古の大妖ー1
魑魅魍魎悪鬼怨霊が夜な夜な出没する、平安の都。
その夜も、滅多に人の通らぬ風葬の地近くに、数人の影があった。周囲の草木はことごとくなぎ倒され、ところどころ、白い煙も上がっている。
そう、戦いが行われたのだ。
一人は狩衣かりぎぬに指貫袴さしぬきばかま、頭には烏帽子えぼしといった格好の、背の高い青年だ。彼は、人ならざる気配の者――十二神将と呼ばれる者たちだ――を従えている。
その男の華奢な肩が上下に激しく動いている。真冬の丑三つ時だと言うのに汗が滴るらしく、袖で頻繁に額や顎を拭う。
「は、はああ、無事に勾玉への封印、おわりました」
「よくやったな、晴明。見事だよ」
「小野殿……」
「さすがは大陰陽師、頼もしい」
「は、恐れ入ります」
清明と呼ばれた青年の肩を労うように叩いたのは、唐風からふうの衣をまとい、銀の刃の大太刀を肩に担いだ青年だ。その名を、小野篁という。
篁が懐から無造作に符を出して、指先で軽く弾いた。ぽうっと火が灯る。それを、篁はぱっと投げた。あたりが瞬時に明るくなる。
やれやれ、と晴明が自分の目を擦って『夜目の術』を解いた。これを使い続けるだけで、体力と気力が削がれていくのだ。
「小野殿の力と閻魔王のお力添えがなければ、私の四肢は奴の雷撃で砕けていたでしょう」
「強い、敵だった……恨みが、強い」
「はい」
篁と清明が同時に地面を見た。
閻魔王が篁に託した霊力を秘めた大きな勾玉が、そこに転がっている。ここに今、悪行三昧の大妖を封じたのだ。
清明に使役されている十二神将の一人が、無造作に勾玉を掴んだ。神気を嫌がってか、ばちばちと火花が散った。
「ちっ……生意気な……」
十二神将が腹を立てたのか、勾玉をぽいっと地面に投げ捨てた。
「これ、朱雀! なんということを!」
晴明が赤い髪の青年を叱り、青年はぷくっと頬を膨らませて姿を消した。篁が、くすくす笑う。
「十二神将は、使役しえきと雖いえども神。扱いは難しいんだよね」
「まったくもって、そのとおりです」
嘆く晴明の横に座り込んだ篁が、面白そうに指先で勾玉をつついた。
「清明、これをどうする? このまま大人しくしているとは思えないんだよね……」
「そう、ですね……」
疲労困憊で頭が回らないのか、言葉が続きそうにない主の傍に、今度は青い髪の神将が顕現した。
「そうだな……適当に穴を掘って埋めてくる。しばらくは人界や晴明を煩わせないと思う。どうだろう、篁? 晴明?」
それでいいと思うと、篁が朗らかに答えた。
「しかし、恨みが驚くほどに強いね……。祠でも建てた方が良くないかなぁ? 何せ……俺が嵯峨上皇にお仕えしていたころから、しぶとく復活している奴だから……」
「塚で十分だろう。篁、我が主・晴明を少し異界で休ませたいので、封印に同行してくれるか?」
十二神将の言葉に、篁が首肯する。
にっ、と晴明に向かって笑った神将は、次の瞬間、篁もろとも姿を消していた。
――それから時ははるかに流れ。
昨今、攘夷倒幕だ天誅だとやたら不穏な空気が漂っている、京の都。
祇園祭りの賑わいから少し離れた場所に、ひっそりと据えられた塚がある。
かつて、大陰陽師安倍清明が大変な妖怪を命がけで封じた塚だとも、地獄から逃げ出した鬼が封じられている塚だとも言うがはっきりしない。
時折、旅の僧侶が驚いたように立ち止まってお経を読む事がある以外では、特に気に留める人もない。
その塚が近頃、逢魔時おうまがどきと、になると鳴動しているらしい――京童の間で噂になっているのだ。しかも悪いことに、噂を確かめに行った子供たちが数名、塚に引き込まれて行方知れずになったと言うのだ。
普段なら大騒ぎになっているはずなのだが、只今の京の町は激動の渦中にあり、毎日毎晩、誰が斬った、誰が斬られた、血腥い事件がたびたび起こっているので、すぐにこの事件は忘れられてしまった。
今日も、浅葱色の隊服に身を包んだ壬生狼……否、新選組隊士が朝から抜き身を引っさげて町を駆け回っている。何やら事件が起こったらしいのだが、詳しいことはわからない。
彼らが行く先では必ずと言っていいほど血が流れ、同時に怨念が生まれる。
その血の臭いと怨念は京の町に渦巻き、妖あやかしや異形いぎょうの者を呼び集めている。だが、『視る』力をすっかり失った人間達はそのことに全く気が付いておらず、知らず異形たちの餌食になる者も出てきている。
それほどに、京の都は荒れているのだ。
「……知らぬとは強いものだな」
異国風の建物の一室で、中年の男が苦笑している。彼の手元には大きな丸い鏡のようなものが置かれ、そこには京の町の様子が映し出されているのだ。
男の傍らに控えた黒衣の青年も、映像を見て呆れたようなため息を吐く。
「こうも良からぬものが集っては百害あって一利なし。篁、少し狩ってきてくれるか? 『あれ』が目覚めては厄介だ」
「裁判の手伝いは?」
「春明がいるし、神野かみのもいる。なんとかなる」
青年はゆったりと頷いた。腰に刷いた太刀を確認し、部屋から滑るように出て行く。その背に向かって中年の男――冥界の閻魔王だ――が声を掛けた。
「……ああそうだ、篁」
「なにか?」
「相棒が必要になったら、新選組の沖田総司おきたそうじがいいぞ。なにせあいつは……」
わかっているさ、と篁が形の良い唇を持ち上げて笑った。
「何年、一緒にいると思ってるのさ」