第四章 再会
「兄さん……」
兄、ヴィーシニャと離れてから一年が経った。ピンク色のクッションを抱いてソファーに寝転がる。秋の終わりに日本に来てから別かれたっきり兄のことを忘れたことはただの一度もなかった。ガルデーニアに与えられた仕事は暗殺。任務初日から派手にやってしまったガルデーニアにはそれ以外の仕事は与えられなかった。意外と敵の多いらしく、任務はほぼ毎日あった。仕事の疲れをとる部屋を与えてもらった。ガルデーニアは無理矢理解釈したままのピンク一色の部屋にずっといる。仕事が入っているときもないときも、どこかに出掛けるなんてことはしない。一年の流れの中で彼を「ガルデーニア」と呼ぶ人はいなくなった。初めて屋敷に来た次の夜に仕事上の名前をつけられた。『北狐』仲間からは狐と略されて呼ばれることが多いが、世の中を一人歩きしている名前は『北狐』だ。意味を聞いたら丈二海は教えてくれなかった。後でこっそりと同僚が教えてくれた。
『変なところで警戒心があるっていうところと……たぶん、髪が真っ白だからじゃない?』
そう言われると少し感に障る。自分は狐と同じくらいだと思われているということだから。同僚はフと思い出したようにその後に付け足した。
『そういえば、丈二海さんって、四足動物全般的に好きなのかしらね。動物系の名前が多いのよね。』
それだけ言ったら彼女は忙しいと言いながらガルデーニアの側から離れて行った。
「四足動物って……俺……」
彼女との会話を思い出したからか、深い溜息をついた。
――早く読んでもらいたい…俺の本当の名前を……
1人の時は大抵そんな事を考えている。それが、その願いがガルデーニアを強くする。
ヴィーシニャの口で、ヴィーシニャの指で触っていってもらいたい。
その気持ちとは裏腹に『北狐』として生きている自分に慣れてきてしまったじぶんがいた。今まで兄以外の存在を正しく認識していなかったが離れることによって同僚たちも兄と同じように眩しく思えた。
兄と同じ様な太陽みたいな人達に囲まれて生活していくと感覚が鈍っていく。
「早く会いたい。早く会わないと俺は………俺でなくなって行く。」
兄の知らない所で変わることを恐れる自分はとても小さいと身体を小さく丸める。
一人でどん底に落ちているとノックもなしに部屋の扉が開かれた。ガルデーニアは抱えていたクッションを窓に投げつけ玄関を睨みつける。
「……ん~お前のシュミが良くわからねぇ。」
入ってきたのは自分の教育係になっている光輝だった。部屋を見渡しながら部屋の中心になるソファーの所まで歩きてきた。
「光輝が日が出ている間に起きているなんて珍しいね。」
「うっせー……」
光輝とガルデーニアは夜の仕事が主なので日中起きている事がほとんどない。特に光輝は…何をやっても起きない、唯一起きるとしたら彼の上司が起しに来たりする時だ。そんなことはよっぽどの事が無いとあり得ない。少し警戒しながら聞き返すが、光輝はなかなか答えてくれない。一体自分は彼から何を聞き出そうとしているのだろう?警察の尋問係ではないし言葉攻めとかも自分の趣味じゃない。そう考えると二人の間を気まずい空気が流れる。
「任務だ。」
やっとの思いで絞り出したような声で発せられた一言、『任務』いつもは夜が更けてから決行なのになぜ?と思いつつも着替えて後期について行く。
一階にはすでに仲間が用意を済ませて待っていてくれた。その中心には丈二海とガルデーニアが知らない男の姿があった。
「君が新人君かな?」
「哉雅、彼はもう一年務めているから新人って言うのもおかしい気がする。」
「そうか、じゃあ弟君って読んだ方がいいかな?」
