8.真実は墓碑に眠るのか
王都の地下水道。
汚濁と腐臭が満ちる、光の届かぬ迷宮。
「……ハァ……ハァ……。こっちで、本当に合っているの、殿下……」
リリアンデは、膝まで泥水に浸かりながら、壁の紋様を松明で照らしていた。
眼鏡の奥の瞳は、疲労よりも好奇心で爛々と輝いている。
「古地図によれば、この水路が『第一調整塔』の真下を通っているはずだ。かつて、あの塔に『何か』を運び込むために使われていた秘密の通路だ……」
レオナルドもまた、王族の装束を汚泥で汚しながら、必死に進んでいた。
だが、二人の背後。
彼らから距離を置き、水音さえも立てずに追跡する影が二つあった。
「……あのガキども、本気であの『塔』に向かう気か。正気じゃねぇ」
隻眼の老兵、ガリウス。
彼は、リリアンデという女学者が謁見の間で見せた、あの異常なまでの冷静さが気になり、ずっと監視していたのだ。
「だが、あの塔……。アランも、旅の最後に、あの塔のことを何か……」
三十年前の、忌まわしい記憶が蘇る。
「――そこまでだ、ガリウス元総長」
ガリウスの背中に、冷たい剣先が突きつけられた。
「……シルヴィアか。騎士団の猟犬が、こんなドブネズミの巣まで何の用だ」
「貴様こそ、何を企んでいる。あの王子と学者を、どこへ誘導するつもりだ」
シルヴィアは、この老兵が王都に現れてから、ずっとその動向を探っていた。
彼女は、ゼフィルスという偽りの星よりも、この「本物の地獄」を知る男のほうが、よほど危険だと判断していた。
「誘導なんぞしちゃいねぇよ。ただの、後追いだ。あの小娘……リリアンデは、俺たちとは違う『匂い』を嗅ぎつけてやがる」
「匂い?」
「ああ。血と嘘と、そして……三十年間、俺の眼帯の下で疼き続けてきた、この呪いの匂いだ」
ガリウスの言葉に、シルヴィアは息を呑んだ。
その瞬間、前を進んでいたリリアンデたちの悲鳴が響いた。
「きゃあっ!」 「うわっ!」
二人の足元の床が、音を立てて崩落したのだ。
「チッ!」
ガリウスはシルヴィアの剣を振り払い、崩れた穴へと迷いなく飛び込む。
シルヴィアもまた、職務と己の直感を信じ、その後を追った。
◆ ◆ ◆
落下してたどり着いた場所。
そこは、塔の地下深くにある、巨大な空洞だった。
空気は乾燥し、カビ臭さの代わりに、微かに金属が焼けたような匂いがする。
そして、壁一面に、青白い光を放つ鉱石が埋め込まれ、幻想的ながらも、どこか冒涜的な光景を作り出していた。
「……すごい。ここが、古代文明の……」
リリアンデが、壁に刻まれた紋様に手を触れようとした、その時。
「――触るな、小娘!」
ガリウスの声が響き、彼はリリアンデの体を突き飛ばした。
直後、彼女が触れようとした壁から、青白い光の鞭のようなものが迸り、空気を切り裂いた。
「……自動防衛か。生きてやがる」
「ガリウス! なぜ、あなたたちがここに!」
レオナルドが驚愕の声を上げる。
「それはこちらの台詞だ、王子。ガキの火遊びにしては、ちと燃えすぎてるんじゃねぇか?」
ガリウスは憎まれ口を叩きながら、リリアンデを庇うように、剣を構えて周囲を警戒する。
「問答は後にしろ!」
シルヴィアが叫ぶ。
「来るぞ!」
壁の鉱石が、一斉に明滅を始めた。
すると、床に散らばっていた金属片やガラクタが、まるで意思を持ったかのように集まり、ぎこちない人型を形成していく。
古代の遺産、自律防衛ゴーレムだった。
「クソッ、面倒な!」
ガリウスとシルヴィアが、即座に迎撃態勢を取る。
二人の剣技は、まさしく達人のそれだった。
シルヴィアの剣は、流水のように正確にゴーレムの関節を断ち切り、ガリウスの剣は、岩を砕くように重く、その核を粉砕する。
だが、ゴーレムは倒しても倒しても、次々と再生していく。
「キリがないわ! リリアンデ! 何かないのか!」
「分かってる! 今、探してる!」
リリアンデは、戦闘の余波が巻き起こす暴風の中で、必死にこの部屋の『制御盤』を探していた。
「……あった! あれよ!」
部屋の最奥。
ひときわ巨大な青い水晶が、心臓のように脈動していた。
リリアンデは、ガリウスたちが稼いだ一瞬の隙を突いて、水晶の前に走り込む。
そこには、石版と同じ、見たこともない文字が刻まれたパネルがあった。
「読めるのか、お前!」
「読めるわよ! 私は天才だから!」
リリアンデは、常人にはただの模様にしか見えない文字を、猛烈な速度で解読していく。
「……これは……ログ……? 記録だわ……」
彼女は、そこに記された、信じがたい事実に、震えを禁じ得なかった。
「……『聖歴九四二年、勇者因子、生成失敗』……」
「なんだと……!?」
レオナルドが息を呑む。
そして、リリアンデの指は、最後の、最も恐ろしい一文をなぞった。
「『……異常事態と認定。世界の恒常性を維持するため、――“メフィア”を、起動する』……」
メフィア?
聞いたこともない名前。
それが、この異常事態の黒幕だとでもいうのか?
「――そこまでよ、ネズミさんたち」
リリアンデが解読を終えた、その瞬間。
四人の背後、空洞の入り口に、音もなく、一人の女が立っていた。
夜空を裁断したかのようなドレス。
血のように赤い唇。
〝深謀〟の魔将軍、リチェルカだった。
「……魔族……!」
シルヴィアが、絶望的な声を上げる。
リチェルカは、室内の惨状と、青白い光に照らされるリリアンデの顔を興味深そうに見つめ、妖しく微笑んだ。
「あらあら。人間の中にも、ここまで辿り着ける『知恵ある者』がいたなんて。驚いたわ」
彼女は、まるで旧知の友人にでも会ったかのように、リリアンデに向かって一歩、踏み出した。
「ねえ、あなた。その石版に書かれていた『メフィア』って、何のことか知ってる? もし知っていたら、私に、教えてくれないかしら」
最強の老兵。
秩序の騎士。
狂気の探求者。
そして、深淵の魔女。
世界の真実が眠る遺跡の底で、あり得ないはずの四者が、今、互いの利害と殺意を交錯させる。
三つ巴、いや、四つ巴の死闘の幕が、静かに上がった。




