白銀の一枝13
(二十三)
「何で学校なんだよ?今日休みだっつーの。」
「だって昨日ここに居たのは確かなのよ。」
「・・・あのなあ、警察に任せろよ。俺達に何が出来るってんだ。」
がっちりと閉じられた正門の前で飽きもせず相も変わらずのやり取りを続ける豪太朗と瑠璃子だった。ぶちぶちと文句を垂れながらも意外と付き合いのいい男だったりする所が何だか泣かせる。だがこの手の微妙な二人は一生進展しないと見た。残念。と話は元に戻るが、大沢紗香は昨日学校へ行ったきり帰宅していないと言うのだ。仲の良かった3人の自殺の件もあり、両親は胸の潰れる思いでいる事は想像に固くない。無論警察には届けてはあるものの、一晩帰らなかったくらいではなかなか動いてはくれないのが世の常だ。しかもお世辞にも品行方正とはいかない娘だったと言う事実もそれに拍車をかけていた。
「オジ様と連絡とれないんでしょ?しかも大島さんの事知ってたって。」
「そりゃそうなんだけどよ。」
「共通点はやっぱり学校なのよ。でも、やっぱ閉まってるわね。加藤先生に話聞きたいんだけど・・・」
「そんなもんもう警察が聞いてるって。」
「そうだろうけど・・・」
「ちっ!面倒臭せえ女だ。こんなモン乗り越えちまえばいいじゃねえか。」
「うん!」
休校の本日でも勿論職員達は出勤して来ている。今頃は3人の女生徒の自殺問題について会議室で議論しているに違いない。ああだこうだと如何に責任を逃れるか、どう保護者達を誤摩化すか、そしてマスコミの対策などなどとても生徒達には聞かせられない密談を繰り広げているのだ。これは理に叶っている。筋の通った休校だ。当然先生達だって仕事なのだ。己の生活や将来、学校での立場や出世、日々働き未来を紡ぎ出す、誰もがただ其れだけの事なのだ。
「静かにしろって。見つかっちまうだろ!」
「分かってるわよ。もう!」
こっそり忍び込んだつもりの二人だったのだが、目当ての保健室へと辿り着くまでに瑠璃子が二回、そして我らが豪太朗も一回、ぶつかったり躓いたり蹴り飛ばしたりと、校内に豪快に異音を轟かせつつへなちょこ感満載で此処までやって来たのだ。無人の保健室へとまんまと侵入した二人は、やっとの思いで一心地着いた所だ。二人きりの室内で、豪太朗の視線がベッドへと向いていたのはまったくの偶然にすぎない。年頃の男子の本能を見くびってはいけない。
「あれ?あれってオジ様の杖じゃない?」
掃き出し口のアイボリーのカーテンを少しだけ開けて外の様子を伺っていた瑠璃子の目は、中庭に鎮座する庭石の傍らに転がる無骨な杖を捉えて居た。すっかりベッドに魅入ってしまっていた豪太朗が振り向くよりも早く窓を開けた瑠璃子は外界への一歩を踏み出してしまったのだ。無意識に吸い込んだ外気は思いの外甘く、瑠璃子の胸は直ぐに甘い香気で満たされていく。
「・・・ねえ。豪太朗。アレ見てよ。」
「何であんなトコにあんだ?」
(二十四)
朝日が漏れ射す中庭で厳治朗は待っていた。左肩の出血も今は止まり、乾涸びた血液が赤黒く彼の肌を強張らせて居る。大沢紗香は未だ眠ったままで小さな結界の中は静けさが支配していた。其れでも眉間に深く刻まれた皺の緊張を解く事が出来ずに居たのは未だ状況は何一つ変わってはいないからなのだ。間違いなく奴は居る。燃え立つ様な禍々しい邪気は確かに其処に存在して居るのだ。不用意に動く訳にはいかない。執拗に身を潜め仕留めるチャンスを狙っている縊鬼は決して諦めてなどいないのだ。そして更に致命的なのは厳治朗の唯一の武器である札を格納した杖は、肩を負傷した折に手元を離れ転がしてしまったのだ。万事休す。切っ掛けだ。ほんの些細な切っ掛けでもあれば・・・今はただ閑かに待つ他は無い。奴は本懐を遂げるまでこの場から離れる事はないだろう。そんな焦りに浸食されつつある心を精神統一により押さえ込む厳治朗だった。「カラリ」そう微かな音を立てて窓が開いたのはそんな時だった。
