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青い用心棒☆彡  作者: 諸星進次郎
4/6

3話 シリアスウケる~~


 静まり返っている部屋に水音だけが延々している。

 まっすぐアジトに戻ったトシロウは、手を洗っていた。

 一分、十分、三十分、一時間……。水が排水口に吸いこまれていき、こすり合あわせている手が止まることはない。

 洗っている。

 ただひたすら、他のことに目もくれずに、手を洗い続けていた。

 ニコニコお面をつけていないトシロウの薄く見開かれていたまぶたが、安堵したように元の位置に戻っていく。

 それがトシロウにとって心を落ちつかせる瞑想のような役割を担っていた。

「誰も気づいちゃいない。オレは見つかってない。オレは大丈夫だ、オレは追われない」

 頭がいくらか冷静になってくると思考がはじまる。

 一0年前から続く大量拉致の首謀者、そして渡辺繋を拉致したのも、大企業のKINJO。

 取り立てにきてるのはおそらくこの下請け金融会社。下請けをつぶしたところで何にもならない。

 例の「儀式」を完了させるための資金として、他のやつらからも金をまきあげてるのだろう。まっとうな方法で稼いだキレイな金を使うわけにはいかないから。

 そんな吐き気をもよおす方法をまかり通らせる巨大なチカラ。

 いくらトシロウだとしても、無事ではすまないのは目に見えていた。

「そうだ……どうしようもない……調子にのるな……!」


   仲間の首が空中に舞っている。


 一瞬過ぎった過去の映像に強く頭をシンクに叩きつけた。


   無数の光と人員が闇を蹂躙する。

   組織を感じさせる物量。

   仲間をやったあいつの鋭い両眼が物語っている。


   次はお前だ。


 ギュッと強く目をつむる。

 全力で逃げた後のように大量の汗が額をつたう。やっと落ちついていたのに呼吸が苦しくなり、もう一度蛇口をひねった。

「ヒッ……!」

 振り返る。物音だ。部屋の中を見渡す。一息で見渡せる何もない寂れたワンルーム。ベランダをみても、なにもない。

 家鳴り、隣人が動く音、風の音、そういった類のなんてことはない音だったのだろう。気配も感じない。

 でも本当にそうだったのか? 

「ダメだ……クソッ」

 トシロウは無意識に模造刀を腰にさしてニコニコお面をかぶり外へ逃げだした。




 小雨がフロントガラスをぬらしている。

 市街地のスーパーの駐車場は店の大きさにたいしてやけにだだっ広く、それほど埋まってもいない。

 せわしなくあたりに目をくばる。

 いるはずがない。死んだことになっているはずだし、自分の素性がバレていない自信もあった。頭ではわかっているのに身体はそうはいかない。

 見たこともない敵がいつ襲ってくるのか気がきではなかった。


  「なんで見捨てたの」


 頭を激しく振り乱し、こぼれようが関係なしにいちごジュースを一気に呷った。

「酒だ」


   トシロウ、私もっと生きたかった。


   誰も殺さないって約束したのに


 コンビニからでて、熱い日に喉の渇きをうるおすように一気に流し込む。


   痛い……痛いよお……トシロウォ……


 たちまち足元が怪しくなり、右に左にゆれ、ゴミ箱にぶつかる、それでもなんとか人にだけは直前でぶつからない、よけて勢いあまってコケる、立ち上がり、あおり、どこともなくフラフラしていく。


   嘘つき!


 そうだ、オレはひとごろしだ。


 見殺しにした、何もかわってない、人殺しだ。


 ビルの間の人通りのない狭い路地で、ビンの束を足でひっかけて倒し、トシロウも倒れた。

「おい、てめぇ……、用心棒じゃねえか」

 みすぼらしい服装の二人の男が、怯えるOLをビル壁においつめて脅していた。

「覚えてっか、おらたちをよぉ」

 OLなど目もくれずに這いつくばっているトシロウを囲った。

 薄く目を開けるトシロウ。顔の長い男と顔の小さい男だ。

「ああ、そうか……まったく覚えてねえ」

「てめえのおかげで、おらたちゃ組追われて、ろとーにまよってんだよ、どうしてくれんだコノヤロッ!」

 蹴られてうずくまる。

「そうだそうだ、干しいもも売れねえ。何が干しいも豪邸だ、在庫があまりすぎてもうこれ以上食えないんだよ!!」

「金がなけりゃ穴にも入れられねえ、ちくしょう、全部てめえんせいだぁ!」

 全く抵抗しないトシロウを一方的に殴る蹴る。

 OLがそのスキに逃げていく。トシロウはそれを確認すると模造刀に手をおこうとした。

 ただ腰にそえるだけの距離が何十倍にも感じ、あっけなく抜き取られた。

「なんだこら、折れてっぞ」

「ハハッ! コンな鉄くずよりカッチカチに固まった干しいものが頭かちわれっぺ!!」

「これでぶっ刺してやる。ったく、なんなんだその面は、いけすかねえ!」

 手をかけた瞬間にトシロウが手をつねった。 はじめての抵抗にさらに攻撃がエスカレートした。



 うずくまるトシロウ。それをハアハアと疲れた様子で見下ろす二人。どちらもボロボロになっていた。

「こんだけヤッて、まだ、生ぎてっし、面もはずさねえ。どうなってんだコイツの打たれ強さは。もういい、イグべ、ショウガねえよ」

「いいや。ここで、ヤル。そうしねえと収まらねえ」

 折れた模造刀の辺になった切っ先をトシロウの腹にあてた。

「おめえがしんだらおらたち感謝されて表彰されっぺ」

「ああ、この野郎、同族の殺し屋にも嫌われてんだってんだからな。それにてめのせいで、おらの頭凹んじまって戻んねえんだーーーーッ!!」

 思い切り身体を引いて助走をつけ、一気に柄を押し込む――。

「手を上げな」

 柄をにぎっている顔の小さい男が凍りついた。

 後頭部に刀の切っ先が押しつけられている。離れていた顔の長い男が後退りし、瞬きした瞬間、まさに忽然とその女剣士は現れた。

 眼帯をした猛禽のような鋭い瞳、着崩して胸元が大きく空いている着流しでサラシを巻き、腰までとどく長いポニーテールはピンク。全体的に配色が強く、まるでゲームから出てきたような、キャラの強い女剣士だった。

「オレは気が短いんだ、餓鬼みたいにその頭削られたくなかったら、そいつおいてどっかいけ」

 眼光が顔の長い男に手をあげさせた。

「は、早くそれ置くべ、ヤラれる」

「邪魔すんなべ!!」

 折れた模造刀で女剣士に殴りかかった。

「血気盛んだねえ」

 大ぶりの攻撃をひょいひょいよける。血眼になって全力だ。

「ここで復讐せねばーーー!!」

 柄を脇腹に固定し、先をむけて突進。女剣士は避けずに受けとめた。

 十分な助走にもかかわらず辺になっている先端は腹をつきやぶることなく、弾かれた。

「たんじゅんだねえ」

 驚く顔の小さい男のアゴに、重力を無視した飛び上がりながの天まで届きそうな刀のアッパーがかち上げた。

 脳天から地面に落ちた顔の小さい男が白目を向いて倒れふし、顔の長い男が悲鳴をあげてかけよった。

「こ、こんにゃろう」

 ビンをとった男、刀がその顔スレスレをよこぎって塀につき刺ささり、ツー、頬がきれて血がにじみでた。

「地獄には行きなれてるんでね。案内してやろうか?」

 一悲鳴をあげて、ノビている仲間をかつぎあげて尻尾を巻いて逃げていった。

「さあて、このボコボコのオジサンはどうしようかね」

「…………恩をきせようってかバケモンが」

 塀から刀をぬいて戻ってくる女剣士の顔は、みなれたギャルの脳天気な笑顔に変わっている。

「すげー、よくわかったねー」

「余計なマネしやがって」

 ムクリと何事もなく起き上がるトシロウ。口のはしからタレた血をぬぐって、よろよろアオイノを通り過ぎていった。

「ちょっとまってよ! どこいくわけ」

 眼帯に着流しのアオイノが小さい背中を呼び止める。

「どこでもいい。どこかだ」

 トシロウは前に進んでいるつもりだったが、いつかのように足は地面についておらず、高身長に後ろからギュッと抱きしめられていた。

「……嫌われたくない」

「あ……?」

 さらしを巻いている爆乳にトシロウの後頭部うまっていて、狭い路地が両側からせまる乳の壁でさらに狭くなっている。

「トッシー、あんな思いしながらずっと、やってたんだ。うまく助けられたと思ったのに、ツナグに、みんなに嫌われちゃってさあ……あーし、ちょっと参っちゃったなー」

「知るか、泣き言なんぞききたかねえ。このッ」

 身をよじるごとに抱きしめが強くなっていく。アオイノの筋肉で少し固いぬくもりと胸のやわらかみに、もがくほど埋まっていく。

「トッシースゴイなあ……、よくがんばってんなあ、こんなに、ツライのに、ずっと……一人でさ……」

 小雨なのにやけに大粒の水滴がトシロウの頭で弾けた。

 谷間から少し首を上にやれば何が原因かわかるだろう。かわりにトシロウは口を開いた。

「オレは襲撃を知っていた」

 鬼が硬直するのが肌をかいして伝わってくる。

「わざと、お前に教えなかった。館の中に侵入するために、見逃した」

 しゃくりあげる。

「オレのせいでお前が仲良くなった子供が、昨日まで飯食ってバカ見てエに笑って遊んでたガキが、大勢死んだ。誘拐されて、親から引きはがされて頭んなかめちゃくちゃになって、ツナグに金生に引き上げられて、第二の人生を歩もうって時に、死んだ。……お前の仲間を殺したのは、オレだよ」

