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18.契約は誰の血で綴られたか

南の荒野。


リチェルカの、悪魔の契約が、血と硝煙の匂いの中で静かに響く。


「――その女を、助けてあげましょうか? その代わり……あなたと、その『円盤』。そして、あの暴走した『聖女』を、私たちに、くれる?」


ゼフィルスは、泥だらけの顔を上げた。

腕の中では、シルヴィアの呼吸が、血の泡と共にか細く、弱くなっていく。

ティオが、震える手で矢を構えながら、ゼフィルスと魔族の女を交互に見ている。


「……ハッ」


ゼフィルスは、乾いた唇で、笑った。


「……取引、ね。俺みてぇな、クズの詐欺師に、持ちかける話かよ」

「あら。あなた、自分の価値を分かっていないのね」


リチェルカは、ゼフィルスが握る『星の円盤』を、ねっとりとした視線で愛撫した。


「その『ガラクタ』。それは、この世界の『律』に、直接干渉できる、数少ない『鍵』の一つよ。……あなたのような『偽物』が持っていたからこそ、コルネリウスも、そして、私たちも、その存在に気づけた」

「……」

「三十秒、あげるわ。その騎士の女、喉の動脈が切れてる。私の魔術ちからがなければ、もう助からない」


リチェルカの言葉が、最後通牒として突き刺さる。

ゼフィルスは、腕の中のシルヴィアを見た。

彼女の、あの最後の言葉。


『……お前は……『偽物』の、まま……死ぬな……』


(……ああ、そうだよな。あんたの言う通りだ)


彼は、生まれて初めて、他人のために、自分のすべてを賭ける「大博打」を決意した。


「……いいぜ。取引、成立だ」


彼は、泥の中から、ゆっくりと立ち上がった。


「この女を助けろ。今、ここで、完璧にだ。そうすりゃ、俺も、この『円盤』も、あんたにくれてやる。……だがな」


ゼフィルスは、リチェルカを、まっすぐに見据えた。


「あの聖女エルミナは、ダメだ。あいつは、もう壊れちまった。あんたらの『道具』にも、コルネリウスの『燃料』にも、なるタマじゃねぇよ」

「……ほう。土壇場で、交渉する気?」


リチェルカの目が、愉快そうに細められる。


「違う。これは、俺の『覚悟』だ」


ゼフィルスは、円盤を自らの喉元に突きつけた。


「この女を助けろ。そして、あの聖女には手を出すな。どっちか一つでも破ったら、俺は、この『円盤』を、この場で、最大出力で起動させる。俺も、あんたも、この荒野ごと、消し飛ぶことになるがな」


リチェルカは、数秒、黙ってゼフィルスを見つめた。

そして、たまらなそうに、喉を鳴らして笑い出した。


「……フフ……フフフ、アハハハハ! 最高! あなた、最高よ!」  


彼女は、笑いながら、ゼフィルスの前に進み出た。


「いいわ。気に入った。その取引、呑んであげる」  


リチェルカは、シルヴィアの喉元に、その白い指をかざした。  


次の瞬間、指先から、黒い魔力の糸が、生きた蛇のように傷口へと潜り込んでいく。


「……かはっ……!」  


シルヴィアの体が激しく痙攣する。矢が、魔力によって押し出され、傷口が、あり得ない速度で、黒い瘡蓋となって塞がっていく。


「……命は、繋ぎ止めたわ。ただし、これは『魔性』の治癒。聖教会の連中に見つかったら、彼女、即刻『異端』として火炙りね」

「……上等だ」

「あら、威勢がいいのね。でも、この治癒は『仮初め』よ」  


リチェルカの言葉に、ゼフィルスは目を見開いた。


「……どういう、ことだ」

「私の魔力ちからで、彼女の魂を、その肉体に無理やり縛り付けているだけ。このまま放置すれば、三日も経たずに拒絶反応で内側から腐り落ちるわ。……彼女を完全に生かしたければ、我が主の『調律』で、その魂を安定させるしかない」

「……!」  


それは、選択の余地のない、完璧な「脅迫」だった。  

シルヴィアの命は、完全に、魔王軍に握られたのだ。


「さて、と」  


リチェルカは、満足そうに立ち上がると、ティオを一瞥した。


「そこの種を持った子。あの壊れた聖女エルミナは、あなたに返してあげる。……せいぜい、お世話なさい。あんな『光の化け物』、もう人間の世界じゃ、生きていけないでしょうけど」  


彼女は、ゼフィルスの前に、黒い空間の『歪み(ゲート)』を開いた。


「さあ、行きましょうか、私の新しい『玩具』。……我が主が、あなたと、その『騎士様』の到着を、お待ちかねよ」  


ゼフィルスは、唇を噛み切った。  

コルネリウスという主人の首輪から逃れたと思えば、今度は、魔王という、さらに強大な主人の鎖につながれる。


(……クソが。どいつもこいつも、俺を『道具』としてしか見やがらねぇ)  


だが、腕の中でか細い息をつくシルヴィアの重みが、彼に選択を許さなかった。  

偽物のまま死ぬな、か。


(……ああ、あんたの言う通りだ。生き延びてやるよ。たとえ、魔王のケツを舐めることになってもな……!)  


