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白銀の一枝  作者: 鷹司蒼志
15/21

白銀の一枝15

(二十八)


 其処は琵琶湖の中州だった。近江の国、今でいう滋賀県に横たわる日本最大の湖だ。湖を取り囲む山々から流れ込む豊富な水量のおかげか付近には豊かな自然が息づき、人々に十分な糧を齎していた。大穴州と呼ばれる小さな小島へと降り立ったのは今しがたの事だった。その中程には小さな石塔が有り、目当ての宝珠は其処に安置されているのだ。


「・・・剛賢殿は大丈夫でしょうか。」

「・・・あの人は今でこそ僧侶だけれど、元々は陰陽府の長だった人よ。」

「陰陽師ですか?」

「ええ。小さい頃うちを抜け出して遊びまわっていた私の居所を一発で探し出す程の凄腕よ。ホントは何処か出湯の里ででものんびり暮らして欲しいんだけど、あの通りの頑固者で困っちゃうわ。」

「・・・大切な方なのですね。」

「まあね・・・!」


 二人の視界に飛び込んで来たのは人だった。漁師だろうか、祖末な身なりそして頭には手拭いを巻いた男だった。


「そこの者!此の様な場所で何をしておるのだ。」


 姫の姿を隠す様に己の身体を前へと出した種継は不審に思った。空を飛んで来た自分達は例外だとしても、辺りには小舟一つ見当たらない。此の時代の高貴な姫君は本来ならば、他人に直に姿を見せる事など無い御時世だ。こんな怪しい者の目に碧姫を触れさせる訳にはいかない。それは身分の低い私の、否、男として当然の立ち振る舞いだ。


「・・・漁をしております。」

「そう。ずいぶん熱心だこと。それで?何が捕れるのかしら?」

「へえ。今日は人間が二匹ほど。」


 漁師のその言葉を待っていたが如く、地面から植物が育つ様に十人程の似た様な身なりの者達が、二人を取り囲む様に出現するのだ。


「やはり鬼か!宝珠は渡さん!」

「うん。船幽霊かしら。狙いはわたし達の肉ね。」

「じゃあ・・・」

「宝珠を狙うには戦力不足よ。きっとこの辺の主だわ。」

「姫、ここは私にお任せ下さい。」

「そうね。占月を遣いこなして見せて。いい?集中して力を絞るのよ。あなたになら出来るはずよ。」

「御意。」


 十体の船幽霊は土砂が体積して出来上がった中州を水が流れるが如く滑らかに二人へと距離を詰める。元来船員達や水辺に集う人々を糧としている鬼だった。堂々と占月を構えた種継は内心焦って居た。今この状況にではなく、度重なる失態を重ねた己にだ。結果が欲しい。己の恥辱を濯ぎたい。ただ己の心の救いを求めて。


”落ち着け、落ち着くのだ。長年寄り添った占月は決して私を裏切らない。もう私には失敗は許されないのだから。“


 乱れる心を押し殺し集中を高める種継に、一斉に飛びかかってくる船幽霊。一歩その足を引き、種継の後ろへと下がった碧姫はしっかりと見ていたのだ。彼の戦いぶりを。彼の心根を。緊張のあまりか、少し詰まったぎこちない音色。だが結果は聞くまでも無い。碧姫が仕上げた笛と種継の持つ奏者としての素質、その二つが融合した時、占月は破魔の笛として生まれ変わったのだ。静かに、そしてしっかりと種継を見つめる碧姫は、頼もしい仲間を得た事を確信した。彼の真っ直ぐな人柄も、澄み切った音色も信じるに値するとそう判断したのだ。


(二十九)


「・・・駄目か。思ったよりも動きが早いわね。」


 二つ目の宝珠を手にした碧姫と種継は立ちすくんでいた。目前には巨大な鍾乳洞が口を開けている、はずだった。無惨にも崩れ落ちたその入口は既にこの場での探索は無意味だとそう物語っていた。陸奥の国、今でいう岩手県に有る巨大な鍾乳洞だ。其の名を幽玄洞という。石灰石層に形作られた洞窟には様々な珍しい地形が見て取れ、加えて深部には地底湖を擁する自然の造り上げた芸術だった。