 華奢な腕に百万馬力がこもり、トシロウの身体をしめあげる。

 ただでさえ酒で不確かな意識がスピードをあげて遠のいていく。

 やっと終わる。

 鬼が地獄へ連れていく。


  嘘つき。




 水滴がおでこにあたった。

 カッと目を見開く。

 長年放置されているのだろう、少し歩いただけで足が抜けそうな木造の床、天井は雨漏り放題、手入れされずに鎮座している仏壇と仏像、どこかの放置されたお堂の中にいるようだった。

 そばにあったニコニコお面をかぶり、鞘に収まっている模造刀を引き抜く。折れたままだ。それでもベルトにさした。

 ざあざあ雨が入ってきている吹き抜けから月明かりしかない寂れた神社の境内にでる。前にアオイノとテンチョーのために拝みにきた場所だ。

「地獄じゃねえのか」

 心の底から息をはきだしドカッと座りこむ。

 どうしてここにいるんだ。全身をしめつけられて逝ったはず。ゴロツキにヤラれたの以外どこも怪我していない。身体の骨が折れていてもおかしくなかったのに、それもない。


 リ……ボリ……ボリ……ボ……。


 雨音の隙間に石で何かをすりつぶしているような――人骨を噛み砕いているような――固い音がはいりこんできた。裏だ。床を歩くときしむので噛み砕く音にあわせて少しずつ前進する。

 ゴクリと喉をならした。

 追ってきたか。刀はある……折れてはいるが。

 こんな雨の夜に寂れた神社にいるのなんて、ヤンチャなヤロウかバカなカップル、もしくは妖怪しかいない。

 手は震え、動機する。

「フンッ、ざまあねえな。アイツを呷って殺させようとしたのに、いっちょ前に恐がってやがる」

 胸を叩いて奮い立たせると、意を決して角からとびでる。

 そこには――――縁側に腰かけ大きな背中を丸めているギャルがいた。

 ボリボリ豆をたべている。大きな口に一粒ずつ。

 緊張していた全身の筋肉がゆるまって、口元に笑みがうかんだ。

「何だ、マヌケか……」

 安堵の息をはきだし、柄から手をはなした。

 そして笑った。

 鬼よりも大声で、山中に響き渡るほどに腹の底から笑った。

 聞き馴染みのないトシロウの笑い声にトビアガッてビビったアオイノ。バッとみればトシロウが爆笑している。笑いすぎてお面がずれて鼻までみえていた。

「トッシーがおかしくなった……」




「まさか緊張の糸がお前でキレるとはな。もう笑うしかねえのさ」

 笑うトシロウ。お堂の中にアオイノと戻り、火をたいた小さい香炉を囲んでいた。

「トッシー笑いのツボなんなん? 別になんもしてないのに、なんかしんがいなんですけど~~」

 小さくまとまってポリポリ豆を食べるアオイノ。お菓子と飲み物をざんばらに広げていた。

「コンビニいったらなんかOLが叫んでて、ちょっと見てみたら、まーじビビったし……」

「酒飲んでいい気分になってたんだよ、邪魔しやがって」

「ジャマって、あーしが助けたんじゃんか! 恩を売ったんじゃーん!」

「あんなのほっとけば満足して勝手に帰ってたんだ。助けてくれなんて頼んでねえ」

「にゃーー、どーーせそういうと思ってたし。いいですよー」

 ボリボリボリボリ。

「どうしてオレを殺さなかった。オレのせいでお前の仲良かったヤツラは」

「てかさー、それちがーっしょ。やったのなんか来てたアイツラじゃん。たしかに知ってたら何とかなってたのかもだけどサ……」

 ビンを呷って、プハーとやった。

「しゃーないっしょ! 人間っていつか死んじゃうんだしさ~~。同じっしょ」

 いつものあっけらかんとした笑顔に影がさしているのをトシロウは見逃さなかった。

「情がうつってもしょせん人間は虫けらか」

「どーせスゴイ迷ってやったんでしょ」

「…………いつまでオレについてくる気だ。オレにはたまたま会っただけだろう、先生に言われたヤツんとこ行かなくていいのか」

「そーやってすーぐ話そらすよねーー。別にEーケド」

 食べ終わった豆の袋をビニールにつめ、広げていた豆の袋をとった。

「せんせーにはマジで鬼がチビッちゃうくらいの殺し屋がいるから、そいつ見つけてホームステーしてもらえって言われてー。こっちくるとき名前書いといた写真忘れちゃってさ~~。もー全然覚えてないわけーーうけるーー。でも、あーしはトッシーでよかったよ。チビッちゃう殺し屋よりよくかんがえてるし、なんかねー……信じてるじゃん」

「信じてる? オレがなにを信じてる」

「わかんないんだよなあ、それが」

「はあ……?」

「そー感じるだけ。ニンゲンってやっぱ痛めつけるやついるし、エンコーするし、ゴミクズだなあって思うけど、ゴイスーじゃん。ジジイも、ナベちゃんも、ツナグも……あーし、名前ないんだあ、下級の鬼だからさあ」

 トシロウは黙ってきいていた。

「ほかのカキューのみんなよりバカでベンキョーもできなくてぇ。動くのだけはマジで閻得意なんだけど、それだけじゃ、パパみたいに強くて優しい獄卒になれないって、わかっちゃってさー、でもデキないままにしとくのって、ムカつくっしょ? だからベンキョースゲーがんばりたい! って先生に言いに行ったらさぁ、ダメだったわけよ」

「手がつけられないくらい勉強できなかったわけか」

「アイツに勉強を教えつづけると、日に日に弱って、最後には岩になってしまうって、噂が先生のあいだにつたわってた」

「大人にそこまでいわせるとは、スゴ……スゴイな、お前」」

「一目置かないでもらえます? ま、そんとき会ったのがセンセーなんですケド、それで何とかベンキョーしたわけえ。人間って頭いいからー、教え方マージうまくてさーー、もうトコロテンみたいにツルツル勉強わかってくわけ~~。それでテストがあったんだけど~~」

 ドヤ顔で両手をパーにした。

「ぜ~んぶ、10点! フゥ~~~~!!!」

「天才か」

「どんなにがんばってもこの程度何だってうわーーってなって……もーイーヤーってさあ。グレようかなあ、って時に、まず手始めにニンゲンの雑誌みたら……」

 疲れが滲んでいたアオイノの瞳に星がはいったように輝きだし、暗いお堂が少しだけ明るくなった。

「ま~~~~~~じギャル特集だったんよ!! すっげーかわいくってえ、髪とか染めて、色々つけててオシャンティーだし! オシャレを全力でヤッてる! あーしはこういうヤツだって、オシャレでいってんの!! マジスゴくない?!?!」

 両手の人差し指をたてて、スゴイ勢いで上にむかってアゲアゲ~~とつきまくると、風圧でトシロウは髪をかわかした。

「そっからスッゲ~~~~~ヘンゲのシュギョーしたら、いちばんになっちった。スゲーっしょ」

 好きこそものの上手なれ、か。こいつは興味あるものはトコトンやるタイプらしい。

「ギャルさんになれるようにはなったケド、ヘンゲをとけばどこにでもいる下級の鬼。外側をまねても、みんなと同じ、角をきりそろえて、人間はゴミ畜生、大きくて、青くて、どこにでもいる鬼……」

 ビンをあおって二0本目をカラの束においた。

「ホントは獄卒の実地訓練つかって人間んとこきて、ギャルさんを学ぶためにはどーすればいいんかなーって思ったんだ。獄卒にもなりたいけど……だから、うーーん、なんていうか、トッシーもギャルさんじゃん!!」

