表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/47

36.代価の小瓶と、救えない秩序

ガリウスの言葉は、私の「正義」に、解毒できない「毒」を打ち込んだ。



(……泥水……)


私は、騎士団の訓練の傍ら、書庫にこもった。


アランとガリウスの「真実」を知るため。


そして、ガリウスが口にした「泥」の意味を、理解するため。



そこで、私は、一冊の戦術書に出会った。


りつの維持と、魔素まその効率的運用について』。



著者は、--------セリス・ヴァンドール。


ガリウスの、姉。


アランの旅に同行した、女性戦略家。



私は、その戦術書に、魅入られた。


そこには、私が求めていた「正義」の、完璧な「解答」が記されていたからだ。


感情に左右されない、冷徹なまでの「合理」。


最小の犠牲で、最大の「秩序」を守るための、完璧な「計算」。



(……これだ)


ガリウスの言う、正体不明の「泥」ではない。


セリスが示した、この「秩序」こそが、アランが守ろうとした「光」の正体だ。


私は、ガリウスの教えを、心の奥底に封印した。


そして、セリスの戦術書を、私の「正義」のバイブルとした。


私は、セリスの「型」を、完璧にトレースした。


剣技も、戦術も、思考さえも。


感情を排し、常に「秩序」と「正義」を最優先する。



その結果、私は、異例の速さで、騎士団長補佐の地位まで、登り詰めた。



(……私は、間違っていない)


そう、信じていたかった。



叙任式を終えた、その夜。


私は、アランの墓所を、訪れた。


セリスの「正義」を受け継いだ、最強の騎士わたしが、ここにいると、報告するために。



だが、そこに、先客がいた。


ガリウスだった。


彼は、アランの墓標に背を預け、一人、静かに、酒を飲んでいた。



「……ガリウス、殿」

「……おう。

出世したそうじゃねぇか、嬢ちゃん。

……その、姉貴セリスの、ガチガチの『正義ヨロイ』を、真似きこんでな」


彼は、私を、見ようともしない。


ただ、隻眼で、星の消えた、暗い夜空を、見上げていた。


その横顔は、私が知る、どのガリウスよりも、静かで、孤独で、


――泣いているように、見えた。



「……!」


私は、あのパレードの、アランの笑顔を、彼の横顔に、重ねていた。



「……なぜ、あなたは、泣いている」

「……泣いてねぇよ。

酒が、目にしみただけだ」

「嘘だ」

私は、彼の隣に、膝をついた。



「……私は、強くなった。

あなたのセリスの教えで、完璧な『秩序』の剣を、手に入れた」

「……」

「だから、今度こそ、私が」


私は、誓った。



「――私がいつか、あの背中アランの荷物も、あなたの背中の荷物も、半分、持ちます」


ガリウスは、数秒、黙っていた。


そして、ゆっくりと、私を、振り返った。


その隻眼には、涙ではなく、深い、底なしの「哀れみ」が、浮かんでいた。



「……嬢ちゃん」

彼は、私の頭に、無骨な手を、置いた。



「……お前には、無理だ」

「……!」

「その『荷物』はな。

お前が信じてる、そのピカピカの『正義ヨロイ』じゃあ、背負えねぇんだよ」

「……」

「お前のその手(正義)は、あまりにも、綺麗すぎる」


彼は、私を、拒絶した。


アランの「陰り」も、ガリウスの「孤独」も、セリスの「秩序」も、すべてが、私には、まだ、遠すぎた。



(……結局、私は、あの日から、何も、変わっていない)



意識が、沈む。


喉が、熱い。



(……ああ。

そうだ。

私は、ずっと、『聖性ただしさ』だけで、生きたかった)


(ガリウスの言う、『よわさ』も、ゼフィルスの言う、『にんげん』も、見ないふりをして)


(……私は、ずっと、間違っていた……)


(……寒い)


意識が、浮き沈みする。



現実が、遠い場所で響いている。



(……ああ。

また、この寒さだ)


