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 助けを求めるように鳴く子猫と、人に脅える怪人が重なってしまって、つい口から出た言葉にわたし自身が驚いた。でもそれ以上に、怪人のほうが驚きは大きかったようだ。

 掘りの深い(まなこ)を大きく開いて彼は言った。「ボクのこと、殺さないの?」

「どうして?」とわたしは訊きかえした。彼の発した言葉が、想定外の問いだったからだ。わたしに怪人が殺せるわけがない。

「だって……ボク、怪人。人間、怪人殺す」それがあたりまえのように彼は答えた。

「何言ってるの? 怪人が人間を殺すんでしょ?」

「そうだけど……そうじゃない。ボク、わからない」

 怪人はまだうずくまったままだ。今でこそ、わたしに背中を向けてはいないが、わたしと話すときは顔を両腕で覆い、指の隙間からわたしの顔を伺っているのである。そう、彼はずっと怯えているのだ。子猫の心配をしていたときからずっと、人間であるわたしに――。

 わたしの細い身体など、彼の太い腕でぎ払われれば、それだけで胴が二つになるというのに。それなのに、彼はわたしが人間であるという、その理由だけでひどく怯えている。

 それが許せなかったし、いらついた。でも、それ以上に放っておけなかった。わたしは彼を助けたいと思ってしまったのだ。

「なんか、お互いに対する認識がずれてるみたいね。いろいろ訊きたいこともあるけど、それはあとにするわ」わたしは子猫の頭を撫でた。「今は、子猫が心配だもんね」

 怪人は相変わらず指の隙間からわたしを見あげて、「……うん」とうなずいた。彼はまだわたしのことが信用ならないらしい。そこまでされると、さすがにわたしも傷つく。

 わたしは片手で顔を覆って、あからさまに溜め息を吐いた。

「もう、わたしはあなたのことも助けるって言ってるの。敵じゃないから」

 怪人は手を下におろすと、驚きを隠せず目をくりくりとさせて言った。「きみ、人間じゃないの?」

 言うにことかいて、それは女子高生に対してあまりに酷い問いかけではないだろうか。

「ああ、そうじゃなくて……」わたしは頭をかいた。「わたしは人間だけど、その、友だちにならない?」

「……友だち?」

「そう、友だち。友だちってわかる?」

「人間なのに?」

 そう、とわたしは答えた。怪人はよほど信じられないのか、質問に対し質問で返してくるので、一向に話が進まない。

「わたしと友だちになるのは、いや?」

「いやじゃない。友だちわかる。ボク、友だちなる。友だちなりたい。それ、すごくうれしい」

 どうやらやっと話が通じたらしい。怪人はまたぶさいくな笑顔をつくった。わたしは、この笑顔が見たかったのかもしれない、とふいに思った。ひとの笑顔にこんなに癒されるのは初めてだった。

 この場合、『ひと』という捉えかたはおかしいのだろうか。人間ではないけれど、怪人の人は『ひと』って字を書くから、『ひと』でいいのだろうか――そんな考えを巡らせていると、両腕に抱いていた子猫が、わたしに呼びかけるように鳴いているのに気づいた。

 いけない、この子、早く病院に連れていかなきゃ――。

「それじゃ、わたしたちは今から友だちね。この子、早く病院に連れてってあげないとね」

「ボクは、どうしたらいいの?」

「そうね。ここで人に見つからないように隠れて待ってて。すぐに戻ってくるから」ここまで言って、わたしはふと気がついた。彼が子猫を助けたとき、ひとに見られているのではないだろうか。小さい人間たちというのは、子供のことだろう。ここは危険なのではないか。もし見られていたとしたら、ヒーローが来るのも時間の問題だ。「ねえ、怪人さん、子猫助けるとき、いじめてた人間に見られた?」

