辺境と本
その日は、代々司書を務めている者から呼ばれている、遠征という行事が行われた。所謂営業出張である。
王立図書館の司書長を務めるソアリは、他に司書を務める者もいないために、本日を含む二日間は王立図書館は休館日とし―――もともと休館日であることは掲示板などで予告済み―――王国から約3時間の旅を要するバルシエルの街へと出かけた。
バルシエルは山や森に囲まれた自然に溢れる街で、街の住人もそれに誇りを持っている。だが、そうした自然地帯に囲まれているために流通は乏しく、書籍などもこうして月に一回の出張貸し出しを行うことで知識を届けているのだ。そのため、そうした不便さを理解しているせいか、王都の人々よりも本への意欲は高い。ソアリもバルシエルの街を好んでおり、行く先々で新しい考え方や発見も多いので、今回の出張も数日前からソワソワするほど楽しみにしていた。
荷馬車に大量の書籍を積み、御者の人に今回の旅路の感謝を述べ、王都から出る。今朝がた、いつものようにテオドールがソアリのもとを訪れたが、以前から今日が出張であることを知っていた彼も、今日は大人しく身を引いてソアリを送り出した。が、何故だか荷馬車の後ろには見たことのあるカラス。
「なんだかずっとカラスがついてきてるねぇ」
「…うち落としましょうか」
「お嬢さんカラスに恨みでもあるのかい」
何も知らない御者に突っ込まれるが、ソアリとしてはたまったもんじゃない。まるでこれではテオドールの監視下だ。見張られるほど自分は何かをしでかす人間なのか、それとも何かの研究材料か何かなのだろうか、と人間不信にすら陥る。
そうしてほのぼのとした御者とカラス一匹―――全くの不本意ながら―――と共にソアリは三時間の旅を終え、バルシエルの街に到着した。
バルシエルの街は季節を問わず花に恵まれている。そのため、別名花の街とも呼ばれている。芳しい花の香りがこの街を包んでいるため、バルシエルの街が近いと香ってくるくらいだ。
この街で2日間遠征もとい出張予定である。街の門のところで衛兵に王立図書館だということを告げれば、衛兵たちの厚意で街中に図書の出張が来たことを知らせられる。街の広場まで荷馬車を進めると、既にそこには長蛇の列ができていた。みんなよくわかっている。
「ミオルトさん!」
「わあ、お久しぶりです!」
「やったぁ、本だ!」
老若男女問わずに群がる彼らが求めるのは知識。その姿勢にソアリは胸が熱くなる。自分と同じように書籍を愛してくれる人がいるとは、どれだけ幸せなことだろうか。
まずは、返却の手続きを済ませ、そのあとに貸し出しを行う。二日間あるので、ゆっくりでいいと念を押すが、足りないといわんばかりに大勢の人間が荷馬車に集まった。
そんな群衆の中、ソアリは見知った顔の人物を見つけた。
「カイン!」
「おお、ソアリ!」
声はかけたものの、その場を動けないソアリを案じてカインと呼ばれた青年が歩み寄る。彼はカイン=アルベルト。バルシエルの街を領地とするアルベルト辺境伯の長男だ。今は王宮騎士団に所属している。
「カイン、あなた、お仕事は?」
「ソアリが故郷にやってくると聞いてな、休暇を貰ったんだ」
「図書館に来れば会えるのに」
「バカ言え、図書に興味のない団長が言えばサボりだと思われる」
カインとソアリは幼少期に交流があり、お互い本好きということで仲良くなった友人同士である。ソアリのほうが身分が低いのだが、敬語なしで話すことを許したのはカインだった。それほどお互い認め合っていることがわかる。
一時は二人を婚約の関係に結ぼうとした両家だったが、ソアリは司書になることを志し、一方でカインも騎士になることを選んだことで、お互いがお互いの道に専念するうえで婚約の関係はいまだ不要という話になった。
「お姉さん、この本、どんなお話?」
カインも順番を守り長蛇の列に加わったことで、返却と貸出に専念していたソアリに飛んできた質問。質問の主は、見たところ10歳くらいの帽子をかぶった少年だった。
「それは、」
その本の表紙を見てすぐに思い出したのは、第一王子の、あの側近の騎士。以前面倒な来館者に絡まれたところを助けてくれた、揺れる短い金髪の騎士。
何故、と思うまでもなく、あの時の少しむず痒い気持ちが沸き上がり、ソアリの顔が赤くなる。
「お姉さん?」
「あ、と。それは、ある王国のお姫様が悪い人につかまって、その人を助けるために旅に出る勇者様のお話よ」
「へえ、ありがとうお姉さん!これ借りていい?」
「ええ、もちろんよ。返却する本はない?」
「うん!」
いけない、今は仕事中だ。そう自分に活を入れるソアリがどれくらい動揺していたかなんて、誰にもわかるはずがなかった。
一日目の長い仕事を終え、バルシエルで有名なレストランへ足を運ぶ。ウッドハウスのように作られた居酒屋風のここは、ソアリとカインの行きつけでもあった。もちろんソアリの夕食にカインも同席し、久しぶりの再会をお酒を交えて乾杯する。
