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42.灰の聖女、血の英雄

 世界は、白かった。

 光の白ではない。骨が焼け、肉が炭化し、最後に残る、乾いた「灰」の白だ。


(……ここは)


 僕は、エルミナの精神世界こころの深層に立っていた。

 音はない。風もない。

 ただ、見渡す限りの白い灰が、雪のように降り積もっている。

 足元を見る。

 灰の海の中に、無数の「彫像」が埋もれていた。

 苦痛に顔を歪め、手を伸ばし、何かを乞うような姿勢で固まった、黒い炭の彫像たち。


(……彼女が、焼き殺した人々か)


 胸が痛む。

 これは、地獄だ。

 彼女自身が、彼女を断罪するために作り上げた、終わらない処刑場。


「……来ないで」


 灰の丘の向こうから、か細い声がした。

 僕は、足を取られながら、その声の方へ歩く。

 灰が舞う。その一つ一つが、彼女の悲鳴のように肌にまとわりつく。


 丘の頂上。

 そこに、エルミナはいた。

 膝を抱え、小さく丸まり、炭化した彫像たちの中心で、震えていた。


「……来ないで……。見ないで……」


 彼女は顔を上げない。

「私は、汚れているの。……助けようとしたのに。守りたかったのに。……私が、みんなを、灰にしたの」


 彼女の背中から、白い翼のような光が漏れ出している。

 だがそれは天使の翼ではない。彼女の魂を蝕み、周囲を焼き続ける、制御不能な『聖性』の暴走だ。


「……エルミナ」

「やめて! 近づかないで! あなたも焼いてしまう!」


 彼女が顔を上げ、絶叫した。

 その瞳は、涙でぐしゃぐしゃだった。

「勇者様……。私、怖かったんです。……みんなが私を崇めるのが。期待されるのが。……失敗したらどうしようって、ずっと……」

 彼女は、自分の喉を掻きむしる。

「なのに、あの時……バルトロメオさんが矢を放った時……私は、怒ってしまった。……『なんで分かってくれないの』って。その一瞬の怒りが……あんな……あんなことに……!」


 純粋すぎたのだ。

 彼女は、善意だけで世界を救えると信じていた。

 だからこそ、自分の中に生まれた「醜い感情」が許せなかった。

 その拒絶が、彼女の聖なる力を、虐殺の炎へと変えてしまった。


「……私は、聖女なんかじゃない。……人殺しよ」

 彼女は、近くにあった炭の彫像――恐らく、魂魄病で苦しんでいた老人だったもの――に縋り付いた。

「罰を受けなきゃいけないの。ここで、ずっと、この人たちに謝り続けなきゃ……」


 僕は、静かに彼女の前に膝をついた。

 彼女の拒絶の光が、僕の「構成要素からだ」をジリジリと焼く。

 痛い。

 だが、この痛みこそが、僕がここにいる意味だ。


「……そうだね」

 僕は、優しい言葉などかけなかった。

「君は、人殺しだ」


 エルミナが、ビクリと肩を震わせる。


「君は、救おうとして、殺した。その罪は、決して消えない。どれだけ泣いても、どれだけ謝っても、灰になった命は戻らない」


 残酷な事実。

 だが、僕は続けた。


「……僕と、同じだ」


 エルミナが、ゆっくりと顔を上げた。

「……え?」


 僕は、僕の記憶かこを、この空間に晒した。

 灰の世界が、一瞬にして塗り替わる。


 燃える村。

 僕が守りきれず、母親を亡くした赤ん坊の泣き声。

 僕の剣が、親友ガリウスの左目を裂いた、あの瞬間の鮮血。

 そして、

 僕の聖剣の輝きの中に消えていった、最愛の少女、サラの笑顔。


『……アラン様、あなたみたい……』


「……あ……」

 エルミナが、息を呑む。

 僕の記憶の中にある、血と、後悔と、どうしようもない無力感。

 伝説の勇者と呼ばれた男の、あまりにも惨めな「中身」。


「僕は、誰も救えなかった」

 僕は、自嘲気味に笑った。

「僕の聖剣ひかりは、多くの魔物を滅ぼしたけれど、それ以上に、僕の大切な人たちの心を、命を、すり潰して輝いていたんだ」


 僕は、自分の手を、エルミナの目の前にかざした。

 光り輝いているように見えるこの手は、本当は、泥と血で汚れている。


「君は、自分の怒りが許せないと言ったね。……僕もだ」

 僕は、告白した。

「僕は、サラを奪った世界を憎んだ。ガリウスを傷つけた自分を呪った。……その怒りで、僕は戦い続けた。正義のためなんかじゃない。ただの八つ当たりだったのかもしれない」