男…哉雅と呼ばれた男はガルデーニアに笑ってみせるが、顔の筋肉がつりあがっているだけで笑っているとは到底思えなかった。ガルデーニアはそれどころか、彼のいった『弟君』という単語を耳から離す事が出来なかった。
「ヴィーシニャを知っている?」
「ヴィーシニャ?……あぁ、桜様の事か…彼の事なら心配するな。丁重におもてなししているよ。」
誘拐した時点で丁重なのかそうでないのか分かりかねるが、一応信じてみる。
「哉雅だ。執事長してる。あいさつが遅れてすまないな。」
そういう哉雅の顔は全くすまないと思っていない顔をしていた。差し出された手を見てその手を取るか取らないか迷っていたら丈二海がガルデーニアの手を前に持ってきて半ば無理矢理握らせる。
「そうそう、今回の任務、依頼はお嬢様ではなく俺がしたから日中なんだが……光輝とか平気か?」
「哉雅様、俺バンパイアじゃないっすから…」
「さて、まあ、今回は簡単なやつだから、俺が仕事でお嬢様の側に入れないから皆で見張っていてくれ。」
たった一人を十数人で守る……過保護なのかとガルデーニアの頭の中で哉雅の存在がお母さんとして認識してきた頃、扉が力一杯開けられた。外から入ってくる光の中にいたのはお嬢様の嘉華ともう一人……
「哉雅遅い!桜と何十分車の中で待たせる気?」
「……!ガルデーニア…?」
嘉華に腕を引っ張られて屋敷の中に入ってきたのはスカートを履いた兄の姿だった。黒い服の凛々しい弟を見てガルデーニアは自分の目を疑った。まさかこんなに近くにいたなんて…そう言葉を言ってガルデーニアの側に走り寄ろうと足を進めるが、嘉華によってそれを阻まれた。
「哉雅、だれ?そいつ」
嘉華は顎でガルデーニアを指して自分の知らない使用人の説明を求めた。哉雅は『彼の弟君です。』と一言しか返さなかった。
「桜の弟…?」
目を細めて睨むようにしてガルデーニアを見る嘉華は屋敷に入ってきた時よりも遙かに不機嫌だった。
「兄さんの手を離せよ。」
やっと会えた太陽を側にみる事が出来ないのが苦痛で仕方がない。ガルデーニアは相手が雇い主であるのを忘れ喧嘩腰に話をする。ユックリと足を前に進めるガルデーニアと一歩も後に下がらない嘉華、嘉華が口元を緩めると同時にガルデーニアの足取りが止る。両肩を丈二海と光輝に掴まれていた。
「離せ、俺は兄さんが束縛されているのを見てられない。」
「俺も言ったよな、嘉華様は渡さねぇって」
「主君に手を上げることは許さないよ?」
さらにヴィーシニャの前には哉雅が守る様にして立っている。険しい表情で見下してくるその目は野獣そのものだった。
「そんなに桜様が好きなのか?」
「たった一人の家族だからね。返せよ、俺の太陽!」
「ガルデーニア!お願いだ、弟を傷つけないでっ」
ヴィーシニャのその言葉が聞こえた時、自分の耳を疑った。自分が兄の足枷になっていると。そう思うと無力な自分を殺したくなった。ヴィーシニャの言う事を受け入れたように哉雅が目の前からどいた。哉雅の命令で丈二海と光輝の手も離れる。ガルデーニアはそのまま床に足を着く。『守ろうと一年間努力してきたのに、逆に自分が守られていた。』そんな気持ちが頭や心の中を掛ずり回っていた。
――ガルデーニアの側に行きたい。
自分の言葉でどん底へ落としたが今は側にいたい。もう頭の中はガルデーニアの事だけだった。彼の側に行く為に邪魔なものはなんであれ排除もしくは説得…っと言っても命令をするのだが……ヴィーシニャが選んだ言葉はたった一言。
「離せ」
ヴィーシニャが命令口調で話したことは嘉華と出会ってから初めてのことではないだろうか、今まで感じた事の無い威圧感でつい手首を掴んでいた手が緩む。その手を振り払って三人に囲まれているガルデーニアの元へ駆け寄る。哉雅は嘉華が手を離した事が意外だったみたいで後ろを振り返って嘉華の様子を見る。目を開いたまま固まっている。一体何をしたのか哉雅には理解ができなかった。
