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5.何のため嘘に花を投げるのか

王都は、熱病に浮かされていた。


勇者を失った絶望が生んだ空白に、『星の御子』ゼフィルスという名の甘い毒が、急速に染み渡っていたからだ。


「「「ゼフィルス様! 我らが星の御子!」」」


民衆の熱狂的な歓声が、凱旋パレードの道を埋め尽くす。

投げ込まれる花弁、差し出される女たちの潤んだ瞳、そして狂信的な祈り。

そのすべてを、ゼフィルスは純白の馬の上から、完璧な救世主の笑みで受け止めていた。


(ククク……チョロいもんだぜ。どいつもこいつも、すがるものが欲しいだけの子羊どもだ)


内心の侮蔑を隠し、彼は手を振る。

その仕草一つで、乙女たちがうっとりと卒倒した。

彼にとって、この状況は人生で最も割のいい詐欺だった。

リスクはでかいが、リターンは計り知れない。

金、名声、そして何より――女。

今夜あたり、夜伽の相手にどこぞの公爵令嬢でも指名してやろうか。

そんな下卑た考えが、彼の頭をよぎる。


「ゼフィルス様、ご壮健そうで何よりです」


隣を並走する馬の上から、涼やかな声がかけられた。

第三王子レオナルド。

彼の「教育係」として付けられた、世間知らずの青二才だ。

その瞳には、一点の曇りもない純粋な憧れが宿っている。


「これはこれは、レオナルド殿下。民の熱意には、この身も奮い立つ思いです」

「ええ。あなた様こそ、この闇に射した唯一の光。どうか、この国を……いえ、この世界をお導きください」


(光、ね。俺が照らしてやるのは、せいぜい女の裸くらいのもんだがな)


ゼフィルスが完璧な聖者の笑みを返す一方で、パレードを護衛する騎士団の一団から、氷のように冷たい視線が突き刺さっていることに、彼は気づいていた。


シルヴィア・ブレイズ。

王国騎士団長補佐。

齢二十九。

男社会の騎士団を、実力だけで登り詰めてきた女傑だ。

彼女の目は、ゼフィルスの所作の端々に見え隠れする、胡散臭さを見逃さなかった。


(……なんだ、あの男は。立ち姿に隙がありすぎる。あれが本当に魔物を退けたというのか? まるで、上等な服を着せられただけの、路地裏の娼夫のようだ)


シルヴィアの視線に気づいたゼフィルスは、わざとらしく彼女にウィンクを送ってやった。

シルヴィアは忌々しげに顔を顰め、舌打ちする。


その時、パレードを見守る群衆の中に、二つの対照的な影があった。


一人は、フードを目深に被った隻眼の老人――ガリウス。

彼は、地獄と化した村から生き残った者たちを率い、支援を求めて王都にたどり着いたばかりだった。


「……茶番だな」


吐き捨てるような呟きが、歓声にかき消される。

彼の隻眼は、ゼフィルスという男の本質を、一目で見抜いていた。

あれは偽物だ。

戦場を知る者の匂いが、一切しない。


もう一人は、王立アカデミーのローブを着た、瓶底眼鏡の学者――リリアンデ。


「……ふぅん。あれが『星の御子』。噂の『星の刻印』は、あの背中のアザのことかしら。でも、歴代勇者の『聖痕』の記録とは、形状も魔素反応も、全く違うわね……」


彼女の特異体質は、魔素の流れを「色」として視ることができる。

ゼフィルスから放たれる魔素の色は、英雄のそれとは似ても似つかぬ、濁った灰色だった。


「ますます、面白くなってきたじゃない」


◆ ◆ ◆


謁見の間は、金と欺瞞で飾り立てられていた。

玉座に座る国王の顔には疲労の色が濃く、実質的な権力は、その隣に立つ大司教コルネリウスが握っていることが誰の目にも明らかだった。


「――よくぞ参られた、星の御子ゼフィルスよ。そなたの出現こそ、神が我らを見捨てていなかった何よりの証」


コルネリウスの芝居がかった声が、広間に響く。

ゼフィルスは恭しく膝をつき、完璧な脚本通りの台詞を口にした。


「もったいなきお言葉。この身、星の導きに従い、世界を覆う闇を払うためならば、いかなる苦難も厭いませぬ」


そのやり取りを、末席で見ていたガリウスは、こみ上げてくる吐き気を抑えるのに必死だった。


(……反吐が出る)