 エルミナの瞳が、揺れる。

 彼女が見ていた「完璧な勇者像」が、音を立てて崩れ去っていく。

 だが、その瓦礫の下から現れたのは、彼女と同じ、傷だらけの「人間」だった。


「……でも、勇者様は……」

 彼女は、震える声で問うた。

「それでも、どうして……笑えるんですか? どうして、そんなに優しい顔ができるんですか?」


「……許されたからだよ」


 僕は、三十年前の最後の日。

 雪原で、ガリウスが僕に向けてくれた涙を思い出した。

 あの時、彼は僕を「勇者」としてではなく、「友」として終わらせてくれた。

 そして、この三十年の間、彼は僕の罪を背負って、生きてくれた。


「許してくれる人がいた。……背負ってくれる人がいた」

 僕は、エルミナの手を取った。

 彼女の指先は、灰で黒く汚れていた。


「エルミナ。君は、清廉潔白な聖女に戻る必要なんてない」

「……!」

「罪を消すことはできない。でも、分かち合うことはできる」


 僕は、彼女の目を見て、誓った。

 かつて、サラが僕にしてくれたように。

 今度は、僕が、彼女にする番だ。


「僕が、背負うよ」

「……え……?」

「君が焼いた命の重さも、君が抱いた醜い怒りも。……全部、僕が半分持つ。僕の罪も、君に半分持ってほしい」


 共犯者。

 きれいな救済ではなく、泥の中での連帯。


「一人で清く正しくある必要はない。……泥だらけの手で、それでも、誰かの手を握るんだ」


 僕は、微笑んだ。

「外には、君を待っている人たちがいる。……不器用で、嘘つきで、傷だらけの連中がね」


 エルミナの瞳から、涙が溢れた。

 それは、絶望の涙ではなかった。

 堰き止められていた感情が、決壊した音だった。


「……う……うわぁぁぁぁぁっ……!」


 彼女は、僕の胸に飛び込み、子供のように泣きじゃくった。

 灰の世界に、色が戻り始める。

 彼女の足元、炭化した大地の隙間から、小さな、青い花が芽吹いた。

 『春の記憶』。

 どんな冬をも越えて咲く、再生の花。


◆ ◆ ◆


(現実世界・廃教会)


「……ん……」


 長椅子に横たわっていたエルミナの瞼が、微かに震えた。

 彼女の全身を覆っていた、刺々しい拒絶のオーラが霧散し、穏やかな、人肌の温もりが戻ってくる。


「……おい、目ぇ覚ましたぞ」

 ゼフィルスが、安堵の息を漏らしながら覗き込む。

 その隣で、シルヴィアも、痛む体を起こして見守っていた。


 エルミナが、ゆっくりと目を開けた。

 その瞳には、もう、あの時の狂気も、虚無もなかった。

 ただ、深い悲しみを知った者だけが持つ、静かな凪があった。


「……星の、御子様……」

「よせ。その呼び方は背中が痒くなる」

 ゼフィルスは、ぶっきらぼうに言いながら、水筒を差し出した。

「……飲め。泥水みたいな味だがな」


 エルミナは、それを受け取り、一口飲んだ。

 そして、少しだけ、泣きそうな顔で笑った。


「……美味しい、です」


 その傍ら。

 光の粒子となって霧散していたアラン(メフィア)が、再び、人の形を結んだ。

 だが、その光は、以前よりも少しだけ、薄くなっていた。

 自らの存在データを削り、彼女の心を補修した代償。


「……おかえり、アラン」

 ガリウスが、低い声で言った。

 アランは、親友に向かって、親指を立ててみせた。


「……ただいま。……少し、軽くなったよ」


 夜明けが近い。

 廃墟の教会に、傷だらけの四人と一人の幽霊。

 世界はまだ地獄のままだが、ここには、確かに小さな「灯火」が灯っていた。

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