表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/25

8.真実は墓碑に眠るのか

王都の地下水道。

汚濁と腐臭が満ちる、光の届かぬ迷宮。


「……ハァ……ハァ……。こっちで、本当に合っているの、殿下……」  


リリアンデは、膝まで泥水に浸かりながら、壁の紋様を松明で照らしていた。

眼鏡の奥の瞳は、疲労よりも好奇心で爛々と輝いている。


「古地図によれば、この水路が『第一調整塔』の真下を通っているはずだ。かつて、あの塔に『何か』を運び込むために使われていた秘密の通路だ……」  


レオナルドもまた、王族の装束を汚泥で汚しながら、必死に進んでいた。


だが、二人の背後。

彼らから距離を置き、水音さえも立てずに追跡する影が二つあった。


「……あのガキども、本気であの『塔』に向かう気か。正気じゃねぇ」

 

隻眼の老兵、ガリウス。

彼は、リリアンデという女学者が謁見の間で見せた、あの異常なまでの冷静さが気になり、ずっと監視していたのだ。


「だが、あの塔……。アランも、旅の最後に、あの塔のことを何か……」  


三十年前の、忌まわしい記憶が蘇る。


「――そこまでだ、ガリウス元総長」  


ガリウスの背中に、冷たい剣先が突きつけられた。


「……シルヴィアか。騎士団の猟犬が、こんなドブネズミの巣まで何の用だ」

「貴様こそ、何を企んでいる。あの王子と学者を、どこへ誘導するつもりだ」

 

シルヴィアは、この老兵が王都に現れてから、ずっとその動向を探っていた。

彼女は、ゼフィルスという偽りの星よりも、この「本物の地獄」を知る男のほうが、よほど危険だと判断していた。


「誘導なんぞしちゃいねぇよ。ただの、後追いだ。あの小娘……リリアンデは、俺たちとは違う『匂い』を嗅ぎつけてやがる」

「匂い?」

「ああ。血と嘘と、そして……三十年間、俺の眼帯の下で疼き続けてきた、この呪いの匂いだ」  


ガリウスの言葉に、シルヴィアは息を呑んだ。


その瞬間、前を進んでいたリリアンデたちの悲鳴が響いた。


「きゃあっ!」 「うわっ!」  


二人の足元の床が、音を立てて崩落したのだ。


「チッ!」  


ガリウスはシルヴィアの剣を振り払い、崩れた穴へと迷いなく飛び込む。

シルヴィアもまた、職務と己の直感を信じ、その後を追った。


◆ ◆ ◆


落下してたどり着いた場所。

そこは、塔の地下深くにある、巨大な空洞だった。  

空気は乾燥し、カビ臭さの代わりに、微かに金属が焼けたような匂いがする。

そして、壁一面に、青白い光を放つ鉱石が埋め込まれ、幻想的ながらも、どこか冒涜的な光景を作り出していた。


「……すごい。ここが、古代文明の……」  


リリアンデが、壁に刻まれた紋様に手を触れようとした、その時。


「――触るな、小娘!」  


ガリウスの声が響き、彼はリリアンデの体を突き飛ばした。  

直後、彼女が触れようとした壁から、青白い光の鞭のようなものが迸り、空気を切り裂いた。


「……自動防衛か。生きてやがる」

「ガリウス! なぜ、あなたたちがここに!」  


レオナルドが驚愕の声を上げる。


「それはこちらの台詞だ、王子。ガキの火遊びにしては、ちと燃えすぎてるんじゃねぇか?」  


ガリウスは憎まれ口を叩きながら、リリアンデを庇うように、剣を構えて周囲を警戒する。


「問答は後にしろ!」


シルヴィアが叫ぶ。


「来るぞ!」

 

壁の鉱石が、一斉に明滅を始めた。

すると、床に散らばっていた金属片やガラクタが、まるで意思を持ったかのように集まり、ぎこちない人型を形成していく。

古代の遺産、自律防衛ゴーレムだった。


「クソッ、面倒な!」  


ガリウスとシルヴィアが、即座に迎撃態勢を取る。

二人の剣技は、まさしく達人のそれだった。

シルヴィアの剣は、流水のように正確にゴーレムの関節を断ち切り、ガリウスの剣は、岩を砕くように重く、その核を粉砕する。  

だが、ゴーレムは倒しても倒しても、次々と再生していく。


「キリがないわ! リリアンデ! 何かないのか!」

「分かってる! 今、探してる!」

 

リリアンデは、戦闘の余波が巻き起こす暴風の中で、必死にこの部屋の『制御盤』を探していた。


「……あった! あれよ!」


部屋の最奥。

ひときわ巨大な青い水晶が、心臓のように脈動していた。  

リリアンデは、ガリウスたちが稼いだ一瞬の隙を突いて、水晶の前に走り込む。

そこには、石版と同じ、見たこともない文字が刻まれたパネルがあった。


「読めるのか、お前!」

「読めるわよ! 私は天才だから!」  


リリアンデは、常人にはただの模様にしか見えない文字を、猛烈な速度で解読していく。


「……これは……ログ……? 記録だわ……」  


彼女は、そこに記された、信じがたい事実に、震えを禁じ得なかった。


「……『聖歴九四二年、勇者因子、生成失敗』……」

「なんだと……!?」  


レオナルドが息を呑む。

そして、リリアンデの指は、最後の、最も恐ろしい一文をなぞった。


「『……異常事態と認定。世界の恒常性を維持するため、――“メフィア”を、起動する』……」


メフィア?  

聞いたこともない名前。

それが、この異常事態の黒幕だとでもいうのか?


「――そこまでよ、ネズミさんたち」


リリアンデが解読を終えた、その瞬間。  

四人の背後、空洞の入り口に、音もなく、一人の女が立っていた。  

夜空を裁断したかのようなドレス。

血のように赤い唇。  

〝深謀〟の魔将軍、リチェルカだった。


「……魔族……!」

 

シルヴィアが、絶望的な声を上げる。  

リチェルカは、室内の惨状と、青白い光に照らされるリリアンデの顔を興味深そうに見つめ、妖しく微笑んだ。


「あらあら。人間の中にも、ここまで辿り着ける『知恵ある者』がいたなんて。驚いたわ」  


彼女は、まるで旧知の友人にでも会ったかのように、リリアンデに向かって一歩、踏み出した。


「ねえ、あなた。その石版に書かれていた『メフィア』って、何のことか知ってる? もし知っていたら、私に、教えてくれないかしら」


最強の老兵。

秩序の騎士。

狂気の探求者。

そして、深淵の魔女。  

世界の真実が眠る遺跡の底で、あり得ないはずの四者が、今、互いの利害と殺意を交錯させる。  


三つ巴、いや、四つ巴の死闘の幕が、静かに上がった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