シルヴィアの意識は、再び、あの日の冬へと沈んでいった。



ガリウスの元を去り、セリスの戦術書を「正義」として掲げてから、二年。



私は十九歳。


騎士団の正規任官を受け、王都警備隊の一員として、自らの「秩序」に絶対の自信を持ち始めていた。



ガリウスが吐き捨てた「泥」という言葉は、忘れたい過去として、心の奥底に封印していた。



その日、非番だった私は、久しぶりに王都郊外の実家へと戻っていた。


だが、家を包んでいたのは、懐かしい暖炉の匂いではなく、病の、淀んだ空気だった。



「……母さん?」


母が、寝台に伏していた。



かつては血色の良かった頬は、土気色に変わり果て、その呼吸は、か細く、浅い。


王宮の医師は、首を振るだけだった。



「原因不明の消耗症だ。

……手の、施しようがない」


魂魄病こんぱくびょう……)


まだ、その名が王都で囁かれ始めたばかりの頃。


聖教会は、それを「信仰の足らぬ者がかかる呪い」と断じていた。


私の「秩序」も「正義」も、この目に見えぬ病魔の前では、何の役にも立たなかった。



父は、憔悴しょうすいしきっていた。


温和で、誰よりも「法」を重んじ、私が騎士になることを一番に応援してくれた父が、まるで別人のように、何かに取り憑かれた目で、壁を睨んでいた。



「……シルヴィア。

お前が、帰ってきてくれて、よかった」


「父さん……?」


「……『奇跡』が、あるんだ」


父が、震える声で告げた。


その夜、一人の男が、我が家を訪れた。



仕立ての良い服に身を包み、人好きのする笑みを浮かべた、その男は、自らを「星の代行者」と名乗った。


その立ち振る舞いは洗練されており、言葉の端々にまで、相手を安心させるような「優しさ」が滲み出ていた。



「お困りでしょう、旦那様。

……王宮の医者にも、聖教会の祈祷にも、見放されてしまった。

ですが、ご安心を」


男は、懐から、小さな小瓶を取り出した。


中には、星屑ほしくずを溶かしたかのように、美しく輝く、黄金色の液体が入っていた。



「これは、『星の涙』。

神託が途絶える前に、星の御子から授かった、万病を癒す、最後の一滴。

これさえあれば、奥様の病は、たちどころに……」


私は、即座に、男の前に立ちはだかった。


剣の柄に、手をかけながら。


私の本能が、叫んでいた。


こいつは、「敵」だ、と。



「……待ちなさい」

私の声は、訓練通り、氷のように冷たかった。



「その小瓶、見せなさい。

……所属と、身分を明らかにせよ。

王都条例違反、詐欺及び不法医療の現行犯として、拘束する」


「……!」

男の顔に、一瞬、動揺が走る。


だが、すぐにまた、あの張り付いたような笑顔に戻った。



「シルヴィア!」

父が、私の腕を掴んだ。


その力は、痛いほどだった。



「やめろ! この方は、母さんの、最後の希望なんだぞ!」


「父さん、目を覚まして! こいつは、詐欺師だ!」

私は、叫んだ。



「そんな、都合の良い『奇跡』など、あるものか! これは『秩序』を乱す、明らかな『嘘』だ!」


「秩序だと!?」


父が、私を、殴った。


初めてだった。


父の、乾いたてのひらが、私の頬を、強く、打った。



「……!」

私は、よろめき、呆然と父を見た。



「……その『秩序』が、母さんを救ってくれるのか!」

父は、泣いていた。


大人の男が、子供のように、顔を歪めて泣いていた。



「お前の言う『正義』は、病床で死んでいく妻を、ただ指をくわえて見ていることか! 私は、信じたいんだ! 嘘でも、何でもいい! 私は、すがりたいんだよ!」


「……父、さん……」


父の叫びが、私の胸を抉る。


『秩序』。


私の信じる、絶対の正義。


だが、それは、目の前の愛する人を救う力を持たない。


無力だ。



(……ああ。

これか)


