23.その命が、誰かの明日になるのなら
あの燃える村から、二週間が経った。
僕たちは、魔王軍の斥候を追いながら、大陸を南下していた。
旅は、僕の心を二つに引き裂いていく。
昼間は、仲間たちと冗談を言い合った。
「アラン、お前また肉焦がしてんぞ! 聖剣で焼いた方がマシなんじゃねぇか!」
ガリウスが、僕の突き出した串を見て腹を抱えて笑う。
僕はわざとむくれて見せる。
「ひどいな、ガリウス。
これは最新の焼き方なんだ。
外はカリッと、中は……うん、炭だね」
「アラン様、お口直しにどうぞ」
サラが、水筒と木の実を差し出してくれる。
彼女の笑顔は、この殺伐とした旅路で、僕の心を人間に繋ぎ止めてくれる。
「ありがとう、サラ。
君は本当に、僕の命の恩人だ」
「大げさですよ」
彼女がはにかむ。
その屈託のない優しさが、僕の胸をチクリと刺した。
夜は、一人、別のものと向き合う。
僕は、セリスが広げた地図と、ヴァルドが観測した星図を睨みつけ、終わりのない思考に沈んでいた。
セリスの戦略は、いつも正しい。
あまりにも、正しすぎる。
「この街道を進めば、三日で次の街に着きます。
ですが、東の森を抜ければ、魔族の補給路を叩ける可能性が六割。
ただし、森には『成り果て』の危険が」
「……東を行こう」
僕の即答に、セリスは氷の瞳をわずかに細めた。
「アラン様。
合理的ではありません。
我らの任務は魔王城への到達。
補給路の破壊は、騎士団本隊の仕事です」
「でも、その補給路が生きているせいで、昨日、あの街道を通った商人は殺されたんだろう? 僕たちがここで見過ごせば、三日後、あの街が燃えるかもしれない」
「……それは、可能性の話です」
「可能性でも、ゼロじゃないなら、僕は行くよ」
僕は、知ってしまったからだ。
あの燃える村で。
僕が聖剣の光に酔いしれていた、まさにその背後で、母親の命がこぼれ落ちたあの瞬間を。
僕の正義は、セリスの「より多くを救う」という天秤ではない。
僕の正義は、「今、目の前で泣いている一人」を見捨てないことだ。
たとえ、それがどれだけ愚直で、非合理的で、セリスの言う「脆い優しさ」 だったとしても。
「……背負いすぎだ」
夜ごと、ガリウスはそう言って、僕の肩を叩く。
僕は、ただ笑って「君こそね」と返すだけだった。
(ごめん、ガリウス。
僕は、背負いたいんだ。
誰かが泣くなら、それを僕が見ていたい)
この痛みだけが、僕がまだ「アラン」である証だから。
◆ ◆ ◆
そんな旅路の果て、僕たちは、ヴァルドが「どうしても観測したい場所がある」と主張する、忘れられた山脈の奥深くへと足を踏み入れていた。
「ここです。
古文書にのみ記された、『星読みの祭壇』」
ヴァルドは、カビと苔に覆われた古代の石扉を、興奮した手つきで押し開いた。
中は、大聖堂とよく似た空気が満ちていた。
壁や床に、血管のように青白い鉱石が張り巡らされ、この世のものではない光が、不気味に脈動している。
「ヴァルド、ここは……」
「神の『機構』の一部です。
アラン様」
ヴァルドは、僕の問いを待たず、祭壇の中央に鎮座する水晶の台座を指差した。
彼の瞳は、学者としての純粋な好奇心に爛々と輝いていた。
「アラン様。
あなたのその聖剣。
それは、ただの武器ではない。
あなたの魂と、この世界を繋ぐ『鍵』だ。
……その『鍵』が、この『機構』とどう共鳴するのか。
私は、この目で観測したい」
僕は、ヴァルドの熱意に押され、ゴクリと唾を飲んだ。
仲間たちは、入口で待機している。
この冒涜的な空間に、足を踏み入れる勇気があるのは、神を「観測」対象としか見ていない、この狂気の学者だけだった。
「……分かった。
どうすればいい?」
「聖剣を、あの台座に」
僕は、言われるがまま、聖剣の柄を握り、その切っ先を、水晶の台座にゆっくりと突き立てた。
その瞬間。
キィィィィィィン……!