「宝珠の気配は・・・無いわね。」

「・・・急ぎましょう。姫様。」

「ええ。」


 種継は颯爽と己の前を歩く姫の後ろ姿を見つめていた。この方は素晴らしい。大義を持ち、そして其れを遣るだけの力がある。その上、失態を繰り返した私にすら頂ける過分のお心遣い。そして何よりも・・・美しい。俗物の私は憧れすら禁じ得ないのだ。私にも遣るべき事がある。そしてそれは姫のお役に立てる事だ。私はこの方の為に死力を尽くそう。


フュウウウウウウ・・・・・


 唐突に占月が鳴いた。空を舞う天浮舟、下座へと座する種継は太刀と同じく腰紐へと其れを差していた。手も触れぬ笛の音に不審な顔色を浮かべる彼の側で碧姫は呟いた。


「いるわね。其れも呆れるくらいに。」


 御簾の隙間から外界を覗き見た種継の目には美しくも剛胆な富士の山が映った。雪化粧に霞む山頂から優雅に流れる峰々、そして裾野へと広がる濃緑の樹海は雄大ではあるものの幾分かの恐怖心さえも呼び起こす、言わずと知れた日の本一の霊峰がこの山だった。


「奴らは何処ですか!?」

「見えているでしょ。其れ全部よ。」

「!」


 よくよく凝らした目に映ったのは、濃緑に、木々に見えたその場所に犇めき合う鬼達の姿だった。広大な富士の裾野を埋め尽くす程の大群。その強大な戦力に武者震いで答える種継に、碧姫は毅然とした声を掛けるのだ。


「全部相手にしている暇はないわ!一点突破でいきましょう!」

「御意!」



 朱宝珠は杵築風穴きづきふうけつと呼ばれる風穴に奉られている。其の場所も多分に漏れず天照大御神の結界に守られているのだ。ともすれば勿論、件の鬼女、白銀の一枝を飲み込んだ鬼が此処に居る。急がねば。朱宝珠を手に入れ、そして神器を取り戻すのだ。それがこの世を守る唯一無二の方法。場所なら分かっている。だがしかしそれは同時に最も戦力の集中する場所だと言う事実を指し示している。そして大地を離れ宙を舞い、次々と襲い掛かって来る翼を持つ鬼達。常時展開されている結界に守られし空駆ける牛車は、致命傷は負わないまでも衝撃と圧力に激しく揺さ振られ刻々とダメージを重ねてゆく。


「姫!私が参ります!」


 御簾を上げ車を引く雄牛の背へと飛び移った種継は、力の限り高らかに愛笛占月を吹き鳴らす。美しい笛の音から発せられる衝撃波は、近づくもの全てを引裂き叩き落とすのだ。一体一体確実に仕留めてゆく種継、だが数が多すぎたのだ。やがて視界を覆わんとする鬼達の暗い影は、何もかもを飲み込み破壊し尽くす津波と成り天浮舟に襲いかかる。次第に対応しきれなくなりつつある種継は焦りの色をその顔へと浮かべる。


「種継。ただ一人の為に奏でる笛の音は尊いものよ。でもたくさんの人々へと送る楽も素敵だと思いますわ。」

「!」


 碧姫の言葉に、笛の音が変った。荒々しく叩き付ける様な音圧が、柔らかく広がり何処までも響き渡る調べへと変る。優しくしかし力強い音色は、点では無く面を以ての攻撃へとその手法を変えた。空一面を覆い尽くす悪鬼達は、不穏な黒雲を太陽の光が薙ぎ払うが如く千々に瓦解し、次々と地面へと堕ちてゆく。