若者たちが血を流して死んでいくというのに、この国の中心では、こんな薄汚い猿芝居が繰り広げられている。

彼は、もう我慢の限界だった。


「――お待ちいただきたい」


ガリウスの、錆びついた鉄が擦れるような声が、謁見の間の空気を切り裂いた。


「何者だ、貴様! 発言の許可は与えておらんぞ!」


衛兵が咎めるが、ガリウスは意に介さず、一歩、また一歩と玉座へと進み出る。

その姿を認めた騎士団の古参兵たちが、息を呑んだ。


「ま、まさか……ガリウス元総長……!?」

「生きておられたのか……!」


ガリウスは、ゼフィルスの目の前で足を止めると、その隻眼で射抜くように言った。


「小僧。お前、本当に『勇者』の資格があると、本気で思っているのか?」

「……なにを?」

「戦場で人を斬ったことはあるか? 仲間の臓物が足に絡みつく感触を知っているか? 己の無力さに、血の涙を流したことはあるか?」


立て続けに叩きつけられる言葉に、ゼフィルスは顔を引きつらせる。


「……何を、言っているのか……」

「ほう、知らぬか。ならば、お前はただの飾り物だ。こんなもので民が救えるか!」


ガリウスはそう言い放つと、腰の長剣に手をかけた。謁見の間が、一気に殺気立つ。


「やめなさい、ガリウス!」シルヴィアが剣を抜き、二人の間に割って入る。


「玉座の前での抜刀は、反逆とみなす!」

「フン、騎士団も随分と腑抜けたものだ。偽物のケツを舐めるのが、お前らの仕事になったのか!」


一触即発。

人間同士の、あまりにも矮小で、滑稽な対立。

その、刹那だった。


謁見の間の、その中心の空間が、ぐにゃり、と。

まるで熱せられた飴細工のように、景色が歪んだ。


「――な、なんだ!?」


次の瞬間、歪みの中心が黒く裂け、そこから、美しい女が、音もなく滑り出てきた。

艶やかな黒髪。

血のように赤い唇。

そして、彼女が身に纏うドレスは、まるで夜空そのものを裁断して作ったかのように、無数の星々が瞬いていた。

四大魔将軍、〝深謀〟のリチェルカ。


「……初めまして、かしら。エレテュリアの王、そして、か弱き人間の方々」


彼女の声は、真夏の夜風のように心地よく、それでいて、聞く者の背筋を凍らせる絶対的な威圧感を秘めていた。

騎士たちが一斉に剣を構えるが、リチェルカは気にも留めない。

彼女は、その場にいる誰よりも強い力を自分が持っていることを、知り尽くしている。


「魔族……! なぜここに!」


コルネリウスが、初めて狼狽の色を見せた。

リチェルカは、優雅に微笑むと、その場にいる全員の魂を揺さぶる、衝撃的な言葉を告げた。


「我が主、魔王アズラエルは、戦いを望んでおられません」

「……なに?」

「我が主は、こう仰せです。『貴殿ら人間との、対話を望む』、と」


その一言は、千の軍勢による襲撃よりも、はるかに大きな混乱と衝撃を、王都にもたらした。

敵であるはずの魔王からの、前代未聞の、対話の申し入れ。


偽りの星が祭り上げられた舞台は、本物の魔王の登場によって、誰も予想しなかった狂騒の第二幕へと、無理矢理に幕を開けられたのだった。


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