「……仏さんに頭やられたか」

 二人をみまもっている仏像の頬を雨粒がつたった。

「勘違いしないでよ、トッシーはダサいからギャルさんのネイルの先にもおよんでないんですけど~~」

 なぜかちょっとだけムカッとした自分にトシロウはコッソリ愕然としていた。

「なんかは知らんけど……、あーしは「信じてる」って、いってる。いい悪いも知りたいけど……トッシーに、そういうの感じたんだあ。何なのかわかんない?」

「オレがお前の頭の中わかるわけねえだろ」

「そっかー。まあ、そゆこと。てかトッシーはなんで用心棒なったの?」

「……」

 トシロウは所在なさげにアゴを触った。

「あーししゃべったんだし、教えてよーー」

「たいしたことじゃねえ。オレにはこれしかないんだ」

「ほんとにぃ? 鬼にはウソついてもすぐばれんだかんね」

「ウソばっかりつかれてるくせによくいえたな……他に理由があるとすれば逃げるためだ」

 アオイノは新しいビンのコルクを片手指であけて首をかしげた。

「調子に乗って金持ちに嘘つかれて、相棒見殺しにしておめおめと逃げ延びたんだ」

 しゃべるごとになにかが確かに軽くなっていく。

 ゆらめく炎と柔らかい雨音に心が穏やかに溶かされたのか、いつにもなく真剣に話をきいているアオイノの双眼に答えるべく、トシロウは話を続けた。

「そんとき襲ってきたヤツらの素性はわからずじまいだったが、あの人数と制圧力、デカイ組織がかかわっていたはずだ。あれ以来敵が強大なほど、ビビっちまう。あの日逃げ出したオレをおって、いつ殺しに来るのか、ってな」

 体育座りで真剣にきいているアオイノがおもしろくて鼻で笑う。

「だからたいしたことねえ街のゴロツキや痴情のもつれ、そういう弱者を商売にしてる輩に搾取されている、その弱者だけを相手にして仕事を続けた。そしたらどうだ、正義の味方? 心優しき用心棒? ほんとによえーやつらは物事を深く考えねえから楽でいい、オレも搾取するがわだってのによ、泣いて喜んで、土下座して、ありがとうだとよ。そんなオヒトヨシだからカモにされるってのに、性善説でも信じてるのかね。まあ、アイツラのずる賢さだけは見習うところもあるが」

 背伸びしてあくびするトシロウ。ため息をまぜて隠して。

「そんなしょうもない男だ、オレは」

 閉じていたまぶたを上げると、正面からタックルされた。

 背中から倒れて、まだ乾ききっていない生乾きの服の匂いと甘い香り、そして体温が強く顔を抱きしめてくる。

「なんでお前はことあるごとにオレの顔を谷間にうずめたがる」

「トッシーつらかったんだねぇへっへえええん」

 泣きだすアオイノ。こうなったら逃げられなくなるのはわかっていたし、抵抗する気力もないので、ただただやわらかみに身をゆだねた。

「どうやったらそう解釈できる」

「へっへっへっへーーええーーん、トッシーは、いいやつだよっほおーーん、トッシーいっひーーん」

「おい、酒くせえぞ」

 からのビンが倒れた。

「あーしはトッシーのみかただからねっひーーーいいん、だれっひっひっひんがアレしてもっほーーーんあーしはっはっはっはっは、みかひゃんひーーーーーん」

「鬼なのかこいつ本当に」

 ありないパワーと明るさを行使してトシロウの周りを飛び回るギャル。

 人間をクソゴミミジンコゴミクズ以下に思いっていながら、仲良くなりたがり、負傷に泣き怒り、文化を楽しむ。

 鬼以外は、ただの人間と変わらない。

 本人はその事に気がついているのだろうか。

 人間への理解が深まってきているのならば。

「……こいつが欲しいものを得るのは時間の問題かもな」

 トシロウはスルッと腕をすり抜けた。

 ヤンチャな普段からは予想できないほどに静かで可憐な寝顔で細い寝息をたてている。

 小さな唇。艶かしく水を弾く赤みがさした褐色の肌。ぬれておでこに貼り付いてる金髪。乱れた青い毛先。生乾きで肌にはりついている制服、そこから薄く見えるパープルの下着とふくよかで腕で優しく変型している胸。

 美少女が泥酔して横たわっている。トシロウはすいよせられるように、無防備な女子高生(擬態)に顔をちかづけ、その柔らかい頬に手をふれて、強く両頬をひっぱった。

「うみゃ~~」

 上下左右に動かしまくる。眉をしかめてるが、起きる気配はない。

「うにゃーーん」

 踵落としが脳天に直撃した。

「お、おお……ッ! こ、こいつ寝てても反撃してきやがる……だが、これは」

 起きる気配が毛ほどもない。

 たとえ、その首をはねようとしてもだろう。

「鬼の弱点は大好きな酒ってか。昔話からなんも進化してねえじゃねえか」

 模造刀を引き抜く。折れている刀身が火で精一杯光ってみせた。

 枕元にたって振り上げる。

 寝返りをうつギャル鬼。寝顔がトシロウにむく。

「ムニャ……トッシー……」

「すまんな。てめえが思うほどオレは、強い人間じゃないぜ」

 迷いはない。一息に、振り下ろした。




 お堂の中でアオイノのスマホが振動している。

「うーーんトシロウ……、いちごじゃ切れないっしょーー……うっ、あたまいたっ、のみずぎだ」

 けだるげに上半身を起こすアオイノ。まだ酒がぬけていないのか肌は赤みがさしたままで頭痛もしていた。スマホを何とか開く。

「あーーーーい、アオちゃん起きぴっぴーー」

『アオちゃん、トシロウ見なかったか!』

「ん~~、見たよ。あれ、この汚いの」

 と、トシロウの上着が腰のあたりで丸くなってるのに気がついた。どうやら寝ていたアオイノにかけたみたいだ。それとムカデが一匹、真っ二つになって落ちていた。

『そうか、アオちゃんは今どこにいる』

「ジンジャー。てかゴメンジジイ、電話とんなくて」

『絶対にそこにおるんじゃ、動いちゃいかんぞ。ワシも身を隠す。この電話もいつ盗聴されてもおかしくないから、できるだけ連絡はメッセで取るんじゃ。あれなら少しはマシじゃろ』

「え、なに、なんかあったの??」

 必死な声にアオイノは少し顔をひきしめた。

『……いや、アオちゃんにはいおう、ヒロミちゃんの家が――』




 アオイノが飛び出してから隣町についたのはものの数分。体中にまとわりつくうざったい雨の中、知らない渡辺家の場所を見つけるのは簡単だった。

 屋根をつたって住宅街の一角にある家の前におりたつ。

 燃えていた。

「ここ、二人んち??!! 無事??!!」

 呆然としているヒロミを家から遠ざけているツナグがいた。

「うん、僕らはアジトから飛び出してきただけだから何ともないよ……」

「はーよかった、あ――よくないか、家もえてんだし」

「たぶん、脅しだよ。僕らが借金を無視して隠れているから……」

「あーしがなんとかしてみるし!!」

 どこか近くの池か蛇口を探す、水を腹一杯に貯め込んで噴射すれば。

 走り出すアオイノ、だがすぐに足をとめることになった。

「えっ、この気配マ??」

 ハッと夜空に意識をうつす、雲をつきやぶってアオイノ目がけて飛翔物が凄まじい速さで突進してくる。

「ちょいーーーー!!」

 人差し指と親指でつくった指ハートで受け止め、鉄を切っているような火花が散っている。

「こ、この剣、メントウキュウゼンキ……レンコンキュウリュウ……カントウフウ……! カントウフウレンコンキュウリ!!」

 バキイン! 刀ごと持ち主が鬼のチカラで弾かれ、車に顔面から落下。

 すると暗闇から武装した人間が一0人、爪を気にしてるアオイノを取り囲んだ。

 叛十生零流の持ち主が車の上でぬらりと立ち上がる。スーツを着た男は顔面に血管がうきでている。額の傷がふさがっていく。両目は白目をむいていて、開いたままの口は虚無をはきだしていた。

