魔王のValentine day
狸塚月狂様の狸バレンタイン企画応募作品です。
異世界要素はかなり少ないですので、予めご了承ください。
「今日のお昼の12時に、私は魔王に、連れ去られてしまいます。私は今、高校の体育館にいます。お願いです。助けて下さい」
さっき、俺のスマートフォンに入った、同級生で恋人の結香からのLINEメッセージ。
俺は、詰襟の学生服を着て、武庫川の細い土手道を、ひたすら自転車を漕いで、高校へ向かう。
デジタルの腕時計は、既に11:54。残り5分少し。高校に到着出来るか微妙な残り時間だ。
土手の道の向こう側から、髪が長いくせに、脚の短いおっさん……国語の先生じゃん……こんな時間に何で、土手道歩いてんだよ!
「人という字は〜」とか、教えてくれたけどさ、漢字の成り立ちを調べたら、あれ、腰の曲がった爺さん一人の象形文字が起源だろ!嘘教えやがってクソが!
例の国語教師とすれ違った後、俺は自転車の漕ぐスピードを更に加速させて、土手道を進む。また、前から人が歩いて来る……相撲取り?……いや、あれはマ◯コデラックス?
ふざけんな、土手道でそんなデカイ身体じゃ、自転車が通れないだろうが!
俺は、自転車を乗り捨て、土手を一気に降った。
土手の堤防沿いにも、細い車道がある。
堤防沿いに、真っ直ぐ進んで、左に曲がれば、高校グラウンドと公道の間によくある、緑色の玉避けネットが、左の視界に見えて来る。
はぁはぁ……と息を切らせて校門をくぐり、校舎の北側にある体育館。結香の姿は見えない。
「ゆ……結香!!どこにいるんだ! いたら、返事をしてくれ」
誰もいない体育館に、俺の声だけが響いている。
「結香!……結香、返事をしてくれ……魔王なんかと一緒に行くな! まだ、行っちゃ駄目なんだよ……」
結香、結香、結香……行っちゃ駄目だ……
「圭一、どうしたの?なんか、悪夢でも見てた?」
ーー!?
「え?……あ……結香?」
妻の結香が、不思議そうに俺の顔を覗き込んでる。
「圭一、さっき……なんか、行かないでくれぇ!とか、急に叫び出したじゃない? 何事かと思って、びっくりしちゃったよ」
そうだった。俺は高校生じゃなくて、もう10年以上前に高校を卒業してて、一昨年、30歳になった時に、高校の同級生で恋人だった結香と結婚して、今は結香と夫婦だった……。
パイプ椅子に座って、ウトウトしていた時に、夢を見ていたらしい。
「行かないで!って、まだ、行かないよ。あと3、4ヶ月くらいは大丈夫って先生も言ってたし」
俺の妻、結香は、末期の膵臓癌。
そしてここは、神戸の御影の山裾に構える六南病院の病室で、窓から神戸の東灘の閑静な住宅街が望め、そこから更に海側に広がって神戸の港が見える。
3ヶ月前の癌の検査。既に癌は全身に転移。抗がん剤の治療は、腫瘍の縮小しか、期待出来ない。
抗がん治療が上手くいけば、余命は再来年頃まで、効果がなければ、半年と考えておいて下さい、というのが医師の答えだった。
そして、直ぐに抗がん治療を開始したが、先日受けたCT検査の画像では、腫瘍の縮小どころか、不気味な白い影が、更に大きく、鮮明な物になっていた。
2ヶ月前に、抗がん剤の効果がなければ、余命半年と言われたので、結香の余命は、残り4ヶ月。
痩せて、髪の毛が抜け落ちたとはいえ、結香の元気な姿を見ていると、死がそんなに近いとは、思えない。
しかし、癌はそれまで元気だったのが、ある日突然容態が悪化して死を迎える……そういう病気だ。
「結香、ゴメンゴメン。俺、うたた寝してて、凄く変な夢見てた」
「そんなに毎日、病院に来なくて良いよ……まだ、急にどうこうなるわけじゃないし……仕事も忙しいんでしょ?」
