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白銀の一枝  作者: 鷹司蒼志
14/21

白銀の一枝14

(二十五)


 木の葉のさやさやとした優しい音に目を覚ました種継は不思議な感覚に包まれていた。フワフワとした寝心地に、新緑の爽やかな香り。それは梢の上、青々と葉の繁る枝に横たわっていたのだ。身の丈十メートル近くはあるだろうか。緑の隙間からは月の光を浴びて微かに光る夜露が見て取れる。私は何故こんな場所にいるのだろうと、未だ靄の掛り醒め切らない脳味噌を酷使してみる。


「ありがとう。そろそろ降ろしてくれる?」


 そう聞き覚えの有る女の声に答えるかの如く、その逞しい枝を撓らせながら私の身体はゆっくりと地面へと下りてゆくのだ。不安定ながらも上体を起こした種継の目には、隣の枝に腰掛ける美しい姫が映った。その姿に全てを思い出し、現実だったのだと思い知るのだ。やがて地へと降り立った二人の目前で、先程まで身体を受け止めていてくれた樹木は、一瞬だけ目の錯覚かと間違えるかのように其の輪郭をぶれさせ、霞の様にその姿を消した。青草が繁る地面には一枚の札だけが残った。


「・・・私は・・・また姫に助けて頂いたのですね・・・」

「この子はね、千年樹っていうの。兄様がわたしの警護役として持たせてくれたの。」

「その上、銀笛を取り戻す事さえ・・・」


 絶望と後悔に取り憑かれた男は反射的に太刀を抜き、己の喉を掻き切ろうと凶行に及ぶのだ。


「馬鹿な真似はお止めなさい!」


 姫はそう言い放ち、種継の頬を力一杯張るのだ。


「あなたが死んでも笛は戻ってはきません。あなたも殿方ならば、その命、もっと意味の有る遣い方をなさい!」

「・・・くっ・・・」


 毅然と言い放つ碧姫の前に呆然と膝を付く種継は一言も言い返せずただ項垂れるだけしか出来なかった。悔しい・・・だが確かに姫の言うとおりなのだ。私にはもう落ち込んで居る事さえ許されない。死ぬ事もただの役立たずでいる事でさえも。




「どのくらい時が経ったのかしら?」


 とうに頂点を過ぎたであろう力強い日差しが、荒れ果てた山中を照らして居た。此処に生い茂っていたはずの木々は薙ぎ倒され、見晴らしの良くなった大地が事の激しさを見せつけていた。確かあの場所は京の都からは或る程度の距離は有ったはずだ。しかし都にまで被害が及んではいやしまいかと気にしてはみるものの、それを確かめる術すら持たぬ我が身に腹立たしささえ込み上げる種継は、やり場の無い奔噴をぶつける相手を探していたのかもしれない。


「分かったら行くわよ。わたしの行き先は必ず銀笛と交わるわ。奴等が神器を狙ったって事はやっぱりあなたの力が必要なのよ。」

「・・・」

「ちょっと!行くの行かないの?何もせずにそのままそこで朽ち果てるおつもり?ホント今上帝もずいぶんと部下に恵まれたものよね。」

「!帝を愚弄するなど!」

「その帝のお心に答えなきゃ男が廃るってものでしょ?」

「・・・・・・姫・・・」


 私は結果を出さねばならない。このお優しい姫君の為にも。そうだ。立ち止まってなど居られないのだ。


「じゃ、参りますわよ。」

「・・・どちらへ、向かわれるのですか?」

「出雲よ。」

「そのような遠方に?牛車でも十日あまりは掛かるのでは。ましてや今この現状で歩いて向かうとなると・・・」

「大丈夫よ。牛車なら持って来てるもの。」


 そう笑顔で振り向いた姫は袂より一枚の木札を取り出したのだ。薄い杉板で設えられた其れは、ともすれば牛車の形状を模しており表面には墨で文様が描かれていた。


「天浮舟よ有れ。」


 短い文言に答えるが如く、小さな木札は金色の光を放ち、瞬く間に牛車へと姿を変えるのだ。ココアブラウンの艶やかな毛並みに金色の瞳を宿す雄牛。白亜の角は太く短く、しかし研ぎ澄まされた切っ先は己の敵を威嚇するかの様に真っ直ぐと前方を指し示す。黒く塗りの車体には軽やかな御簾がはためき、間違いなく先程まで姫が搭乗していた牛車だった。


