25.君のいない世界で、僕は燃え続ける
世界から、音が消えていた。
あの白い光がすべてを飲み込んだ後、僕の耳には、仲間たちの慌ただしい声も、風の音も、遠いどこかの喧騒も、何も届かなくなっていた。
ただ、一つを除いて。
(……もっと……)
僕の手の中。
あの聖剣が、静かに、満足げに共鳴している。
それは、ヴァルドが解き明かした「燃料」を吸い、ヴァルドですら知らなかった「魂」そのものを喰らい、満たされた音だった。
サラが焼けた、あの光の色。
僕の聖剣は、今、あの色で輝いている。
「アラン! アラン! 戻ってこい、アラン!」
ガリウスが、僕の肩を掴んで、獣のように吼えている。
偵察から戻った彼の顔は、目の前の惨状と、僕の虚ろな表情に、恐怖と混乱で歪んでいた。
「何があった! サラは!? サラはどこだ!!」
僕は、ゆっくりと彼を見た。
僕の親友。
僕の光の影を引き受けてくれる、ただ一人の男。
僕は、彼に、どう答えればよかった?
「君の不器用な優しさに、いつも救われていた、あの彼女は、もういない」と?
それとも、 「彼女は、僕の聖剣にいる。
僕が弱かったせいで、僕の代わりに『燃料』になったんだ」と?
僕は、何も言えなかった。
ただ、焼け焦げた地面に残された、あのガラガラを、強く握りしめた。
僕が守れなかった、あの村の赤ん坊の。
サラが、僕のために拾ってくれていた、最後の「優しさ」の残骸を。
「……行こう、ガリウス」
僕の喉から出た声は、自分でも驚くほど、冷たく、乾いていた。
「管理者の残党が、まだ近くにいるはずだ。
全員、見つけ出して、塵にする」
「……アラン?」
「セリスは? 合流地点は? 次の『炉』はどこだ」
「待て、お前、何を……」
「僕は、もう止まらない」
僕は、ガリウスの肩を振り払い、立ち上がった。
聖剣が、僕の意志に応え、サラの光を放つ。
美しい。
あまりにも、残酷なまでに。
(ごめん、サラ。
君のくれた『春の記憶』は、もう、僕の中には咲かない)
(僕は、君を燃やしたこの光で、君を奪ったすべてを、焼き尽くす)
◆ ◆ ◆
あの日から、僕たちは、戦い続けた。
いや、僕が、一方的に、戦いを求め続けた。
セリスの立てる「合理的」な戦略を、僕はことごとく無視した。
「アラン様、そのルートは危険です。
敵の伏兵が五割」
「五割なら、残りの五割に賭ける。
僕の光で、伏兵ごと焼き払えば済む話だ」
「無謀です! 目的は魔王城への到達であって、目の前の雑魚を掃討することでは……!」
「黙れ!!」
僕の怒声に、セリスが、初めて氷の仮面を崩して目を見開いた。
「……雑魚だと? 君の言う『雑魚』の一匹に、サラは殺されたんだぞ!」
「……っ」
「君の戦略が、君の『正義』が、彼女を守れなかった! ヴァルドの『観測』が、彼女の死を予見できなかった! ガリウスの『剣』が、間に合わなかった!」
「……アラン、よせ」
「なら、僕がやる! 僕が、間に合わせる! 僕のこの聖剣が、サラの光が、すべてを薙ぎ払う!」
僕は、もう、仲間たちの声を聞かなかった 。
僕は、ただ、敵の気配がする方角へ、最短距離で突進し続けた。
聖剣を振るうたび、光が溢れ、敵が塵と化す。
そして、そのたびに、あの声が、僕の魂に直接響く。
(……もっと……捧げろ……)
(ああ、分かっているさ)
僕は、心の内で、剣に答える。
(僕の命だろう? 欲しいんだろう?)
僕は、夜、眠るのをやめた。
仲間たちが、疲弊しきって眠りに落ちるのを見届けると、僕は一人、野営地を抜け出し、近隣の魔族の巣を、片っ端から潰して回った。
聖剣の光は、夜の闇を真昼のように照らし出し、僕の体から、確実に「何か」を奪っていく。
痛みはなかった。
むしろ、命が削れていく、そのひりつくような感覚だけが、僕がまだ「生きている」ことを、教えてくれた。
(もっとだ。
もっと燃えろ。
僕の命で、あと何人、救える?)
