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幹直君が好きなものは、本と映画と、たまにゲーム。それから飼っている雌のトイ・プードルのチロルちゃん。部屋にはたくさんの本とDVDとゲームと犬用のおもちゃとで、かなり散らかっているんだと彼は言っていた。
彼がおすすめだと貸してくれる本は、私の好みのものばかりだった。気に入った作家の作品はかたっぱしから集めてしまうという収集癖も、同じシリーズのテディ・ベアを集めまくる私とよく似ている。ジャンルは違えど、お互い共通しているところがあって、話せば話すほどどんどん仲良くなっていった。
「そういえば、茜ちゃんが欲しいって言ってたベア、見つけたけど買ってこようか?」
「そんな、いいよ。この前もらったばかりだもん。自分で買いに行くからお店教えて?」
「じゃあ来月の誕生日にプレゼントするよ」
さも当然のように、幹直君は言う。そんな彼の態度に、私は優越感を感じずにいられない。彼がこうして仲睦まじく話すのも、大事な本を貸してくれるのも、何のイベントもないのにプレゼントをくれるのも、他の女子には決してしていない行動だった。
耳にさしたイヤホンのコードが短いから、必然的に顔を近づけることになる。周囲の雑音も音楽で遠のいていって、本当に二人きりで話しているようだった。お互い顔はパソコンの画面に向けているけれど身体はかなり密着していて、幹直君の使っているシャンプーが香って私は頭がくらくらしてきた。
今、一番幹直君の近くにいるのは、私だ。
いつも幹直君のことを考えているけど、想像の中では彼のにおいなんてわからない。シャンプーもボディーソープも何を使っているのか知っているけど、私も同じものを使っているけど、やっぱり幹直君には幹直君にしかないにおいがあった。
どうしよう、鼻血が出てきそうだ。幹直君がこんなに近くにいる。鼻息が荒くなりそうなのは我慢できるけど、早くなる鼓動だけはどうしても我慢できない。
かなりの接近にどきどきしているのは私だけのようで、彼は相変わらずインターネットに夢中だった。どこかのサイトを開いて、ログイン画面を表示する。IDと、パスワードを入力するその手の動きを、私はぼんやりと見つめていた。
ID: chocolate _dog
Pass:******
「……それ、なに?」
幹直君が開いた動画に、私は身を乗りだして覗き込んでしまった。
画質はあまり良くないけれど、誰かの家のリビングのようなものが映っている。無人のようで、大きな窓からレースのカーテン越しに日光が差し込んでいる。フローリングの床が光を反射し、部屋はとても明るかった。
テーブルの上には、テレビのリモコンや花瓶が置いてある。三人はゆうに座れるであろう大きなソファー。テレビは私の家で使っているものよりもはるかに大きなものだった。
「これ、webカメラなんだ。映ってるの、僕の家だよ」
「幹直君の?」
なんでまた、そんな映像を見ているんだろう。そう思った矢先、画面に赤茶色の毛並みをした犬が映りこんで、私はすぐに理解した。
「これ、前に飼ってるって話してた、チロルちゃん?」
「そう。これ、ペットの留守番をカメラで確認できるやつ。うち共働きで日中誰もいないからさ、たまにこうやってイタズラしてないかチェックしてるんだよね」
画面の中では、よく幹直君の話に登場していたトイ・プードルが、短い手足でとことことリビングを歩き回っていた。ちゃんとしつけをされているのか、テーブルの上に乗ってイタズラをすることはない。リビングに置かれた自分の水を飲みに来たようだった。
「ネットでログインすれば、こうやって外で様子見れるんだ。茜ちゃんよくチロルのこと見たがってたから、見せてあげようと思って」
「すごい、かわいい!」
携帯電話の画面で見せてもらったことはあったけど、やっぱり写真と動いているものとは違った。話で聞いていたとおりの姿に、私は画面を食い入るように見つめてしまう。
「ほんとに、テディ・ベアカットなんだね! いいなぁ、私の家ペットだめなんだ。いいなぁ、かわいいなぁ」
私の部屋にたくさんあるテディ・ベアたち。あのふわふわな手触りと愛くるしい表情が大好きで、集めに集めた私のコレクション。そんなベアによく似た犬が画面の向こうで歩き回る姿があまりにも可愛くて、私は場所も忘れて大きな声で話してしまっていた。
周囲の視線が自分に集まったことに気づいて、私はあわてて声のトーンをおとす。そんな私を見て、幹直君はくすりと笑った。
「茜ちゃんは可愛いね」
「えっ」
「チロルみたい」
それははたして褒めているのかどうか。でも私は、幹直君の言葉に顔が赤くなってしまう。そんな優しい表情で、可愛いねなんて言われたら、私今夜は眠れないかもしれない。
「いつも思ってたんだよね。髪なんか天パでふわふわしてて、ちっちゃくてちょこまか僕のまわり歩いてきて。テディ・ベアが好きだっていう茜ちゃんがテディ・ベアみたい」
まさか幹直君がそんな風に思っていてくれたなんて。彼が貸してくれた漫画のヒロインのように切ったこのショートボブが、役に立つ日がようやく来た。幹直君が私の頭を撫でてくれて、本当に興奮して倒れそうだった。
幹直君のことをもっと知りたい。私は強く、そう思う。幹直君の情報をもっと集めたい。
幹直君が欲しい。
「そろそろ予鈴鳴るから行こうか?」
私の耳からイヤホンを抜いて、幹直君は聴いていた音楽を止める。インターネットを消す前に、webカメラのIDとパスワードの履歴をきっちりと消去していた。