「バルシエルの街は良いわね。本をこんなに愛してくれる人たち、なかなかいないわ」
「確かに、王都ではみんな無関心だもんな」
「おかげで仕事は楽だけど、悲しいわ」
「俺だって、騎士団の寮で本読んでるとからかわれるんだぜ、読み聞かせてやるけどな」
「あなたの読み聞かせ、小さい子には大好評じゃない」
「ああ。でもあいつらは寝ちまうんだ」
騒がしい店内で顔を寄せてそう話しあう。まるで恋人同士のような距離感だが、彼らのこの距離は幼少期から変わっておらず、お互いを異性として見ていない節がある。まるで兄妹のような距離感にあるのだ。
が、それをカラスは見逃さなかった。日中見かけなかったカラスが、夜になって活発になったのか、まだ寝ないのかよくわからないが、店内に潜り込んできたと思ったらカァカァと鳴き、ソアリの頭上を飛び回るではないか。その羽音と鳴き声のうるささと言ったら尋常ではない。
店員が慌ててカラスを追い払おうと長い棒を持つが、それでも効き目なし。ソアリは何となく自分のせいだと感じたために、仕方ないがレストランを足早に出るしかなかった。
優しいことに、カインもついてきてくれた。まだ話したりない二人は、昼間に荷馬車を置いた広場へと並んで散歩を始めた。
その間も、カインはソアリに騎士団の話をしてくれる。その時ふと思ったソアリは、質問を口にした。
「ねえ、カイン。騎士様は、困っている女性がいたらどんな時でも助けてくれるのかしら」
「ええ?まあそうだな。騎士道は身分に問わず、非力な女性や子供を重んじるし、同時に王家への忠誠も厚い」
「…そうよね」
「何か気になることでも?」
「…以前、困っているところを騎士様に助けていただいたの」
「なーる。惚れちゃったのか?」
その一言にボッと顔が熱くなった。まさか、そんな考えが想像するとは思わなかったからだ。
「えっ?それはないわ!」
「でも顔が赤いぜ?」
「い、いいえ。違うわ、これは、驚いて」
「まあ、困っているところ助けられたら恋に落ちちゃうんだろうな」
「違うわカイン!」
「俺はお前の友人として強く応援するよ、ソアリ」
「カイン!」
広場のベンチに二人で並んで座ってもそんな話で笑いあった。ソアリにとってカインはそういう存在であったし、少し息苦しく感じる王都での暮らしは、もともと領地で暮らしていたソアリにはあまり向いているものではなかった。カインも同様に、騎士でありながらも読書家を名乗るのは抵抗があり、ソアリの話や図書館の話ができる親密な友人もまだ見つかっていない。
二人にとってこうしたたった数時間の休息は、宝物のような一時に違いなかった。
二日目の朝。事前にとっておいた宿を早くに出て、屋台で売られていたバター焼きの芋を頬張りながら返却と貸出の作業に移る。ソアリの行動をよく知っている街の人たちは、朝早くにもかかわらずソアリよりも早く広場に集まっていてくれた。
そんな彼らに厚紙で作った栞を渡すのもある意味営業の一つだが、これはずっと本を愛してほしいという気持ちを込めてソアリが作ったものであり、ソアリが司書長を務めてから始めたサービスである。小さい子供には絵本に似合う大きめのものを、若い世代から老人までには細いものを渡すようにしている。
バルシエルの街の人々は、本当に本好きな人が多く、中にはたった一日で読み終わり、前日に呼んだものを今日返してくれて、また借りていく人もいる。そんな積極的な姿勢にソアリもまた、バルシエルの街が本当に好きだった。
しばらく返却と貸出の作業をしていると、日は真上から西の方角へ落ちていく。そろそろ帰り支度をしなくては、今日中には王都へ戻れないだろう。訪れる人の足も途絶えてきているので、帰る準備をしようと取り掛かった時だった。
「返す」
不愛想に一言呟いて本を返却台に置いた、灰色の帽子を深くかぶった人物。髪の毛が帽子から出ていなかったので男性に思えたが、声は中性的だった。
返された本は、随分前から貸し出していたもので、リストを見なくてもソアリが覚えているほどだった。ようやく帰ってきたか、と正直不安に思っていた部分もあったので、何の躊躇いもなく感謝を述べてパラパラとその本のページをめくった。
すると、何かが挟まっていたようで、手がそこで自然と止まった。瞬間、目に入ってきたのはぐしゃぐしゃに折れた手作りの見覚えのある栞。思わず息をのみ、事情を聞こうと顔を上げた。が、既にそこには返却した主はいなかった。一応貸出カードは無事に中に入っていたため、そこで住所と名前を確認する。
「…これは、」
貸し出した時、自分は不審に思わなかったのだろうか。これはまるで素直に偽名だと言っているようなものだ。恐らく住所もでたらめだろう。目が見えないほど深く帽子を被っていたし、髪も帽子の中に入れられていた。着ていた服も地味な色だったから特徴もつかめない。まるで印象を残さないように、でも意味深であることを決定づけるような、そんな曖昧な存在だった。
「メメント・モリ」
―――意味は、「死を忘れることなかれ」。