1:最初の一斤
魔王の首が地に落ちた日、王都は狂騒に包まれた。
人々は歓喜の声を上げ、国王は玉座から立ち上がり、救国の英雄たちに惜しみない賛辞と金貨の山を与えた。
英雄パーティーの遊撃と兵站を担っていた俺、ノア・レクシオンも、その場にいた。 だが、拍手喝采を浴びながら、俺の心はひどく冷めきっていた。
(……で?)
窓の外を見下ろせば、王城の輝きのすぐ足元には、薄汚れたスラムが広がっている。
魔王の被害で家を失った難民。
親を亡くした孤児。
魔石の暴騰で職を失った労働者たち。
英雄の剣は、確かに強大な魔物を切り裂いた。
だが、腹を空かせた子供一人を満たすことはできなかった。
魔法使いの究極魔法は、敵の軍勢を焼き尽くした。
だが、凍える老人に温かい毛布一枚を与えることはできなかった。
「剣だけじゃ、人は救えない」
その圧倒的な現実に気づいてしまった以上、俺が英雄を続ける理由はどこにもなかった。
***
英雄の肩書を捨て、各地を視察しながら起業の準備を重ねて二年。
俺が降り立ったのは、大陸の最果て、国境沿いに位置する【旧鉱山都市バルド】だった。
かつては魔鉱石の採掘で栄華を極めたが、資源の枯渇とともに国から捨てられた『廃棄都市』。
空は炭塵で淀み、崩れかけたレンガの影には、職を失い虚ろな目をした男たちや、生きるために盗みを働く子供たちがうずくまっている。
腐臭と、鉄錆の匂い。まさにこの世界の吹き溜まりだった。
「……ひどい有様だな。だが、図面としては悪くない」
俺は砂埃にまみれたロングコートの襟を立て、寂れきった中央広場を見渡した。
懐には、英雄時代の報酬や隠し資産をすべて現金化した莫大な資金がある。
だが、それをただ配り歩くような三流の慈善事業をするつもりはない。
それでは一時しのぎにしかならず、結局は力のある者に搾取されて終わる。
必要なのは、金ではなく『仕組み』だ。
「おい、そこのお前」
路地裏の影に身を潜め、俺の財布を品定めしていた小柄な影に声をかける。
ビクッと肩を揺らして現れたのは、ボロボロの布を纏った猫耳の少年だった。
年齢は十歳に満たないだろう。あばらが浮くほど痩せこけている。
「ひっ……な、なんだよ! 俺はまだ何も盗んでねえぞ!」
「盗む前に声をかけたんだ。お前、この街の生まれか?」
「……そうだけど」
警戒心剥き出しで牙を見せる少年に、俺は懐から一枚の硬貨……ではなく、分厚いライ麦パンと干し肉を取り出して放り投げた。
「わっ!?」
「それは前払いだ。今から俺はこの街のインフラ……崩れた坑道と水路を直す。そのための地理案内と、荷物持ちをしろ」
少年は足元に転がったパンと干し肉を信じられない目で見つめ、それから俺を睨みつけた。
「あんた、バカか? こんな死んだ街の坑道を直してどうすんだよ。石ころ一つ出やしねえよ! それに、こんな美味そうなモン、俺みたいなガキに渡したら……すぐに路地裏の連中に奪われて殺されるだけだ!」
少年の言葉は、この街の残酷な真理だった。
だが、俺はあえて口角を上げた。
「俺のそばで働く限り、お前の安全は保証する。腕っぷしには多少、自信があるんでね」
「……」
「それに、石ころが出ないなら、別のものを掘り出せばいい。俺はこの死んだ街を買い上げ、大陸中の金と人を飲み込む世界の中心……『ネクサス』にするつもりだ」
少年はぽかんと口を開けた。
無理もない。たかが流れ者の若者が、見捨てられた廃棄都市を世界の中心にすると豪語しているのだから。
「仕事の依頼だ。受けるか、受けないか」
俺が見下ろすと、少年は少しだけ躊躇った後、泥だらけの小さな手でパンと干し肉をしっかりと抱え込んだ。
「……やる。腹が減って死ぬくらいなら、あんたのイカれた冗談に付き合ってやるよ。俺の名前は、レオだ」
「契約成立だな、レオ。俺はノア。今日から設立するギルド『ネクサス』の代表だ」
最強の英雄としての過去を捨てた俺が、たった一人の飢えた少年を雇ったこの瞬間。
のちに既存の国家を崩壊させ、世界中の経済と物流を支配することになる巨大組織【ネクサス】の、これが泥にまみれた第一歩だった。




