:因縁の二人―3:
新選組の隊士は、決まった刻限になると市中の巡察にでる。その際、不逞の輩と斬り合いになることも少なくない。
そして、人を斬った隊士はおぞましい数の鬼やら怨霊やらを引き連れて屯所へと帰ってくる。もちろん、人間たちの目には見えない。
「トシ、勝ちゃん、お前ら人を斬りすぎだよ……。俺はお前たちを、地獄へ連れていきたくはないぞ……」
篁は端麗な顔をぎゅっと歪めた。篁が密かに閻魔王に命じられている役割は、地上に溢れた妖たちを狩るだけではない。
人の道からそれた人間を冥途の役所に連行する、というものだ。
その連行候補者一覧を前もって渡されているのだが、新選組隊士や志士として活動する人々の名が連なっている。もちろん連行理由も書かれている。
「人の道からそれた、って言うほどでもないだろうに……」
人の道からそれたと言うのは、雷微真君のような者のことを言うのだ。
「あいつ……どこにいるんだか……」
仰け反って星を見る篁の脳裏には、かつて一緒に嵯峨天皇に仕えた男の顔が浮かんでいる。あのころは、雷微ではなく雷信という名前だった。
「春明と、俺と、雷信、三人でよく遊んだのは……何百年前か」
いつの頃からか、雷信は天皇を倒して国を手に入れたいと願うようになった。
嵯峨天皇の腹心の部下である篁と春明は、自然と雷信と敵対し、ある日ついに雷信を捕えた。
「あの時、既に鬼と化していたんだよなぁ……」
その後、雷信がどうやって悪しき怨霊へと進化を遂げたのかは知らない。だが以来、数十年おきに都に姿を現しては、悪さをしているのだ。
ため息をつく篁の傍に、ちょろちょろと駆け寄ってくるものがある。
赤い体に大きな頭、角が一本生えた小さな鬼だ。
「お、篁、ここにいたのか」
「剛奇! 久しぶりじゃないか」
剛奇と呼ばれた小鬼は、器用に篁の肩によじ登ると手に持った書状をひらひらと振った。
「閻魔王からの文。大悪党の裁判手伝え、ってさ」
は、と、篁は気の抜けたような笑みをこぼして、職場へと足を向けた。
ちょうどその頃、屯所の上空にぽっかりと浮かぶ黒い雲があった。
視るものが視れば愕然としたであろうその雲の中には、異国風の衣を纏った男がいる。
束ねることなく背に流した長い髪が、彼の足元に集まる妖気に煽られてまるで蛇のように見える。彫りの深い顔には表情がなく、地上を睨み付ける切れ長の瞳は金に光る。
ふいに彼は、にやりと笑った。不気味なほどに赤い唇からは尖った牙が覗く。
彼の呼び名は雷微真君。この名前は自分でつけた。本来の名は疾うに忘れている。
「久方ぶりに目覚めてみれば人界はこの有り様。美しさの欠片もない」
かつて己が、異形に身を落としてまでも欲しいと思った国はこれではない。
今のこの国ならば、さほど苦もなく手に入れられる。乱れた人心、削がれた帝の霊力。これらを操るのは容易い。
「使う傍から妖力が補充されるような、怨念に満ちた世がくるとは……」
呆れたものよ、と呟きながら右手をさっと掲げる。凝縮された妖気が塊になり、雷となって青白く光る。
「ふむ、怨念はこの屋敷に向けられているのは間違いあるまい。よくもまあこれだけ恨まれたものよ……」
屯所へと引き寄せられる怨念、その怨念に群がる悪鬼怨霊。
くっくっく、と楽しげに笑いながら、無造作に雷を投げる。
屯所を護るために篁が張った結界がわずかに綻び、結界の外を徘徊する妖どもが殺到する。だが大抵のものが結界に触れた瞬間、灰になる。
「さすがに、この程度の雷では破れぬか。もう少しまともな……余の手足に成り得る妖はおらぬものかな」