「牛車まで式神だったのですか!?」

「そう。でもこれは正確には「アメノウキフネ」という神代の乗り物よ。」

「かっ神代の?姫はそのような事までお出来になるのですか!?」

「兄様が碑文を解読して現代に蘇らせたモノなの。」

「姫の御兄上とは一体・・・」

「ま、細かい事は置いておくとして、早く乗って乗って!」

「はっはいっ!」


 姫に促され、押込められた車内では不可思議な現象を目の当たりにしていた。広いのだ。外から見た車体よりも確実に巨大な空間が広がっている。板敷きの床には薄縁の畳が敷かれ、上座には御簾で区切られた席、貴族の邸宅その一部屋が其処に有ったのだ。


「こっこれは不可思議な・・・」

「はいはい。直ぐに着くから座ってて頂戴。」

「直ぐに?とは?」


 先程潜った御簾越しに種継の瞳に映ったのは巨大な雲だった。


「なっ!」

「ちょっと危ないわよ!」


 御簾を目繰り上げた先に広がるのは青い空と白い雲、そして眼下には山や川、家や田畑などが小さくそして飛ぶように流れてゆく。そう此処は空の上だった。


「うわっ!!!とっとっ飛んで!」

「そうよ。だって天浮舟だもの。」

「うわあああああああああ!」

「ちょっと落ち着きなさいって。」


 成り行き、否、コレは運命なのであろう。だがしかし、なんだか放っておけない駄目な弟の様な種継に溜め息を漏らさずにはいられない碧姫であった。


(二十六)


「よし!ここは無事なようね。」


 そよ風の様に柔らかくその高度を下げた天浮舟は、ある山脈の一角を成す山、木々の生い茂るその中腹辺りにポッカリと開いた場所へと近づいていた。巨大な石が鎮座するその広場には人影一つ見当たらず、種継には此処が何処なのか見当も付かなかった。御簾を上げ外界を伺う碧姫の長い黒髪は、強い風に煽られ美しく棚引く。袂から取り出した一枚の札に、艶やかな紅をひいた唇は命ずるのだ。


「千年樹。お願い。岩戸を守って!」


 其の白くか細い手を離れた札はふわりと風に舞い、件の巨石へと届く。淡く光りを帯びた札からは若々しい新緑が芽吹き、瞬く間に巨木へと成長を遂げたのだ。天へと向かい真っ直ぐに育った幹は、青々とした枝葉を茂らせ、大地へと伸ばした根は巨石を包み込みその根冠は地中深くへと根を張るのだ。


「じゃ次行くわよ!」

「あのっ!ここは一体・・・私は何をすれば!」

「奴等があの笛を手にしたとなれば、次に狙うのは鍵よ。」

「鍵というのは・・・」

「道々話すわ!急ぐわよ!これからこの日の本中を飛び回らなきゃいけないんだから!」

「えっ!?」

「まずは瀬戸内。鳴門海峡よ!」


 上空へと急上昇する天浮舟は、先導する雄牛の軽やかな運びによりその速度を上昇させてゆくのだ。激しい風切り音、それもまた御簾を降ろせば室内には聞こえもせず、そこが今猛スピードで飛行している乗り物の中である事など忘れてしまいそうな快適さだった。


