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41.鉛の王と、泥の聖堂

 戦場の空気が、変質していた。

 硝煙と血の匂いが充満する崩壊した観測室で、私は、自分の作り出した「最高傑作」を、呆然と見上げていた。


「――ひざまずけと言ったはずだ」


 レオナルドの声は、静かだった。

 怒りも、恐怖も、興奮さえもない。ただ、事実を淡々と述べるような、冷徹な響き。


 彼が右手を軽く振り下ろす。

 ただそれだけの動作で、空間に巨大な重力場が発生した。

 リチェルカが召喚した魔獣の群れが、断末魔を上げる暇もなく、一瞬にして床にめり込み、ひしゃげ、肉塊へと変わる。


「……ッ、化け物が……!」

 生き残った魔獣が、恐怖に駆られて飛びかかる。

 だが、レオナルドは視線すら向けない。

 黒い紋様が浮かぶ彼の皮膚に、魔獣の爪が触れた瞬間、爪の方が粉々に砕け散った。

 『律』の外側にある彼の肉体強度は、物理法則を無視していた。


「……退屈だ」

 レオナルドは、襲ってきた魔獣の首を、無造作に掴み、握り潰した。

 グシャリ、という生々しい音。

 返り血が彼の頬を濡らすが、彼は瞬き一つしない。


「……素晴らしい……」

 私は、震える手で眼鏡の位置を直した。

 数値が、計測不能エラーを吐き出し続けている。

 感情による魔力(出力)のブレが一切ない。

 恐怖心というリミッターが外れ、生存本能と破壊衝動が、完璧な理性によって制御されている。


 これが、私が求めた「進化」の形。

 神の『律』に縛られない、新しい王。


 はずなのに。


(……なぜ、こんなに……寒気がするの?)