「ねえ。豪太朗。アレ見てよ。」
「何であんなトコにあんだ?」
「しまった!」
厳治朗には選択の余地など残されてはいなかった。ヤツが動いた。一瞬大きく膨らんだ邪気を確かに感じたのだ。罠だ。俺に結界を解かせる為の。それでもこう叫ぶのだ。
「白雪!漆黒!二人を守れ!!!」
主の命を聞き届けた二体の式神は、無防備に身体を晒す二人の元へと馳せ行きて結界を展開するのだ。厳治朗の性質を受けた其れは、淡いオレンジの輝きを放つ。球状に形創られた結界は二人を包み、全方位如何なる攻撃をも防ぐ堅牢な要塞と化す。
「きゃっ!」
「何だよコレ!オイ!え?オッサン!?」
混乱の最中、半透明の結界越しの二人の視界を掠めたモノは、どこか見覚えの有る少女の姿と、巨大な庭石の袂で身を屈め大沢紗香を擁する厳治朗の姿だった。
「ねえ!今のって大島さん!?そんな!」
「ババババババババカヤロウ!大島だと?そそそんな訳ねえだろ!」
「でも!」
これであの二人は大丈夫だ。ヤツの標的は俺達なのだから。結界の展開を見届けた厳治朗は当然至極に執念深く狙い続けた縊鬼の攻撃に其の身を晒すのだ。勿論、この娘も殺させやしない。強く強く少女を抱き締め己の身体を盾と成し、非情な攻撃を背中で受け止める。殺意を持って放たれた禍々しい鬼の爪は深々と突き刺さり、重く小さな声を地面へと吐き漏らさせる。込み上げる生暖かい液体は止めどなく口の端を濡らし、呼吸すら妨げる。
「オッサン!」
「きゃああああ!オジ様!」
突如目の前で展開された惨劇に二人はただ声を上げ目を見開く事しか出来なかった。
「なんだよなんだよ!一体全体なんなんだよ!」
「いやっ・・・血が・・・!」
「オッサン!オッサンが!誰か!」
「・・・どうしよう、どうしよう・・・ええと・・・その・・・そうだわ!」
パシン!
「痛ってえ!なんで殴るんだよ!」
「よし!正気に戻ったわね!あたしも一発殴ってちょっとだけ落ち着いたわ!」
「うっ・・・不条理だがそんな場合じゃねえな!」
「この壁・・・出られないわ。閉じ込められた?」
「どうなってんだよ!何で大島がオッサンを!」
「そんなの分かんないわよ!でも何とかしなくちゃ!オジ様を助けるのよ!」
捕まえる。厳治朗は渾身の力を背中の筋肉という筋肉に込めた。突き刺さった爪はボコボコと盛り上がる強靭な筋肉に締め上げられ、抜く事も貫く事も叶わず、行動の自由を半ば奪われた縊鬼はそれでも口の端を上げ不自然な笑顔を浮かべるのだ。
「・・・いにしえの天照の血、主様を解き放つ獣の血肉にしてくれる!」
「!」
そう呟き、厳治朗の首に喰らい付くのだ。牙で傷付けた太い血管から吹き出す血液を、ゴクリゴクリと喉を鳴らして飲み干す縊鬼。その下腹部の不自然な膨らみが赤子を宿す子宮の如く胎動した様な気がした。
「ぐわああああああああ!」
大量の出血に、薄れ始めた彼の意識がゆらりと立ち上がる影を捉えた。大沢紗香だった。足下に転がる石を優しく愛おしむかの様に拾い上げた彼女は、己を守ろうと命を掛ける男の頭へと容赦なく叩き降ろすのだ。
「ぐはっ!」
「ふふふ・・・死になさいよ。どうせあんたもクズなんでしょ?みんな表面ばっか良い子ぶっちゃって気持ち悪いったらありゃしない。そうよ。誰も本当のあたしなんて見てくれないのよ。」
“くっ!既に媚薫香に犯されて・・・何故だ?何故こうも先手を取られる!全て計算ずくだとでも言うのか!?”