 到底意識があるとは、生きているとは思えない。

「あれ死んだ人間動かしてたやつ! ってことは、ちょいやばげかもなぁ……」

 アオイノだけなら造作もないだろうが、それは一人での戦闘の話だ。いくら常人ならざる鬼のチカラでも、二人を守りながら戦うのは無理だ。

 発砲、すばやく二人に近づきまとめて抱きしめて、砲丸投げの要領で放り投げた。

「アオイノーーーーーー!!」

 一瞬で雨雲に消えていった渡辺姉弟を見送り、

「生きてよね」

 視界がゆがみ鼓動が早くなる。肩に刺さっているのは注射器のような弾丸。麻酔弾だ。

「こ、これ……お酒……かな?」

 麻酔弾の群れがアオイノの体中に突き刺さり、一瞬にしてその意識がとんだ。

「トッ……シー……ヨロ…………」




 広い公園の屋根つきのベンチでトシロウは一人、模造刀を鞘からとりだしていた。

「……こんなので逃げ切れるか」

 いつまで逃げる。

 模造刀の言葉がきこえたような気がして鼻で笑った。

「お前も長いもんな、ネットで買った模造刀でも付喪神になってもおかしくねえか」

 なにから逃げる。

「どうしたらいいかわからねえな。ただ、恐い。それだけなんだよ」

 また仲間をころすのか。

「仕事をほっぽりだすのはオレのプライドに反する。だが無理なもんは無理だ」

 震えている手を握り込む。刺された右肩も痛む。

「オレはあの日から逃げ続けてるだけの、マヌケだ……なんだあれは」

 夜の雨空になにかが動いている。

 光源が動いているわけでもないが、一直線にこの公園に向かってるのだけはわかる。目を凝らすほどに大きくなっていき人の形になっていった。

 見つかったか……心臓が騒ぎ出す。トシロウは身を隠そうとたちあがった。

 雨音の隙間から微かに声がする。それは確かに聞き覚えのある、ツナグの声だった。

「あいつ、いつから飛べるようになったんだ」

 頭上を通過して公園の奥に。水が弾ける音、ため池に着水したようだった。


 トシロウはぜえぜえしながら池につく。ちょうど気絶しているツナグと抱きしめられてるヒロミが水に沈んだ瞬間だった。

「クソッ!! オレに運動をさせるなああああ!!!!」

 ボートに飛びのり必死にオールで漕ぐ。息が止まりそうなくらい荒い息で沈んだ頭上までくると、お面と上着を放り投げて水面に飛び込んだ。




 管理小屋のストーブをつけると暖かさが満ちていった。

「ゴホッ、ゴホッゴホッ!!」

「何があった、教えろ」

 横たわりまだ意識のないツナグに毛布をかけ、ヒロミにも渡す。

「……私達の家が、燃やされて……そしたら、銃をもった人たちと、刀の人がきて……」

 台所でトシロウはドキリとしてカップを落としそうになるのをこらえた。

「つけられてないだろうな」

「たぶん。アオイノちゃんが私達を投げてくれたから大丈夫だと思います」

 トシロウは何もいわずにポットとカップをもってヒロミの前にあぐらをかいた。

 アイツ助けにいったのか。用心棒になりたいとかのたまってたアイツならやりそうだな。

「でも、捕まっちゃったと思います」

「捕まるわけないだろう、アイツは鬼だ。あのズルいチカラに人間が太刀打ちできるわけねえ」

「それが、注射器みたいなのを打ち込まれて、そしたらフラフラって倒れちゃって……飛んでくときにみただけなので、最後まではみていませんが」

「……注射器? 麻酔弾か。そんなんあいつにきくのか」

 矢で刺され銃に撃たれ硫酸に落ちても生きてたアイツにそんなものきくのか?

 白湯を飲むと、そういえばと、

「アオイノちゃんがかばってくれたときに、なんとなく、アルコールの匂いがしたんです。あれが麻酔弾の匂いなんですか?」

 落とし物箱にあった女児アニメ番組のお面をかぶったトシロウは目をむいた。

 アルコール、酒か? 

 そんな弾を普通打つわけない。

「なるほどな。火をつけたのはあいつをおびき出すための罠だったわけか」

「……アオイノちゃん……ごめん」

 自分の家が燃やされたに相手を思いやるヒロミに、トシロウは小さくうなずいた。

「敵はアイツの存在をしっている。そして、弱点もだ。アイツは酒が大好物だが同時にへべれけになる弱点でもある。それを知っているということは……」

「相手に………………鬼が?」

「鬼にとにかく詳しいやつがいるだけの可能性もあるが、最悪の事態を考えておいたほうがいいだろう。そいつが人間と組んでる可能性もある。武装した人間を従えてきたということはそういうことだ。鬼の情報を提供して共闘している」

 金生――。

 鬼と組んで、一体何をしようとしているんだ。

「……ブフッ」

 唐突にヒロミが吹き出して口をおさえた。

「す、すみません。どうにもこらえきれなくて」

「家が燃えてるってのになかなか豪胆だな」

「だって、トシロウさん、その、かわいいお面で、プッ、マジメなこというから、フフフッ」

 疲れて過ぎて少しおかしくなっているのかもしれないし、緊張がたもてなくなったのかもしれないし、成人した男性がマジメなトーンで腕組みして、タンクトップのインナーをきたまま、サイズがあっていない満面の笑みのピンク色でキュアキュアな女児アニメのお面をかぶったままじーっとみつめている、からかもしれない

「……そういやこのためにつけてたんだったな。お前の顔はこわいからつけとけってな」

「そうだったんですか? てっきり素性を隠すためだと……」

 トシロウはお面をはずした。さらされた素顔はヒロミをはっとさせ、ときめかせたが、気がついてないトシロウはアゴを触って考える。

「だがどうして炙りだしたかったんだ。なにか、目的があるはずだ。あいつがいることで困る人間……」


『二人共オレが殺した事にしておく、その間に逃げろ』


「二人共……あの猫ちゃん大好きの殺し屋は、オレがアオイノと行動しているのを知っていた。下請けが知っているってことは……雇い主が認知している……オイ、ジジイはどうしてる。お前らジジイと一緒にいたんだろうどうせ」

「え、聞いていないんですか?」目をむいた。「ここは捨てて逃げるから電話はしないでメッセでって。なぜかは教えてくれませんでしたが……その前に私達の家が燃えてるってジジイさんの会話を盗み聞きして飛び出してしまって……」

 目を見開き、トシロウは立ち上がった。置いてある黒電話のダイヤルを回す。

「あいつの悪いクセだ。お前らを安心させるためにそう言ったに違いねえ」

 電話線はつながっているが何度かけても留守番電話だ。

「ここから絶対にでるな、電気を消して息ひそめてろ、もしもバレたら抵抗するな、お前らを殺す理由はないからな」

「トシロウさん行っちゃダメです!」

 上着を着たトシロウ、そのズボンの裾が掴まれた。

「アイツラの目的はオレとアオイノをやることだ。儀式だかなんだかを止めようとしてるとでも勘違いされてるんだろう」

 しゃがみこんで、じーーっと泣き出しそうなヒロミを見つめる。女児魔法使いのあけすけな笑顔で。

「……キラやば~~」

「ブフォッッ」

 吹き出したヒロミに満足気に鼻を鳴らした。

「笑えるならまだ大丈夫だな。ツナグがお前を守ってくれる。いいか、どんなときでも自分を信じる、自分だけを……」

 自分を信じる、自分だけを信じろ。

 そういおうとしたトシロウは、違和感をおぼえ言葉をひっこめた。

「自分を信じる、そいつを信じろ。自分を信じてくれる他人を信じろ。そんでそいつに信じられる自分も信じろ」

 言葉の意味を吟味しているヒロミ、そのスキにドアを開けた。

「アオちゃんを助けてください!!」

 雨ざらしの空の下にでたトシロウは立ち止まった。ツナグの声だ。

「……」

「いくらでも出します、だから」

「絶対に出てくるな」

 音もなく用心棒のトシロウは闇に消えた。

 四方の森林が不自然に揺れる。

「トシロウさんを信じよう」

「私はずっと信じてるよ」

 近づいてくる驚異に強く手を繋いで、渡辺兄妹は懸命にうなずきあった。




 アジトは静寂を守っている。

 夜なのだから当然だろう、だが、トシロウは何か嫌な静けさに感じていた。

 アジトのドアが半開きになっていた。

 玄関にはジジイの靴がある。トシロウはリビングに駆け込むと、外の静けさはまるで異世界だった。

 荒らされている。

 カーペットは引っ剥がされ、ソファーは窓ガラスに突き刺さり、割れ壊され千切られ、明確な暴力の残り香がそこら中に転がっていた。

 それは転がっているジジイにも同じことがいえる。

「ジジイイイイイ」

 うずくまるジジイにトシロウは転びながらも駆けよった。

 近くにあるディスプレイは割れて空洞になり、本体は見回してもどこにもない。

「トシ……スマン……パソコンもってかれたわい……」

 顔面が血で真っ赤、服は破かれ、肌のそこら中が紫に内出血し、ヘルメットもサングラスもつけていない。

 パンツ一丁の老人の貧弱な身体はとても小さく、いつもの快活なジジイの雰囲気が微塵も感じられない年相応の弱さがあふれていた。


「トシは優しいのお……こんな孤独な老いぼれの相手を……してくれて……」

「しゃべるな馬鹿野郎!! クソッ、クソックソックソッ!!」

 トシロウはタンスからタオルや服をひっつかんでジジイの老体にかける。

「怒りに我を忘れるな……お前は優しすぎる……」

「しゃべるなって言ってんだ!!」

「後は頼んだぞ、トシ……」

「なにいってんだジジイにはもっと働いてもらう、こんなとこでおっちぬな!!」

「ハハ……ジジイは、いたわらん……かい」

 腕の中で力が抜けた。

 全部オレのせいだ。

 アイツ(アオイノ)がこようがこまいが、オレが引くべき時に引かなかったせいだ。

 首を突っ込んで、金生に見つかったのが……。

 やけに明るいアゲアゲな曲が突然する。

 部屋の隅に落ちているジジイのスマホをとった。

『トシロウさん、かな?』

「……………………………………金生達夫」

『あの殺し屋が吐きましたか。処理する前に色々吐かせるべきでしたね。まあいいです、わかっているのならば話が早い。渡辺兄妹は預かりました。貴方の相棒の鬼は預かっています。わかっていると思いますが、これは脅しです。このまま街からでていけば、貴方の命は保証しましょう。そこに転がっているジジイのようにはしません。どうです?』

