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 ジグが死んだことを知ったのは、友兄と会った翌日の夜、トトと観ていたテレビのニュースからだった。

 ニュースの内容によると、彼が路地裏に潜んでいたところを怪事警察の捜索網が捕らえたということらしい。ニュースキャスターはそれを嬉々として報じ、怪人に対し勇敢に戦ったヒーローを褒め称えていた。怪人はとても凶暴で、一時間半にも及ぶ激闘のすえにやっと打ち倒せたのだそうだ。

 実際の映像はないが、CGをつかった再現VTRなどは、実況をはさんでなんども放映されていた。見ていられなかった。途中なんどもチャンネルと変えようと思ったが、わたしはリモコンのボタンを押すことができなかった。トトはなにも言わなかったが、それを望んでいないことが彼の表情でわかったからだ。

 わたしはトトがまた泣いてしまうだろうと思って、とても辛くなった。胸の締めつけられるような痛みを感じていた。

 わたしは卑怯だと思った。トトの悲しみを理解しつつ、この町から怪人がいなくなったことに、半ばほっと安心もしている。そんな自分が許せなくて、胸の痛みはいっそう増してわたしを締めつけた。

 トトは泣かなかった。

 辛そうな表情を見せてはいたけれど、彼は「しょうがないよ」と言って、ただ流れるニュースを黙って観ていた。そして一息ついてから言った。「ジグの罪は、許されることじゃない」

 彼の背中は震えていた。やがてゆっくり立ち上がると、彼は「お風呂に入ってくる」と言ってリビングから出て行った。

 彼は驚くほどの速さで成長していると思った。すこし前までの彼なら、すぐに水色の涙を流していただろう。わたしと出会った短期間のあいだで彼は、たどたどしかった言葉づかいもいくぶん流暢(りゅうちょう)なものに変化していた。

 しかしいくら成長したといっても、それで彼の悲しみがなくなるわけではないのだ。シャワーの音にまぎれて、おうおうと呻くような彼の泣き声が聞こえてきた。その泣き声に、息が詰まるような胸の痛みをわたしは感じた。わたしは耳を両手でふさぐと、くちびるをぎゅっと噛みしめて場をやり過ごそうとした。

 ふとわたしは、テレビから流れつづける再現VTRに違和感を持った。それがなんなのか、すぐにはわからなかった。眉をよせると、わたしはテレビ画面をまじまじと見つめた。

 やがてその違和感の正体に気づくと、あっとわたしは思わず声をもらしていた。ありえない、とわたしは思った。おかしい、そんなはずない――。

 再現VTRの怪人は、明らかに空を飛んでいる場面がいくつもあったのだ。実際にトトとジグの戦闘を目の当たりにしているわたしは、それがありえないことだとすぐに気がついた。軽い身のこなしで地や壁を蹴りあげ、彼が身体を跳ばせるようなことはあっても、VTRのようにコウモリのような羽をばたつかせて空中で停滞して飛ぶようなことは決してなかった。

 わたしはテーブルに置いてあった携帯をつかむと、友兄に電話をかけていた。彼なら、現場の状況を明確に把握しているはずだと思ったからだ。

「現場の状況を直接怪事警察のひとから訊きたかったの。自分の住む町のことだもの。心配なのよ」そう話を切り出した。

 彼はニュースで報道されていること以外を語ろうとはしなかった。いや、それがすべてだと言ったのだ。現場の状況もなにも、すべてニュースが報じているとおりだから、わざわざ自分にそれを確認する必要なんかはないのだと。

 彼は嘘をついていると思った。自分の発言に自身がないときや、やましい気持ちがあるときに言葉が途切れ途切れになるのは、むかしからの友兄の癖だった。それがなくても、わたしは友兄の言うことも、ニュースの報道が嘘であるということも確信を持っていた。ジグの戦闘を実際に見たわたしだから確信できたことだった。

 しかしジグと会ったことがあるなどと、彼に言えるはずもなかった。わたしは半ば強引に「本当のことを言って」と彼に凄んでみせた。彼は自分で自分のことを小心者と語るくらいだから、押しに弱い。わたしの予想のとおり彼は、「かなわないなあ」を口切りに現場の状況を説明し始めた。携帯を片手に、苦笑しながら後頭部を掻く友兄の仕草が想像できた。