「ガルデーニア…」
優しく頬に触れる頬にかかった髪を触ってみると分かれた時のままの毛質だった。
「ヴィーシニャ……俺は兄さんのメイワクになってた…?」
掠れて力が無い声、その声がヴィーシニャに届くと自分が言った言葉がどれだけ彼を追い詰めてしまったのか再認識した。
「僕はガルデーニアのことを迷惑に思ったことなんてないよ。寂しい思いさせてごめんね。」
ギュッと自分の方へガルデーニアの頭を寄せる。安心できる匂い。やっと手が届くところに帰ってきてくれた。そう思うと涙が出てきた。それをよしよしとなだめているヴィーシニャはどこか嬉しそうだった。
そんな二人の仲を引き裂くように哉雅が言い放つ。
「所詮はガキか…」
哉雅の口からそんな単語が出るとは思わなかった。呆れたような軽蔑しているような言葉に聞こえた。
「もういいでしょ、学校行くわよ。」
「待って、ガルデーニアも一緒じゃダメ?」
一人屋敷を出て行こうとする嘉華にヴィーシニャがそう聞いたが、丈二海が無理だ。と言った。
「狐の仕事が夜だから学校に行ってられないんですよ。」
「狐?」
聞きなれない言葉が出てきて戸惑う。丈二海が彼の名前です。と説明する。
「そういう事、残念ね桜。さっ、行くわよ。」
「俺が学校に行きながら今までの仕事をこなせればいいんだな?」
今度こそ屋敷を出て行こうと足を外へと伸ばす嘉華をまた止めた。嘉華は振り返りできるかしら?と笑うが、ガルデーニアはやる気満々の目をした。
「仕方がないわね。お試し期間を設けてあげましょう。言っとくけど、桜の頼みだから聞くんだからね!私はあんたのこと嫌い!」
そう言って屋敷から出て行く。ヴィーシニャもその後を遅れて突いて行く。哉雅がめんどくさいことになった…と頭を抱えている時ガルデーニアは丈二海と光輝から説教を受けていた。
「まあ、そういう事だ、今日中にお嬢様が言う『お試し期間』の内容を丈二海つたいに行くよう手配しとく、とりあえず、今日は護衛頼んだ。」
そう言って哉雅も屋敷を出て行く。哉雅が屋敷を出て行った後、一階のホールに集まっていた使用人たちは大きく溜め息をついた。
「心臓止るかと思った…」
「狐ちゃんの兄ちゃん何者だよ…哉雅様と嘉華お嬢様が言う事を聞いてた……」
そんな中意外な人が額に滲み出てきた汗を袖で拭っていた。
「寿命を縮ませるな……」
丈二海がパシンとガルデーニアの頭を軽く叩く。光輝は床に腰を下ろす。どうやら皆、相当気を張っていたらしい。
「まあ、何もなかったからよかったが…もう止めろ。」
しばらく誰もが動く気力を失ったままだったが、一時間おきに鳴る時計が鳴った時、皆一斉に各自の仕事に取り掛かった。ガルデーニアは哉雅の言った通り今日は嘉華とヴィーシニャの護衛をする。
車の中で嘉華がヴィーシニャに話しかけても返事はなかった。
「やっぱり気になっちゃうのね。」
そういわれて窓を眺めたまま止っていたヴィーシニャは目の前に座っている嘉華の方に視線をおくる。
「ガルデーニアが決めた事だから。それに、この一年で君らは僕の言う事を結構聞いてくれることが分かったからね。」
「そういう事を計算していっていたの?」
嘉華が興味津々で聞いてきたことに首を左右に振る。計算なんてしてない。ただ、それが自分的に最善の事をやっただけであった。
「まあ、計算してるにしろしてないにしろ、彼が大変になるのはこれからよ…?」
「ガルデーニアなら平気。僕が兄さんの事を思い続けているから。」
そう信じていればいつも以上に日常が明るく変化していく。嘉華はそんなに信用できる人が側にいてうらやましいとココロのどこかで思っているらしい。唇を力いっぱい噛んでいたら口の端じから鉄の味が染み込んだその味でフと我に返る。