 トシロウの手が震えている。


 仲間の首が飛ぶ。


 噛みしめていた力を、フッと抜いた。

「……わかった。助けてくれ」

『えらく物分りがいいですね』

「勘違いするな、そいつらは仲間でもなんでもねえ、客と勝手についてきたギャルだ、このじいさんは少しだけ使いやすいから使ってただけで、今もコイツがコソコソ隠してたへそくりを取りにきただけだ」

『ハハハ。馴れ合いはしないということですか。なんだか肩透かしを食らったようです、脅して、貴方が取り乱して、私が笑う、そんな筋書きにでもなるかと思っていましたが、噂にきいていた通り頭のいい殺し屋のようですね。よかった、こちらとしても時間が短縮できてうれしいです』

「もういいか。オレはいくところがあるんでな」

『申し訳ありません、ではもう二度と会うことはないでしょう、さようなら、心優しき用心棒さん』

 電話が切れると、震える手がおちついてきた。

 冷たくジジイを見下ろす。

「そういうわけだ。時期に治し屋がくる。そこで大人しくくたばってろ、ジジイ」

 そうだ、オレはこういう人間だ。

「最初からお前らは仲間でもなんでもない。仕事上の付き合いってやつだ、仇討ちだとか、身体をはって弔い合戦をする義理はねえ」

 孤独で、臆病者の、弱者を食い物にする、用心棒だ。

「あばよ」

 踵をかえして、さっさと部屋をでる。

 トシ……止めろ……ダメじゃ……、振り返ることもなく、街を覆う闇にとけていった。




 暗闇。

 窓がどこにもない長細い一畳ほどの寒々しいコンクリート打ちっぱなし。鉄のドアにはのぞき口がついていて囚人部屋そのものだった。

 両腕の手首とそろえられた両足が鎖で絡め取られ、口は革のマスク、天井から吊るされている。

「やあ鬼。君の大好きなお酒があふれるほど摂取できて気分がいいだろう」

 のぞき口の初老の目に、化粧がとれパンダ目になっているうつろな瞳がむく。

 オシャレに着飾っていた制服は破け放題で貼りついている布になりさがり、円のピアスは片方がなくなり、片方はブサイクにひしゃげていた。

 ひきしまった褐色の肌が見え隠れし、ほのかに上気している。それは首と手首に刺さっている管のせいだ。点滴用のパックがぶどうのように壁にかけてあり、中身は酒・鬼殺しがパンパンに詰まっている。

 この三日間、アオイノは厳重に拘束されて、酒をとめどなく注ぎ込まれていた。

「姉さんのところへ行ってたみたいだね。元気だったかい? もう何十年もあっていないから、とっくにクタバッてると思っていたんだがね」

 ドアノブが回り、スーツを着こなしている金生が上品な笑顔で入ってきた。誰も従えずに単身だ。

「ヤツに何か聞いたのかもしれないが、今更どうでもいいか……それで、用心棒のトシロウはどこにいるかわかるかな?」

 金生達夫は後ろに回り込んでそのマスクを外した。

「ある夜、叛十生零流を忍び込ませたあの夜、姉さんのところにいましたよね、私が直々にいったので覚えています。あれから足取りがおえないんですよ。名前と存在があるのは知っています。この間お話させていただきましたからね。渡辺兄妹とアナタを見捨てて逃走しましたが、それじゃ困るんですよ」

 シワを伸ばした笑顔がうかぶ。

「全てのアジトは調べ終わりましたが、それでもわからない。手がかりなどがあれば教えていただけませんか?」

「らりるれろらりるれろ!」

「ハハハ!! 全然わからない! これは失態だった。やめよう、情報がひきだせなくても君には役割ができたから安心していいですよ」

 肩を押されて振り子運動をはじめるアオイノ。

「儀式の贄になってもらう事にした。時間がくるまでくつろいでいてくれたまえ。儀式とはなんなのか。大抵こんな場面に悪役は調子にのってべらべらしゃべるものだが、あいにく私は頭がいい。それに、悪でもない」

 自分の体の自由を誇示するようにゆっくりと前に回り込む。ギシギシゆれるアオイノの身体。僅かな光源が上気した褐色の肌を滑らかにすべって暗闇に輪郭を浮かび上がらせていた。

 蠱惑的な半裸の肢体に金生達夫の目が細くなる。腹筋の筋がはいっている腹を触って振り子を止めた。

「しかし驚いたな、こんな完璧に人間に擬態できるのか。これじゃあ社会に紛れていてもわからない」

 下から上に舐めるように視線を動かす。大ぶりの尻、腰のくびれ、豊満な胸、男を魅了する美しいライン。

 金生達夫はハンカチを取り出して、パンダ目になっているメイクをぐしぐしと落とした。

 日本人と白人のハーフのような綺麗に均等がとれた美少女と呼ぶにふさわしい顔のパーツ。

 褐色の頬に手をそえて、親指でなぞる。

 アオイノは何とか大きい瞳で睨もうとしているが泥酔しているために視線がさだまっていない。それすら見惚れて金生達夫がひとりごちる。

「美しい。……ほしい。この力、私もほしいぞ」

 蜘蛛がはうように手で腰をなぞり、ひきよせて、唇に顔を近づける――。

 右手にひっぱられて金生達夫が壁に叩きつけられた。まるで糸をひきよせられた操り人形のように不自然な動きだ。

「クソッ! 今は僕の番だぞ!」

 左手で自分の右手を押さえ込み、重心をのせて壁に打ち付けている。アオイノは朦朧としながらもその異常さに釘づけになっていた。

「今日も、たくさん飲んだだろう!! やめろッ、この!!」

 自分で自分を痛めつけて自分と格闘している。

 なにかから嫌がる達夫は頭を何度も打ちつけるが、襟首を掴まれてひきずられるようにして、壁にかけてある酒の点滴用パックにひきずられていき、ガクンっ、停止するとその一つを乱暴に摘み取った。

 パックの下に噛みつき食いちぎった。喉をごくごくならしてスーツの初老の男が酒を浴びるように飲み込んでいく。

 顔が肥大化して真っ赤な肌に角が一本、鋭い牙と耳まで裂けた口が。

 粗く息をはく金生達夫はなんのへんてつもない初老の顔をぬぐった。

「まったく、自分できておいて何もしないで帰るなんてとんだ大馬鹿バカじゃないか」立ち上がってスーツのホコリをはらった。「また来ます。用心棒の居場所や手がかりを教えていただければ、アナタを生贄にするのをやめてもいいですよ。よく考えておくことです。鬼だって、首を切られればひとたまりもないんでしょう? その説に私は懐疑的なんですが、実際に鬼の首があるんですから、本当なんでしょう」

 優男の顔で鼻がくっつくほど顔を近づけた。

「それとも僕の『恋人』になりませんか。ここだけの話、私ギャル好きなんですよぉ。いいですねえ……鬼の子供をもうけるのも悪くはない」

 唾が頬にとんだ。

 精一杯のアオイノの抵抗だ。頬についた唾液の感触に気がつき、すくって舐めた。

「アルコールだ」

 ニッコリと清潔に微笑んで満足そうに部屋をでていった。

 酒の量を少し減らしてください。あれじゃあ話もできません。大丈夫ですよ、何かあったら私が何とかします、いつでも声をかけてください。

 かすかに聞こえる警備の人間と話す金生達夫の声がアオイノの頭に反響する。いつの間にか大量の汗が顔をつたっている。一瞬見えた「赤鬼の顔」の輪郭が脳裏に蘇ったからだ。

 あのおっさん、鬼と合体してる。しかも、一瞬感じたあのフィーリングとヤバヤバマックスな空気、上級の鬼。

「らり、れーら(まじ、ベーな)……」


――キサマ、オニカ――


 ヒロミーとツナグも捕まっちゃってるんだ、トッシーなら助けてきてくれるかもだけど……。


――オ二ガニンゲンをマモル。ワレがネムッテイルアイダに、オニの時代もカワッタカ――


 むりだよね。トッシーマジでビビってたし。向き不向きってあるからねー。てか、逆にきちゃったらトッシーが……。


――オニ、ワレをタスケヨ。このままヤツのオモイドオリになれば、この世は混沌に落ちて――


 はー、マジだめ、酒で頭ぐるぐるしててムリムリのムリ。ネヨっと。


――やつのオモイドオリになればニンゲンの時代は終わる――


「らりよもうーーーー、うっさいろよ!!」

――ワシはこの建築物の上階にイル――

 頭にちょくせつのヤツでナンパしないでもらえますーー。

――ワレを振るっていいのは親方様だけだ。あの様な不純な動機を原動力にしている人間に使われるとは、合わせる顔がない――

 きょーーーーーーみないから! てかあんたもじゅーぶん不純でしょスケテレ!(※スケベテレパシーの略)

