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1 描かれなかった物語

相撲小説 金の玉シリーズ

金の玉→四神会する場所→四神会する場所第二部→金の玉外伝1 伝説の終焉→金の玉外伝2 師匠と弟子たち

その続き、です。

 今後、大相撲界が紡ぎ出すであろうストーリーには、いくつかのメインテーマがあった。


 ひとつは、横綱、羽黒蛇六郎兵衛。その完成の域に達した円の相撲は、金の玉征士郎の直線の相撲に敗れた。

 いったんは、引退を決意した羽黒蛇は、人生の師と仰ぐ人物の言により、それまで自分が理想と描いていた相撲を、そして力士像を捨てた。


 その彼が得たものは、何物にもこだわらない融通無碍の、そしてこだわらない、ということそのものも捨て去った相撲だった。


 先の名古屋場所、彼は、円の相撲の完成により到達した領域さえも超えた、圧倒的な相撲で全勝優勝を果たした。彼はいったいどこまで強くなるのか。古今無双の力士への道をこのまま突き進んでいくのか。


 ふたつめは、近江富士明。高校野球のスター。ドラフトで1位指名されながら、三年以内に横綱になるとの公約の元、大相撲界に飛び込んだ男。


 この公約については、いかに近江富士が抜群の身体能力、運動能力を持っているにしても、いくらなんでもそれは無理だろう、という意見が大多数であった。


 だが、夏場所、新入幕の十一勝。敢闘賞獲得に引き続き、入幕二場所目の名古屋場所、東前頭七枚目で、十二勝。殊勲賞、技能賞を獲得した時点では、公約通り、三年以内に横綱になるのではないか、という意見がむしろ多数を占めるようになった。


 近江富士が、新入幕以来喫した黒星は七つ。羽黒蛇、荒岩に各2個。玉武蔵、早蕨、金の玉に各1個。すなわち彼は、現在の大相撲界における最強豪クラス以外の力士には全く負けていないのである(注 金の玉に対する敗戦の記録は、幕下時代、十両時代のものを含めてその後抹消)。

 彼のような超軽量力士が、これだけの安定感を持っているというのは特筆されるべきことである。


 さらには、名古屋場所においては、横綱、玉武蔵。大関、若吹雪から殊勲の星をあげた。


 その場所の彼の取り口の変化、実力の向上には目をみはるものがあった。


 そして、名古屋場所のあとの夏巡業。それを取材するメディアから、近江富士が更に強くなっているとの記事の見出しが、各紙面を、ネット上をしばしば飾った。


 名古屋場所に、それまでの相撲からの転換を図った、近江富士。本場所を経験したこと、日々の稽古により、その立ち合いは、さらに速さ、鋭さを増し、相手がいかなる巨漢であっても、押し込まれることはないし、しばしば、一気に寄り切る。


 そして、その立ち合いは、彼の元々の、最大の武器であった、右からの上手投げについても、さらに威力を増すという効果をもたらした。

 一気に寄り切れない場合は、その勢いのままに上手投げを繰り出す。あるいは、増大した立ち合いの威力に対抗し、寄り返そうとする相手のはなに、上手投げを繰り出す。それは面白いように決まった。


 来場所、秋場所の番付を予想した時、東横綱、羽黒蛇。そして、近江富士が、新小結として、西小結となることは間違いない。

 それは、取組編成の慣例として、秋場所初日に、羽黒蛇と近江富士が対戦するということを意味する。


 大相撲ファンは、夏場所前、ともに連勝を続けていた、羽黒蛇と金の玉の時と同様、来る秋場所初日の、この両者の対戦に心躍らせていたのである。


 もうひとつのメインテーマ、それは、近江富士の実力向上がかくも、著しい、となれば、その弟、豊後富士の実力の伸び次第では、三兄弟同時横綱が、実現するのではないか。


 そして、そこに至る過程において、三兄弟の内のふたりによる優勝決定戦が、場合によっては、三兄弟による優勝決定戦を観ることができるのではないか。


 ファンの中で、そういう声が高まってきたのである。

そんな出来過ぎた、安物のドラマみたいなストーリーなど見たくない。

 アンチを標榜する一部ファンの声はあったが、近未来予想として、その出来過ぎたストーリーが、様々なメディアで描かれたのであった。


ドラマチックなストーリーは、描かれなかった。



 夏巡業の終盤、稽古土俵において、右上手投げを放った近江富士の、右肩が破壊されたのである。腱板断裂。手術を要し、リハビリも含めれば、完治には六ヶ月。但し、手術が成功したとしても、右肩は、日常生活に何とか支障がない、という程度にしか戻らない。それが、医師の診断であった。


 その診断は、力士として復帰したとしても、もうあの右上手投げは打てない、ということを意味した。


 右上手投げがなくても、近江富士には、今、会得し、完成しつつある、あの立ち合いからの一気の寄りがあるではないか、との声もあがった。


 だが、近江富士明には分かっていた。高校時代、150キロを超える速球を投げた、おのれの右肩、そして右腕は、おのれの肉体がもつ、あらゆる力の源泉であったと。

 この右腕、右肩があったからこそ、あの一気の寄りができた。


 あの寄りは、速く、鋭い立ち合いだけではない。前みつ、横みつをとっての、左右での強烈な引付があったからこそ、あの寄りができた。


 そして、全治六ケ月。半年後、その番付はどこまで落ちているのか。

 もう三年以内に横綱になるという公約は、どうあがいても実現不可能になった。

 いや、期限を区切らなくても、この俺から、あの右肩が失われてしまったとなれば、横綱になることはできない。


 三年以内に横綱になり、数場所勤めたら、プロ野球界に転じる。それが、近江富士、新谷明の未来のはずだった。


 プロ野球界では、チームのエースとなり、中軸を担うスラッガーとなる。ピッチャーでも、バッターでもタイトルホルダーになる。

 それが、新谷明の夢だった。いや、夢ではない。自分ならそれが出来る。明は、そう信じていた。だが、その信念の源となっていたものは、おのれの肉体から失われた。


 俺が思い描いていた未来は、もうやってくることはない。

明には、それが分かった。



 近江富士の右肩が破壊されたとき、その稽古での対戦相手は、羽黒蛇六郎兵衛だった。


 近江富士の右肩が破壊された稽古のあと。

羽黒蛇も、おのれの肉体の変調を感じていた。

 近年の流行りの言葉でいえば、腰に違和感をおぼえるようになった。

 今に至るまで、羽黒蛇は、おのれの身体に、そのような不調を感じたことはなかった。


 さほど、自覚していたわけでもなかったが、羽黒蛇は、おのれの身体の均衡、頑健さは、所与のものとして、当然のことと思っていたのである。


 違和感を感じるまま、稽古を続けた羽黒蛇は、数日後、やはり稽古の最中に、右膝を損傷した。


 右膝前十字靭帯断裂。手術後、リハビリを経て、復帰までは六~八ケ月。但し、相撲を続ける限り、再発の恐れは常に伴う。それが医師の診断であった。


 近江富士と同様、羽黒蛇も、自らの肉体から、円の相撲を完成させるに至った、そこから先の融通無碍の相撲を完成させるにいたった、その力の源泉が永久に失われてしまったことが分かった。


 具体的に言えば、それは、対戦相手のあらゆる攻めを受け、吸収する、その柔軟な下半身だった。かれの持つ精神の力とともに、その下半身こそが、かれの強さの源泉だった。


 もう自分は古今無双の力士にはなれない。

羽黒蛇には、そのことがはっきりと分かった。

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