ゼフィルスは、意識を取り戻しかけ、混乱するシルヴィアをしっかりと背負い直すと、ティオに一言だけ告げた。


「……バルトロメオは、まだ生きてるはずだ。諦めるな」  


そして、彼は、シルヴィアの命を繋ぐため、自ら、魔王へと続く、地獄の門をくぐった。


◆ ◆ ◆


同時刻、王都、大聖堂地下。


ガリウスが、その左眼に宿る、聖剣の『欠片』を、解放した。


「――てめぇが『絶望』を集めるってんなら、俺は、その絶望に、火をつけてやる!」


彼の眼窩から、凝縮された『聖性』と『呪い』が、青白い光となって溢れ出す。


「……愚かな! 『律』のエネルギーに、直接干渉する気か! 貴様の魂ごと、蒸発するぞ!」


コルネリウスが、祭壇の力を最大に引き出し、『魔浄の短剣』で防御壁を張る。


「三十年、待ったんだ! この瞬間のためになぁ!」


ガリウスは、コルネリウス本人ではなく、彼がエネルギーを吸い上げていた『黒い水晶』そのものに向かって、突進した。


「アランッ! てめぇの呪い、今、ここで断ち切ってやる!!」


彼が、その呪われた左眼を、水晶に叩きつけた、その瞬間。


 轟音。


聖なる力が、祭壇に集められた『負のエネルギー』と接触し、凄まじい「対消滅」を引き起こした。

黒い水晶は、内部から閃光を放ち、甲高い悲鳴を上げて、砕け散った。


「ぐ……あああああああああっ!!」


コルネリウスは、自らと接続していた『律』のエネルギーラインが焼き切られ、祭壇からの力の供給を、完全に絶たれた。

彼は、聖職者の衣を焦がしながら、壁に叩きつけられる。


「……が……はっ……。き、さま……『律』を……『調律』を……」


ガリウスもまた、無事ではなかった。

左半身が焼け焦げ、呪いの源だった左眼は、完全に光を失い、ただの炭化した穴となっている。彼は、膝をつき、荒い息を吐いた。


「……ハァ……ハァ……。ざまぁ、みろ……。これで、てめぇの……『燃料』は、尽きた……」

「……終わって、おらん……」


コルネリウスは、血反吐を吐きながらも、その狂信の目をガリウスに向けた。


「『律』は、壊れても……まだ、死んではおらん……。『メフィア』が……『調律師』が、必ず、元に戻す……」

「……まだ、ほざくか」


ガリウスは、コルネリウスが落とした『魔浄の短剣』を拾い上げ、よろめきながら立ち上がった。


「……アランの、仇だ」


戦いの力は失われた。

だが、二人の老人の、三十年にわたる因縁の「処刑」が、今、始まろうとしていた。


◆ ◆ ◆


王都、王立アカデミー。

リリアンデの隠し研究室。


聖騎士団が、斧で扉を叩き壊している。


「――レオナルド! あと一分!」

「無茶を言うな! もう、持たん!」


レオナルドは、机や椅子で築いたバリケードの陰で、必死に剣を構えている。


「……来たれ! 来たれ! 来たれ!」


リリアンデは、血走った目で、古代ゴーレムの胸部に、自作の『周波数発生装置』を取り付けていた。


「セルゲイの『脈動コア』の理論……! 『律』の周波数ではなく、その『間隙』を突く……! 神の力が『聖』なら、魔王の力が『魔』なら……」


彼女は、二本のケーブルを、ゴーレムの心臓部に突き立てた。


「お前は、『我』の力で動けッ!!」


彼女が、装置のスイッチを入れた、その瞬間。

バンッ! と、扉が破られ、聖騎士団長が、血相を変えて飛び込んできた。


「――いたぞ! 逆賊リリアンデと、レオナルド王子だ! 捕らえろ!」

「……間に、合わなかった……!」


レオナルドが、絶望に目を見開く。

だが、リリアンデは、狂ったように笑っていた。


「……ううん。間に合ったわよ、殿下」


彼女は、ゴーレムの肩に、そっと手を置いた。


 ゴ……。

 ゴゴゴ……。


千年の埃を被っていたゴーレムの、両眼の水晶が、青白い光ではなく、この世界の『律』とは全く異質な、不気味な「紫電」を、迸らせた。


「――動け、私のアダム。……そして、あの忌々しい『神様の玩具箱』を、全部、壊してやりなさい」

古代の遺産が、甲高い起動音と共に、立ち上がった。

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