俺は、パイプ椅子から立ち上がって、お茶を入れに、病院の給湯室でお湯を貰い、再び病室に戻って、結香にお茶を淹れる。
今日の神戸は、今年最低の冷え込みらしい。
結香は、美味しそうに、ゆっくりとお茶を啜る。
ほっ、とした優しい表情を見せた。
結香が、何かを思い出して、病室のベッド脇の棚を弄った。
「あ、圭一、昨日さ、圭一がいない時に、病院の下の売店で、これ買って来たんだ! 病院の売店だから、お洒落なチョコ売ってなくて……ゴメンね、こんな普通のチョコで。これ、私からの、最後のバレンタインのチョコレート」
結香は、申し訳なさそうな表情で、ラッピングされてない板チョコを俺に手渡した。
「来年は、もう渡す事が出来ないから……来年からは、私の知らない誰かから、バレンタインのチョコ貰ってね!」
「おい、急になんで、そんなことを……」
「圭一はまだ若いんだから、幸せにならないといけないの。私の知らない誰かと、新しい恋に落ちて、家庭を作って、奥さんと、子供の笑い声に包まれた、明るい家庭を作って……そして、私はお空の上から、キーッと嫉妬しながらも、貴方の幸せを天国から見守っていて……それで……」
結香は、途中から涙声になって、話を続けようとするのを、俺は遮る。
結香は号泣し始めた。
「ほ……本当は、あ……あたしが……あたしがそんな暖かい家庭を作りたかったの!貴方がいて、子供達がいて、みんなでキャンプ行ったり、海水浴に行って、疲れ果てた子供達が、帰りの車の中でグッスリ寝て……それなのに……それなのに……」
俺は結香を抱き締めた。抱き締めることしか出来なかった。妻を救ってあげられない悔しさ……。
「俺の……最後の女は、結香だけだよ……」
胸の中で、結香の涙がポロポロと落ち、俺のワイシャツを滲ませた。大丈夫、俺はここにいる、結香、泣かないで。
結香は、ウンウンといって、顔を上げ、窓の外に目を遣った。
「あ……」
「うん? どうした?」
「雪が降ってる……ね……」
「ああ、今日は冷えるからね」
少し落ち着いた結香、暫し窓越しから雪を眺め、
「あたし、桜の季節まで生きられるかな?……貴方の会ったのは、高校の教室……高1の4月、私がぼんやりと、外の桜の散るのを眺めてた時……」
「俺が消しゴム忘れたから、貸してって言ったんだよな」
そうだ。教室の窓際。桜を眺める君の横顔を見て、一目惚れした俺。
本当は、忘れてないのに消しゴムを借りた。あれが二人の始まりだったんだ。
「あ、圭一、さっきの悪夢って何だったの?」
「結香が魔王に連れ去られるって聞いて、助けに行こうとする夢だったよ」
結香、興味深そうな表情をして、少し考える素振り。そして、
「魔王かあ……死んだら天国より、異世界が良いな。あたしがお姫様に転生して、魔王に攫われるの」
「姫を助けに行く勇者は、俺かい?」
「ふふふ、貴方みたいなヘタレだったら、最初のスライムにやられて、王様に、死ぬとは何事だって……叱られちゃう……わ……よ」
結香の表情が、ぼんやりし始めている。痛み止めのモルヒネが効いて来たのだろう。
「圭一、あたし、眠くなって来たよ……暫く寝るね……それと……他の誰かと一緒になっても、私のこと……忘れないで……」
結香は、吐息を立てて、静かに眠りに入った。
……50年後
俺は岩の前に立っている。岩の天辺に突き刺さっているのは聖剣。諸手で掴み、聖剣を引っ張りあげると、ズズズと音を立てて、剣が抜ける。
うん、大丈夫だ。俺は異世界に来て、16歳になっている。
魔王と戦うだけの体力も腕力をあるはずだ。
遠くに魔王の城が見える。
待っていろよ魔王。
姫は、俺が今から、救い出す。
姫……いや、結香、もう一度、君に会いたいんだ!
-完-