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38.凍てつく面影と、揺らぐ火種

上官殺し。


それは、軍法会議にかければ極刑に値する罪だ。


だが、私は処罰されなかった。


それどころか、私は昇進した。



「――見事だ、シルヴィア・ブレイズ」


大聖堂の奥、謁見室。


大司教コルネリウスが、玉座から私を見下ろしていた。


その瞳は、凍てついた湖面のように、何の感情も映していない。



「ヴァレリウスは、私欲のために『りつ』を乱した。

貴様の行いは、騎士団の腐敗を切除する『外科手術』として、極めて正当である」


コルネリウスは、私の罪を「正義」と定義した。


私は、安堵するどころか、吐き気を催していた。


この男は、私の「葛藤」など見ていない。



私が「使える刃」かどうか、それだけを見ている。



「貴様には、素質がある。

『感情』というノイズに惑わされず、『秩序』のために泥を被れる素質がな」

彼は、私に新たな任務を与えた。


それは、表向きは「異端の調査」。


実態は、聖教会の裏側で行われる「燃料ねんりょう」――魂魄資源の回収の護衛だった。



私は、見てしまった。


王都の孤児院から、身寄りのない子供たちが、「聖務」という名目で連れ去られていくのを。


子供たちは泣いていた。


「お姉ちゃん、助けて」と、輝く鎧を着た私に、小さな手を伸ばしていた。



(……助けなきゃ)


本能が叫ぶ。


だが、私の足は動かなかった。



『秩序なき慈悲は、破滅を招く』 セリスの戦術書の一節が、呪いのように頭をよぎる。


この子たちは、世界の『律』を維持するための、尊い犠牲なのだと。


そう自分に言い聞かせなければ、私は狂ってしまうから。



私は、子供たちの手を取らなかった。


無表情のまま、視線を逸らした。



(……私は、騎士だ)


(世界を守るために、小さな犠牲には目を瞑る。

それが、大人の『正義』だ)


そうして、私は、私自身を殺した。


心を凍らせ、表情を消し、ただ命令に従う「氷の人形」になった。


母を殺した詐欺師を憎みながら、私は、誰よりも巨大な「きょうかい」の番犬に成り下がっていたのだ。



◆ ◆ ◆


月日が流れ、私は騎士団長補佐の地位にあった。


心は、もう何も感じなくなっていた。



あの日までは。



「星の御子」ゼフィルス。


彼が、王都に現れたあの日。



謁見の間で彼を見た瞬間、私の全身に、忘れかけていた「怒り」が走った。



(……なんだ、こいつは)


軽薄な態度。


貼り付けたような笑顔。


隙だらけの立ち姿。


そして何より、その瞳の奥にある、他人を値踏みするような「計算」の色。



(……同じだ)


母を殺した、あの詐欺師と。


部下を見捨てた、あのヴァレリウスと。


同じ、「偽物」の匂いがする。



「星の導きに従い、世界を覆う闇を払う……」

彼が口にする台詞のすべてが、私には反吐が出るような茶番に聞こえた。


民衆は彼に熱狂している。


父が、あの詐欺師に縋り付いた時のように。



(許せない)


(こいつは、必ず、人を不幸にする)


(いざとなれば、民衆を盾にして、真っ先に逃げ出すに違いない)


だから、私は監視役を志願した。

『人喰い砦』への遠征。


それは、この詐欺師の化けの皮を剥ぐための、絶好の機会だと思っていた。



だが。



行軍の最中、私の予想は、少しずつ、裏切られていった。



夜の野営地。


彼は、私や騎士たちに、自分の食料を分け与えた。



「俺は小食でね。

騎士様たちが腹を空かせてちゃ、安心して眠れないさ」

軽口を叩きながら、その手は震えていた。


恐怖に怯えているくせに、彼は、虚勢を張り続けた。



(……なぜ、逃げない?)


金品を持って夜逃げすればいい。


機会はいくらでもあったはずだ。


なのに、彼は、砦へと足を向け続ける。



そして、あの砦の前。


吐瀉物にまみれ、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら。


彼は、叫んだ。



「――来たれ、星よッ!」


あの時、彼が起動した『星の円盤』の衝撃。


それは、砦を吹き飛ばしただけではない。


私の、「偏見」という名の氷をも、砕いた。



(……お前は、何なんだ)


詐欺師なのに。


偽物なのに。


なぜ、お前は、あの上官ヴァレリウスのように、私を盾にしなかった?

なぜ、一人で、泥を被った?


そして、最後の瞬間。


南の荒野で、バルトロメオの矢が放たれた時。



私の記憶が確かなら。


お前は、叫んでいた。



「危ない!」と。


自分に向けられた矢ではないのに。


お前を殺そうとしていた、この私を庇うために。



(……馬鹿な男)


意識の底で、私は、笑った。


自嘲ではない。


久しぶりに湧き上がった、温かい感情だった。



お前は、弱くて、卑怯で、嘘つきだ。


でも、お前は、私の知るどの「正義の騎士」よりも、人間臭くて、優しかった。



ガリウスの言葉が、ようやく、腑に落ちる。



『正義が通らねぇ場所で、それでも、守りてぇモンのために、どれだけ泥水を啜れるか』


(……ゼフィルス)

(お前は、啜ったんだな。

泥水を)


(誰かのために。

……もしかしたら、私なんかのためにも)


◆ ◆ ◆


意識が、浮上する。


喉の熱さが、痛みが、私を現実に引き戻す。


暗闇の中で、誰かの声が聞こえる。



冷たい、女の声。


魔族だ。


私の首筋に、冷たい爪が食い込んでいる。



目を開ける。


ぼやけた視界が、焦点を結ぶ。


崩壊しかけた部屋。


血の匂い。


そして、三つの勢力の睨み合い。



目の前には、魔王軍のリチェルカ。


その背後で、恐怖に震えている……ゼフィルス。



(……生きてたか、詐欺師)


彼の、情けない顔を見て、私は、心の底から安堵した。


そして同時に、強烈な「後悔」と「決意」が、私の心臓を叩いた。



私は、もう、「秩序」の人形ではない。


コルネリウスの犬でもない。


私は、私自身で、選ばなければならない。



「正義」とは、綺麗な鎧を着て、高みから見下ろすことではない。


泥にまみれ、傷つき、それでも、目の前の一人を守るために、剣を振るうことだ。


あのアラン様のように。


そして、この、どうしようもない詐欺師のように。



「……う……」


私の喉から、小さな呻き声が漏れた。


リチェルカが、私を見下ろす。



「あら、お目覚め? おとなしくしていなさい。

あなたは大事な『人質』なのだから」


(……人質、か)


(上等だ)


私は、動かない体で、指先だけに力を込めた。


まだ、剣は握れない。


だが、魂は、もう折れていない。



(……ゼフィルス)


(よく聞け。

……そして、見ていろ)


(私が、この「偽物」の命を使って、どうやってこの盤面をひっくり返すか)


(お前が教えてくれたんだ)


(「偽物」だって、足掻けば、「本物」に一太刀浴びせられるってな!)


シルヴィア・ブレイズの瞳に、かつての「氷」ではない、熱く、揺るぎない「炎」が灯った。



覚醒の時は、近い。


彼女は今、ただの人質としてではなく、この膠着した戦況を砕く、最後の「ジョーカー」として、静かに、その牙を研ぎ澄ませていた。



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