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19.調律は誰の絶望を奏でたのか

檻は破られ、解き放たれたのは、神の制御を離れた、古代の獣だった。


「なっ……! 古代ゴーレムだと!? 構わん、撃て!」  


聖騎士団が、一斉にゴーレムに向かって剣を振りかぶり、弩を放つ。  

だが、鋼の剣は、ゴーレムの旧時代の装甲に、甲高い音を立てて弾き返された。

矢は、その表面を滑るだけ。  

ゴーレムは、その巨大な鉄の腕を、無慈悲に振り下ろした。  

グシャッ。  

肉が潰れる、湿った音。  

先頭にいた騎士は、声も出せずに、鎧ごとミンチになった。


「ひっ……!?」

「化け物め!」

「――無駄よ!」  


リリアンデは、ゴーレムの背後に隠れ、恍惚の表情で叫んだ。


「そいつは、あなたたちの『ルール』の外側で動いているの! あなたたちの剣は、届かない!」

 

ゴーレムは、リリアンデの意志に応え、研究室の壁を、まるで紙細工のように突き破り、廊下へと躍り出た。


「レオナルド! ぼさっとしてないで、行くわよ!」

「……あ……」  


レオナルドは、床に広がっていく、先程まで自分に忠誠を誓っていた騎士の血と肉片を見て、その場に吐き気を催していた。


「……俺たちは……何てことを……」

「『何てこと』ですって? あの人たちが、私たちを殺そうとしたんでしょう!」  


リリアンデは、レオナルドの襟首を掴み、その狂気に満ちた瞳で、彼の魂を射抜いた。


「セルゲイは死んだのよ! あの人たちの『秩序』のせいで! ……今さら、綺麗事で吐いてる場合!? あなたが失ったのは『部下』かもしれないけど、私は、私の『脳』を理解してくれた、たった一人の『協力者』を失ったのよ!」  


彼女の指が、レオナルドの肌に食い込む。


「……私たちの手は、もう汚れた。だったら、その血で、あのクソったれな大聖堂の、真っ白な床を、塗りたくってやらないと、割に合わないじゃない!」  


レオナルドは、リリアンデの狂気に、自らの葛藤が焼き切られるのを感じた。  


彼は、床に落ちていた聖騎士の剣を拾い上げ、血を振り払うと、リリアンデの後を追った。  

もう、王子ではない。

ただの、共犯者として。


◆ ◆ ◆


王都、大聖堂地下。  


祭壇の黒い水晶は砕け散り、『律』からのエネルギー供給は絶たれた。  

ガリウスは、左半身を焦がし、失明した左眼窩から煙を上げながら、コルネリウスに『魔浄の短剣』を突きつけようとしていた。


「……アランの、仇だ」

「……フ……フフ……」  


コルネリウスは、血反吐を吐きながらも、不気味に笑っていた。


「……殺せ。殺すがいい、ガリウス。だが、貴様は……勝ってなど、いない」

「……何?」


「貴様が壊したのは、王都を『守っていた』、最後の『蓋』だ。……アランの魂を『燃料』にして、かろうじて保たれていただけの、世界の『延命装置』そのものだ」

 

コルネリウスは、天井を指差した。


「……聞こえんか? 街の、悲鳴が」


 ゴオオオオオオオ……。  


地鳴りのような音。

それは、鐘の音でも、ゴーレムの破壊音でもない。  

王都の、あちこちから同時に上がり始めた、無数の、獣の咆哮。


「……馬鹿な。まさか……」

「『律』の力が弱まり、抑え込まれていた『淀み』が、一斉に溢れ出したのだ。魂魄病こんぱくびょうの、パンデミックだ! 貴様は、友の呪いを解いたつもりで、この王都に、地獄の蓋を開けたのだよ!」  


コルネリウスの狂的な笑い声が、地下祭壇に響き渡る。


「さあ、殺せ! そして、外へ出てみるがいい! 貴様が守ろうとした『世界』とやらが、貴様自身のせいで、内側から食い破られていく様をな!」

「……てめ……ぇ……!」  


ガリウスは、短剣を握りしめたまま、凍りついた。  

友の呪いを解くことと、世界を救うこと。

その二つが、決して両立しなかったという、絶望的な真実を、突きつけられて。


◆ ◆ ◆


魔王城。

あるいは、次元の狭間。  


リチェルカが開いた『歪み(ゲート)』を抜けた先は、ゼフィルスの理解を超えた場所だった。  

空気は、濃密な魔素マナで満たされ、呼吸をするだけで、肺がむず痒い。空には、紫色の星雲が渦巻き、大地は、まるで生きているかのように、ゆっくりと脈動していた。


「……ここが……魔王城……」  


ゼフィルスは、背負ったシルヴィアの重みに耐えながら、その異様な光景に圧倒されていた。


「ようこそ。我が『調律の間』へ」


声がした。  

玉座ではなかった。

その空間の中心、脈動する大地そのものと、鎖で繋がれたように、一人の男が立っていた。

魔王アズラエル。  

その姿は、伝説に聞くような、角を生やした怪物ではなかった。  


生前の記憶を、わずかに留めた、苦悩に満ちた瞳を持つ、一人の「青年」だった。


「……お前が、魔王……?」

「そして、お前が、今代の『星の刻印』を持つ者か」  


アズラエルは、ゼフィルスの背中――服の上からでも分かる、あのアザ――を、まっすぐに見つめた 。


「……リチェルカ。手筈通り、その女の治療を」

「御意に」  


リチェルカが、ゼフィルスからシルヴィアの体を受け取り、奥の祭壇へと運んでいく。


「……さて、偽物の勇者よ」  


アズラエルは、ゼフィルスに向き直った。その瞳には、人間への憎悪ではなく、深い、底なしの「疲労」が浮かんでいた。


「……お前は、コルネリウスの駒として、聖女を殺しに行った。だが、お前は、そうしなかった。なぜだ?」

「……ハッ。俺が、聖人君子に見えるかよ」  


ゼフィルスは、自嘲するように笑った。


「……ただ、もう、嘘に、ウンザリしただけだ。俺のついた嘘のせいで、人が死ぬのは……もう、見たくなかった。それだけだ」

「……そうか」  


アズラエルは、ゼフィルスの答えに、わずかに満足したように、頷いた。


「……コルネリウスは、『律』を掌握し、新たな『燃料』を得て、世界を延命させようとした。王都の老兵は、その『律』の心臓部を、憎悪で破壊した」

「……!?」


なぜ、魔王が、王都の出来事を?


「『律』は、世界のバランスを保つ、巨大な『天秤』だ。だが、コルネリウスとガリウス、あの二人の人間が、同時に、天秤の両皿を、叩き壊した。……もはや、世界は、崩壊へのカウントダウンに入った」  


アズラエルの声が、重くなる。


「……残された道は、一つだけだ」  


彼は、ゼフィルスが握りしめる『星の円盤』を指差した。


「お前の持つ『アーティファクト』と、お前の背負う『星の刻印』 。それらは、『律』の設計者が遺した、最後の『非常停止装置』だ」

「……何が、言いたい」

「コルネリウスでも、ガリウスでもない。この俺と、共に来い、偽物の勇者よ」  


魔王アズラエルは、ゼフィルスに向かって、その「囚われの」手を差し出した。


「――この、クソったれな世界の『律』そのものを、破壊リセットしに、行こう」


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