「いい?良く聞いて。此処のところ猛威を揮っている鬼達の目的は何だと思う?」

「・・・鬼に目的があるというのですか?」

「勿論よ。奴等の本願は「封じられし者」を解き放つ事。あなたこの国の創世の神話は知ってる?」

「ええ・・・古事記も読みましたし・・・ってじゃあその封じられし者っていうのは!」

「そう。だから何があろうとも封印を守らねばならないの。」

「もしその封印が解かれたら・・・?」

「人の世は終わりを告げるわ。だから次に狙われるのは封印を解くための鍵。奪われる前に手に入れないと。」

「その鍵が瀬戸内に?」

「ええ。その内の一つが安置されているのよ。」

「その内の???」

「着いたみたいね。」


 種継との会話を打ち切った碧姫は、厳かに御簾を上げるのだ。激しい風、そして聞こえるのは激しい水音だった。荒々しくぶつかり合う波頭に、千々に乱れ飛ぶ白き飛沫。其処は播磨灘と紀伊水道を結ぶ海峡だった。淡路島と大毛島との間、大海から僅か1.4キロの狭海峡へと流れ込む海流は、其の速度ゆえか激流と成り、ぶつかり合った潮流はいくつもの巨大な渦を形成する。その雄大な景色を中空から見下ろした碧姫は言葉を失った。くるくると渦に飲まれ回っている海鳥や魚達の死骸、それも数え切れない海面を埋め尽くす惨状だった。渦に飲まれては再び浮き上がってくる骸達、その内に自然の摂理に従いぽつぽつと海底へと沈んでゆくのだ。


「姫!これは!」

「五神が五、白鯨!海底を調べて来て!」


 姫の袂より飛び出せし光を帯びた札は、空中にて巨大な鯨へと変えた。豪快な水柱を上げながら海中へと姿を消したそれは碧姫の操る五体うちの五番目の式神で、水を司る眷属であった。


「・・・遅かったみたい・・・宝珠の気配を感じないわ・・・」


 海底より跳ね上がる白い式神は、主である碧姫の眼前にふわりとほんの暫くの間だけ留まり、そして光へと還り元の札へと戻った。


「ありがとう。白鯨。・・・海の底はひどい有様だわ。岩が削られ海流までも変ってしまった。漂う無数の生き物達の死骸・・・そして結界も破られているわ。」

「そんな!では封印が解かれてしまう!」

「慌てないで。鍵は全部で五つあるの。急ぎましょう。次は九州、金剛奉寺へ!」


(二十七)


「姫さま!姫さま~!」


 それは外からの呼び掛けだった。瀬戸内海を飛び立った天浮舟の内部は沈黙が支配していた。先手を打たれ、もしかしたら全てが手遅れなのではという不安に囚われ、気持ちを切り替えられずにいたのだ。気が付けば既に目的地へと到着しており、搭乗者よりも先に気がついた金剛奉寺の僧侶の声に碧姫の瞳に生気が戻る。


「剛賢!久しぶり!無事だったのね!」

「姫さま!お懐かしゅうございます。」


 勢い良く御簾を跳ね上げた碧姫は、天浮舟の正面に立つ僧侶の元へと飛び出した。


「姫さま。高貴な姫君が其の様なはしたない振る舞いをなされては」

「分かってるってば。相変わらず固いわね。でも元気そうで安心したわ。」

「拙僧も御仏の元へと旅立つ前にもう一度姫様とお会い出来て嬉しゅうございます。」

「なに弱気な事言ってのよ。」

「いえいえ。姫様の婿がねをこの目で拝見できたのです。もう思い残す事など・・・」

「えっ?ちっ違うわよ!あの殿方はそんなんじゃないわよ!」

「なんと・・・てっきりそういった趣のお話かと・・・」

「違うわよ!あの人は種継、今上帝の従者殿よ。」


 既に車両から下りていた種継は、墨染めの老僧侶へと軽く会釈をする。其処は鄙びた山間だった。いくつもの山々に囲まれたこの場所は二本の川が交差する珍しい風景を成していた。そしてその後方に見て取れるのが件の金剛奉寺だと見当を付けた。其れは古いながらもよく手入れの行き届いた建築物、きっと謂れのある寺に違いない。などと思いを巡らせていた種継は注意散漫になっていた。




「・・・それは誠でございますか!?」

「ええ。だからアレを貰って行くわ。」

「しかし鬼共に天照大御神の結界を破るなどという事が・・・」

「奴等は不完全ながらも神器の力を遣っているの。」

「・・・なるほど、神通力ならば結界を解く事も可能ですな。」


 剛賢と名乗る僧侶に案内されたのは、古びた寺院の奥の院だった。本堂を抜けた先には回廊の様な廊下に囲まれた小さな坪庭があり、その中心には石で造られた小さな祠が有った。高さ四十センチ程の自然石、その正面には窪みが穿たれ、其処には不思議な色を讃える小さな玉が収められて居た。辺りを包む清浄な空間は、種継でさえも息をのむ程の荘厳さだった。清らかな気に触れて幾分か心が軽くなった種継の前で、碧姫は一人、祠へと歩を進めるのだ。


