繰上げ昇進
失礼しますとドアの前で一声入れてドアノブに手をかける。
これだけの緊張は何時振りだろうか、まだ若手だった頃の契約更改を思い出す。
若手は球団が提示した金額を承諾するしか無いし、それで年収が何百万、はたまた何千万と変わるのだから緊張しない訳が無い。
余裕が出てきたのは名実共に主力と言われ始めた二十台後半だろうか。
自分が思っていたより高い額を提示された事もあれば、低い提示をされて少し更改が長引いた事もあったっけ。
現役時代の記憶が走馬灯のように頭を巡り終えて、遂にドアを開ける。
「まず、安心していい」
部屋に居た球団社長からの第一声がこれだった。
心中を察して頂けたのか、恐らくクビではないとの意だろう。
この言葉を聞いて俺の緊張の糸もほぐれる。
「ほんと、安心しました」
息を大きく吐いて、少しオーバーに胸を下ろす。
「それはよかった。来季は監督として、チームを引っ張ってほしい」
「はい。勿論です」
「なんと頼もしい返事だ。驚いたな」
「一軍の主力もほとんどがトレードに出てしまうという事でしたから、二軍監督としては一層身が入ります」
「ん?それは違うぞ」
あれ?新聞にはそう書いてあったが、一軍の主力トレードは「飛ばし」だったのだろうか。
現役時代、トレードやらFAやらで移籍するなんて記事を書かれた事を思い出す。
今回もその程度の事なのだろう。
新聞も盛り上がる事を書きたがる。
「やはり飛ばしでしたか。申し訳ありません」
「そっちじゃなくて、君は来季一軍監督だ」
「そっちでしたか………いや。え?」
「申し訳無いが、前任程高い年俸を提示することはできない。基本を設定して出した結果分基本に上乗せする出来高でお願いしたいがいいだろうか」
心中を察してほしかった。
さっきから「いや」とか「え?」という言葉を使って、戸惑いを精一杯アピールするも気にせず説明を続ける球団社長に畏怖を感じる。
俺も何時かは一軍監督になるものだと思っていたが、状況が状況で、言い方が言い方だったものだから戸惑わずには居られなかった。
「…ということだから、三年間頑張ってほしい」
「は、はい…」
事務所から出て、喫煙所で煙草を吸いながら話を自分の中で整理する。
まずは、来季から一軍監督に就任すること。
戸惑いこそあるものの嬉しくないと言ったら嘘になる。
指名された理由は、金銭的な物と長く二軍の選手を見てきたからだそうだ。
滅多に一軍の試合に出ない選手達だから知ってる人物でないと動かせないというのが球団社長の自論であるらしい。というか、それは当然の話だ。
主力がほとんど居なくなるという事だから厳しい仕事だとは思うが、決まった事はしょうがない。やるしかない。
次に、条件面。
三年契約で、基本給は一年三千五百万円と監督にしては小額だが、出来高が付くという。
出来高内容はBクラスでなし、Aクラスで三千万円、リーグ優勝で三千五百万という事だった。
つまり、リーグ優勝を達成すれば必然的にAクラス入りも果たしているから一億円貰えるという事になる。
あと、出来高とは別にボーナスも付くと言っていたっけ。
確か、三年間に三回のAクラスで二億円のボーナス、二回の優勝で三億円のボーナスだったか。
そんなボーナスを出して大丈夫なのかと聞いたら「不可能に近いし、仮にできれば”勝ち”が好きなうちのファンもまた見に来てくれるだろうから」と言っていた。
ファンに失礼かもしれないが、うちのチームのファンは所謂”にわか”で、勝つからファンという人が多い。
仮に良い結果を残せれば、主力のトレードで減るであろうファンを戻す事ができる。そうすれば二億や三億出せるのだろう。
また、酷い結果で三年間を終えた暁にはコアなファンからのバッシングも受けるだろう。それが監督の責任であるし、しょうがないのだがそれに対しての一応の補償と言った面もあるのだろうか。
しかし、この成績をクリアするのは無理だと思って間違いないだろう。
三年間の目標は一回のAクラス入り、これが現実的。
そのAクラス入りも、俺の采配にかかってくると言って間違いではない。
整理を終えた辺りで二本目の煙草を吸い終わり車に向かう。
皮肉にも球団親会社の大赤字という形で”あいつら”は晴れ舞台に立てる事となった。
それは現役時代のような闘志を、俺の中に芽生えさせるには充分な出来事だった。