21.僕は、選ぶ
歓声は、津波のように僕を飲み込んだ。
王都エレテュリアのメインストリートを埋め尽くす人々の顔、顔、顔。
誰もが希望に満ちた、狂信的な眼差しで、僕の名前を叫んでいた。
彼らは僕を「曙の星」と呼んだ 。
その響きは、甘美でありながら、同時に鎖のように僕の喉を締めつける。
「アラン様! 星の光よ!」
「ありがとう、生まれてきてくれて!」
「魔王軍を討伐してください!」
僕は完璧な笑みを浮かべた。
僕の金色の髪は、陽光を受けてまるで後光のように輝き、鍛え抜かれた体躯を包む黄金の鎧は、人々の夢を反射してさらに光を増す。
その佇まいは、ステンドグラスに描かれるどの歴代勇者よりも雄々しく、優美だった。
僕、アラン・フォン・シルヴァード、この世界の舞台に立つ、最も純粋で、最も美しい偶像。
(ああ、こんなにも光が、眩しい)
僕は馬上で手を振りながら、心の奥底で冷たい嘲笑を浮かべていた。
この輝きは、僕自身の光ではない。
これは、彼らの「期待」という名の無数の鏡に、僕という存在が反射している、ただの嘘だ 。
僕が放つとされる「光」は、僕自身の魂を燃やして生まれたものではなく、人々の盲目的な信仰が作り出した、虚像に過ぎない。
この旅の真の目的は、世界を救うことではない。
この世界の淀んだ魔素を浄化し、世界を延命させるための「壮大な大儀式」を完了させることだ 。
そして僕は、その儀式を起動させるための、最も純粋で、最も御しやすい「魂の鍵」に過ぎない 。
「誰かを選ぶ責任」――それが、僕に与えられた唯一の役割だ 。
魔物の牙から、この世界のどこかの村を救う瞬間、僕は必ず、どこかの村を見捨てることになる。
救う、という言葉の裏には、必ず「救わない誰か」の切り捨てが隠れている。
僕の笑顔は、その残酷な選択の裏側を隠すための、最も効果的な仮面に過ぎない 。
このまま進めば、僕は救いを装って殺すという、赦されない罪を犯すことになるだろう 。
その恐怖が、僕の胸を刺し、息を詰まらせた。
「旦那、いい加減、顔が引きつってるぜ」
隣を歩く、旧友の声が、津波のような歓声の中でも、はっきりと聞こえた。
騎士団副団長、ガリウス・ヴァンドール。
僕の最も信頼する、そして唯一、僕の『嘘』を無言で理解している男だ。
黒曜石のような瞳が、僕の黄金の鎧ではなく、その下の心臓の鼓動を探るように、一瞬こちらを向いた。
「ガリウス、君にはこの熱狂が見えないのかい? 世界中が僕たちの門出を祝っている」
僕は声のトーンまで完璧に調整して答えた。
「僕たちは、皆の希望なんだ」
「希望が、こんなにも重苦しい空気を纏うなんてな」
ガリウスは憎まれ口を叩いた。
彼の瞳には、僕の光に晒されることで生じる、深い闇が見えている 。
彼は僕の光の影を、その全身で引き受けてくれる。
彼こそが、僕がこの役を演じ続けるための、唯一の錨だ。
彼の「友を守る誓い」は、僕の狂気を食い止めようとする最後の防壁だ 。
パレードの道筋が、聖教会本部のある大聖堂前へと差し掛かる。
歓声が一層高まり、その熱狂の頂点で、馬上の僕の前に、一人の女が静かに進み出た。
戦略顧問、セリス・ヴァンドール。
ガリウスの姉であり、僕の理性だ。
「アラン様。
先ほど、ヴァルドが観測を終えました」
セリスは一切の感情を排した、氷のような声で告げた。
彼女の瞳は、まるで地図を読み解くように、状況を分析している。
「魔王軍の主力が動くのは三週間後。
それまでは、小規模な討伐を繰り返すことで、王都の兵站と秩序を維持すべきでしょう。
感情が判断を狂わせることのないよう、行動計画はすべて文書通りに」
セリスは、僕の英雄的な感情論を許さない。
彼女にとって、この旅は感情的な冒険ではなく、正義の秩序を維持するための、冷徹な戦略なのだ 。
彼女が求める秩序は、大司教が求める「世界の秩序維持」の思想に近いのかもしれない。
「もちろんだ、セリス。
君の計画は完璧だ」
僕は彼女の理性を賞賛した。
僕の心が暴走しないための、彼女の存在は必要不可欠だった。
その時、一陣の風が吹いた。
セリスの背後から、小さな体が進み出てくる。
治癒師、サラ・ミュリエル。
彼女だけは、僕の鎧も、戦略も、嘘の笑顔も見ていなかった。
ただ、僕という一人の人間を見ていた。
「アラン様、これ」
サラは、一輪の白い花を、僕に差し出した。
「どんな場所でも、水をやれば必ず咲く、強い花。
……私、アラン様のこと、信じています。
ずっと、信じ続けていますから 」
その瞬間、僕の完璧な笑顔が、一瞬だけ崩れた。
サラの瞳に宿る、一点の曇りもない「信頼」の光。
僕の恐怖とは真逆の、純粋すぎる献身。
彼女の「信じる」という行為そのものが、僕にとっての唯一の救いだった 。
剣士、戦略家、学者、そして癒し手。
これが、僕の仲間。
僕の「死」までの旅路を、共にする者たち。
僕は、彼らに向かって、そして広場を埋め尽くす民衆に向かって、聖剣を高く、天に掲げた。
歓声が、空気を震わせ、世界を揺るがした。
僕は、その地響きのような喝采の中心で、満面の笑みを浮かべた。
それは、民衆が望んだ『勇者アラン』の、完璧な笑顔。
そして、心の奥底で、たった一つの、本当の誓いを立てた。
(神が、僕を選んだんじゃない)
(律とやらがが、僕を『道具』に選んだんじゃない)
(今、この瞬間、僕が、選ぶんだ)
(この歓声が、いつか憎しみに変わるとしても)
(この聖剣が、僕の魂を喰らい尽くす呪いだとしても)
(この仲間たちが、僕のせいで血を流すことになったとしても)
(僕は、選ぶ)
(僕の目の前で、君たちが泣かなくてすむように。
サラが裏切られたと悲しまないように 。
ガリウスが友を失ったと嘆かないように 。
セリスが秩序が崩れたと絶望しないように )
(僕は、君たち全員が救われる「未来」を、この手で選び取る)
「――俺は、選ばれたから戦うんじゃない」
僕の呟きは、隣にいたガリウスの耳にだけ、かろうじて届いた。
「俺が、選びたいから、戦うんだ」
ガリウスが、一瞬だけ驚いたように目を見開き、そして、仕方ねぇな、というように笑った。
(ああ、見ていてくれ)
僕は、僕の「生」が、この瞬間に始まったことを、確かに感じていた。
光が、僕を包んでいた。
だが、僕は知っていた。
この光が強ければ強いほど、僕の足元に落ちる影もまた、深く、濃くなるということを。
僕は、その影の中で、決して誰にも見せることのない、たった一つの本当の笑顔を、静かに浮かべていた。