「お見事!」

「御指導痛み入ります!」

「よしなに。では参りましょう。」


 鬼達の統制を乱す事に成功した一行は、其の隙を縫い件の風穴へと馳せる。背後には数多の追っ手、そして目指す樹海には犇めき合う鬼達が待ち受ける。目指すは視界の大半を占める深い森、其の一角にぽかりとまるで丸く切り取られたかの如く拓く場所。不浄の者に犯されぬ神聖な空間が、其処だけが清廉な空気に満たされた場所。そう。紛う事無き天照大神の結界だ。下賤な輩には踏み込む事叶わない聖域だった。


「あそこよ!結界にさえ入ってしまえば振り切れるわ!五神が二、極楽鳥よ有れ!」


 追い縋る影を切り裂いたのは艶やかな橙色の羽根を持つ巨大な鳥。孔雀のそれに似た長く張りの有る尾羽は紅く火の玉の様にはためき、優美な風切羽は研ぎ澄まされた切っ先の如く鮮やかに敵を分断するのだ。鬨の声を高らかに響かせながら縦横無尽に羽ばたき、行間に流れる楽の音をその身に纏い、無尽蔵に襲い来る鬼達を蹴散らしながら進路を勝ち開いてゆく。目指すは杵築風穴。朱宝珠を祀りし洞窟だった。周辺に犇めき合う鬼達は勿論、人すらも寄せ付けぬ場所だった。無限に続くかと思われた攻防にもやがて果てが見え始める。牛車を引く雄牛の力走に刻一刻と近づく風穴。行かせまいと死力を尽くす鬼達。だがしかし旧知の戦友の様に息の合った二人の舞は攻守に於いてそれらを僅かに上回っていた。薙ぎ払い叩き落とす。切り裂き弾き飛ばす。受け止めそしてまた受け流す。その身に滲む血も汗も、際限なく増え続ける傷も、霧雨の様に降り掛かる返り血も、千々に乱れる髪も着物も深い呼吸でさえ憚れる緊張感に、乾ききった喉からは鉄の風味すら滲んでいた。少しずつ少しずつ、分厚い幕の様に覆い被さる鬼達の層を削り取り、行く手には薄紙を透かして見る如く目的地はぼんやりとしかし明確にその輪郭を浮かび上がらせる。そして、聖域へと踏み込むその刹那、背後から迫る巨大な鬼を極楽鳥の鉤爪が切り刻む。


ふわり。


 空気が軽く成る。生まれ変わったかの如く鮮烈に。目には見えぬ一線を越えた二人は心地の良い清浄な空間へと確かに辿り着いたのだ。柔らかな草花の絨毯の上にゆったりと舞い降りた天浮舟は、搭乗者の無事を見定めたかの様に淡い光を放ち、元の木札へと還る。二人の目の前に横たわる巨大な風穴は、高さ3メートル程も有る入口からは、暗闇に支配された内部まで見通す事は叶わなかった。


「ふう・・・此処が無事と言う事は・・・」

「奴等はまだ到着していないのですね。」

「・・・そうね。そう願いたいものね。」

「では急ぎましょう!」


”あれだけの軍勢に囲まれた此の場所だけが無事だなんて・・・じゃあ本命は、あの鬼女は何処に居るというの・・・?“


 独り不気味な不安を胸の奥に秘めし碧姫は、不確定な事を口に出すのを意識的に避けるのだ。兎にも角にも今は宝珠を優先しよう。結界が展開されている限り今はまだ大丈夫。そう、鬼達では決して此処を越えられやしない。


 二人は怖ず怖ずと風穴へと足を踏み入れた。その途端、今まで聞こえていた風や草木の揺れる音、当たり前に有った雑然とした環境音がぷつりと途切れる。内部は恐ろい程に静まり返り、未だ慣れない耳が甲高い金属音を感じてしまう程だった。