雷微が再び雷を投げるのと同時に、怨念と血の臭いまとわりつかせた新選組の隊士たちが戻ってきた。隊士の行列の後ろに、餓えた百鬼夜行が続く。
雷微は三度、雷を投げた。
百鬼夜行の先頭にいた異形が、雷でできた結界の綻びを見付け、歓喜の咆哮をあげた。
「ヒジカタ、ニクシ」
続々と異形・怨霊が叫びだす。
「コンドウ、ユルサヌ……」
「モウスコシデ、ヤツラガクエルゾ」
「ワレラノウラミヲ、ハラストキガキタゾ」
その声が高まったころに、ぱりん、と微かな音がした。
壬生の屯所にはられた結界が破られたのだが、それが理解できる者は屯所には一人もいない。
同時に、どっと異形のものが押し寄せてきた。
ここへきて、屯所で休んでいた新八が異変を感じて目を覚ました。
「な、なんだ?」
敵襲にしては静かすぎるが、愛刀を引き寄せながら、隣で眠る仲間を起こさないようそっと布団から這い出す。
そっと襖を開けた新八は絶句した。庭や廊下、見渡す限り異形のものがひしめいている。やつらがぞろぞろと目指す先にあるのは、局長室と副長室だ。
「おいおい、まずいだろ……」
今、篁は閻魔王に呼ばれたとかで冥途に帰っているし、総司はつい先ほど巡察出ていった。中庭を駆けてとりあえず副長室の前に立ちはだかり刀を抜くが、『こけおどし』にしかならないのは明らかだ。
刀を構える新八に気付いたのだろう、一つ目の大きな青い鬼が近寄ってきた。
「くそ……どうすりゃいいんだ……」
鬼が何かを叫ぶと、近くにいた双頭の大蛇や翼を持つ犬、赤い猿などが寄ってくる。
「ウマソウダ……」
「なっ、なんだと……? 俺を喰らおうってのか……!?」
異形を視ることのできる者は、格好の餌食となるのだが新八は知らない。己を取り巻く禍々しい妖気に頭がぐらぐらしてくる。
「どうすりゃいーんだよっ……篁さん!」
困惑する新八を嘲笑うかのように、雷は酷くなる。だが新八以外の者には聞こえていないのか、誰も目覚める気配はない。
「篁さん、聞こえてねぇのかよっ!」
天や地に向かって喚く新八を幾重にも取り囲んだ異形たちは、からかうように新八に飛びかかってくる。爪や牙をちょっと立てては、ぱっと飛び離れ、再び飛びかかっては離れる、というのを繰り返すばかり。
小さいが無数の傷からじわじわと血が流れ、新八の気力と体力が削られていく。その傷口の一つに、小さな鬼が吸いついた。
「や、やめろ……」
血が吸い出されていく。目の前が一瞬暗くなり、新八はたまらず片膝をついた。
「モウスコシダ」
「コイツガシネバ、ココノ護リハナクナルゾ」
「タオセ、タオセ」
「ニクイ、シンセングミダ」
新八の、ここから先は行かせない、という強い想いが一種の結界を築いている。だから異形たちは先に進めない。
だが、ただの人間でありながらこれだけのことをやってのける新八の魂や肉体は、異形たちにとって最上の餌だ。どうせだからこいつも食べてしまおう、と、異形たちが考えるのも、当然だ。
そんな屯所の様子を、高みの見物を決め込んでいる雷微は楽しそうに見つめて。
極上の餌である新八を食らうために、妖どもは互いに戦うだろう。勝った者が新八を食べて強くなり、近藤・土方のもとへ行く。またそこで獲物である彼らを食らうために、異形たちは戦い、せいぜい残るのは一匹か二匹、複数のこれば彼らを互いに喰らわせて数を減らせばよい。
「最後に残った一番強い妖を、我が食らう。楽しみよのぅ」
高らかに笑う雷微の気がかりはただ一つ。憎き小野篁だ。あの男が冥途から戻ってくるまでにこれが終わるかどうか。
「篁が戻ってくれば、この程度の雑魚妖怪たちは一瞬で浄化されてしまう……」
