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30.春の記憶は、土を割って

「――ありがとう、私の『メフィア』」


(……え……?)


僕は、目を開けた。


サラが、僕を、見つめている。


その笑顔は、さっきまでの優しい笑顔と、何も、変わらない。


だが、彼女は、確かに、今、僕を、呼んだ。



僕の、知らない名前で。



(……メフィア……?)


(違う……)


(僕は、メフィアじゃない)


「違うよ!」

僕は、暗闇に向かって叫んだ。



「僕は、アランだ! アラン・フォン・シルヴァードだ!」


「サラ! どこにいるんだ! サラァッ!」


僕の叫びは、誰にも届かない。


彼女の笑顔が、花畑の景色が、まるで水彩画が水に滲むように、ぐにゃり、と歪み始めた。


暖かかった風が、急速に、冷たくなっていく。


サラの、僕の頬に触れていたはずの温かい手が、氷のように冷たい「何か」に、置き換わっていく。



(……ああ……ああああ……)


僕は、理解した。


ここは、天国じゃない。


僕を抱きしめているのは、サラの優しさじゃない。



ガリウスの刃が、確かに僕の「オリジナル」を終わらせたはずだった。



愛も、罪も、後悔も、すべてが、ただの「機能」へと、変質させられていく。


僕は、何か、別の、冷たい「目的」そのものに、作り変えられていく。



(……僕は……誰だ……)


花畑が、消えた。


サラの温もりが、消えた。


光が、消えた。



僕の意識が、記憶が、感情が、すべて、あの小さな、小さな、一粒の「種」の中へと、叩き込まれた。



◆ ◆ ◆


「……エルミナ様……!」


ティオは、壊れた人形エルミナを抱きしめ、固く、固く、目を閉じた。


風が止まった。


地平線を埋め尽くす、数万の『成り果て』の、あの地響きのような咆哮が、一瞬、静まった。


ティオは、死を覚悟した。


迫り来る獣の爪が、自らの肉を引き裂く、その衝撃を。



だが、衝撃は、来なかった。


代わりに、感じたのは――暖かさだった。



「……え……?」


ティオは、恐る恐る、目を開いた。


そして、息を呑んだ。



光。



彼が腰に下げていた、小さな革袋。



エルミナが、父親の形見として、何よりも大切にしていた「耐呪麦」の種袋が、まばゆい光を放っていた。


それは、エルミナが放った、すべてを焼き尽くす純白の『聖性』とは、まるで違う光だった。



三十年の、冷たい土の中で、ただ静かに、春を待ち続けたような、懐かしく、穏やかな、青白い光。



「グルルルル……」

『成り果て』の大群が、その光を恐れ、本能的に、数歩、後ずさった。



光は、ただ輝くだけではなかった。


種袋から溢れ出した無数の光の粒子が、ティオと『成り果て』の群れとの間に、集束していく。



それは、まるで、糸が紡がれるように、形を成していく。



人の形に。



鎧。


マント。


陽光を編み込んだような、金色の髪。


三十年前の神話の中にだけ存在するはずの、一人の青年が、そこに立っていた。


その体は、実体があるようでない、光そのもので織り上げられた幻影。


彼は、三十年の暗闇から引き戻されたかのように、ゆっくりと、瞬きをした。



その声は、三十年の時を超え、凍てついた荒野に静かに響いた。



「……そうか」


その声は、深く、優しく、陽光の様だった。



「……そうか。

ガリウスが、とうとう……『律』を、壊したんだな」


光の青年は、ゆっくりと、周囲を見渡した。



地獄。



三十年が経っても、何も変わっていない。


いや、彼がガリウスの腕の中で「死んだ」あの時よりも、さらに深く、絶望が、この世界を覆していた。


彼の視線が、傷ついた傭兵たち、そして、その中心で息絶えかけている男――バルトロメオ・ガッツォを捉えた。



そして、彼の足元。


ティオの腕の中で、虚ろに、壊れてしまった少女。



「ごめんなさい……ごめんなさい……」


彼の、青白い光の瞳が、その少女エルミナの姿に、釘付けになった。


こころが砕け散り、自らを責め、ただ、涙を流し続ける少女。



光の体が、激しく揺らいだ。


彼の存在の奥深く。


三十年間、冷たい土の中に封印されていた「記憶データ」が、激痛のように、フラッシュバックした。



『……アラン様、あなたみたい……』

『……私は、怖いです……』


(……サラ……)


