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恋と令嬢

 この王国には、第一王子とあられるキリエス殿下と第二王子のオールド殿下がいる。両者ともに優秀な人材で、オールド殿下将来国王となられるキリエス殿下を慕っている。つまり、平和的な王家継承がなされるのだ。

 図書館勤務であるソアリにとって、これほど平和的なことはない。数多くの貴族日本を貸し出し、進めるのが司書の役目であるが、もし派閥なんてものがあれば、それに見合った思想をいちいち選出しなくてはならなくなる。本来読書を好むものとしてそういった線引きは良くないと考えるのだけれど、如何せん貴族社会はそのような自由な発想は許されないのである。

 この時代は、たいへん平和的だ。未熟者で若い司書長であるソアリは、この時代が何十年も続くことを願う。

 だが、そんな平和な時代でも、伝統には逆らえないものがある。結婚だ。ソアリの家でも既に彼女宛の見合いが届いているそうだが、司書室に籠るソアリはそういった手紙をすべて焼却処分していた。問題はソアリではない。


 バァンッと派手な音と共に登場したのは、長い色素の薄いブロンドヘアと対照的な海のように深い藍色の瞳を持つドレスを身にまとう美しいご令嬢。その目つきは釣り目で、どこか不機嫌を思わせる。が、ソアリはそんな彼女の態度にはもう慣れていた。


「まあ、もう少し扉をいたわってくださいな。100年の歴史を持つのですよ、ロリーナ様」

「うるさいわね!…ちょっと自分でもやっちゃったなって思ったところよ!」


 こんな素直に白状する可愛らしい令嬢の名前は、ロリーナ=バルバッド。王家の次に権力をもつバルバッド侯爵家の長女であり、現在キリエス第一王子との婚約が見込まれている。

 ロリーナは幼少期よりキリエスと共にこの図書館を訪れ、書物の無い日常を知らない。そうした習慣が18歳になった今でも継続されており、忙しい合間を縫ってロリーナ自らが図書館へ来る。

 もちろん図書館の雰囲気を好むのも理由だが、最近はこの無礼な司書に会うことも目的だったりするのだ。


「今日も本を借りに来たわ。そうね、今日は恋愛小説が読みたいわ」

「ふふ、ロレーナ様。今日は、ではなく、今日も、では?」

「う、うるさいわね!いいからよこしなさい!」

「ご一緒に探されますか?」

「い、いいわよ。仕方ないから一緒に探してあげる!」


 ソアリよりも4つ年下のロリーナは最近社交界デビューを果たしたばかりだった。同時に、その社交界デビューで第一王子との婚約を発表されている。華々しく迎えたデビューのように思えたのだが、どうやら未だに恋愛小説を好んでいるあたりから、本人にとってはあまり華々しいものではなかったのだろう。

 ソアリはそんなことを慎重に考えながら、彼女の心を刺激しないようなものを選んでいく。


「ねえ、私この話を知っているわ」


 何冊目か、似たような本を彼女に手渡した時、ふと思い出したように彼女は言葉を吐き出した。


「この話、令嬢が政略結婚して、幸せをつかんでいくお話でしょう」


 その通りだ、とソアリは少し気まずくなる。やはり政略結婚が書いてある話は避けるべきだったか、と少し前の自分を恨む。


「……あのね、ソアリ。私は、別に王妃になることに対して悲観してるわけじゃないのよ」

「…ロリーナ様」

「ただ、寂しいと思うのは、私が一生死ぬまで、恋を知らないことよ」


 窓際に歩み寄り、そっと指先で窓をなぞる彼女の儚げな顔は、きっと限られた人にしか見ることができないのだろう。ソアリはそんな今にも消えてしまいそうなロリーナを抱きしめたい衝動に駆られた。