「そうだね。カナメちゃんの言うとおりだよ。現場の状況はかなり脚色されているね」

「で、実際はどうだったの?」わたしは訊いた。

 彼は唸った。受話器越しに彼が逡巡しているのが伝わってきた。

「怪人が発見された現場はニュースの報道であるとおり、あの路地裏で間違いはないんだ」彼はもう一度唸ってから言葉をつづけた。「ただね……戦闘にはならなかったんだよ」

「どういうこと?」

「僕も現場に居合わせたわけじゃないから、隊員の報告からの情報でしかわからないけど、怪人が発見されたとき、彼は残飯を漁っているところだったらしい。ポリバケツがひっくり返ってたり、生ゴミが散乱していてひどい臭いが立ち込めていたそうだよ。すぐに怪人は隊員たちの気配に気づいて威嚇したらしいんだが、すでにそのとき、怪人は相当弱っているように見えたらしいんだ」

「ほかのだれかにやられていたということ?」

「いや、そうじゃないんだ。外傷はなかったらしいから、衰弱していたといったほうがいいかな。彼は一度隊員たちに振り返って威嚇したかと思えば、すぐにまた残飯を漁り始めたそうだ。自分の天敵であるヒーローをまるっきり無視するように」

 友兄の言っていることがまるで理解できなかった。信じられない。ジグがヒーローを目の当たりにして、それを無視するようなことがあるのだろうか。

 わたしにジグと初めて対面したときのことがよみがえる。彼の鋭い牙、人間への憎しみのこもったぎらつく眼光、羽先に鋭く尖った五指の爪、そのどれもが思い起こすだけで背筋が凍りつく。わたしの想像する彼のイメージでは、目をぎらつかせて隊員たちに襲いかかる彼の姿が鮮明に思い起こせる。それだけに、友兄の言っていることがまるで冗談ではないかと思ってしまうのだ。

 それに、衰弱していたとはどういうことだろう。残飯を漁っていたということから察するに、彼は腹をすかせていたのだろうか。

 友兄は話をつづけた。

「呆気にとられる隊員たちを尻目に、彼は一言だけ言葉を発したらしいんだ。ただ一言、殺せ――と。そう言った怪人の背中はわずかながら震えていたらしい」

「それで、どうしたの? 隊員たちは」

「殺したよ。それ以外に方法がない」

「だって、怪人はもう抵抗しなかったんでしょ? 殺す必要ないじゃない」

「カナメちゃん、あの怪人はすでに何人ものひとを殺しているんだ。逮捕して他の囚人たちと一緒に刑務所に入れるかい? 怪人のなかには、牢屋の鉄の棒さえ平気でゆがめるほどの力を持ったものも存在するんだ。彼らを生きたまま捕らえることなんて不可能だよ。いや、これは言いすぎか。でないにしても、彼らを収容する施設をつくるには、莫大な費用がかかるんだ」

 いくら莫大な費用がかかろうが、怪人専用の収容施設をつくるべきだとわたしは思った。彼らにも人権が必要なはずだ。しかしそれを友兄に言ってもどうにもならない。それに、わたしが怪人をひいきにしているなどと、彼に悟られてしまってもいけないと思った。

 わたしは「そうね」としぶしぶ彼に相槌をうった。「あの怪人はすでにたくさんひとを殺してるものね。そうするしか方法がないのかもね」

 一方で、わたしのなかでジグに対するある仮説が浮き上がっていた。彼がなぜヒーローに抵抗しなかったのか、彼がなぜ衰弱していたのか。

 発見されたとき、彼は残飯を漁っていたという。そしてわたしとトトが彼と接触して以来、彼はひとりも人間を殺していないのだ。

 ひょっとして彼は、トトの言うことを聞いてくれていたのではないか。それで人間を襲うことがなくなった。そのため食料を調達できなかった彼は、日々衰弱していったのではないか。

 わたしは前向きに結論を位置づけた。ジグはトトの言葉で改心したのだ。怪人にも心がある。人間と怪人はわかりあえる。

 ふとわたしは、彼に電話をした根本の理由を忘れていたことに気がついた。

「でもどうしてその現場の内容を改ざんする必要があったの? あれじゃあでっちあげもいいとこじゃない」

 それなんだけど、と言うと彼は、また唸り声をあげた。

「言いづらいんだけど、怪事警察がヒーローと呼ばれている以上、怪人には絶対的に悪になってもらわなければ困るんだよ。民間人にとって、怪人はあくまで悪の象徴であり、恐怖の対象でなければならないんだ。そのほうが民間人のためでもあるんだ。変に情報が流れて民間人が怪人の恐怖をなくしてしまえば、不用意に怪人に近づくものも現れる可能性だってあるし、それで怪人の被害が増大するケースだってありえるんだ」