――ワレのチカラをもってヤツをキリサケ。さすればこの世を不浄からスクウことができる――


――時間はノコされていない。イソゲ。――



――新しきオニよ――



 …………。



 …………………………。



 ………………………………………………。



 ………………………………………………………………………………………………………………………………………………。



――キサマ、オニカ――


「ルーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーゥプッッッッ!!!!」

 アオイノは得体の知れない声に何百回と同じ語りかけを受け、無限とも思われる時間を拘束され続けた。




 曇り空の下、アスファルトを歩くたびに湿った音がする。 連日の雨は止んだ。

 水戸にある金生グループ本社は二五階建ての高層ビルの圧力をいかんなくみせつけてくる。

 ひっきりなしにスーツの人間が出たり入ったりしていて、守衛室の窓口に作業着の男が一人、立った。

 お名前と会社名、お願いしまぁーす、PCに向いたままやる気なさげに守衛のじいさんが来社日程表を見ている。

「トシロウ。用心棒のトシロウ」

 日常できくことのない言葉に、来訪者をはじめて認識した。

 特撮ヒーローの紅いお面。

 顔の大きさにあっていないため無精髭のアゴがでている。どうみてもふざけているのに、妙に堂に入っていた。

「の、飲み会の芸者さんですか?」

「社長にあいたい。トシロウがきたといえばわかる」




 屈強な黒人のSPにつきそわれて最上階につく。

 社長室の大きめな扉が観音開きにされると、全面鏡張りのだだっ広い部屋が。

 その中心には社長のデスクだけがあり、背をむけていた初老の男がふりむいて、優しくも力のある笑顔をトシロウと名のった人間にむけた。

「ようこそ、用心棒のトシロウさん」

 手前に設置してある来客用のソファーに座るよう促す。

 トシロウは警戒して座るのを躊躇していたがSPに強制的に座らされた。

「ではお話を聴きましょう。ですがその前に一つ確認しておきたいのですが――」

 トシロウの前のソファーに座った金生達夫が目をほそめた。

「『貴方は本物のトシロウ』ですか」

「……そうに決まってるだろう。オレは用心棒のトシロウだ。頼まれれば何でもやる、殺し屋といえば世界広しといえどオレしかいない。何か文句あるか」

「いえいえ、文句だなんてそんな。しかし、用心棒のトシロウは素顔を見せたことがないと聞きます。しかも私どもは貴方がお面をかぶっているという眉唾ものの情報だけしか知りませんので、容姿も声も姿形も全く知らない。水戸芸術館のタワー型の雲を探しているようなものです、だから、確信をもたせていただきたい」

「へえ………………。ならなんでも聞いてくれ。オレは詳しいんでな」

「楽しみです。三つ、きかせてください。それではまず、アナタはどうして殺し屋でありながら人を殺さないのでしょう。理由があるのですか」

「ある。あいつ、オレは、人を殺すのをすかねえ。心優しい甘ちゃんだからな、オレは。相手が例えば大勢のニンゲンを誘拐して殺してるサイコパスのシリアル・キラーだとしても、絶対に殺さない。それは殺すのが恐いからだ。血が苦手だし、話し合えばわかりあえると思ってやがるバカだからな。性善説っていうのか? まったく、殺し屋が聞いて呆れるぜ、ハッ!」

「なるほど……では二つめ。仲間の鬼の色はわかりますか」

「えっ、鬼?」

「ええ、鬼です。色々とひっかきまわされましたよ、貴方の、鬼に」

「あ、ああ~~~~。鬼、鬼ね~~。わわかりずれえんだ、オマエとは呼び方が違うんだよオレはまったく、鬼ってなんだ、鬼って。素人が!! オレはトシロウだぞ、オ、オラァ」

「申し訳ありません。名前があるんですね、鬼に。名前はいいので、色は」

「まて、今思い出す…………アイツの色は色々混ざってるからなかなか言葉にするのが難しいんだ」

 手でせいして、お面の眉間に指をあてて考える。

 二択か……、小さくつぶやき、クイズ番組の回答者みたいに指差しした。

「わかった、青!!!!!!」

「それはどっちの姿での色でしょう」

「えっ? はいはいはいはいええーーーーーーーーーーどっちもだよ!! ナメんな!!!!」

「ニセモノだ」

 顔面を毛先のいい床へSPに思い切り叩きつけられた。後ろ手を押さえつけられて身動きがとれなくなる。右肩の刺し傷が悲鳴をあげて顔をしかめた。

「どこから情報がもれたかしりませんが、裏のニンゲンを探しているのを知られてしまえば、これまで築いてきた私の会社の信用が崩れてしまう。金でもゆすろうと思っていたんですか? 踏み込みすぎましたね」

 アゴでしゃくるとSPが強引に起こす。

 この言い様だと、ただですむわけがない。ここから連れ出されたら、その後されることは言わずもがなだった。

 かなりの焦りをみせ、トシロウが声をはりあげた。

「まてまてまてまて!! オレはトシロウの仲間だ! 仲間なんだよ!!」

 手首をひねりあげられ、傷の痛みで声がでなくなるが、すでに背をむけている生殺与奪を握っている社長に続けて投げかけた。

「信じられないってんなら懐にアイツの隠れ家のイクセル(EXCEL)一覧がある! お前らが知らない場所もあるはずだ!!」

 太い腕が懐をまさぐって紙をさぐりあてた。早足で金生達夫がそれを取り上げて目を通した。

「……先日探った場所も入っている。あながちウソではないかもしれませんね」

 捻り上げる力が緩められてトシロウはホッと息を吐く。

「そこを探ればヤツの手がかりがつかめるはずだ。アイツはクソザコだが、逃げるのと身を隠すのだけは世界中でいちばんウマい」

「どうしてトシロウのフリを」

「仕事がねえんだ。アイツ女連れてきやがって、もう愛想が尽きた。バイトの面接は全部落ちるし、日雇いもたいしてできねえ、エージェントにも見捨てられて……そしたらアイツのフリして金揺するしかねえだろ! めちゃくちゃやってアイツの評判おとして、金も持ち逃げするつもりだったのに……なんなんだこの会社は、真っ黒じゃねえか! わかってたらこんなとこ来なかったのによぉ」

「トシロウと一緒に仕事をしていたのですか?」

 警戒をといていない金生達夫に、コクリとうなずくトシロウ。

「あいつができるならオレもできると思ってたんだ。ずっと見てたし。なのに……オレはもうダメだぁ……なにヤッてもダメなんだぁ」

「アナタがまだトシロウの一味ではない証拠を提示できますか」

「証拠? アジト教えたんだ、それで十分だろう!」

「トシロウは頭がキレると聞いてます。私を信用させるに足りる情報をください」

 トシロウはうつむいて、眉間にしわをよせる。

 思い出したふうに、少しの逡巡もみせずに、ハッと顔をあげた。

「やつには殺された仲間がいる」

「殺された? 殺し屋をやっているのですから当然じゃあないんですか?」

「初期メンバーってヤツだ。あいつは殺した組織を探しているって一度オレにもらしたことがある。その仲間の女の墓が筑波山の山小屋の裏にある。そんな情報誰もしらないだろう! いい加減この手をはなせ、痛くするなよもうーー」


 数分後、手首が開放される。

「従業員に確認させたところ、ありましたよ。最近手入れされた小さい道祖神のようなお墓がね。貴方のことを信じましょう。そしていままでの非礼をお詫びします、申し訳ありませんでした」