「天照様、朱宝珠を遣わせて頂きます。」


 おずおずと伸ばした姫の手に包まれた宝珠は、見覚えの有る赤みがかった銀色を湛え輝いていた。その中心には神代の物と思しき文字が浮かんでいる。姫の手にある宝珠に暫し見とれていた種継は其れに思い当たったのだ。


「白銀の一枝と同じ輝き・・・」

「そうよ。だからあの銀笛が必要なのよ。」

「姫様、これを。」


 剛賢が墨染めから覗く痩せ細った腕で差し出した物は、質素な巾着だった。白絹で設えた其れは華美な装飾が無いからこその美しさを醸し出している。恭しくそれへと朱宝珠を仕舞った碧姫は、老僧へと真っ直ぐに顔を向けた。


「剛賢、今直ぐここを離れて。この場所は危険だわ。」

「・・・姫様、拙僧はこの寺を帝よりお預かりしております。ですから此処を離れる訳には参りません。」

「でも!」

「私には姫様御兄弟程の力は御座いません。それでも信に答える事くらいは出来まする。それに、宝珠の気配が消えれば此の寺を襲う理由も無くなる事でしょう。」

「それはそうかもしれないけれど・・・」

「大丈夫ですぞ。拙僧、姫様の御婚姻を見届けずに昇天する気は御座いません。それこそ姫様がまだこんなにお小さかった頃から・・・」

「分かったわよ。分かりました。殿方の前でその向きの話は止めてよね。」


 少し拗ねた様な照れている様な表情の姫はくるりと踵を返し、元来た廊下を表へと進むのだ。剛賢は慌てて其れを追う種継に柔らかい物腰で声を掛けるのだ。


「お名前をお聞かせ願えますかな?」

「はっ。失礼仕りました。右衛門府大志種継と申します。訳有って姫と行動を共にさせて頂いております。」

「これはこれは御丁寧に恐れ入ります。拙僧は剛賢と申す一介の僧で御座います。若かりし頃、姫様とはご縁が有り今この大役を仰せつかっておりまする。」

「あの・・・ここは一体・・・?」

「ここは元来、気の流れを司る竜脈の交差する場所なのです。その上にこの寺を建て、竜脈の力を利用して結界を持続させてきたのです。」

「結界も張り続ける為には力の源が必要なのよ。」


 そう前を見据えたままの碧姫も説明を付け加える。


「では鳴門も?」

「ええ。アレは渦潮が生み出す自然のエネルギーを使っていたの。それで?剛賢。コソコソと種継に余計な話はしていないでしょうね。」

「勿論で御座います。姫様が池に填まったり、野犬の背に乗り走り回ったなんていう事は決して。」

「剛賢!!!」

「はははっ。姫様はそうでなくてはなりません。その力の漲る瞳。堂々とした声の張り。

それでこそ私の姫様であらせられる。」

「・・・わたしそんなにしょぼくれてたかしら。」

「いいえ。この老人の目の錯覚でしょう。此の頃目が霞んで霞んで。」

「・・・ありがと。いい?わたしの祝言に来れないなんて事になったら本気で怒るわよ?」

「勿論。姫様の婿に成る変わり者の顔は見ておかねばなりますまい。」

「・・・・・・ホントに気を付けてよ?」

「お心遣い肝に銘じまする。」


 天浮舟は到着したそのままの場所で静かに主を待っていた。後ろを振り向かず、颯爽と乗り込んだ姫は私に告げたのだ。

「琵琶湖へ向かいましょう。」



 

 一刻ほどたっただろうか。金剛奉寺の本堂に静かに座する剛賢はその顔に笑みを浮かべた。


「これはこれは本命が掛かったようですな。姫様が奴等と相見える前に、一体でも多く数を減らしておかねばのう。」


 外部には津波の様に押し寄せる異形の軍勢。かつて最強の陰陽師として名を馳せた彼は主君への最後の勤めへと赴くのだ。

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