「たぶん、見られてないと思う。ボク、隠れてた。辞めろ――て声出したら、人間、そのままみんないなくなった」

「そうねえ」わたしはあごをつまんだ。「きみ、声が低いから大人の男から叱られたって思ったのかもね」

 そうでなかったら、すでにヒーローは駆けつけているはずなのだ。だからそう考えて間違いないはず。だとしても――。

「だとしても、ここにいつまでもいるのは危険ね。急いで戻ってくるから、今はとにかくここに隠れてて」

 そう言ってわたしは、子猫を優しく地面におろした。靴紐をきつく結びなおす。中学生まで陸上部だったから、足には自身があった。

 そのとき、「ちょっと待って」と怪人はわたしを呼び止めた。

「どうしたの?」

「その……きみ、なんて呼べばいいの? ボク、わからない」

「そっか、そうだよね」わたしは首のうしろをいた。「友だちの名前知らないなんて、おかしいよね」

 わたしは子猫を抱きあげて、怪人に向きあった。「カナメよ。わたし、宮沢(みやさわ)カナメ。カナメって呼んでいいわ」

「ボク、トト。みんなから、そう呼ばれてた」

「そう。トトね、いい名前ね」

 本当にいい名前だ。心からそう思った。

「それじゃ、待っててね」

 うん、と彼がうなずくのを確認すると、わたしは薄暗い路地を走り抜けた。

 路地を抜けると、辺りは思った以上に陽が沈んでいた。しかし暗がりであるほうが、彼が身を隠すには都合がいいだろう。わたしは行き交うひとを()うように街を駆け抜けた。

 動物病院の場所は知っている。全力で走って十五分くらいだ。しかしその前に、どこかでお金を卸さなくては、今の所持金では診察料を払うことさえできなかった。それを考えると二十分はかかるだろう。それから、いったん家に帰って、大きなフード付きジャンパーを持ってくる。父が前に忘れていったものだ。そして彼の待つ路地まで走る。しめて五十分弱。どう考えても、これ以上は時間を短くできない。

 おねがい、見つからないで――。

 わたしは歯をくいしばった。子猫をそっとおろしてコンビニに立ち寄ると、ATMでお金を引き出した。急いで出口へ向かう。そのとき、ふとあるものが目についた。サングラスだ。わたしはサングラスを手にとると、レジへ駆け込んだ。「すいません、これください」

 サングラスのタグのバーコードをリーダーで読み取ると、コンビニの店員は「九百八十円になります」とたんたんと金額を述べた。

 わたしは千円札を台に置いた。すると店員は引き出しをごそごそとあさり始めた。サングラスを詰める袋を探しているのだろう。引き出しに袋が見当たらないのか、「少々お待ちください」と言って店員は、となりのレジへと向かった。店員のとろとろとした動きに、わたしはやきもきしていた。

 袋なんてどうでもいいのに――。

 わたしはサングラスを無造作に手に取って言った。「すいません、お釣り、いいですから」

「えっ、お客様っ……」

 呆気にとられる店員を尻目に、わたしはコンビニを出た。

 子猫を抱き上げる。すいぶん時間をくってしまった。わたしは大きく息をひとつ吐き出した。目的の方向をにらむ。

 病院、行かなきゃ――。

 わたしは病院に向かって全力で走った。

 子猫を抱き上げ走る女子高生がもの珍しいのか、通り過ぎるひとたちのいぶかしげな視線が痛かった。どうしてわたしは、こんなに必死になっているのだろう――ふとそんな考えが頭をよぎった。

 怪人なんて、放っておけばいいのに。

 こんなに必死にならなくても、彼のところへ辿りつくのに五十分も時間がかかるのなら、時間が二時間かかったとしても大差ないのではないか。

 もともと自分は、ものごとに干渉することが嫌いだったはずだ。だから、友だちがいないし、そのことにも耐えられた。

 わたしはこんな人間じゃなかった。だれかのためにと、必死に走ったりする人間ではなかったはずなのだ。それなのに、わたしは脇目(わきめ)もふらずに子猫を抱きあげて走っている。

 子猫を助けるためだけなら、こんなに必死に走る必要などないのだ。もちろん、早く病院へ連れていくに越したことはない。しかし子猫の容態は、一刻を争うというほどのものでもないのである。

 それでも、わたしが時間を気にして走る理由――わたしは怪人を助けたいのだ。本来、人間の天敵であるはずのあの怪人。名前をトトといった。彼を助けたい。そう思ってしまった。

 だって彼、泣いていたんだもの――。

 子猫のために。彼にとって敵だらけである街の真ん中で。彼は自分のことより、子猫の心配をして泣いていたのだ。

 それに、彼のかっこわるくてぶさいくな笑顔、あんな純粋な笑顔を、わたしは今まで見たことがない。また彼の笑顔を見たいと思った。ただそれだけだ。理由なんて、それだけで充分じゃない。それでいいんだ――。

 わたしはなんども、そう自分を納得させた。上田動物病院という看板が見えてきた。看板には、かわいらしい犬、猫のキャラクターが描かれている。

 まさかこんな形でこの病院を利用するなんて、わたしは思ってもいなかった。ひとり暮らしを決意したとき、寂しさを紛らわすためにと、ペット可のマンションを選んでいたのだ。そのときわたしは、動物病院の下見もしていた。けっきょく、ペットを飼うことはなかったのだけれども。

 わたしは病院の扉を開けると、受付へ駆け込んだ。

「あの、この子、診て欲しいんですけど」息も絶え絶えにわたしは言った。

 受付の看護師は、少し驚いた表情をしたあと、こんばんは、とわたしに笑顔で挨拶を交わした。そして視線を子猫に向けた。「あら、可愛い子猫ですね。どういった症状でしょうか?」

