5 瀬戸内部屋の関取たち
秋場所が始まる、約十日前。
大関、早蕨は、朝の稽古が終わると、部屋のちゃんこもそこそこに、上野公園に向かった。
そこで、妻と娘と待ち合わせた。
会って間もなく、早蕨はまた、妻子と別れた。
夕食は近くの予約済みのレストランで一緒に食べることを約しているが、それまでの時間は別行動。
妻と一人娘は、上野動物園へ。
早蕨は国立西洋美術館へ。
目的は、今開催されている特別展。
最大のお目当ては、
ヨハネス・フェルメール「真珠の首飾りの少女」
静謐、典雅なフェルメールは、早蕨の心をとろけさせた。
その絵を観たあと、早蕨はさらに、展示されたヨーロッパ絵画を見続けた。
だが、早蕨は、いつもほどには絵画の鑑賞に集中できない。
早蕨のこころを、ひとりの力士の姿が占める。
金の玉征士郎。
世間は、早蕨のことをこう呼んでいた。
「金の玉と、最も多く相撲を取った男」
早蕨は、高校を卒業して十八歳で、瀬戸内部屋に入門した。
その瀬戸内部屋に、毎日、稽古に来ていたのが十一歳の里井征士郎だった。
それから八年。いったい征士郎と、どれだけの数の相撲を取っただろう。
七歳の年齢差。
いかに天才相撲少年とはいえ、まともな相手になるわけがない。
だが、征士郎は、いくら土俵に叩きつけても、何度も、何度も向かってきた。
一年前の夏。実力でついに追いつかれたと感じた。と思う間もなく、あの男はどんどん強くなっていった。
そして最後は、はるかに手の届かない存在になっていた。
自分は一昨年の秋に大関になった。
それから二年。大関として可もなく不可もない。そんな成績を続けている。
今年の初場所から夏場所まで。
金の玉征士郎は、わずか三場所で、土俵を去った。
三十五勝無敗という成績を残して。
金の玉が去った名古屋場所。
早蕨は、一部のファンから、自分が金の玉の身代わりのように見られていることを感じた。
金の玉と、最も多く相撲を取った男。
さらに、早蕨は金の玉同様、押し相撲であり、力士としては小柄である、というのも同じ。
自分が、あの金の玉の代わりになるわけがない。
早蕨にはそれは自明のことだった。
一部のファンも、むろん、完全な身代わりと思っているわけではない。そのイメージをわずかに投影させているだけ。
金の玉の相撲、あの最後の一年に満たない、完成された相撲。 その押しも早蕨は受け続けた。
だが、金の玉のあの相撲は、薬物の力を借りていたという。
三十五勝の記録も抹消された。
そうだったのか。
早蕨は、全てが腑に落ちた気がした。
だが、そうであったとしても、あの押しが、自分には及びもつかない、究極の押しであったことに変わりは無い。
その押しは、この体が覚えている。
私は、何をすればいいのだろう。
金の玉征士郎の姿が浮かんだ。その表情は悲しげだった。
別のものの助けを借りずに、押しを完成させよう。
自分なりの押しを。
征士郎、私がそれをやっていいか。
答えはない。
もう一度目指してみようか。
早蕨は思った。
横綱を。
曾木の滝が、夏場所十四日目の不戦勝の記録の抹消を願い出たのは、深い思惑があってのことではなかった。
突然倒れ、再起不能となった金の玉征士郎。
その生涯記録は三十五勝一敗。
その一敗は誰に喫したものだ。
将来の相撲ファンは注目するだろう。
その相手の名は、曾木の滝。
そして、それが不戦敗であることも同時に知ることになるだろう。
俺は、そのことを一番に語られてしまう力士になってしまうのか。
曾木の滝は気が重かった。
そのとき、協会が、金の玉の不戦敗を、記録から抹消することを検討しているという話を聞きつけ、それに便乗しただけにすぎない。
だが、その行為は、早蕨と並んで、最も多く、金の玉と相撲を取った男の義挙というふうに世間には見られた。
今は「薩摩の義士」などというニックネームも付けられてしまった。
曾木の滝は面映ゆかった。
金の玉が再起不能になり、さらに不戦勝、不戦敗の記録の抹消がなされた際、曾木の滝はマスコミから多くの取材を受けた。
むろん、全て金の玉に関することである。
マスコミが何を求めているかは、よく分かっていた。
要は世間を感動させるような、あるいは、金の玉のイメージに添ったようないい話を求めているのである。
その線に添った誘導尋問も多かった。
だが、曾木の滝は、その世間の期待に添うことはできなかった。
金の玉征士郎と、何か心の交流があったろうか。
あいつは、いつも一心不乱に稽古に励んでいた。
曾木の滝の入門前、幼かったころの征士郎は、よく笑う、活発な少年だったようだ。古くからいる部屋の力士はそう言っている。
だが、曾木の滝は金の玉の笑顔を、ほとんど見た記憶がない。会話をしたというほどの記憶もほとんどない。
両親は、なかなかの美男であり、かなりの美人。
その間に生まれた征士郎も整った顔立ちをしていた。
だが、常に思い詰めていたことの影響だろう。
元々、恵まれていたはずの素材はだいなしになっていた、と思う。
蔭にこもった暗い顔立ち、そういう印象しかなかった。
金の玉の薬物のニュースが流れたとき、曾木の滝は、マスコミに雷同しなくてよかったと思った。
夏場所が終わって以降の瀬戸内部屋。
それは、
金の玉征士郎がいない稽古場。
曾木の滝にとっては入門以来、初めてのことである。
最初は、とても自由に伸びやかな稽古場になったような気がした。
だが・・・
寂しい。
曾木の滝は、今、そう感じていた。
金の玉が相撲に開眼したのは、自分との稽古の最中のことだった。
蒲生野は、本人から直接ではなく、誰かにそのことを教えられた。
あのほとんど話すことのなかった金の玉関が、そのことを誰かに語ったのだろう。
名誉なことだ。蒲生野はそう思った。
蒲生野は、一昨年の九州場所に関取になった。年齢を考えれば、かなりのスピード出世である。
だが、そこで停滞した。金の玉が自分との稽古の最中に開眼した際、自分は十両力士だった。
そのあとも、蒲生野は十両を抜け出すことができなかった。
金の玉は、今年の初場所、幕下10枚目格付け出しで初土俵を踏んだ。
春場所は十両。夏場所は新入幕。
蒲生野は、あっという間に追い越された。
そのことは仕方がない。自分と比較できるような力士ではない。
金の玉が土俵を去った名古屋場所、蒲生野は、ようやく入幕を果たした。
金の玉関が僕を引き上げてくれたのだ。
蒲生野は、そう思った。
新入幕のその場所、蒲生野は、八勝七敗。勝ち越した。
その後、流れたニュースで、蒲生野は、自分の大切にしていたものが、壊れてしまったと思った。
でも、金の玉征士郎を批判する気にはなれなかった。