43.完璧な王と、計算外の涙
廃墟となった教会に、朝日が差し込んでいた。
ステンドグラスの破片が、床で宝石のように輝いている。
「……エルミナ様……!」
僕は、長椅子から起き上がったエルミナ様にしがみつき、子供のように泣きじゃくっていた。
生きていてくれた。戻ってきてくれた。
あの虚ろな目ではなく、いつもの、僕の大好きな優しい瞳で、僕を見てくれている。
「……ごめんね、ティオ。……怖かったでしょう」
エルミナ様は、僕の頭を撫でてくれた。
その手は、もう震えていなかった。
少し離れた場所で、星の御子様と、女騎士様が、気まずそうにこちらを見ている。
彼らは泥だらけで、血の匂いがして、とても「聖なるもの」には見えない。
でも、僕は知っている。
この人たちが、命懸けで、エルミナ様を連れ戻してくれたことを。
「……礼なら、いらねぇぞ」
星の御子様が、ぶっきらぼうに言った。
「俺は、俺のためにやっただけだ。……それに、俺は『偽物』だ。感謝される筋合いはねぇ」
「……それでも」
エルミナ様は、ふらつく足で立ち上がり、彼らに向かって深々と頭を下げた。
「あなたが『偽物』だとしても……あなたの差し出してくれた手は、とても温かかったです。……ありがとうございました」
星の御子様は、バツが悪そうに顔を背けた。
その横で、女騎士様が、小さく微笑んでいるのを、僕は見た。
「……さて」
アラン様の光の幻影が、窓辺に立った。
「感動の再会も束の間だ。……外を見てくれ」
僕たちは、崩れた壁の隙間から、王都を見下ろした。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
王都の中心、王立アカデミーがあった場所。
そこを中心に、瓦礫が不自然に積み上げられ、巨大な「城塞」が築かれつつあった。
そして、その周囲には、行き場を失った避難民たちが、長蛇の列を作っている。
「……レオナルドの仕業だ」
ガリウスさんが、苦々しく言った。
「あいつ、『新人類』の力で、生存圏を確保しやがった。……だが、見てみろ。列から弾き出されている連中を」
僕は目を凝らした。
城塞の入り口で、怪我人や老人、そして幼い子供たちが、冷酷に追い返されている。
入れてもらえるのは、労働力になりそうな若者や、魔術の素養がありそうな者だけ。
「……選別、しているのですか?」
エルミナ様の声が震える。
「ああ。効率的にな」
ガリウスさんが吐き捨てる。
「弱者は切り捨て、強者だけで生き残る。……それが、あの王子の『新世界』らしい」
僕たちのいる廃教会は、温かい。
でも、外の世界は、かつてないほど冷たく、凍りつこうとしていた。
◆ ◆ ◆
王立アカデミー、旧学長室。
そこは今、レオナルド王国の「玉座」となっていた。
窓の外では、私が再起動させた古代ゴーレムたちが、瓦礫を運び、防壁を築いている。
その指揮を執るのは、黒い紋様を纏った「新人類」、レオナルドだ。
「……報告を」
彼が、書類から目を離さずに言う。
その声には、抑揚がない。
「は、はい……。現在の収容人数は二千名。食料備蓄は、切り詰めれば二ヶ月持ちます。……ただし、労働不能者を排除すれば、半年は……」
「承認する」
レオナルドは、即答した。
「生産性のない個体に割く資源はない。即時、追放せよ」
私は、背筋が凍るのを感じた。
「……殿下。いえ、レオナルド。……それは、あまりにも……」
「何だ、リリアンデ」
彼が、私を見る。
その瞳は、深淵のように黒く、私の姿を映しているようで、何も見ていない。
「……『非合理的』だとでも言うのか?」
「……っ」
言葉が詰まる。
合理的だ。あまりにも、正しく、合理的だ。
崩壊した世界で生き残るためには、これが「正解」なのだ。私の愛する「知性」が、そう告げている。
でも。
(……違う。私が求めていたのは、こんな……)
私が作りたかったのは、「進化」だった。
『律』という窮屈な檻を壊し、もっと自由に、もっと鮮やかに、生命が輝く世界。
かつてのレオナルドは、弱くて、優柔不断で、私の無茶な実験に「ひぃぃ」と泣き言を言いながら、それでも、誰一人見捨てようとしなかった。
私は、そんな彼の「愚かさ」を笑いながら……心のどこかで、愛おしく思っていたのではないか。
今の彼は、完璧だ。
恐怖を感じず、迷わず、最適解を選び続ける。
それはまるで、私たちが壊そうとした「コルネリウスの律」そのものではないか。
「……レオナルド」
私は、震える手で、彼の袖を掴んだ。
「少し、休みましょう? あなた、昨日から一睡もしていないわ。……紅茶でも、淹れるから」
「不要だ」
彼は、私の手を、冷たく振り払った。
「私の肉体は『進化』している。睡眠も食事も、最小限で稼働できる。……無駄な時間を過ごしている暇はない」
彼は、立ち上がった。
「魔王軍が、再び動く兆候がある。……迎撃の準備を進める。リリアンデ、君は『量産型』の研究を急げ。私の血液を使えば、民衆を『進化』させられるはずだ」
「……待って」
「何だ」
「……私を見て」
レオナルドが、怪訝そうに眉をひそめる。
私は、瓶底眼鏡を外し、素顔で彼を見つめた。
涙が、滲んでいた。
「……私は、あなたの『道具』じゃない。……共犯者よ」
「ああ。理解している。君の頭脳は、私の統治に不可欠だ」
「そうじゃない!」
私は叫んだ。
「私の『心』の話をしているのよ! ……ねえ、笑ってよ、レオナルド。いつものように、情けなく笑ってよ。『リリアンデ、お手柔らかに頼むよ』って……!」
レオナルドは、私を、無機質な「物体」を見るような目で見下ろした。
「……理解不能だ」
彼は、淡々と言った。
「感情は、判断を鈍らせるノイズだ。君がそう教えてくれたのではないか? ……私は、君の望み通り、完璧な『器』になったはずだが」
彼は、踵を返し、部屋を出て行った。
残されたのは、私と、冷え切った紅茶の香りだけ。
(……あ……ああ……)
私は、その場に崩れ落ちた。
私が、殺したんだ。
あの優しかった彼を。私の「知性」が、彼を「王」という名の怪物に変えてしまった。
「……う、うぅ……」
三十年間、一度も流したことのなかった「計算外の涙」が、頬を伝う。
私は、初めて知った。
真理を解き明かすことよりも、世界を進化させることよりも。
ただ、隣にいてくれる人の「体温」が、何よりも得難いものであったことを。
窓の外では、レオナルドに見捨てられた人々が、寒空の下で凍えている。
そして、その絶望を糧にするかのように、遠く大聖堂の跡地から、どす黒い『律』の柱が、天高く昇っていくのが見えた。
世界は、三つに割れた。
冷酷な進化を遂げる「王城」。
古き呪縛に囚われた「大聖堂」。
そして、泥にまみれた「廃教会」。
私が帰るべき場所は、もう、この王城にはないのかもしれない。




