24.そして君が焼けた、あの光の中で
僕の命が「燃料」だと知ってから 、世界は、ほんの少しだけ違って見えた。
空の青さは、僕が失いつつある「生」の鮮やかさ。
風の音は、僕にはもう訪れないかもしれない「明日」の囁き。
だが、不思議と絶望はなかった。
ヴァルドが解き明かした真実は、僕を縛る「呪い」であると同時に、僕が進むべき道を照らす「灯台」にもなったからだ。
僕は、僕の意志で、この命を燃やすと決めた。
「アラン様、またそんな険しい顔を。
眉間に皺が寄ると、せっかくの美男子が台無しですよ」
声に振り返ると、サラが、野花を摘んだ小さな花束を手に、僕の隣に座った。
ここは、魔王軍の警戒網から外れた、奇跡のように戦火の届いていない谷間の村。
ガリウスとセリスが次の街へ偵察と補給路の交渉に向かい、僕とサラ、そして護衛の騎士数名だけが、しばしの休息を与えられていた。
「ああ、ごめん。
考え事を」
「いけません。
休む時は、頭も心も、ちゃんと休ませてあげないと」
サラはそう言うと、僕の分厚い鎧の肩当てに、摘んだばかりの小さな青い花をそっと差し込んだ。
「……花?」
「はい。
『春の記憶』です 。
どんなに寒い冬を越しても、必ず春を思い出して咲くんですって。
アラン様みたい」
「僕が?」
「はい」
彼女は、澄んだ瞳で僕をまっすぐに見つめた。
「あなたは、どんなに辛い戦いの後でも、必ず私たちのために笑ってくれるから」
その純粋な信頼が、僕の胸を締め付ける。
僕は、彼女が差し出す「春」を、この手で守り切れるのだろうか。
「……サラ」
僕は、ずっと胸に引っかかっていた、あの燃える村での疑問を口にした。
「君は、治癒師だ。
君の力は、たくさんの人を救う。
でも……」
僕は、自分の掌を見つめた。
「僕の力は、この聖剣は、何かを『救う』たびに、何かを『壊して』いる気がするんだ。
あの村で、僕は母親の背中を守れなかった。
僕は、本当に、勇者なのかな」
サラは、僕の言葉を黙って聞いていた。
そして、ゆっくりと、僕の聖剣の柄に、そっと触れた。
「アラン様」
彼女の声は、水音のように静かだった 。
「あなたは、たくさんの人を救えます。
でも……」
彼女は、僕の瞳を、覗き込む。
「あなたは、あなた自身を、救うことができますか?」
僕は、息を呑んだ。
僕の命は「燃料」だ。
僕自身を救うことは、この世界を救わないことと同義だ。
僕が答えに詰まっていると、サラは、困ったように微笑んだ。
「自分なんか、どうでもいい。
……そうでしょう?」
「……!」
「あなたのその優しさが、いつかあなたを壊してしまうのが、私は……怖いです」
彼女は、僕の鎧に挿した青い花を、祈るように指でなぞった。
その穏やかな時間が、永遠に続けばいいと、心の底から願った。
だが、僕たちの「春」は、あまりにも短かった。
◆ ◆ ◆
悲鳴は、突然上がった。
村の穀倉地帯。
サラと僕が休んでいた場所から、目と鼻の先だった。
「アラン様!」
「行くぞ!」
駆けつけた先で見た光景は、戦場とはまた違う、「地獄」だった。
そこは、王都への食料供給施設の一つだった。
だが、衛兵の姿はなく、代わりに、魔族の紋章が刻まれたローブを着た、数名の「人間」が、村人たちを拘束していた。
「やめろ! 息子を、返して!」
「うるさい。
神の『機構』のための、尊い『燃料』となれるのだ。
光栄に思え」
「燃料……?」
僕の脳裏に、ヴァルドの言葉がフラッシュバックした。
『あなたは生きた炉なのです』
まさか。
ローブの男たちが、拘束した村人の胸に、青白く光る鉱石を当てた。
「あああああああっ!」
村人の体が痙攣し、その魂が、目に見えるほどの淡い光となって、鉱石に吸い上げられていく。
「な……!?」
「アラン様、あれは……!」
サラが、息を呑む。
あれは、魔族ではない。
聖教会の一派、大聖堂の息がかかった、『律』の管理者たちだ。
彼らは、魔王との戦いで疲弊する世界を維持するため、僕の魂だけでは飽き足らず、こうして、人知れず、一般の民の魂までも『燃料』として徴収していたのだ 。
「……許さない」
僕の喉から、自分でも驚くほど冷たい声が漏れた。
「許さないぞ……ッ!」
僕は、聖剣を抜き放った。
「アラン様!?」
「サラ! 君は負傷者を! こいつらは、僕がやる!」
僕は、感情のままに、聖剣の力を解放した。
まばゆい光が、供給施設を白く染める。
「ぐあっ! ゆ、勇者だと!?」
「なぜ、ここに……!」
管理者たちは、慌てて戦闘ゴーレムを起動させる。
だが、今の僕の敵ではなかった。
(僕の命は、君たちのようなクズを守るために燃やしてるんじゃない!)