聖剣が、甲高い悲鳴を上げた。
祭壇の青白い鉱石が一斉に明滅し、僕の体から、目に見えない「何か」が、凄まじい勢いで吸い上げられていく感覚に襲われた。
「ぐ……っ!?」
「アラン!」
ガリウスの叫び声が、遠くで聞こえる。
「来るな!」
僕は叫んだ。
「ヴァルド! これは、一体……!」
「……ああ……やはり、そうか……!」
ヴァルドは、僕の苦しみなど目に入っていないかのように、祭壇の壁に浮かび上がった『天上の民』の文字を、震える指でなぞっていた。
「繋がっている……! この世界は、やはり、巨大な『仕掛け(アーク・システム)』によって、かろうじて生かされている!」
「何の話だ!」
「アラン様! あなたのその『力』です!」
ヴァルドが、僕を振り返った。
その顔は、畏怖と、そして、残酷なまでの歓喜に満ちていた。
「あなたの聖剣が放つ、あの魔を払う光! あれは奇跡などではない! 『変換』です!」
「変換……?」
「そうです! あなたの魂の力……あなたの生命力そのものを、『燃料』として!!」
言葉が、氷の杭となって僕の胸を貫いた。
燃料?
僕の、命が?
「あなたの魂は、戦うたびに、その輝きを聖剣に吸い上げられ、浄化のエネルギーとして『神』に還元される」
ヴァルドは、まるで美しい数式を解き明かしたかのように、うっとりと続けた。
「あなたは、この世界を延命させるための、最も効率の良い『生きた炉』なのです」
僕は、聖剣の柄を握りしめたまま、凍りついた。
脳裏に、あの燃える村の光景が蘇る。
あの時、僕が母親の元へ駆けつけるのが、あと一秒早ければ。
あの時、僕が聖剣の光を、もっと強く、もっと広範囲に放つことができていれば。
(あの力は、僕の命を削って、生まれていたのか……?)
「……じゃあ、俺は……」
声が、震えた。
「俺は、戦えば戦うほど、人を救おうとすればするほど……死んでいくのか?」
僕が「勇者」として輝けば輝くほど、僕という「アラン」は、削られ、燃やされ、消えていく。
僕は、あの民衆の期待に応えるために、僕自身の命を、捧げ続けなければならないのか。
(選ばれたことが、呪い……?)
あまりの絶望に、膝が折れそうになった。
その時だった。
「……恐ろしいですか、アラン様」
ヴァルドが、いつの間にか僕の隣に立ち、その静かな瞳で、僕を見つめていた。
「ですが、アラン様。
それこそが、あなたが『勇者』である証」
彼の声には、奇妙なほどの、優しさが滲んでいた。
「神は、あなたを選んだ。
……いいえ、この『機構』が、あなたを選んだ。
なぜなら、あなたほど、『他人の痛み』を、『自分の痛み』として感じられる器は、いなかったからです」
「……」
「あなたのその苦しみこそが、この世界の奇跡を保つのです」
僕の、苦しみ。
僕の、痛み。
(……ああ、そうか)
僕は、ゆっくりと、息を吐いた。
恐怖で凍っていた心が、不思議と、静まっていくのが分かった。
僕は、聖剣の柄から手を離し、自分の掌を見つめた。
あの燃える村で、母親の血に濡れた、この手を。
(僕は、あの日、誓ったんだ)
(この世界のすべての痛みを、背負うと)
(神が僕を『器』として選んだというなら、上等だ)
(何者かが僕を『鍵』として使おうというなら、好きにさせればいい)
(だが、この『命』の燃やし方だけは、僕が選ぶ)
(神の『燃料』として、ただ消費されるんじゃない)
(盤上の『駒』として、効率よく使われるんじゃない)
(僕が救いたいと願った、あの赤ん坊の、明日のために)
(僕を信じてくれる、サラの笑顔のために)
(僕の背中を守ってくれる、ガリウスの右腕のために)
(僕が、僕の意志で、この命を、燃やすんだ)
僕は、顔を上げた。
「……分かったよ、ヴァルド。
ありがとう。
おかげで、迷いがなくなった」
「アラン様……?」
僕は、聖剣を台座から、力強く引き抜いた。
さっきまでの、吸い上げられるような苦痛は、もうない。
ただ、剣が、僕の体温と一体になったような、確かな熱を感じるだけだった。
僕は、遺跡の外で心配そうにこちらを覗き込んでいたガリウスとサラに向かって、いつものように、完璧に笑ってみせた。
「さあ、行こう。
東の森だ。
補給路を叩き潰すぞ」
「おい、アラン、お前、顔色が……」
「大丈夫。
むしろ、今、最高にスッキリしてるんだ」
ガリウスは、僕のその笑顔に、何か得体の知れないものを感じ取ったように、わずかに顔を顰めた。
僕の瞳に、初めて「影」が差したのを、彼は見抜いたのかもしれない。
だが、それは絶望の影ではない。
(選ばれたことが「呪い」だというなら)
(僕は、その呪いごと、愛してやろうじゃないか)
僕はこの日、僕の「死に場所」を、僕自身の意志で、選んだ。
聖剣の柄に刻まれた無数の祈り(呪い)が、僕の掌の中で、確かに、温かかった。