三十年前に、守れなかった笑顔。


三十年前に、僕の聖剣ちからが、その魂を「燃料」にしてしまった、少女。


彼の瞳が、目の前のエルミナと、記憶の中のサラを、寸分違わず、重ね合わせた。



「……また……」

声が、震えた。


「また、僕は……間に合わなかったのか……」


エルミナの前に、そっと、膝をついた。


その光の手が、彼女の頬に触れようとする。



「「「グアアアアアアアアアッ!!」」」


その瞬間、恐怖から我に返った『成り果て』の大群が、一斉に、彼らに襲いかかった。



「うわあああっ!」

ティオが、エルミナを庇い、再び目を閉じた。



彼は、ゆっくりと、立ち上がった。


エルミナとティオを背にかばい、『成り果て』の津波に、たった一人で、向き直る。


その顔には、もう、三十年前の「焦燥」はなかった。


ただ、すべてを引き受けるという、静かな、決意だけがあった。



「僕は、もう、間違えない」

彼は、三十年ぶりに、その「力」を、解放した。



「この『淀み』は、僕が引き受ける。

……浄化する」


光の津波。


それは、エルミナが放った「暴走」とは、まったく異質だった。


完璧に制御された、純粋な『聖性』の奔流。


かつて、セリスの命と引き換えに「機構」と接続された、あの神話の力そのものだった。



光は、ティオの体を、春の陽だまりのように、暖かく通り過ぎていった。


だが、その光が『成り果て』の群れに触れた、瞬間。



「「「…………」」」


悲鳴は、なかった。


『成り果て』たちは、その光に触れただけで、その存在を維持していた「淀み」の魔素マナを、完全に浄化され、抵抗も、苦痛も、何一つ残さず、ただの、きれいな光の粒子となって、夜空に、消えていった。



一瞬。


ほんの数秒。


地平線を埋め尽くしていた数万の『成り果て』の群れが、跡形もなく、消滅していた。



「……あ……」

ティオは、目の前で起きた、文字通りの「奇跡」に、声も出なかった。



光は、止まらない。


浄化の波は、戦場全土に広がり、傷ついて倒れていた傭兵たちと、彼らに担がれていた、バルトロメオを、優しく包み込んだ。



「……う……!?」

傭兵隊長のボルグ、自分の傷が塞がっていくのを、信じられないものを見る目で、見つめていた。



「……ボス! ボスの傷が……!」

ゼフィルスの『音』に脳を焼かれ、致命傷を負っていたバルトロメオの体が、その青白い光の中で、急速に、再生していく。



「……カハッ……! ゴフッ……!」

バルトロメオが、血反吐と共に、激しく咳き込みながら、その目を見開いた。



「……い……生きてる……? 俺は、死んだはずじゃ……」

彼は、自分の無傷の手を見つめ、そして、荒野の中心で、神々しく輝く、あの光の「人影」を、呆然と見上げた。



「……なんだ……ありゃあ……」


光の青年は、蘇生した傭兵たちには、一瞥もくれなかった。


彼は、再び、エルミナの前に、膝をついた。


ティオは、息を殺して、見守る。



今度こそ、その光の手を、エルミナの額に、そっと、置いた。


軍勢を消し、死者すら蘇らせた、奇跡の光。


この光ならば、エルミナの、壊れた心も、きっと――。



「………」


エルミナは、変わらなかった。


光は、彼女の肉体を完全に癒した。


だが、彼女の瞳は、虚ろなまま、同じ言葉を繰り返すだけだった。



「……だめ、か」

彼の声に、初めて、三十年の時を超えた、人間の「苦悩」が混じった。



「……そうだよな。

君は、僕と同じだ」

彼は、自らの光の手を見つめた。



「この力は、『淀み』は浄化できる。

肉体からだも、再生できる。

でも……」

でも、自ら「壊れる」ことを選んだ、人間の「心」は、治せない。



『あなたは、あなた自身を、救うことができますか?』


三十年前、サラが僕に問いかけた、あの言葉が蘇る。


僕は、サラを救えなかった。


そして今、僕は、この少女エルミナを、また、救えないのか。



「……いや」

光の青年は、立ち上がった。



アランには、できなかった。

だが、メフィアになら、できるかもしれない」

彼は、バルトロメオとティオに、向き直った。



「彼女を、治す方法が、ある」

「……あ、あるのか!?」

ティオが、必死に、食らいついた。


光の青年は、彼らが来た方角――王都――を、その光の瞳で、まっすぐに見据えた。



三十年前、彼が「アラン」として、守ろうとし、そして、裏切られた、あの場所を。



「王都へ行く」

「王都!?」

「王立アカデミー……。

そこは、魂を『観測』し、『記録』する術がある場所だ。

……三十年前、僕を、この『メフィア』という存在にした男の研究が、そこにあるはずだ」


リリアンデ・アシュフィールド。


あの狂気の天才が、今、その禁断の「機構」を、受け継いでいるはずだった。



「そのちからなら、彼女の、壊れた心を、修復できるかもしれない」


ティオは、エルミナを抱きしめた。



「行く……! 行くよ、王都へ!」


バルトロメオが、蘇生した体で、よろよろと立ち上がった。


彼は、この世の理を超えた「光の男」と、壊れた「聖女」を見比べ、そして、爬虫類のような目で、笑った。



「……クク……。

こいつは、とんでもねぇ『投資』になってきたぜ……」

地獄の軍勢は消えた。


だが、この「光の男」には、計り知れない価値がある。



「おい、お前ら! 荷物をまとめろ! 王都へ行くぞ! この『聖女様』と、『光の旦那』の、護衛だ!」


光の青年は、彼らのやり取りを、静かに「観測」していた。


彼は、そっと、ティオが持つ「耐呪麦」の種袋に、触れた。


彼が、三十年間、閉じ込められていた、土くれの「牢獄」。


だが、今は、それが、彼を、この絶望の盤面に繋ぎ止める、唯一の「錨」だった。



(……ガリウス……)


(……僕は、戻ってきたよ)


(今度こそ、守るために)


(君が、三十年間、守り続けてくれた、この世界を)


(そして、僕が、守れなかった、あの笑顔サラを)


「……行こう。

……僕が、道を開く」


三十年の時を超え、壊れた世界に、壊れた聖女を抱いた、勇者の、二度目の旅が、今、始まった。

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