怒りが、僕の命を、凄まじい効率で「光」に変えていく。
聖剣が、僕の怒りに呼応して、獣のように吼えた。
僕は、僕の命が削れていく痛みを、快感としてすら感じていた。
(そうだ、燃えろ。
僕の命で、僕の怒りで、こいつらを、塵に還せ!)
あっという間だった。
ゴーレムは両断され、管理者たちは、僕が放った光の余波だけで、焼き尽くされていた。
「……ハァ……ハァ……」
肩で息をする僕の元に、サラが駆け寄ってきた。
「アラン様! 無茶です! あなたの体が……!」
「平気だ。
それより、村人たちは!?」
「それが……」
サラが、顔を青ざめさせた。
「奥の『炉』に……! 捕らえられた村人たちが、全員……!」
僕は、施設の最奥、『調律炉』と呼ばれる部屋に飛び込んだ。
そこは、地獄だった。
十数名の村人たちが、まるで生贄のように祭壇に縛り付けられ、その魂を、中央の巨大な炉に注ぎ込まれていた。
炉は、青白い、あまりにも美しい光を放っていた。
あの遺跡で見た光と、同じ。
僕が聖剣から放つ光と、同じ。
「……ああ……」
僕は、その場で、膝から崩れ落ちそうになった。
「助けに、来たのに……」
間に合わなかった。
彼らの魂は、もう、尽きている。
「アラン様、危ない!」
サラの叫び声。
僕が焼き尽くしたはずの管理者、その最後の一人が、瓦礫の中から這い出てきた。
その手には、自爆用の魔道具が握られている。
「……勇者……め……! 『律』を、乱す、不純物め……! この『炉』ごと、消し飛べ……!」
男は、狂気の笑みを浮かべ、炉に向かって魔道具を投げつけた。
「――っ! サラ、伏せろ!」
僕は、咄嗟に聖剣の光で防壁を作ろうとした。
だが、間に合わない。
魔道具は、炉の光に触れる寸前だった。
その時。
僕の前に、小さな背中が割り込んだ。
サラだった。
「――アラン様だけは、死なせません……!」
「サラ!? だめだ! 戻れ!」
彼女は、僕の制止を聞かず、炉と魔道具の間に、その細い体を投げ出した。
そして、両手を広げ、彼女自身の、治癒師としての全生命力を、『聖癒の波動』として、盾のように展開した。
魔道具が、サラの光の盾に触れる。
次の瞬間、世界から、色が消えた。
轟音はなかった。
ただ、すべてが、白く、白く、塗りつぶされていく 。
サラの『聖癒の波動』と、炉から溢れ出す『魂の光』、そして魔道具の『爆発』が、最悪の形で混じり合ったのだ。
「サラアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
僕の絶叫は、光の津波に飲み込まれた。
◆ ◆ ◆
どれくらい、気を失っていただろうか。
瓦礫の中で目覚めた僕を、最初に迎えたのは、ガリウスの血相を変えた顔だった。
「アラン! アラン! 生きてるか!」
「……ガリウス……? なぜ……」
「馬鹿野郎! あの光を見て、何もねぇ訳ねぇだろ! 戻ってきてみりゃ、これだ! ……サラは? サラはどこだ!」
サラ。
その名を聞いた瞬間、僕は、現実を引き戻された。
僕は、瓦礫をかき分け、炉があった場所へと走った。
そこには、何もなかった。
管理者も、村人たちも、炉も、すべてが、あの白い光に飲み込まれ、蒸発していた。
ただ、一点。
サラが、最後に立っていた、その場所だけが、黒く焼け焦げていた。
そして、その焼け焦げた地面に、たった一つ、残されていたもの。
「……あ……」
それは、僕が、あの燃える村で、赤ん坊の母親から受け取った「ガラガラ」。
僕が落としたそれを、サラが、いつの間にか拾って、お守りのように、持っていてくれたのだ。
僕は、そのガラガラを、震える手で拾い上げた。
僕の聖剣が、背中で、静かに共鳴していた。
まるで、極上の『燃料』を吸い込んだとでもいうように。
僕は、理解した。
あの白い光 。
あれは、サラの魂が、炉の光と混じり合い、そして、僕の聖剣に、吸収されたのだ。
(……この光……。
この、聖剣の輝きは……)
(サラの、命……?)
僕は、聖剣を、引き抜いた。
それは、これまでとは比べ物にならないほど、強く、美しく、そして、残酷なまでに、輝いていた。
「……ああ……」
僕は、泣かなかった。
涙は、もう、出なかった。
僕は、あの峡谷で、彼女が僕の鎧に挿してくれた、小さな青い花のことを思い出していた。
『春の記憶』
冬を越しても、必ず春を思い出して咲く花。
(ごめん、サラ)
僕は、ガラガラを、強く握りしめた。
(僕は、もう、笑えない)
(君が愛してくれた、あの頃の僕は、今、この瞬間に、君と一緒に、死んだよ)
僕は、希望を信じる少年であることを、やめた 。
真実を知った大人へ?
違う。
僕は、この日、ただの「復讐者」になった。
この、僕からサラを奪った、理不尽な『機構』と、それを『律』と呼んで維持する、神と、世界そのものへの。
聖剣の、あまりにも美しい輝きの中で、僕の「優しさ」は、静かに、終わりを告げた。