私の脳裏に、ガリウスの、あの隻眼が、蘇った。



『お前のその『正義』は、アランが、命懸けで守ろうとした『嘘』の上で、踊ってるだけだ』


民衆は、「嘘」を望む。


「秩序」では救えない、絶望のふちに立たされた時、人は、こんなにも容易く、「泥水うそ」に、手を伸ばしてしまうのか。


父のような、真面目な人間でさえも。



「……どうか、お嬢様。

お父様の、奥様を想うお気持ちを……」

詐欺師は、困ったように、悲しそうな目を、私に向けた。



「私どもとて、神の使徒。

困っている方を、見捨てるわけには参りません」

その芝居がかった「優しさ」が。


父の弱みに付け込み、希望を食い物にしようとする、その醜悪さが。


私の、最後の理性を、焼き切った。



「……黙れ、下衆げすが」


私は、父の手を振り払い、詐欺師の胸倉を掴み上げた。


私の殺気が、男の笑顔を凍りつかせた。



「その『奇跡』の代価は、いくらだ」


「……へ、へえ……。

それは、まあ……」


「……"あなたの全て"、といったところ……ですか……」


「……!」


「ですが、奥様の命には、代えられませんでしょう?」

父が、膝から崩れ落ちた。



「頼む……。

シルヴィア……。

頼む……!」

父の手には、家の権利書と、母が私のために貯めていた、なけなしの宝石が握られていた。



私は、男を睨みつけたまま、動けなかった。


「秩序」を取れば、父は、私を、一生、恨むだろう。


「情」を取れば、私は、この「嘘」を、この手で、見逃すことになる。


騎士としての誇りを、自らドブに捨てることになる。



「……持って、行け」


私の口から、絞り出すような、声が漏れた。


私は、男を突き放した。



「……その代わり、治らなかった時は、私が、お前のその喉を、切り裂く」


「……か、必ず。

星の、お導きがありますように」

男は、逃げるように深々と一礼すると、父が震える手で差し出した、私たちの全財産を受け取り、闇の中へと、消えていった。




結果は、分かりきっていた。

黄金色の液体は、ただの、着色された砂糖水だった。




三日後。


母は、私の腕の中で、息を引き取った。


全財産を失い、希望を失った父は、ただ、抜け殻のように、そこに座っていた。


詐欺師の男は、二度と、現れなかった。



(……ガリウス……)


私は、冷たくなっていく母の手を握りしめながら、暗い、冷たい決意を、固めていた。



(……あなたは、間違っている)


(『うそ』は、誰も救わない)


(『よわさ』は、さらなる絶望を、呼び込むだけだ)


(必要なのは、感情に流されない、絶対的な『法』。

泣き叫ぶ父を、殴りつけてでも、『秩序』を執行する、鋼の『意志』)


(私は、二度と、間違えない)


(私は、二度と、この「嘘」を、許さない)


私は、母の墓前で、誓った。


この世のすべての「偽物」を、排除する。


それが、私の「正義」だと。



(だから、ゼフィルス……)


意識が、現実の、灼熱へと、戻っていく。


喉の奥が、焼けるように痛い。



(……お前が、あの砦の前で、震えていた時……)


(私は、お前に、あの『詐欺師』を、重ねていた)


(……『嘘』で、民衆を騙し、金を巻き上げる、卑怯者ひきょうもの、だと)


(……お前は、私の母を殺した男と、同じだと)


(……だが……)


記憶の底で、ゼフィルスの背中が、蘇る。


泥にまみれ、吐瀉物にまみれながら、それでも、砦に向かって歩き出した、あの背中が。



(……お前は……違ったな……)


(……お前は、逃げなかった)


(……うそに、まみれたまま、……あの地獄とりでに、向かって、行った……)


(……私は、お前を、見誤っていた……のか?)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