「その、足が折れてるみたいなんです」

「ちょっと、見せてもらえますか?」そう言って看護師は、両腕をこちらに差し出した。

 はい、とうなずいてわたしは子猫を彼女の腕に抱かせた。

 看護師の視線は子猫を見て険しいものに変わった。「この子、故意に足折られてるわね」

 それがひとの手によるものだと、彼女も察したのだろう。険しいながらも、悲しさをおびた目をしていた。

 わたしは目を伏せてうなずいた。「そうみたいなんです」

「それで、急いでこの子を連れてきたわけですね。そんなに息がきれるほど、この子のために走って……」看護師はやさしく子猫を抱き込んだ。「わたしから礼を言うのもなんですけど」彼女は子猫に頬を寄せると、目を閉じて言った。「ありがとう。この子を助けてくれて」

「いえ、そんな、わたしなんて……」言いかけてやめた。この子猫を助けたのはトトだ。しかしそんなこと、言えるはずもない。

「どうかされましたか?」

「いえ、なんでもありません」わたしはかぶりをふった。

 彼女は本当に動物が好きなのだろう。この子猫の飼い主でもないというのに、わたしに礼を言った。彼女にとって、この仕事は天職なのだとわたしは思えた。

 わたしは、子猫を見つけた場所やいきさつを、トトのことをはぶきつつ、かいつまんで看護師に説明した。

「そうだったの」とわたしの説明を聞いた彼女は、眉を寄せて言った。左手は子猫の頭を撫でていた。「それじゃあこの子、早く先生に診てもらいましょうか。この病院のご利用は、初めてでよろしかったですか?」

「はい、初めてです」

「では、この診察アンケートに記入をお願いします」看護師はアンケートとボールペンをわたしに差し出した。「そのあいだにこの子、先生に診てもらいますね」

「あの……」わたしは看護師を呼び止めた。彼女はすでにわたしに背を向けていた。

 看護師が振り返った。「どうかしました?」

「すぐに、すぐ戻って来ますから」わたしは深々と頭を下げた。「その子、お願いしますっ」

「えっ」と看護師は驚いた表情で口をおさえた。

「すいませんっ」

 わたしは病院を飛び出した。

 病院を出てからは、子猫を抱いていないこともあって、いくぶん走りやすかった。しかし自分のマンションまで全力で走ってきたのだ。肩で呼吸をするわたしは、膝に手をついて呼吸をととのえた。

 自分の住む二階の部屋を見上げる。よし――と、自分に活を入れてマンションの階段を駈けあがった。エレベーターは使わなかった。階を示すランプが十階に灯っていたからだ。これならば、階段を使ったほうが早いだろうとわたしは思った。

 わたしは玄関のドアを開けると、真っ先にキッチンへと駆けこんでバッグを放った。喉が乾いていた。コップに水を注ぐと、いっきに喉に流しこんだ。

 時と場合、状況で、水のおいしさにこんなにも違いがあらわれるものだったということを、わたしは思い出したように再認識した。

 そういえば、わたしが陸上をやっていたとき、わたしは部活後の冷水のおいしさをいつも噛みしめていたものだった。

 いつのまにか、水をただの水として、そのおいしさをわたしは感じなくなっていた。わたしの心が日に日に(すさ)んでいたことを、わたしは改めて思い知った。

 わたしはコップをキッチンカウンターに置いて、リビングのクローゼットへと向かった。父のフード付きジャンパーは、ここにしまっておいたはずだった。それはすぐに見つかった。わたしは端にたたんである紙袋にそれを詰めこんだ。バッグの中のサングラスも入れた。準備は出来た。

 あとはトトを迎えに行くだけだった。

 彼はおとなしく待ってくれているだろうか。

 ひとに見つかってはいないだろうか。

 ここまで走るのに夢中で、考えつかなかった不安がわたしの頭を駆けめぐる。わたしは首をふった。

 きっと、だいじょうぶ――。

 わたしは紙袋を持ちあげると、クローゼットを閉じて玄関へと足を向けた。汗をかいたせいで、服がベタついて気持ちわるかった。早くシャワーを浴びたい。だけどそれは、トトを迎えに行ってからだ。汗を洗い流したい気持ちを抑えて、わたしは玄関へと向かった。

 リビングのドアを開け、玄関へとつづく廊下を歩いていると、「あっ」とわたしはふいに声をあげた。スカートをぎゅっとつかむ。「パンツ、替えなきゃ……」

 廊下のすぐ左にある風呂場の脱衣所でショーツを履き替えると、わたしは急いで家をあとにした。

 外はもう、夜を迎えていた。

 だいぶ気温が下がっている。冷たい風が汗で濡れた身体を撫でて、わたしは肩を抱いて身震いした。マンションから出たわたしは、コートを着てくるべきだったと少し後悔して、二階の自分の部屋を見上げた。トトのジャンパーばかりに気をとられ、自分の上着まで気がまわらなかったのだ。今さら取りに戻る時間の余裕もない。走ればまた身体も温もるだろう。

 わたしは彼の待つ路地へと走って行った。


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