「だからって嘘の情報を流すの?」

「それが、民間人の安全を守る一番いい方法なんだ。それに、こういったケースはめずらしいことじゃない」

「それって今回の件だけでなく、今までの報道で改ざんされたニュースはたくさんあるってこと?」

 わたしが訪ねると、友兄が小さくあっと声をもらしたのをわたしは聞き逃さなかった。余計なことを言ってしまったと思ったのだろう。しばらくして「まあ、そういうことになるかな……」と言って彼は咳払いをした。

「抵抗しなかった怪人のなかには、人間をひとりも殺してなかった怪人もいるんじゃないの?」

「カナメちゃんに嘘はつけないから言うけど……まあ、いただろうね。それがどうかしたのかい?」

「その怪人って、もしヒーローに殺されなかったとしたら、そのまま人間を襲うこともなかったんじゃないかな。なかには、いい怪人だっていたかもしれないじゃない」

 言い終わったあと、この発言は危険だと思った。これじゃ、かなり怪人に対してひいき目をしているようだ。いくら友兄が従姉妹だといっても、彼は怪事警察の人間なのだ。それでなかったとしても、怪人をひいきするような発言は避けるべきだった。

「なにを言ってるんだい? カナメちゃん。ありえないよ。彼らはとても危険な存在なんだ。人間を心底憎んでいる。ひとを襲わない怪人なんているわけないよ。ましてや、いい怪人だなんて」

「そ、そうだよね」言いつくろうようにわたしは言った。「実際に怪人を見たことがないから実感が湧かなくて」

「そうか。そうかもしれないね。僕はなんどか怪人を自分の目で見たことがあるから、怪人の恐ろしさは知っているけれど、実際に目の当たりしたことがないひとにとっては実感が湧かないのかもしれないね。まあ、だからこそさっき言ったとおり、報道の規制が必要なんだ。現実として、怪人が恐ろしいものであることを民間人に知らしめなくてはいけない」

「怪人を見たことがあるの?」わたしは携帯を持ち替えてから訊いた。

「なんどかね」彼は言った。「両手足をワイヤーで捕らえられた怪人なんだけどね。頑丈に身動きできないように縛られてはいたけれど、それでも僕は怖くて仕方がなかった。今でも思いだすだけで震えがするよ。怪人の目は憎しみに満ちていた。あれは人間になにかされたから憎しみが生まれたというより、生まれながらに人間への憎しみを持って生まれたといったほうが正しいと思ったよ。彼らは人間を殺すことそのものが、本能みたいなものなんだ」

 それは、わたしがジグを始めて見たときの印象と似ていると思った。たしかにわたしは、ジグを一目見て話が通じる相手ではないと確信を持った。彼から感じとれる人間への憎しみで腰を抜かし、震えが止まらなかったのも事実だった。やはり友兄の言うとおり、怪人というもののほとんどは、人間にとって脅威でしかないのだろうか。

 でもわたしはトトの存在を知っている。人間を襲うことなく、子猫の心配をするやさしい怪人。彼は人間となにも変わらない。うれしいときは笑ってみせるし、涙だって流す。人間とおなじようにご飯も食べるし、アニメだって観るのだ。

 友兄にまだ尋ねたいことがあったけれど、シャワーの止まる音にわたしは気づくと、急いで彼との会話を切り上げた。「またね」と言って電話を切った。

 しばらくすると、トトが身体から湯気を出してリビングに戻ってきた。ナナが鈴を鳴らしてトトのもとまで駆け寄ると、彼はナナを抱いてわたしの座るソファーに並んで座った。

「DVD観る?」わたしはトトの顔を見上げながら訊いた。

 彼は無言でかぶりを振った。

 わたしは「そう」と呟いて両腕で膝を抱いた。

「怪人について、ボクの知ってること、話そうと思う」

 それが、はじまりの怪人についてわたしが知ることになる、トトの第一声だった。


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