「だから、本で私に気を使わないで、ソアリ」

「…え、」

「本は、きっと真実を映し出してくれる。架空のお話でも、きっとそれは寓話になるんだわ」


 一瞬だけ、18歳であることを忘れる。自分よりも年下のはずのロリーナが、まるで、そうまるで国を笑顔で修めることができてしまう王妃のようにさえ思える。

 そんなロリーナの決心を、ソアリは知らない。親しい仲においても、ロリーナは見せない。それもまた、王妃教育なのか。


「かしこまりました、ロリーナ様。それでは私のおすすめをご紹介します」


 ただソアリは、そうやって彼女の望む本を探してあげられることしか、できない。





 ロリーナが去った図書館は静寂を取り戻した。気づけば窓の外は茜色に染まっている。

 ソアリは、恋について考えたことはなかった。本を読めばそれはまるで参考書のように書いてあるけれど、実感したことがなかった。例えば、魔王にさらわれた姫を助け出す勇敢な騎士の言葉一つにドキドキして眠れない夜もあった。それでもそんな現実的ではない世界に飛び込んだことはないし、ましてやそんなセリフを吐かれるような背景もない。さらに言えば、自分がその物語の登場人物になれるような人間だとも思えない。

 だからこそ、少しだけロリーナの気持ちがわかる。わかるけれど、きっとソアリは恋をしようと思えばできる立場にあって、ロリーナはそうではない。きっとそれが決定的な差。

 帰り際に、また会いたいわと告げる彼女の寂しそうな笑顔がなんだか消えてくれない。王妃になったロリーナがこの図書館を訪れてくれることがあるんだろうか。

 まだ何十年か先の話のことなのに、無性に涙がこぼれそうになった。


 そんな時だった。


 カァッと一声鳴った。その聞き覚えのある鳴き声に身構える。


「君がこのエリアで立ち止まって物思いにふけるなんて、なんだか嫌だね」


 そんな皮肉っぽいセリフが似合う男は、きっとこの世界中を探してもこの魔術師しかいないだろう。なんの詠唱もなく、そしてとくに何かの衝撃があるわけでもなく、何もない場所から館内に現れたのは黒の魔術師。

 ソアリは無意識に恋愛小説が置いてある場所に来ていた。それを指摘されるまで気づかなかったとは、それくらいロリーナについて考えていたのだろう。


「何か、恋煩いでも?それとも、君の親友かい?」


 社交界なんて得意ではないくせに、この男は何故だかすべてを見透かし、知っている。知っているくせに、あえて質問をする彼を、ソアリは以前は苦手だった。


「あなたは、恋をご存じですか?」


 まさか、そんな質問がソアリから飛んでくるとは思わなかったのだろう。驚いた、きょとんとした顔を始めて見せた。それがなんだかソアリには面白おかしく見えて、くすりと笑ってしまう。


「テオドール様も、恋をするんですか?」

「…君は、本当に面白い子だね」


 外は茜色が藍色に溶けていく。その光景を背景に、美しい魔術師は妖しく微笑む。

 その神秘的な光景が、ソアリには小説の一場面のように思えた。


「ロリーナ令嬢と、今度茶会をすればいい。その時にもっと君たちは、お互いのことを知ることができるんじゃないのか?」

「まあ、変人として有名なテオドール様に友人関係について説かれるとは思いませんでしたわ」


 驚いたソアリが口元を手で押さえてそう告げる。だがそんな反応も別に珍しいわけではないとテオドールはふい、と顔をそらした。そして知らずうちに館内をジユンに飛び回らせていた使い魔のカラスを口笛で呼ぶ。


「ありがとうございます、テオドール様」


 それを帰る挨拶と受け取ったらしいソアリは、改めて礼を言う。それに今度はきょとんとした。

 そのあとすぐに、いつもの曖昧で面白おかしそうな笑みを浮かべ、どういたしましてと返す。


「君は、まだ恋を知らなくていい。―――安心して、いつか僕が教えてあげよう」


 そんな意味深長な言葉を残して、再びカラスと共に音もなくその姿を消した。

 耳元で言われた言葉が熱を持つ。まさかこれも魔術のひとつか、なんて馬鹿げたことを一瞬考えたソアリは、振り払うように閉館の準備を進めた。



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