(僕が眠っている間に、どこかの村で、また『サラ』が死ぬかもしれない)
(僕が休んでいる間に、ガリウスが、セリスが、傷つくかもしれない)
(それだけは、絶対に、だめだ)
僕の焦燥は、狂気だった。
仲間たちを守りたいという、ただ一つの願いが、僕を「守る」ことから最も遠い場所へと、引きずり込んでいた。
そして、ついに、限界が来た。
「――いい加減にしろ、アラン!!」
夜明け前、血の匂いを纏って野営地に戻った僕の胸倉を、待ち構えていたガリウスが、掴み上げた。
彼の瞳は、怒りと、それ以上に、深い哀しみで燃えていた。
「お前、昨夜も寝てないな! この三日、まともに口にしたのは水だけだ! 何を焦ってる!」
「……離せ、ガリウス。
敵が来る」
「敵はもういねぇよ! お前が、半径十マイルの生き物、全部、殺し尽くしたんだろうが!」
ガリウスの拳が、僕の頬を殴り飛ばした。
鎧が、重い音を立てて地面に転がる。
「……何、するんだ」
「殴らなきゃ、止まらねぇだろ、お前は!」
ガリウスは、僕の上に馬乗りになり、その両肩を、血が滲むほど強く押さえつけた。
「お前は、戦いすぎだ!」
「……!」
「サラが死んだのは、お前のせいじゃねぇ! あのクソったれな『機構』のせいだ! ヴァルドもそう言ってた! なのに、お前は……お前は、なんで、自分だけを罰してる!」
「……罰してる?」
僕は、泥にまみれた顔を上げ、自嘲するように笑った。
「違うよ、ガリウス。
僕は、罰してなんかいない。
僕は……」
僕は、本当のことを、言えなかった。
(僕は、怖いんだ)
(僕が止まってしまったら、僕が『勇者』でなくなってしまったら)
(僕が、サラの死を、本当に、受け入れてしまったら)
(僕は、壊れてしまう)
「……アラン。
頼むから、休んでくれ。
お前のために、俺も、セリスも……」
ガリウスの、その必死な「友情」が、僕の最後の理性を、粉々に砕いた。
僕は、彼を押しのけ、よろめきながら立ち上がった。
「――うるさいッ!!君に、何が分かる!」
「アラン……!」
「僕が止まったら、誰が守るんだ!」
「君を? セリスを? あの時、泣いてた赤ん坊を? 次の村を!? 誰が守るんだよ!」
「俺たちがいる!」
「君たちじゃ、だめなんだ!」
僕は、聖剣を抜き放った。
サラの光が、夜明け前の薄闇を、白く、白く、染め上げた。
ガリウスが、その光の「異様さ」に、息を呑む。
「……この光は、もう、僕だけのものじゃない」
「これは、サラの命だ。
僕が奪った、彼女の魂だ」
「僕が止まることは、彼女の死を、無駄にすることなんだよ」
「……アラン、お前……」
僕は、ガリウスに背を向けた。
これ以上、彼を、この狂気に巻き込むわけにはいかない。
(ごめん、ガリウス。
僕は、もう、君の隣にはいられない)
(僕は、この光と、二人きりで行く)
僕は、その夜、仲間たちの元を離れ、一人、森の奥深くへと姿を消した。
月明かりの下、僕は、血と泥に汚れた聖剣を、祭壇のように、目の前に突き立てた。
(……もっと……捧げろ……)
剣が、囁く。
僕は、その剣に向かって、静かに、膝をついた。
(ああ。
分かっている。
君も、僕も、乾いているんだ)
(僕の命だけじゃ、足りない。
サラの魂だけじゃ、足りない)
(この世界の、すべての『淀み』を払うには、もっと、圧倒的な『燃料』が)
僕は、祈った。
神になど、一度も届いたことのない、僕の、最初で最後の、たった一つの本当の願い。
それは、もう、「呪文」ではなかった。
僕の魂を代価にした、聖剣との、血の「契約」だった。
「……もう、誰も死なせないでくれ」
「サラのような犠牲者を、もう、一人も、出さないでくれ」
「だから」
僕は、聖剣の、あの無数の祈りの文様が刻まれた柄に、額を押し当てた。
「――俺を、燃やしてくれ」
「他の誰でもない。
この、アラン・フォン・シルヴァードの魂を、最後の最後まで、一滴残らず、君の『燃料』にしてくれ」
「俺が、この世界のすべての痛みを、引き受ける」
「だから、どうか」
(僕の仲間たちだけは、守ってくれ)
聖剣が、僕の契約に応えた。
柄の文様が、僕の額の皮膚を焼き、僕の魂と、直接、繋がった。
凄まじい熱が、僕の全身を駆け巡る。
聖剣が、僕を侵食し始めた。
僕という「人間」が、終わりを告げた。
(……ああ、サラ。
これでいいんだろ?)
(君が守ろうとした僕は、もういない。
でも、君が守りたかった世界は、僕が、必ず……)
僕は、焼けるような痛みの中で、静かに、笑っていた。




