28.僕は、僕を終わらせる
寒い。
熱い。
痛い。
何も感じない。
すべての感覚が、同時に、僕という「個」を塗りつぶしていく。
僕は、もう、僕ではなかった。
セリスが僕の腕の中で息絶えた、あの瞬間。
僕の絶望を「点火剤」として、ヴァルドの「機構」は、僕の魂を完全に掌握した。
僕は「アラン・フォン・シルヴァード」という名の、人間としての輪郭を失い、この世界を維持するためだけに存在する、冷たい「光の核」そのものになっていた。
(……ガリウスを、たのむ……)
セリスの最後の言葉が、遠い記憶のノイズのように響く。
(……アラン様、あなたみたい……)
サラの笑顔が、光の粒子となって砕け散る。
(……背負いすぎるな……)
ガリウスの、左目の痛みが、僕のものではない「情報」として、流れていく。
僕は、もう、彼らのために悲しむことも、怒ることも、泣くこともできなかった。
僕は「機構」だった。
「律」だった。
僕の新しい五感は、戦場全土の「魔素の流れ」そのものを、同時に「観測」していた。
「――来たァァァァァッ!! 神話の顕現だ!」
ヴァルドの狂喜の声が、まるで遠い世界の出来事のように聞こえる。
「機構」は、僕の眼で、ヴァルドを見た。
彼は、僕の「燃料」を供給するための、ただの「歯車」に過ぎなかった。
「機構」は、最大の「淀み」を認識した。
僕の目の前に広がる、地平線を埋め尽くす、魔王軍本隊の黒い津波。
(……あれを、排除する)
僕の意志ではなかった。
「機構」が、そう「決定」した。
僕は、聖剣を構えた。
それは、もはや「剣」ではなかった。
僕の魂。
サラの魂。
セリスの血。
ガリウスの痛み。
僕が背負うと決めた、すべての絶望。
それらすべてが、ヴァルドの「機構」によって、ただの「エネルギー」へと変換され、凝縮されていた。
『……愚かな。
ヴァルドめ、ついに『機構』そのものを起動させたか』
戦場の、その黒い津波の中心から、声が響いた。
強大な「将」が、僕を見ていた。
(……雑音だ)
「機構」となった僕には、彼の言葉の「意味」は、理解できなかった。
それは、ただの「淀み」であり、排除すべき「エラー」だった。
「機構」の目的はただ一つ。
『淀み』の、完全なる『浄化』。
僕は、僕の「光」を、解放した。
――世界が、白く染まった。
◆ ◆ ◆
魔王軍の津波が、消滅した。
僕の目の前に広がっていた「淀み」が、浄化された。
「機構」の、目的は、まだ、達成されていない。
「機構」は、僕の肉体を、次の「浄化」の場所へと、転移させようとした。
その、瞬間。
「――アランッ!!!!」
僕を「機構」に繋ぎとめていたヴァルドの「陣」が、外側から、凄まじい力で、断ち切られた。
血の匂いがした。
片目を、血に濡れた包帯で押さえた、ガリウスが、そこに立っていた。
「……ガリウス……」
かすれた声が、奇跡的に、出た。
僕の「核」に、一瞬だけ、「アラン」としての意識が、戻ってきた。
「……馬鹿野郎……。
こんな、ボロボロになりやがって……」
ガリウスは、僕の、崩れかけた体を、陣の中から、無理やり引きずり出した。
彼の、温かい体温が、僕に伝わってくる。
その温かさが、僕に、思い出させた。
僕が、もう忘れてしまったはずの、 僕が、「アラン・フォン・シルヴァード」だったことを。
(……ああ……)
(……僕は、また、君に、迷惑を……)
涙が、溢れた。
ただ、冷たい戦場の泥に濡れた頬を、僕の涙が、確かに、伝っていった。
僕は、まだ、泣くことができたんだ。
「おのれ、ガリウス! 神話の完成を、邪魔するなぁっ!」
ヴァルドが、陣の残骸から、新たな「機構」の端末を、僕に向けようとしていた。
僕の魂を、僕の意志とは無関係に、再び、「核」として奪い去ろうとしていた。
(……もう、いやだ)
(僕は、もう、戦いたくない)
僕は、最後の力を振り絞って、ガリウスの手を、握った。
「……殺してくれ」
「……!」
「……頼む、ガリウス……。
俺を……」
(このままじゃ、僕は、また『機構』に利用される)
(ヴァルドの、道具にされる)
(この聖剣がある限り、僕は、また誰かを傷つける)
(もう、終わりにしたい)
「……俺を、人間に、戻してくれ」
僕は、彼に、願った。
僕の、たった一つの、最後のわがままを。
「勇者なんて、いらない」
「神話にも、なりたくない」
「ただ……」
(君の、友として)
「……ただ、俺で、終わりたいんだ」
ガリウスの、熱い涙が、僕の顔に落ちた。
彼は、僕を抱きしめる腕に、力を込めた。
「……ああ……」
その声は、僕の知る、どのガリウスよりも、優しかった。
「……分かった。
……アラン」
彼が、地面に突き刺さっていた、僕の聖剣を、拾い上げるのが分かった。
サラの光を宿し、セリスの血に濡れた、呪われた剣。
ガリウスは、それを、震える手で、僕の胸の上に、構えた。
「させるかァッ!」
ヴァルドが、叫ぶ。
だが、ガリウスの刃の方が、早かった。
「アラン、お前は、戦い抜いた」
剣が、振り下ろされる。
痛みは、なかった。
ただ、僕を縛り付けていた、すべての呪いと、重荷が、ふっ、と消えていくのが分かった。
温かかった。
「……ありがとう」
僕は、やっと、心から、笑えた。
サラが愛してくれた、あの頃の笑顔で、笑えた気がした。
(これが、僕が選んだ、最後の……)
意識が、白く、遠のいていく。
もう、鐘の音は、聞こえなかった。




