29.そして、春の記憶の花畑で
(……ああ……やっと、終わったんだ)
僕は、僕の意志で、僕の「生」を終わらせることを選んだ。
これ以上ない、完璧な、人間としての結末だった。
僕は、心の底からの安堵と共に、静かな、穏やかな「無」へと、沈んでいった。
◆ ◆ ◆
(……どこだ……ここ……)
寒くなかった。
暗くもなかった。
僕は、まばゆい光と、信じられないほどの「暖かさ」に包まれて、立っていた。
目の前に広がっていたのは、雪原でも、戦場でもなかった。
それは、僕が夢にまで見た、あの村の、花畑だった。
空はどこまでも青く、風は甘い蜜の匂いを運んでくる。
足元には、僕がサラに教えてもらった『春の記憶』の青い花が、地平線の彼方まで、絨毯のように咲き誇っていた。
(……僕は……死んだのか……?)
だとしたら、ここは、あまりにも、優しすぎる場所だった。
僕のような、罪深い人間が、来ていい場所ではなかった。
『……もういいの』
声がした。
忘れるはずのない、声。
僕が、この手で、「燃料」にしてしまった、少女の声。
(……サラ……!?)
花畑の、その中心。
一本の大きな木の下で、彼女が、立っていた。
あの『炉』で焼ける前の、僕が愛した、あの屈託のない笑顔で。
「サラ!」
僕は、叫んだ。
声が出た。
鎧も、聖剣も、血の匂いも、もう、ない。
僕は、ただの「アラン」の姿で、彼女の元へと、夢中で走っていた。
「サラ! ごめん! ごめん……!」
僕は、彼女の目の前で、膝から崩れ落ちた。
涙が、止まらなかった。
「僕は……君を守れなかった……! 君の命で、戦って……ガリウスを、傷つけて……セリスを、死なせた……! 僕は、僕は……!」
謝りたくて。
ただ、その一言を、伝えたくて。
サラは、僕の前に、ゆっくりとしゃがみ込むと、その温かい手で、僕の頬を、そっと撫でた。
その感触は、確かに、生きていた。
「……うん。
知ってるよ」
彼女は、すべてを赦すように、静かに、微笑んでいた。
「あなたは、戦いすぎた。
……もう、いいの」
「でも……! 僕は、勇者失格だ。
君のことも、仲間も、何一つ……」
「ううん」
サラは、僕の言葉を遮ると、ゆっくりと首を振った。
「あなたは、いつだって、そう。
自分のことなんか、どうでもいいって、すぐに、自分を燃やしちゃう」
彼女は、僕の涙を、その細い指で、優しく拭った。
「……私、見てたよ」
「……見てた?」
「うん」
彼女は、僕の目を、まっすぐに見つめた。
「あなたが、夜、眠らずに、たった一人で魔族の群れと戦っていたこと。
仲間たちを起こさないようにって、一人で血を流していたこと」
「……それは……」
「あなたが、ガリウスを傷つけて、泣いていたことも」
彼女の声が、僕の罪を、一枚ずつ、剥がしていく。
「あなたが、セリスの最後の言葉を聞いて、心が、壊れてしまった、あの瞬間も」
「……!」
「全部、見てた。
……ずっと、あなたのそばに、いたから」
僕は、言葉も出なかった。
僕が、この世界で最も隠したかった、僕の弱さも、醜さも、罪も、そのすべてを、彼女は知っていた。
その上で、彼女は、僕に、微笑みかけてくれていた。
「あなたは、最後まで、『勇者』だった。
……ううん、最後まで、愚直なまでに、あなただった」
彼女は、僕の鎧があった場所、その胸に、そっと、手を当てた。
ガリウスの剣が、僕の呪いを終わらせた、その場所に。
「あなたは、たくさんの人を救ったよ……」
(……休んで、いいのか……)
(僕は、君と、ここに……)
「……僕は、疲れたよ、サラ」
絞り出すような、僕の本当の、たった一つの本音だった。
「うん」
彼女は、深く、頷いた。
「もう、何も背負いたくない。
何も、選びたくない」
「うん」
「君と、ここに、いたい。
……それじゃ、だめかな」
サラは、僕の言葉に、心の底から嬉しそうに、花が綻ぶように、笑った。
それは、僕が守りたかった、あの日の笑顔だった。
「だめじゃないよ。
……その言葉が、聞きたかった」
彼女は、僕の汚れた手を、その両手で、優しく包み込んだ。
そして、僕を、抱きしめた。
「あなたは、もう、大丈夫」
その温もりが、僕の凍てついていた魂を、溶かしていく。
「もう、何も考えなくていい。
何も、背負わなくていいの」
「……サラ……」
「ここで、ずっと、一緒にいよう。
ね?」
僕は、彼女の肩に、顔を埋めた。
彼女の匂いがする。
あの春の、花の匂いだ。
(……ああ……)
(僕は、やっと、還ってきたんだ)
(僕が、本当に、守りたかった場所に)
僕は、彼女の背中に、腕を回した。
やっと、終われたんだ。
やっと、僕は、赦されたんだ。
僕は、この永遠の春の中で、彼女と、ずっと……。
僕は、心の底からの安堵に、唯一の安らぎに、ゆっくりと目を閉じた。
僕のすべてが、この温もりの中に、溶けていく。
「――ありがとう、私の『メフィア』」