そんなことを考えて上空を旋回している雷微の眼に、一人の隊士が映った。
「ほう、これは随分と弱っているな」
額に包帯を巻いて寝かされている、小柄な男。
「たしか先日……池田屋とやらに斬り込んだ際、額を割られた男がいると聞いていたが……こやつか?」
一命はとりとめているが未だ顔色は悪く、呼吸も浅い。酷く危うい状態であるのは一目瞭然だ。
「ふうむ……これは良い機会であるぞ。ちと、こやつで試してみるか……」
雷微は室内に降り立ち、素早く男の包帯をずらした。そっと傷口に指を添え、何事かを口の中で呟く。
黒い靄がライの指先から発生する。それは男の傷へ吸い込まれ、体内に入り込んで行く。
「うっ……」
寝かされている男――藤堂平助が低くうめいて、体を激しく動かす。
「動いてはならぬ……堪えよ!」
再び何事か呪文を唱えると、平助の身体は硬直し、ぐったりと力を失った。
「これで、よし……」
にやりと笑った雷微は、素早く室内を後にした。もう少し平助の様子を観察して居たかったのだが、あまり長居すると自身の妖気や気配が室内に残ってしまう。
「くくく……面白くなってきた……」
一方、与えられた仕事を終えて閻魔王の執務室に飛び込んだ篁は、重厚な机に向かっている中年の男性に険しい瞳をぴたりと据えた。
「なぜ雷信……いや、雷微真君の復活を阻止しなかったのですか」
「……掟だ」
書物に目を落としたままその男、閻魔王は機械的に返事をする。
「……お前も知っているだろう、我々は人界に干渉しない」
「阻止しないまでも、あいつが目覚めた事を俺に知らせてくれてもよかったでしょう!」
息巻く篁を、閻魔王はちらりと見る。
「せめて、新選組に対して呪詛を撒き散らしていた、あの影を喰らうのを阻止できていれば」
「……かわらぬ。あの影の代わりなど掃いて捨てるほどある。雷微真君は、遅かれ早かれ、新選組に対する怨念を身の内に宿した者を見つける」
確かに、今、京を徘徊している妖異たちの大半が、新選組に対しての怨念を抱えている。
彼らを食べたとき、食べられた妖が抱えていた強い『念』は、食べた方に移って行くように出来ている。
「人間からも狙われ、妖異からも狙われるとは難儀なことだ。お前もしっかり励むように。これ以上死者が増えてはかなわん。ああ、これが地上へ逃げ出した者の一覧だ。連れ戻すなり狩るなり、任せる」
ぽい、と無造作に投げられた巻物を片手で受け取り、渋々それを懐に納める。
嫌だ嫌だといいながらも篁は忠実に仕事をこなす。有能な官吏なのだ。ちなみに現在の冥界は人手……いや、鬼手不足で大忙しだ。
三途の川を渡るのにも順番待ちの行列が出来て久しい。臨時に舟を増発させているが、それでも全く足りない。閻魔王の裁判を受けるのにも長蛇の列が出来、整理券を配布する始末なのだ。
「それから、武器をもっと下さい。総司に常備させておかないと、面倒なことこの上ない」
そんな篁の様子を面白がっていた閻魔王の眉がぴくっと動いた。
右手を宙に翳し、鏡のようなものを召喚する。そこへ地上の様子が映る。
「篁」
「ん?」
「急ぎ地上へ行け」
映像を見た篁の顔が瞬時に青ざめた。挨拶もそこそこに、衣の袖を翻して地上への道を駆けて行く。いつも飄々とした篁にしては珍しいことである。
それを見送り、ため息をついた閻魔王は鏡と書物を閉じ、腰をあげた。
控えていた異形の官がどちらへ、と問う。
「工房へ。急ぎ新たな武具を創ってやらねばな……」
総司には太刀より刀が良いだろう。篁には弓を。そして。
「永倉新八にも、刀を。平助を護れ……」