「ふう、わかればいいんだ、わかれば」

 頭を下げる世界を股にかける大企業金生グループの社長、トシロウは偉そうにソファーに座って、後ろに陣取っているSPにフフンッと偉そうに鼻をならした。

「貴方の目的はなんでしょう。私達に情報提供をして、雇ってほしい、そういうことでしょうか」

「ああ、そのとおり。物分りが良くて助かるぜ」

「貴方の情報は今の私にはダイヤモンドの原石に等しい。あなたはなんとおよびすれば?」

「オレの名前か? オレは……」

 鏡張りの外に視線を移す。

 見渡す限りM町を見下ろせた。

 遠くに筑波山がみえる。

 トシロウにはその中にひっそり眠る仲間がみえていた。

「……エイジロウ。エイジロウとよんでくれ」

「わかりましたエイジロウさん。逃げられる前に一刻も早くトシロウを捕まえたいのです、チカラを貸してください。報酬は貴方の言い値で結構です」

「ヒュ~~! ありがたいねえ。あのクソ雑魚ナメクジカタツムリゲリベンヤロウも役にたつことあるんだな~~。あ、そういえば、気になることがあったんだが」

 勝手に流れてくる汗を指でぬぐった。

「鬼ってんなんだ?」

「鬼は鬼です。聞いたことありませんか? 角があって、赤と青の」

「それはわかる。実際にいるわけないだろう? 鬼ってのはなにかの比喩とかコードネームとかだろ?」

「ご存じないのですか? トシロウと一緒にいたのに?」

「ああ、知らん。え? なにいってんだ、まだ試されてるのか??」

「ハッハッハ、まあ、この話は追々。それよりも、もう少し詳しくトシロウについてきかせてください。部屋をうつしましょう」

「一から十まで教えてやるよ。自分のことのように知ってるからな」

 SPにうながされ立ち上がるが、金生達夫は片手で額をおさえていた。

「なんだ、頭痛いのか。働きすぎじゃねえか? そういうのは寝れば治るぞ」

「申し訳ありませんが先に行ってください」

 首をかしげるが、言われるがまま社長室の扉へ連行されていく。

 小さく安堵の息をはいた。

 上手く『トシロウの仲間の鬼』の場所を聞き出せなかったが、まあ上々だな。

 しかしどうする。これだけデカイところだ、オレだけで逃がせるのか?

 トシロウは震えを押し殺すために目を強くつむった。

 オレはバカか! 何も考えないでつっこむなんて死んでるも同然じゃねえか。情報が足りなさすぎる。この建物の全容を理解してもねえ、最悪だ、丸裸で戦場にツッコんで大将の首を打ち取るようなもんだ。

 だがやるしかねえ。

 やめるつもりもねえ。


 オレは、アイツ(金生達夫)を赦さねえと決めた。


 決意をこめてまぶたを開けるとSPが一人いなくなっていた。吐息が背後からする。

「あーー、引っかかっていたのですが、今一つ思い出しました」

 もうひとりのSPが背後の何かを見上げている。

 つられて振り向くトシロウ、ヒーローお面ごしの瞳にうつったのは、高い天井まで届く巨体と赤い肌だった。

 バラバラで尖った歯、黒目のない鋭く大きな眼、凶悪な面構え、角が一本。

 赤鬼だ。だがあの日変身した天まで届きそうなアオイノよりは小さく建物の二階くらいの高さだろう。凶暴な口はペッとサングラスを吐き出し、金生達夫の声で流暢な日本語をしゃべった。

「数年前、二人組の殺し屋に邪魔された時、片方を処理したことがありましたね。後にも先にも、私が現場で手をくだしたのはあの時だけでしたからよく覚えています。あれは用心棒のトシロウでしたか」