 かつてのレオナルドは、臆病で、優柔不断で、でも、私の無茶な実験に付き合ってくれる、お人好しな「共犯者」だった。

 今の彼の瞳には、リリアンデすら映っていないように見える。

 そこにあるのは、障害物を排除し、環境を最適化しようとする、冷たい計算式だけだ。


「……リチェルカ」

 レオナルドが、部屋の隅で腕を組んでいる魔将軍に視線を向けた。

「私のくにを荒らした代償は、高くつくぞ」


「……フフ」

 リチェルカは、魔獣たちが全滅しても、顔色一つ変えていなかった。

 むしろ、レオナルドの変貌を、楽しそうに観察している。

「やるじゃない、新人類さん。……でも、今日はここまでのようね」


 彼女の背後で、空間が歪み、撤退用のゲートが開く。

「偽物のゼフィルスは逃げた。聖女も回収された。……盤面は、振り出しに戻ったわ」

 リチェルカは、優雅にスカートの裾をつまんで一礼した。

「また会いましょう。……あなたが、その『力』に食い尽くされていなければ、ね」


 彼女が姿を消すと同時に、張り詰めていた緊張の糸が切れた。

 ガリウスが、壁に背中を預けて座り込む。バルトロメオも、瓦礫の上に大の字になった。


「……助かった、のか?」

「へっ。生きた心地がしねぇな」


 だが、レオナルドは休息を取らなかった。

 彼は、瓦礫の山を越え、外の世界――崩壊した王都を見下ろした。


「リリアンデ」

 彼が、私を呼ぶ。

 その声に、以前のような温かさはなかった。


「次の工程プロセスだ。……この廃墟を拠点ベースにする。資源の確保と、生存者の選別を行う。使えない者は切り捨て、使える者を『進化』させる」


「……え?」

 私は、耳を疑った。

「選別……? 切り捨てるって、民を?」


「そうだ。旧人類の脆弱な肉体では、これからの世界は生き抜けない」

 レオナルドは、無表情で言い放った。

「情けは不要だ。効率こそが、我々の正義だ」


 その横顔は、あまりにも美しく、そして、あまりにも冷酷だった。

 私は、初めて、自分の作り出したものの「恐ろしさ」に、背筋が凍る思いがした。


◆ ◆ ◆


 王都の外れ。半壊した石造りの教会。

 屋根は半分吹き飛び、ステンドグラスは砕け散っているが、雨風を凌ぐには十分だった。


「……はぁ……はぁ……」


 俺は、シルヴィアを、長椅子の上にそっと横たえた。

 彼女の顔色は、月明かりの下で青白く、呼吸は浅い。リチェルカの魔力で傷は塞がっているが、失った血の量は深刻だ。


「……おい、生きてるか、騎士様」

「……うるさい……。耳元で、わめくな……」


 シルヴィアが、薄目を開けて悪態をつく。

 その声を聞いて、俺は全身の力が抜け、その場にへたり込んだ。


「……よかった。アンタに死なれたら、俺の『借金』が返せなくなるところだった」

「……フン。……高くつくぞ、詐欺師……」


 俺たちは、泥と血にまみれたまま、互いの生存を確認し合った。

 そこへ、重い足音が近づいてくる。


「――ここか」


 教会の入り口に、巨体が現れた。ガリウスだ。

 その背中には、気を失ったエルミナをおぶっている。

 そして、その傍らには、淡い光を放つ人影――アラン(メフィア)が寄り添っていた。


「……ジジイ。よく無事だったな」

「誰がジジイだ。……まったく、世話の焼けるガキどもだ」


 ガリウスは、エルミナを俺たちの向かいの長椅子に寝かせると、大きく息を吐いた。

 その体も傷だらけだ。左半身には、コルネリウスとの戦いで負ったと思われる火傷の痕が痛々しく残っている。


「……状況は、最悪だ」

 ガリウスが、水筒の水を回し飲みしながら言った。

「魔王軍は一時撤退した。だが、王都は壊滅状態だ。……さらに、あの『新人類』の王子様が、妙な動きを始めてやがる」


「レオナルド殿下か?」

「ああ。あいつ、助けた生存者をかき集めて、要塞化を始めやがった。……『弱者は要らん』とかほざいて、怪我人を外に放り出してるって噂だ」


 俺は、舌打ちをした。

 あの気弱な王子が、力を手に入れた途端に独裁者かよ。

 力ってのは、人をこうも変えちまうのか。


「……それで、このお嬢ちゃんは?」

 俺は、眠り続けるエルミナを見た。

 あの暴走の時とは違い、今の彼女は、ただの疲れ切った少女に見える。


「……心が、壊れている」

 アランの光の幻影が、静かに答えた。

 その声には、深い悲痛が滲んでいた。

「彼女は、自分の光で人々を焼き殺した罪悪感に、魂ごと押し潰されている。……このままでは、二度と目覚めないかもしれない」


「……治せるのか?」

 俺が問うと、アランは、光の手をエルミナの額にかざした。


「……僕が、やる」

 アランは、決意を込めて言った。

「僕の『構成データ(きおく)』を使って、彼女の精神世界こころに潜る(ダイブする)。……彼女の絶望を、僕が肩代わりするんだ」


「……そんなことしたら、お前、消えちまうんじゃねぇのか?」

 ガリウスが、鋭く問いかける。

 アランは、三十年前と同じ、困ったような笑顔を浮かべた。


「……構わないさ。僕は、このために戻ってきたのかもしれない」


 重い空気が流れる。

 誰もが、傷つき、失い、追い詰められている。

 世界を終わらせようとする魔王。

 世界を作り変えようとする新王。

 その狭間で、俺たち「敗残者」だけが、泥だらけの聖堂に集まっていた。


「……やるなら、早くしろ」

 シルヴィアが、体を起こそうとして、呻いた。

「……私たちが、時間を稼ぐ。……魔王軍が来る前にな」


「無理すんな、怪我人が」

 俺は、シルヴィアの肩を押し戻した。

 そして、アランに向き直った。


「……頼むぜ、勇者様。あんたがその子を連れ戻してくれなきゃ、俺たちの『逃避行』も、ここでおしまいだ」


 アランは、深く頷いた。

 彼の光が、強く、優しく、輝きを増していく。


「……行ってくる。……今度こそ、誰も死なせない」


 アランの姿が、光の粒子となって分解され、エルミナの体の中へと吸い込まれていく。

 静寂が戻った教会で、俺たちは、長い夜明けを待つことになった。


 泥だらけの聖堂。

 そこは、世界から見捨てられた者たちが、傷を舐め合い、明日を生きるための「共犯」の場所だった。

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