厳治朗には知る由も無かった。縊鬼の宿主である少女の知能の高さを存分に活用している事を。既に少女の意識は喰われ、縊鬼と同化して居た。内に秘め変質し腐敗した怒り憎しみ妬み嫉み、そんな少女の心を縊鬼は睨め上げ取り込み、膨張させた負の感情を餌に成長し全てを、身体も心も精神も己が物にしてしまったのだ。そして其れは鬼の属性に従い、殺戮、病魔、天災、様々な災厄を人間へと振り撒く。太古より繰り替えされる鬼の営み、其れは明確な意思に因るものなのか其れとも本能の成せる技なのか、長年戦い続けた厳治朗にも分からぬ事なのだった。
「だからあたしが殺してあげるわ。」
今、厳治朗の目の前にはふらふらと夢を見る様な心地で再び石を振り上げる少女が居る。
遣るしかない。最後の手段だ。厳治朗の太腿には決してこの世に解き放ってはならない鬼が封じられている。其の封印、鬼を封じる札の中でも最高位の札で掛けられた封印だ。その札を遣うのだ。奴を倒し、封印が完全に解ける前に新しい札で再封印する。危険な掛だ。もし失敗すれば、人の世は終わりを告げるだろう。それでもここで俺が死ねば同じ結末が待っているのだから。
「オッサンが死んじまう!」
「ええと・・・その・・・・・・!」
現状を打開する手がかりを求め、キョロキョロと辺りを見回す瑠璃子の目に飛び込んだのは、目の前で、半透明の壁をひたすらに殴り続ける豪太朗、その腰で詮無く揺れている黒革の笛袋だった。
「それよ!吹くのよ!この壁に向かって思いっ切り!」
「!」
素早く耳を塞ぎ、ただデカいだけの背中に隠れる。瑠璃子の声を理解した豪太朗の手には既に愛笛「占月」が握られ、火事場の馬鹿力宜しく立ち上がりから全力の息吹を吹き込むのだ。
「壊して!」
無音。
しかし淡いオレンジ色の障壁は水面に走る波紋の如き広がりを浮かべ、その透明度を微かに濁らせたかと思うと、刹那、紅蓮の炎を吹き上げ球状に燃え広がるのだ。占月の放つ衝撃派と二体の式神の根源である札が干渉したのであろう事は想像に堅くない。燃え尽きた札はたちまちその効力を失い、結界を消滅させるのだ。そして己を押し止める遮断物を破壊せしめた笛の音は、厳治朗を今まさに殺害しようと凶行に及ぶ二人の少女へと津波の如く襲いかかるのだ。
「ギャッ!」
「イヤアアア!」
背後より衝撃波の直撃をまともに受けた縊鬼は詰まった短い悲鳴を残し、暴力的な衝撃に吹き飛ばされ視界からその姿を失わせた。そして計らずも厳治朗の陰と成り、辛くも直撃を免れた大沢紗香ではあったものの、占月から発せられる「音色」は彼女をその場に崩れ落とした。
「オッサン!」
豪太郎の目には血まみれで横たわる叔父しか見えてはいなかった。消失した壁を認知したかと思うといなや既に走り出していたのだ。対面した校舎の窓々は高音の悲鳴を上げて粉々に砕け散り、学校中に硬質な金属音を響かせる。そこで初めて異変を察知したであろう職員達は、思い思いの言葉を発し、緊張を貼付けた顔を此の場へと現すのだ。
「何だ?」
「どうした!」
「何なんだよ!」
「誰かいるのか?」
血まみれの巨躯を抱き締め泣き叫ぶ男子生徒に、事態の緊急性を悟った教師達は然るべき手段を講じるのだった。座り込みその経緯をぼんやりと見つめていた瑠璃子は、前触れも無くふらりと立ち上がり独り歩き出す。その瞳は夢を見る少女の様に輝きどこか幸せそうに感じられた。混乱し人々が右往左往する最中、ゆっくりと遠離って行く彼女に気が付く者は誰も居なかった。そう誰一人気づく者など居なかったのだ。




