カニになった
「面白い小説を書くにはどうしたらいい?」
「家にずっと籠もりきりだと面白い小説は書けないらしいよ」
「たしカニ(チョキチョキ)」
僕は両手をちょきの形にして、カニのようにガニ股になった。
そのままリビングを平行移動して玄関まで行くと、扉を蹴破って表に出た。
人通りの多い道路に面した我が家、通りの人はみな何事かという視線を僕に向ける。
「チョキチョキ、チョキチョキ」
僕はガニ股のまま歩いた。
平行移動で道路を横切るとき、トラックの運転手と目が合った。
彼は悲哀に満ちた表情をしているかのように見えたが、実際僕はトラックの運転手を見ているようで、積み荷がなにかというそればかりを考えていたので、運転手の表情はどうでもよかった。
僕はカニだった。
その瞬間、僕はカニのようだった。
カニは海で生きる。
だから僕は海を目指して横移動した。
カニはなぜ横に歩くのか?
人生を正面から直視するのは大変だからである。
ならばカニの人生とは?
ゾエア、カニの幼生期名。
メガロパ、カニの幼生期名そのニ。
稚ガニ、ここでカニらしい外観となる。
カニ、カニ。
縦に歩くカニは横に歩くカニよりも精神的に強い。
真っ直ぐ歩けるのはそのせいだ。
だからといって横に歩くカニが負け犬かというと、そうではない。
カニは犬ではないので、負けカニと表現すべきだ。
「チョキチョキ、チョキチョキ」
僕はとうとう海の傍まで来た。
潮風が顔に当たって心地いい。
波の音が聞こえる。
夜の砂浜、どこまでも続く海岸線。
黒い海原、満天の星空。
ならばカニの人生とは?
永遠の光、哀愁の海。
僕は横歩きで海に入った。
足首が冷たい。
凍えそうだ。
僕がまだゾエアだった頃の記憶。
小学校の先生が僕を指差して言った言葉。
「成績がいいですね」
成績と人生には相関がない。
必然性と蓋然性の違い。
どちらかというとお喋りな子供だった。
それがいつからか無口と言われるようになり、気づいたら小説を書いていた。
書いた小説は賞に出したりもしたが、箸にも棒にもかからない代物ばかりだった。
なぜ小説を書くのか?
自分に問うてみた。
なぜ小説を書くのをやめないのか?
「チョキチョキ、チョキチョキ」
今となってはどうでもいいことだ。
僕はカニだ。
カニは小説など書かない。
海の一部が盛り上がって、巨大な海坊主となって眼前に立ちふさがった。
潮が引いたせいで、せっかく腰までつかっていた水が跡形もなく消えてしまった。
そらは厚い雲で覆われて、星の光も見えなくなった。
「チョキチョキ、チョキチョキ」
僕は抗議しようとしたが、カニ語しか喋れなかった。
そして家に帰って寝た。
明日起きたとき僕はいつもどおり人間になっていることだろう。
あの前にしか歩かない人間に。