「そう、まだ分からない。桜は誰にも渡さない。私のモノ。」
嘉華が今まで思い通りにならなかったことは学校の事、ガルデーニアの事、それ以外はどんなことでも思い通りに動かせる。政も、親も人間でさえもすきにできる。
「僕の弟は君の好きにさせないよ。絶対僕を助けてくれる。だって僕の……」
「惚気はもういいわ………そこまで信頼しているならあの子が学校に来れるようになったら我家に移動してもらってもいいわ。」
そういってから嘉華はなんで自分がそこまでしてあげてるんだろう?と考える。今まで笑わなかったヴィーシニャが弟の事を話している時は可愛いぐらい笑顔で話してくれた。その時の笑顔が自分に向けてではない子とは分かっている。ただ、自分と弟以外で何か話す時もその笑顔が見たいと思った。そう、ただそれだけだったはず…
「嘉華様、あまり狐を虐めてあげないでください。」
助席に座っている哉雅が二人の会話に割り込んできた。
「あら?中立な立場のあなたがそんな事言うなんて丈二海の事以来かしら?」
丈二海は哉雅の幼馴染で元中学教師だ。彼の眼の色で生徒の親から苦情が来て親に片っ端から手を付けた事が学校にばれて校長を殴ってしまった経緯を持つ。その丈二海を使用人に入れてくれるように頼んだ事がある。嘉華は何でもできる。彼女の親に言うより彼女に言った方が早かった。哉雅は彼女のお気に入りだから。
「昔の事です。」
「あの時のあなたは可愛かったのに…」
しれっと言われたことに対して少し残念そうにぼやく。その後も楽しそうに会話をする嘉華は心の中で思う。
――哉雅と桜がいれば私には何もいらない…だからあなたはいらないのガルデーニア君……
嘉華が目を細めてヴィーシニャの顔を見ながら思った。
ガルデーニアは嘉華達が通っている学校の目の前にある小さな森林の中にいた。必要以上に兄に触れてくる嘉華を恨めしく思う反面、兄の側にいれるという幸せを感じていた。
「お嬢様と勝負するのか?」
木陰で教室の様子を眺めていたガルデーニアに丈二海が話しかけてきた。ガルデーニアは一瞬だけ目線を丈二海に向けたが、直に兄のもとへ視線を戻して彼と会話を始めた。
「今までのことは感謝してる。」
「……今まで一緒に任務をやってきたが、お前は勝負ごとにこだわる癖があるからな。」
「勝負、ねぇ…俺は兄さんとケンカしたことが殆どないからな、兄弟喧嘩と売られてくる勝負を同意識してたんじゃねーの?」
呆れたように放たれた言葉と一緒に楽しそうな感情が丈二海の耳に飛ばされてきた。顔もどこか笑っているように見えた、いや、実際笑っていた。笑顔が顔から消えないのか知らないが、勝負をすると決まってから時間が経つにつれてガルデーニアは気持ち悪いくらいご機嫌だった。
「勝負に流されたんじゃないんだな?」
最終確認をするように聞いてきたその言葉を鼻で笑ってみせた、『何度聞くんだよ…』と呆れたようにも見える。自分の胸の前で腕を組み、木に寄りかかって楽な姿勢を取ってからガルデーニアは口を開く。
「俺は何にも流されてはいない、動いていないと嫌なだけだ。」
そうか、と目をユックリ閉じる丈二海は何かを決心したように懐から封筒を取り出して真直ぐ前へ向けた。それを受け取り中身を確認する前に一応確認をとる、これが勝負の内容なのかと、丈二海は何も答えないでその場から自分の持ち場に戻って行った。誰も周りにいなくなった時、一通の封筒を睨みつつユックリ封を開ける。
「『以下の人物の処理。』……いつもの事と変わらないのな、まっ、制限時間がある分チョットだけ楽しめそう♪」
そう言っていつもと同じ仕事をこなした後、漆黒の闇へと独り入って行った。