんないし。」

「だいたい大島が悪いのよ!」

「そう。そうよね。あたし達が悪いんじゃないよね。」

「ちょっとしたイタズラだもん。」

「それに言い出したのはさあちゃんだしさ。」

「あたし達は手伝っただけだもん。」

「案外、アレとは関係ない自殺かもしれないし。」

「ありえる~!」


 逃避を目論む余り論点がずれてゆく。己の精神を守る為の脳の防御作用か、「自分のせいじゃない。」そう強く思い込む事でストレスを緩和し、精神の崩壊を防ごうと足掻いているのかもしれない。どんな策を講じようとも現実何ら変わりはしないと言うのに。


「さあちゃんも案外ヤワよね~」

「そうそう。顔色超悪かったし。」

「いつもあんだけデカい事言ってるクセにね。」

「ま、保健室で寝てりゃ元気になるだろうけど。」

「加藤先生に任せときゃ大丈夫だって。」

「とにかく!ビクつく事なんてないわよ。あたし達は悪くないんだし。」


 そう自分たちに言い聞かせて、動転の余りまだ開けてすらいなかったカーテンを引いた。一気に差し込んで来た眩しい日差しに暫し視界を奪われた少女が、再び視界を取り戻した時に窓越しに見えていたモノは、少女の幼い精神を破壊するには十分な光景だった。


 それはただ笑っていたのだ。圧倒的な力を手に入れた者の余裕と言おうか、これから実行する復讐が心の底から楽しくて仕方が無いとでも言いたげな、そんな狂気と悪意が張り付いた笑顔だった。逆さまにぶら下がった見覚えのある顔に、少女達は凍り付くのだ。そうだ。アイツは確かに死んだはずなのに。


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