 鬼は大きさこそ違うが人の形をしている。

 まるで人間が筋骨隆々の鬼のパワードスーツ(強化外骨格)を着込んでいるような。

「しかし見せるつもりじゃなかったのになぁ。内緒にしていてくださいよ? まあ、これで鬼がいるってわかりましたよね?」

 耳まで裂けている口角で凶悪な笑みをつくっているが、トシロウは恐怖するどころではなかった。

 何気なくいった言葉が反芻する。

 片方を処理した。

 やっと見つけた。


 エイジロウの仇。


「どうかしましたか?」

 斜め上から赤く鋭い眼にのぞき込まれる。

 トシロウは折れんばかりに奥歯を噛みしめていた。体中の血液が怒りで煮えたぎり、拳の骨が折れんばかりに握りしめる。


 殺す。


 オレが生きながらえていた目的がここにあるんだ。

 この鬼と、金生達夫が、仇。


 もう関係ない。


 この世も、渡辺兄妹も、ジジイも……。


 アイツ(アオイノ)も。


「エイジロウさん。もしかして貴方は……」

 鬼の眼球が勘ぐるように細められた。

 鼻先がつきそうなほどに近づけられた顔、トシロウは腕を振りかぶった。

 その拳は鬼の鼻先をかすめ、叛十生零流に貫かれ負傷している肩を激しく殴打した。

「~~~~~~~~~~ーーーーッッッ!!!!!」

 声にならない声をあげ激しく痙攣した。意識がとぎれそうになるが踏ん張って倒れるのを拒否した。

「ど、どうされたんですか??」

 鬼のコスチュームの前が開かれ、階段を数段降りるように金生達夫がでてくる。後頭部にパラシュートのように鬼のガワが吸いこまれていった。

 二つの仇を背負っている男が面食らっている、トシロウは不敵に笑った。

「すまねえ、あまりにも……トシロウがオレを襲ってきた姿に似ててな……まさか、あの姿、鬼の仕業だったとは考えもしなかったぜ……」

「なんと。トシロウも鬼を我がモノにしているということか……」

 ボソリとつぶやく金生達夫に、怒りをあらわにさせて吠えた。

「いまわかったぜ、オレのダチをあんなにしやがったのはアイツだったんだ!! あのクソヤロウはそれを隠して、オレを言い様につかってやがったんだ!! クソッ!!!」

 少し離れたソファーに助走をつけて蹴る。少し動いただけでトシロウは足を押さえてしゃがみこんだ。

「全部アイツのせいだ。絶対に赦さねえ、なにもかも、オレの人生を滅茶苦茶にして仲間を殺したのはアイツだ! 地獄に落としてやる」

 社長のデスクへ駆け出したトシロウを金生達夫が急いでとめた。

「おちついてください! 深呼吸しましょう、深呼吸!」

 羽交い締めにされて金生達夫と一緒に深呼吸した。

 仮面をぬいだように間髪入れずに理性をとりもどしたトシロウは腕を乱暴にほどいた。

「なあ社長さんよ、オレは報酬なんていらねえぜ。そのかわりに、トシロウの鬼に合わせろ、いいな」

「それはできません。自分の仇を目の前にしたらエイジロウさんは冷静じゃいられなくなるでしょう」

「確かに……そうかもしれねえな」

 トシロウは真っ直ぐに金生達夫を見すえた。

「なら取引だ。会わせなければトシロウについて何もいわねえ。これでどうだ?」

「……ならば条件をつけます。会うのは三分」

「一0分だ。それ以上はまからない」

「ならば五分。扉越しに話してもらいます。鬼は弱体化させていますが、何があるかわかりませんからね」

「…………………………」

 トシロウは本当にしょうがなく、譲歩した結果のうなずきを重々しくみせつけた。




 数十分後、鉄扉の前でお面の上からされていた目隠しが外される。

 四メーター幅の狭い通路に同じ鉄扉が緩やかなカーブを描いていてえんえんと並んでいる。端がみえない。おそらく円状に独房群が密集しているのだろう。

「詮索はよしてください」とだけ忠告をうけていた意味をトシロウは理解できた。

 やはり、こいつ相当なワルだな。

 それも、かなりの、世界を股にかけるくらいのな。

 どうぞと除き口にうながされ、拳銃をこれみよがしに胸ポケットにさしている警備員一0名に監視されつつ、のぞきこんだ。

 鎖で簀巻きにされて吊られているギャルがぐったり首をもたげている。

 透明な管があらゆるところに繋がり、制服が破けてほどんど裸の地肌に鎖がくいこんでいた。

「鬼は様々なものに擬態できるのです。ほとんど意識がない状態でもそれが維持できるのは発見でした」

「こいつが…………!」

 強く鉄扉をたたき、お面ごしの眼を憤怒にそめあげた。

「一発やらせろ、こいつを犯して、トシロウに写真送りつけてやる」

「許可できません、あと四分です」

「なら殴らせろ、顔でも腹でもいい、いいだろう?」

「中には入れない約束です、あと四分」

「入れないならこのケータイをぶっ壊す、やつのアドレスはここにしか入ってない」

 銃口が一斉にトシロウの眉間に照準を合わせた。動けなくなったその手からケータイが取り上げられる。

「これはいただきます。あまり調子にのらないほうがいいですよ? 取引していると同時にアナタは籠の中の鳥です。身の振り方を考えたほうが身のためです」

「わ、わかったよ……。取り乱しすぎた」

 身体をこわばらせてしゅんとするトシロウ。

 金生達夫が手をあげると警戒が解かれ、打って変わって優しい声音でトシロウの肩に手をおいた。

「貴方の気持ちもわかります。なんせ大切な仲間の仇なんですからね……。こんな、鬼畜の所業ゆるせません。私は、そういった、悲しみの連鎖を断ち切りたいんです」

「社長さん……」

「君と協力して、この寂れた世界を、良くしたい。そのために私は全てをなげうって、人生をささげ、鬼とまで契約を結んだんだ。世界を良くするために、私は動いている」

 強い瞳で、お面をみつめる。

「エイジロウさん、いえ……エイジロウ。アナタには才能がある。トシロウなんて臆病者よりも最前線にでてるんです。そして私に会いに来たんだ」

 笑顔で強くトシロウをハグし、ちょうど政治家がするように右手を両手でつつみんこんだ。

「アナタのような人間をまっていたんです。一緒に頑張りましょう!」

 感銘をうけたように口をふるわせ、お面に手をいれてトシロウは目をこすった。

「やっていることに全て意味があって、これも全部必要なことなんだな」

 グッタリしているアオイノと無限に続いていそうな独房の列をみわたす。

「社長を誤解していたよ。無実の人間を捕まえて飯のタネにしている巨悪の根源だと思っていたが……オレが予想もできない以上のデカイことをやっているんだな」

 ニッコリと微笑む社長にトシロウは頭をさげた。

「トシロウのことも全部教えます。仇うちなんて、自分の気が晴れるだけでなんの特もないんだ。オレは、オレは自分がこんなにちっぽけだったとやっと、やっとわかったんだな、今、この瞬間に」

 心情を吐露していくトシロウに、さらに笑みがひろがっていった。

「オレは社長についていくと決めた。社長、いや、金生さん。一生ついていきます!!!」

 社長は何度もうなずいた。満足気に。

「でもオレは金生さんみたく心が強くない。自分の心にケリをつけるために、最後に仇をみせてくれ。焼き付けておきたいんだ、魂に」

「わかりました。……扉をあけてさしあげなさい」

 そ、それは危ないのでは、そう提言する警備員に、

「いいのです。これが私と彼の、信頼の証ですから」

「社長さん……ありがとうございます!」

 言われるがまま扉が開かれる。


 トシロウは。

 温情をうけとめた涙声で。

 開かなかった鉄の扉をくぐって。

 アオイノが拘束されている独房の中に、入った。


「何かあったら撃ってください。アルコール弾一0発でも打ち込めば処理できるでしょう」

 警備員に耳打ちする社長を背に、吊られているアオイノの前に立った。するとぼんやりと酔っている顔をあげ、目を見開いた。

「え……トッシー……?」

 バシンッ! 声がかき消えるほどの強いビンタをかました。

「まったく、手間かけさせやがって。酒くせえなぁ……」

「トッシぃ~~~~~~~~」

 涙目のギャルに往復ビンタをかました。

「ちょおお何で~~助けにきてくれたんじゃないのお~~」

「声がでかい、その名で呼ぶな。オレはいまトシロウじゃねえ、話は後だ、デカくなれ、簡単に抜けられるだろう」

「あ。そっか。ずっとぼーっとしててわかんなかったわ~~。じゃあいっちょデッカクなっけ~~、ヌッ!!」

 しかし何もおきなかった。

「どうした。管ぬかねえとムリか」

「酒は少なくなったからダイジョブだけど……やだ。あーしはこの姿があーしだもん」

「そんな事言ってる場合か!」

 扉の向こうから社長が呼びかけてくる。トシロウは汗をたらしてビンタした。

「ジジイが奴らにやられた。渡辺姉弟もおそらく捕まってる」

「えっ……」

「オマエの――――」

 まぶたを閉じて、意を決して言葉にした。

「力が必要だ!」

「トッシー…………」

 みぞおちにパンチを食らってえづくアオイノは弱々しくも、うれしそうな笑顔になった。

 肌の色が褐色から、青に変化していく。

 ギシッ、ギシッ、巻かれている鎖が悲鳴をあげる。

 社長の指示で銃口が構えられた。

 ゆっくり振り返り両手を広げて、トシロウがそれを阻んだ。

「チッ、やはりトシロウの仲間か」

「マヌケ」

 ビンッと、刺さっている管が弾け飛び、逆流した酒で予備のパックが破裂、部屋中にとびちり、警備員の目にも同じく。

 地下ではありえない突風に吹き飛ばされて、社長と警備が壁に叩きつけられた。

 掴むように床に立たせた太い指が上手くトシロウへの風を防いでいた。アオイノは天井まで届く背丈になり、膨張し、角をはやし、数秒で地下を突き抜けるだろう。

『トッシー!』

 人ひとり分は軽々とのれる手のひらが床に差し出された。トシロウは飛び込むように前転してそれに乗った。

『はいはい! わーーーーったって!』

「誰としゃべってんだ、まだ酔っ払ってんのか」

 トシロウはハッとして吹っ飛んだ扉にむく。

 ぎゅうぎゅうに独房につまり胎児のように縮こまっている鬼の眉間を銃口が狙っている。

「――――ッ!!!!」

 とんだ酒弾の針は、とっさに差し出されたトシロウの左手に深々刺さった。

『トッシイイイイイ!!』

「オマエはでかくてもギャルでも、アオイノだ!」

 巨大化が止まりかけたアオイノに、仰向けで倒れたトシロウの激がとんだ。

「いけッ!!」

 冷静に弾をこめている金生達夫、アオイノの鋭い瞳から大粒の涙がバシャンと落ちた。

『ぜってー! ぜってーに戻ってくっから!!!!』

 縮こまらせていた両足が踏ん張られ、轟音と瓦礫と粉塵を撒き散らして天井に吸いこまれていった。

 粉塵がおさまると、金生達夫がトシロウを見下ろす。

 清潔な笑みをかなぐりすてて厳しい本来の表情に変化していた。

「貴様がトシロウか……ッ!」

「へっ……ざまあみろ……マヌケ」

 ニヤつくトシロウに、銃が振り上げられ。




 金生グループのエントランスには仕事人が行き交っていた。

 カフェやコンビニ、定食屋などのテナントがでていて社員で溢れかえっていた。

 男がテーブルにカップを置く。カップは何かに怯えるようにカチャカチャ音をたてていた。

 それが伝染したように一斉に食器がさわぎだす。

 照明が揺れている。窓の外からみえるエントランスでもあらゆるものがなすすべもなく小刻みに揺れて、足早な仕事人の足を止めさせてバランスを崩して尻もちをつかせていた。

 エントランス中心の金生グループ創始者の銅像さえもガタガタしていた。

 振動は止まることなくさらに強くなっていき、それが窓を割るほどに最高潮に達した時、軽々と銅像が宙へまった。

 銅像があった大理石の床から巨大な青鬼が飛び出し、今までで一番の振動をさせて金生グループ本社のエントランスに着地した。

 阿鼻叫喚、人々が我先にと逃げまどう。

 野太い腕と凶悪な顔面は、吹き抜けの二階に肩がならんでいるくらいには大きく巨大と呼ぶにふさわしい体躯だった。

 ガラス張りの出入り口に目をつけたのか、体躯の割に機敏な動きで大理石の床をドデカイ足で踏みしめていく。

『ボオオオオン、ボオオオオボオオボオオオオオン』

 アポカリプスサウンドのような超低音が人々の耳を塞がせバランス感覚を麻痺させる。

 押された男が階段の手すりからほおりだされた。

 なすすべもなく真っ逆さまに落ちていく男。回りの人間もその数秒をみているしかなく、気にする暇もない。

 騒乱の中でひっそりとその人生を終わらせようとしている男は落下し、そして優しく【降ろされた】。

 気がついた人間は唖然として立ち止まっている。

 差し出された青鬼の大きな手のひらが、男から離れていく。鬼が手を伸ばして男を助けた。

 ドスンドスン歩いていく鬼は、人間を踏みつけないようにさけていき、自動ドアの前で立ち止まって開くのを確認すると、ガラス張りの壁を突き破って野外にでた。

 往来の人間たちが青鬼の存在を目の当たりにして蜘蛛の子をちらして逃げる。

 青鬼は金生グループ本社の高いビルを見上げ、超低音を口から発すると、ガラス張りの外壁をキングコングよろしく登り始めた。

 鬼が通ったあとは綺麗に張られていた窓ガラスが割れて轍ができていき、それを最上階まで引き終わると、なかに腕をツッコんでゴソゴソやり、何かをつまみ上げ、満足気に鼻をならした。

 屋上のヘリポートにのぼると、岩石のような足で飛びあがって、町の屋上という屋上を飛び石にし、足跡を残しながら、筑波山へ消えていった。

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