「これは・・・」

「ここは外部とは遮断された場所なの。・・・五神が四、猫又よ有れ!」


 闇に熔ける様に静かに姿を現したのは金を司る式神だった。黒くしなやかな毛皮に二股の尻尾、サーベルタイガーに似た上顎の巨大な牙は何処までも白く、大きく見開いた瞳は金色に輝き闇を照らすのだ。内部、岩肌は滑らかな風紋が波打ち天然の物だと見て取れる。足下には削られた砂が散乱し、何者かが立ち入った形跡は感じられなかった。


「朱宝珠はこの先ですか?」

「ええ。祭壇が有るはずよ。」


 ユラユラと揺れる光の中で、種継は碧姫を見つめていた。今までの激しい戦闘で姫の纏う十二単「桜の重ね」は幾分汚れ、擦り切れて居た。それでも余り有る程の優雅さを失わない姫の艶姿に、もし目的を果たし、生きて姫と共に帰れるのならばとびきりの御支度をさせて頂きたい。などと朴念仁の種継が今まで感じた事のない淡い気持ちに戸惑うのだ。この方は強い、そして何よりも気高く美しい。私などが懸想してはならぬお方だ。否。何を考えているのだ。私にはもうそんな資格すらないのだ。浮き世の情を捨て、義の為に今はかりそめに生きている事が許されている身にすぎないというのに。


「其処ね。確かに感じるわ。其の先に。」

「祭壇ですね。」

「ええ。急ぎましょう。此処へ入り込む事は出来なくても、結界ごと破壊する事は出来るはず。

いままで見て来た場所の様にね。」

「まさか、我々が此処に入るのを待っていたんじゃ・・・?」


 二人が歩を早めたその時だった。突き上げる衝撃。其れは地の底より染み渡る振動。そして周囲を囲む固い岩盤から鳴り響く重い地鳴り。ミシミシとゴンゴンと。歪曲される圧力に堪え兼ね、剥がれ落ちる岩肌。そして砂土が舞い降る暗闇は、轟音と共に崩れた岩盤に押し潰され瞬く間に其の空洞を失った。


(三十)


 九条豪太朗は疲れ果てていた。ただただ真っ白な病室のベッドには、先程処置を終えたばかりの叔父厳治朗が横たわり、穏やかな寝息を立てていた。重傷を負った身体各所の縫合も終わり、担当医からは絶対安静を言い渡された所だった。何一つ分からない。今日目の前で起きた事全てが。事情を知っているであろうオッサンは当分意識を取り戻す事は無いだろう。今こうして生きているのが不思議なくらいの状態だったのだ。既に日は落ち闇に塗り潰された冷たい窓に映る己の情けない面を睨みながら、カーテンを引こうと立ち上がる。


「ふあ~っ!」


 目の前の暗い硝子の中で、瀕死のはずの叔父があくびを伴う伸びを豪快に披露している姿がはっきりと見える。


「オッサン!起きて大丈夫なのかよ!?」

「お前の泣き声が五月蝿くて目が覚めちまった。」

「ばっばかやろう!俺は泣いてなんか!」


とニヒルな笑みを甥へと投げ掛ける叔父に、安堵のあまり涙腺が緩んでしまう豪太朗だった。


「時間が無い。俺は行かねばならん。」


 点滴を始め各種チューブを無造作に引き抜き着物を羽織る叔父に、目を白黒させるテンパリズムでアタフタっている可愛い甥っ子は。


「何やってんだよ!そんな身体で何処行くってんだよ!大人しく寝てろよ!」

「・・・豪太郎。お前に話しておかなければならない事があるのだ。」


 ふと甥に向けたその顔はいつもの呑気な叔父の顔では無かった。きりりと引き締めた表情には豪太郎を黙らせるには十分な迫力が有ったのだ。


「・・・あそこで巨乳の看護師さんが激しくジャンプをしている。」

「えっ!?」


 そうつい本能の儘に振り向いてしまった思春期少年は、背後からの鈍い衝撃と共にその意識を失った。その場に崩れ落ちた甥っ子を優しくベッドへと横たえた厳治朗はこう声をかけるのだ。


「すまんな。お前にはまだ早いのだ。」


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